第五章 目安箱

其ノ一 長月

 水無月(6月)の末に、花子様が青梅を誤食なさった一件から、御夫君ごふくん御母君おははぎみの牧野の奥方様おくがたさま御女中おじょちゅう初島はつしま様との間の誤解も解け、お二人の仲が以前通りに戻られたと聞いて、ひとまずはほっとした安子様で御座いました。


 それから二月余り経ちまして季節は長月ながつき(9月)の初旬となっておりました。葉月はづき(8月)の寺子屋の長いお休みが終わり、手の掛かる年頃の太郎君たろうぎみが再び寺子屋に通われる様になり、送り出した後はほんのしばしほっと息をつけるものの、お小さい数え三つ(2歳)の花子様からはまだまだ片時も目が離せず、割烹着かっぽうぎ姿で忙しく家事をなさる間も、安子様は手ばかりでは無く気働きも、常に怠る訳には参りません。


 近頃は、花子様のむつきが外れるようお稽古をなさったり、女の子ですからお喋りもかなり達者となり、あれはどこ? これはなあに? と常々話しかける姿も愛らしいものに御座いました。


 花子様が、青い雁金草かりがねそうの御花を摘もうと御庭に下りて行こうとなさいましたので、安子様は、はたから見ても少し膨らみが分かるくらいになっておりました八月やつきのお腹をお手で守られながら縁側までいらっしゃり、ゆっくり腰をお下ろしになりました。


 普段は家事にお忙しいお母様が、御自分のそばにお掛けになって下さった事が嬉しく、摘んだ雁金草かりがねそうを安子様に手渡すと、花子様は安子様のお腹にそっと触れ、


「あ、おかあさま、少し動きましたよ。」

 などと仰って、妹か弟が産まれて来る日を、それはそれは楽しみにしていらっしゃるご様子でした。


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