其ノ十一 産屋

「おかあたま、おかあたまあ!」


 恰幅かっぷくの良いご婦人の肩を借り、門の前栽せんざいを抜けようとした安子様の耳をつん裂く様に、背後から数え三つ(二歳)の花子様の、母を乞うて泣く声が響き渡りました。


 安子様は身が引き裂かれるような思いでそれを耳になさいましたが、お産と言うのは女子おなごの一生の一大事、今はただ、このお腹の御子を無事に産み落とさなければ、万が一にも我が身に何か有ったなら、それこそが太郎や花子にとっての、この上無い不幸なのだからと気を張って、振り返らずに産屋うぶやに向かって歩み出されました。


 産屋うぶやに着くと、敷いたむしろの上に、座ってお産をする為のわらの詰まったたわらが置いてあり、産婦が力を込めていきむ時のための力綱ちからづなが、上から一本下がっておりました。そしてゆかに置いた盆の上には、例の小火ぼや騒ぎの時に、安産の御守りにと常磐井ときわい様に頂いた親子のすすきみみずくが、今にも語りかけて来る様な愛らしい目つきで、安子様を見守って居りました。


「さあ、さあ、むしろにお掛けなさい。そうだ、たらいはあるかい? あと、布巾ふきんも要るね。しんどいかい? 私がお子を産んだ時も、えらく大変な事だったよ。」

 ご婦人が安子様にそう話しかけると、安子様はお辛そうな御表情でお体を上げて、それらの場所を指し示そうとなさいましたので、

「いいや、御免。あんたはじっとして居なさい。お勝手を借りさせて頂くよ。」

 ご婦人はそう仰って母屋おもやの方に駆けて行かれました。


 その時、産婆さんば様を呼びに行った細身のご婦人が、腰の曲がった御年配の産婆さんば様を一人連れて、安子様の御自宅のお庭に駆け戻って参ったので御座います。

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