其ノ十 布団

 赤鬼あかおに先生は話をお続けになります。

「牧野のせがれ悪餓鬼わるがきでなあ。子供の頃、しょっちゅう近所の子と喧嘩しちゃあ、擦り傷だらけになって、良くここでてやったもんだよ。」


 その時に御座います。

「御免下さい! 御免下さい!」

 と言う大声がして、安子様と太郎君たろうぎみが息を切らせて診察室に走り込んでいらっしゃいました。


「私が、牧野花子の母に御座います! 花子は、娘は無事で御座いましょうか?」

 普段は大変おっとりされて居る安子様の、この様な激しいお声を聞くのは初めてであると、初島はつしま様はお思いになりました。


 それを聞いて赤鬼あかおに先生は、

「ああ、娘さん青い梅を誤食しちまった様だが、なあに心配無い。全部吐かせて胃のを洗浄して置いたから、暫く安静にしといたら直ぐに良くなるよ。」


「ああ……。それは。それは良かった。皆様に何とお礼を申したら良いか…。」

 安子様はほっとして涙ぐみながら、張り詰めていた緊張の糸がほどけた様にその場に座り込まれました。

「ほんにまあ。本日ほんじつは、確かに子供たちを夫に頼んで家を出たつもりで居りましたのに……。」


 安子様が仰ると、赤鬼あかおに先生は安子様の顔色をご覧になり、さえぎる様にこう仰います。

「ああ、あんた顔色が悪いよ。話なら大体この人から聞いたからさ。」

 と、初島はつしま様をご覧になると、こうお続けになりました。

「お母さん、先ずは落ち着いて、娘さんの側に居てやんなさい。あっちで寝てるからさ。」


 安子様は赤鬼あかおに先生が指差した方向をご覧になると、衝立ついたての奥に敷かれた小さな布団の上で、青ざめた顔色で、かすかな寝息を立てて眠っている花子様の姿を見つけ、そちらへ崩れる様に駆け寄ったので御座います。


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