其ノ二十二 手形

「お怪我は御座いませんか?」


 辺りが洋墨ようぼく(インキ)で真っ黒になろうとも、完成しかけた仕事が台無しになろうとも、母御ははごらが先ず真っ先にお気に掛ける事は、お子の無事。

 安子様と芳子よしこ様のお母様は、咄嗟とっさ各々おのおの自分の娘御むすめごを抱き抱え、それ以上何も触らせまいと、小さいお体をぎゅっと抱き止めたので御座います。


嗚呼ああ、良かった。硝子板がらすいたは落ちて居ない……。」

 安子様は割れ物が無いのを見て取ると、先ずはほっと胸を撫で下ろされました。


「これこれ、触るでない。洋墨ようぼく(インキ)でお手が真っ黒ではないですか!」

 芳子よしこ様のお母様は、芳子よしこ様が尻餅しりもちいてお手をゆかに着けた拍子に、洋墨ようぼく(インキ)でお手が真っ黒になったのにお気付きになられました。


「あ、あ!」

 慌てた芳子よしこ様が体を動かされますと、そこら中に乾かして有る印刷済の藁半紙わらばんしに触れてしまい、幾枚も小さい黒い手形だらけにしてしまわれました。

 紙はまだ良い、また刷れば良いのだから。問題は……。安子様は、あと一枚しか残って居ない蝋原紙ろうげんしがどうなって居るか、恐る恐る目でお探しになられたので御座います。

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