其ノニ 祠の主

 もう既に御心おこころを定め、あちらへの世へと思いを馳せ、井戸の縁に御手おてをお掛けになっていらっしゃる安子様は、むしろ晴れ晴れとした御表情をなさっていらっしゃる様にすら、私には見えたので御座います。


 私は木枯らしを吹かせ雨脚あまあしを強めると、安子様に向かい、声を荒げてこう申し上げました。

「安子よ、私はこの寺子屋の、名も無いほこらぬしである。

 私はこの一年、そなたのかたを見守って来たが、そなたは今ここで何をしてる。」


 安子様は驚いて、井戸の脇に有る名も無いほこらの方をご覧になられると、震える声でこのようにお答えになられました。


ほこらぬし様、どうかお許し下さい。わたくしなど、生きて居たとて詮無せんない身。私を黙って彼岸あちらへ行かせていただく訳には参りませんでしょうか?」


 安子様は私が思っていたよりもずっと、意志の固い眼差しでこの様にお訴えになられましたので、私は更に風を強め声を荒げ、こう申し上げました。


「ではそなたは、この赤子あかごをどうするおつもりか。」



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