其ノ六 お割り当て

 安子様はしばし呆然としてその場に立ち尽くしていらっしゃいましたが、宗次郎そうじろう様がむずかる故、右手でその御背中をとんとんと叩いてあやすと、左手に握り締めている御住所録の方に目を落とされました。


 それにしても前田様が仰っていた事、寺子屋しか知り得ない個人の御情報を何故なにゆえ御吟味方ごぎんみがた(選出委員)取締とりしまり(委員長)のおでん方様かたさまがお持ちになっていらっしゃったのか、それは不思議な事に御座います。まさか住職様じゅうしょくさま(校長)から、御名簿が大奥(PTA)に渡って居るのでは? しかしそれでは、お上が定めた個人情報御保護の法度はっとに触れる恐れは無いので御座いましょうか? 安子様の御心にはふと、その様なお考えがよぎったので御座います。


 なれど、そんな事は私が考えたとて詮無せんないこと、日の有るうちに次のお宅を回らなくては。おでん方様かたさまより、御吟味方ごぎんみがたのお役付きの者は各々おのおの、最低でもお一人は御自分の伝手つてで来年度の取締方とりしまりがた(本部役員)をお決めになる事、とのお割り当て(ノルマ)を厳しく言いつかって居るのですから。しかも私以外の御役付きの方々は皆、私がお役を御免除されて居る数か月の間に、もう各々おのおの伝手つてでそのお割り当て(ノルマ)を果たされて居らっしゃるとの事。ですから私はどうにかして、この最後の一席を決めなくては成りませぬ。


 この様に重圧を感じていらっしゃる安子様は、嗚呼ああこうしては居られない、と御住所録に有る次のお宅に向かわれたので御座います。

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