其ノ九 メリケン

 その時、常磐井ときわい様が何かを思い出されたように、

「あ、そうでした。今夜はなにぶん急な事が続きましたので、安子様のご主人の事をすっかり忘れておりました。今、呼んで参りましょうか?」

赤鬼あかおに先生にお尋ねになりました。


「いいや、お慶。今夜はもう夜も遅い。明日の朝にしなさい。」

 赤鬼あかおに先生はそうお答えになり、青い顔で息も絶え絶えのご様子で横たわって居る、妊婦の患者の安子様に心配そうに目をやると、未だ怒気が収まらない御様子でこうお続けになられます。


「しかしまあ、寺子屋の大奥(PTA)ってやつは、一体どう言う了見で、御母御達おははごたちをこんな夜遅くまで拘束していやがるんだ。

 小さい子供ってのは片時も目を離しちゃいけねえ生き物なんだよ。この人みたいに下のお子がまだいとけなかったり、お腹に赤子あかごが居る場合も有るのに。」


 赤鬼あかおに先生のお言葉に対し、おりんさんは、

私共わたしどもも、大奥(PTA)が本当に必要な事かは良く分からないんですが、大奥(PTA)はお子達の為に昔から有るもので、母御ははごたるもの、たとえどんなご事情が有ろうとも、そのお役から逃れることは出来ないと申されるのです。」

 とお答えになりました。


 赤鬼あかおに先生はますます血圧を上げて、大きな目玉がぎょろりと落ちんばかりの怒気でこう返されます。

「お子達の為? それが本当にお子の為になっておるのか?

 いいか、子供ってのはちょっと目を離した隙に、どんな大怪我をするか分からん生き物なんだ。だから親は子供が小さいうちは、四六時中見守ってやら無くちゃあならねえ。子供にしてみたってそうだ。何も夜中に不安で怖い思いまでさせる事は無かろう。」

 そう仰って、赤鬼あかおに先生は、涙目になって頷いている小さい太郎君たろうぎみのお顔をご覧になりました。


「それに聞いた話じゃあ、メリケンじゃ小さい子供だけを置いて親が出掛けちまったら、おかみにしょっ引かれるって言うじゃねえか。それをもとじゃあ堂々と、お子の為のお集まり、という名目で、しかも夜中にやっちまうんだからな。預け先が見つからねえ人だって多いだろうに。

 今日日きょうびおもてで働く女子おなごも多いんだから、夜は貴重な親子の団欒の時間じゃねえか。それすら奪っちまうなんて、そんなもん、子供の為もへったくれも無え。

 もう、そんな子供の為にならねえ大奥(PTA)なら、いっそ組織ごとやめちまえば良い。」

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