其ノ十九 鍬形虫

 太郎君たろうぎみと花子様はようやっとかわやに辿り着き、花子様が用を足して居る間、太郎君たろうぎみは火のともって居る手燭てしょくを、三段ある石段の一番上の段に置いて、ご自身は石段に腰を降ろして待っていらっしゃいました。


 太郎君たろうぎみが満月の映し出された手水鉢ちょうずばちをぼおっと眺めておりますと、男子おのこごの大好きな、昼間ならちょっと見ない立派な大きさの一匹の鍬形虫くわがたむしが、何処からか這い上って来てその手水鉢ちょうずばちの淵に止まると、少年の目は一瞬綺羅きらと輝き、その虫に釘付けになりました。


 このように動かないのなら、今ならこの鍬形くわがたを簡単に捉えられるかも、と言う誘惑が一瞬太郎君たろうぎみの脳裏をよぎりましたが、いいや、今は虫など採って居る場合では無い、妹を無事に寝室まで送り届けなくては、とかぶりを振って思い直されました。


 すると、

「お兄たま、出来た! 花ちゃん一人で出来たよ!」

 花子様が用を足して嬉しそうにかわやから出て来ますと、

「良かったなあ、花ちゃん。」

 太郎君たろうぎみはそう仰ると、花子様の着物の裾が乱れて居たので、お手を伸ばして直されようとなさいました。


 その時に御座います。


「花ちゃん、お着物も自分で直せるもん!」

 花子様はそう言ってむずかると、手足をじたばたさせてあらがい、花子様の御御足おみあしが、裾を直そうと伸ばしていた太郎君たろうぎみの腕に強く当たり、その肘が石段の上に置いてあった手燭てしょくにぶつかったので御座います。


「あっ!」

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