其の六 房楊枝

「それでは行ってまいりますね。」

 安子様が草履ぞうりを履こうとしてしゃがみ込まれた時、ふと、何かを思い出されました。

「ああ、そうでした。あれを用意しておきませんとね。」


 そう仰って安子様は急いでお勝手かってに戻り、房楊枝ふさようじ(歯ブラシ)を三本取って居間にお持ちになり、ご夫君ふくんが晩酌をしておられる円卓の上にお置きになると、こう仰いました。

「子供達を寝かし付ける前に、必ずこの房楊枝ふさようじ(歯ブラシ)で歯磨きをさせてくださいね。虫歯になってしまいますからね。」

 安子様がこう念押しなさると、ご夫君ふくんは聞いているのか聞いていないかのていで、軽く相槌あいづちを打たれました。


「ああ、もう急がないと、それでは行ってまいりますね。」


 安子様が急ぎ玄関に戻り、草履ぞうりを履いて出かけようとなさるお姿を、太郎君たろうぎみは心配そうに見守っていらっしゃいました。




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