其ノ五 総髪

「ウウウ、ワワン! 」


 大勢の人々の気配に、常磐井ときわい家の裏庭で飼って居る白犬のハチが、警戒して唸り声を上げました。


「おいおい、こんな夜中に一体何の騒ぎだい? うちは稚児医者ちごいしゃ(小児科)で、女科じょか(婦人科)じゃあ無いんだよ?」


 御一行が常磐井ときわい醫院いいんに到着すると、稚児医者ちごいしゃ(小児科医師)の赤鬼あかおに先生こと常磐井ときわい院長が、それまで眠っていらっしゃったのか、酷い寝癖のぼさぼさの総髪頭そうはつあたまをぼりぼりと掻きながら、御自宅兼医院のお勝手口から顔をお出しになりました。


「おとっつあん、いえ先生。この方が小火ぼや騒ぎを収めた後、気を失って倒れて居りましたので、急患としてここへ連れて参りました。」

 常磐井ときわい様が父親である赤鬼あかおに先生に、こうご説明されました。


 一方、火消しの若頭わかがしら 辰五郎たつごろう様は、お医者様がいらっしゃるのをしかと確認し、組のしゅうに命じて安子様を戸板といたからそっと下ろさせ、診察室の布団の上に静かに横たわらせました。


「では、我々はこれで。」

 辰五郎たつごろう様がきびきびとした動きで皆に一礼すると、組の若い衆もそれに従って礼儀正しく医院を後にされました。


 赤鬼あかおに先生が安子様のお顔を確認されると、

「これは……。牧野のせがれの奥さんじゃあ無いか。こんなに衰弱しちまって。あゝこのお腹の大きさはもうここのつきと言った所だな。赤子あかごは動いて居るかな……。まあ詳しい話は後だ。早速、触診する。」


 普段は明るく冗談ばかり仰って居る赤鬼あかおに先生も、この時ばかりは窪んだ目の眉間みけんに深く皺を寄せ、真剣な表情で患者と向き合っていらっしゃいました。

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