第九章 訪問

其ノ一 弥生

 年も明け、桃の花も咲き初める弥生やよい(3月)となりました。


 安子様は、ようやっとお首の座った宗次郎そうじろう様を背におぶい、お手には何やら文字の書かれた留書とめがき(メモ)を握り締め、寺子屋近くの御屋敷街の小路こうじをとぼとぼと歩いていらっしゃいました。


 安子様は昨年霜月しもつき(11月)の激しいお産の後、七日間眠る事も叶わず、産前は毎朝元気に鳥の声と共に起き、てきぱきと家事をこなして居られたのに、ここ数ヶ月はずっと、朝起き上がる事もままならず、体がなまりの様に重くお感じになる中、それでも無理を押してようやっと体を起こしてどうにか朝餉あさげを御用意し、御自分は食欲が全く無いので召し上がる事も無く、ご夫君ふくん太郎君たろうぎみを送り出した後は、力尽きた様にまたとこに就き、宗次郎そうじろう様に乳を吸わせるがままにして横になり、安子様は御気分がどんどん塞ぎ込んでしまうのを御自分では抑える事も出来ぬまま、うつうつと日々をお過ごしになられておりました。


 ご本人はお気付きで無いかも知れませぬが、この様な御様子を、産後のおうつと申すので御座いましょう。


 ただ、生真面目きまじめ御性分ごしょうぶんの安子様は、大奥(PTA)の御吟味方ごぎんみがた(選出委員)の皆様と、以前お約束された通り、赤子あかごの首が座りおんぶが出来る様になりましたので、これまで長くお休みさせていただいた分も皆様のお役に立たねば申し訳が立たぬと、如月きさらぎ(2月)の末頃から、だるいお体を押して、御吟味方ごぎんみがた(選出委員)の御会合にもお顔を出される様になっておられました。



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