其ノ二十六 柘榴

「分かりました。色々とかたじけのう御座います。」

 安子様は、慌てながらも丁寧に常磐井ときわい様にお礼を言い、大奥総取締おおおくそうとりしまり鷹司信子たかつかさのぶこ様にも御一礼をし、こう仰いました。

「さあ太郎、急ぎましょう。来た道は分かりますね。」


 安子様は母親として気を確かに持たなければと御自分に言い聞かせ、太郎君たろうぎみの御手をお取りになりそのまま駆け出そうとなさるものの、胸の内は花子様の身が案じられ、怖くて足がすくんでおしまいになり、太郎君たろうぎみも、握った母の手を通してその震えを感じ取りました。


「お母様、大丈夫。わたくしが付いています。醫院いいんはあちらです。」

 七つの太郎君たろうぎみは、安子様の目を見てこう仰ると、ぎゅうとお母君ははぎみの御手を握り返し、幼いながらもしっかりと母を守ろうとしていらっしゃるようで、まこと健気なことに御座いました。


 太郎君たろうぎみより力をもらった安子様は、ご自分の肩に、あの鮮やかな緋色ひいろ柘榴ざくろの花がひとつ、ぽとりと落ちたことにもまるでお気付きにならないほど、無我夢中で山門に向かい駆け出されました。


「くれぐれも御足元にはお気を付けになるのですよ。」

 常盤井ときわい様のそのお言葉を、安子様は背中でかすかにお聞きになったので御座います。



第四章に続く



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