其ノ三 用件

 普段は、御気分や御体調にむらの有る奥方様おくがたさまに手を焼いておられる初島はつしま様でしたが、本日は、たまたま奥方様おくがたさまの調子が宜しかった様で、安子様はここへ来る前、義母宅にお立ち寄りになり、お女中の初島はつしま様に花子様をお預けする事が叶いました。一方、太郎君たろうぎみは寺子屋が引けた後、元気よく友達と遊びにお出掛けになりましたので、本日安子様は宗次郎そうじろう様お一人を背中におぶい、御吟味方ごぎんみがた(選出委員)のお勤めを果たす次第となりました。


「さあ、ここが昨年この町に越してきたばかりでいらっしゃる、前田まえだ様のお宅ですね。」


 安子様は左手に握り締めた御名簿を、再び確認なさってそうひとりごちなさると、前栽せんざいを抜けて前田様宅の玄関の戸板をお叩きになり、


「御免くださいませ。大奥(PTA)の御吟味方ごぎんみがた(選出委員)の者です。御在宅でしたら、少しお話しを聞いて頂けませんでしょうか。」

 とお声掛けをなさりました。


 弥生やよい(3月)とは言え、まだまだ風も冷たく、ぱらぱらと雨粒も落ちて来るお天気のもと赤子あかごを背負って見知らぬ方のお宅を訪ね歩くというのも、安子様に取られましては中々難儀な事に御座います。


 しばらく何のお返事も御座いませんでしたので、お留守なのかしら、その場合また出直さねばなりませぬなあ、と安子様が諦めかけなさったその時、がらりと玄関の戸板が少し開いて、中からこの家の主婦と思しき一人のご婦人がお顔を出されたので御座います。


「大奥(PTA)のお方が、一体たくへ何のご用が御座いまするか?」

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