其ノ十五 鉄筆

「あ、花ちゃん、よっちゃん、触ってはなりません!」

 安子様は慌てて子供たちをご制止なさりました。


「ほんと、危ないわ。芳子よしこ、こちらで私と手を繋いで居るのですよ。」

 芳子よしこ様のお母様は娘御むすめごの御手を取られました。それをご覧になって常磐井ときわい様は、だい(作業台)の上から素早く御鋏おはさみと小刀(カッター)をお片付けになり、子供の手の届かない高い棚の上に仕舞われると、こう仰いました。


「私どもではどうしたって、安子様の様な見事なお筆蹟ふみを書く事は叶いますまい。花ちゃん、少しおばちゃんとこっちに居ましょうね。」

 常磐井ときわい様にそう促されますと、花子様はむくれたお顔で常磐井ときわい様の御手を握り、しばらく大人しくされておりました。


 どなたかが棚の引き出しから蝋原紙ろうげんしを探して参られました。蝋原紙ろうげんしはこの三枚のみ。これに鉄筆てっぴつ窺書うかがいしょ(アンケート)の文面を、綺麗に一枚の中に収めなくては成りません。


 安子様は隅にある文机ふづくえにお座りになると、早速鉄筆てっぴつを御手に取り、

『来年度 大奥取締方おおおくとりしまりがた 御募集 御窺書おうかがいしょ

 と、蝋原紙ろうげんし窺書うかがいしょ(アンケート)の冒頭部分を美しい筆蹟で綴られますと、皆口々に、

「ああ、なんと美しい文字でしょう。慣れぬ鉄筆てっぴつでこの様に。流石さすが御右筆ごゆうひつ(書記)ですこと。」

 と、褒めそやしたので御座います。

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