其ノ十七 夕闇

 夕闇に包まれ、子供らもお師様しさま(教師)らも帰った後の人気ひとけのない寺子屋の参道の脇には、安子様が夏に清水しみずを頂いた井戸が有り、その少し先に有る冬枯れの無花果いちじくの木の下には、寺子屋に来る度に安子様が手を合わせていらっしゃった、名も無いほこらが御座いました。


 心身共に疲労の限界に達し、意識が遠のいて行く様なお心持ちの中、安子様は背中におぶった次男の宗次郎そうじろう様が、手足をばたつかせてむずかって居る事にお気付きになりました。


宗次郎そうじろう? お乳かい? 少しお待ちなさいね。」


 安子様は井戸の脇に腰掛こしかけが有るのにお気付きになられますと、張り詰めて居た全身の緊張の糸が切れて、崩れる様にその腰掛こしかけに腰を落とされました。


 産後のおうつの御影響でしょうか。安子様の目からは、この時どう言う訳だか滂沱ぼうだの涙が溢れ出し、いつの間にか、泣いている赤子あかご宗次郎そうじろう様と一緒になってお泣きになって居る様な有り様で御座いました。


 おいたわしい安子様は、もうお体のどこにも残って居ない力を振り絞って、肩からおぶひもを外して、乳をやろうと一旦、宗次郎そうじろう様を腰掛こしかけの上に降ろされたので御座います。


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