物語の始まり2





そうして――全てが変わった。


今までとは違う世界。


殺さなくてもいい世界。


殺されることのない世界。


それは、とても新鮮で――

そして、酷く居心地の悪い世界だった。


僕を腫れ物みたいに怖がりながら、

やたらと機嫌を伺ってくる叔母さん。


同じように強く警戒しながらも、

度胸試しみたいに平然と触ってくる叔父さん。


何をしたいのかよく分からない妹。

びっくりするほど何も考えてない同級生。


みんな、どうして生きていられるのか分からないくらい

致命的な隙を晒していた。


気持ち悪いくらいの愚鈍さ。


肌の色が違うように。

あるいは、話す言葉が違うように――


僕とこの人たちは全く別のものなんだってことを、

ただそこにいるだけで見せつけられてしまう。


“普通の人として暮らせ”と、

お父さんに言われはしたけれど。


お父さんは僕に、

こんなものになって欲しかったんだろうか?


いや――違うか。


こんなものにしかなれないだろうと思ったから、

僕にそうなれって言ったのか。


僕には、幾ら頑張っても

ひところすことができなかったんだから。


でも……僕には、

この世界に馴染むことはできそうにない。


だったらどこか、

遠くへ行ってしまいたい――


「……少し町を探検してきますね」


そうして今日も、逃げるように家を出る。


嬉しそうな叔父さんの『いってらっしゃい』が、

いつものように背中から聞こえてきた。





一人、道を歩く。


灰色の空。灰色の道。


色褪せて消えかけた落書きに、

くすんだ道路標識をさらに汚していく黒い排ガス。


人影はそもそもまばらで、時たま人とすれ違っても、

誰もが双六の駒みたいにどこかへと急いでいる。


弁当箱にただ食べられるものを詰め込んだような、

面白みも何もない単色の町並み――


僕と同類なんて、

とても見つかりそうにない。





空を見上げる。


晴れるでも降るでもなく、

ただ濁すばかりのどっちつかずの空。


まるで誰かさんみたいだと、

その曖昧さに嫌気が差してくる。


「何で僕、こんなところにいるんだろう?」


家が襲われて、住む場所をなくして、

普通の世界に連れて来られて。


日陰にいる資格もなく、太陽の下も馴染めないから、

当てもなく曇天の町を彷徨さまよって。


どうして、

こんな目に遭ってしまったんだろう。


神様が意地悪をしているから?


それとも、

僕が暗殺者として出来損ないだから?


なら。

もしもだけれど、僕が――


「……人を殺せれば?」


殺せれば……お父さんは、

僕のことを迎えに来てくれるんだろうか。


暗殺者としてもう一度、

生きていける……かもしれない。


「誰かを殺せれば……」


ベンチに座ったまま前屈みになって、

周りを窺う。


そうして、まばらな人の往来の中、

目の前を横切っていく一組の老夫婦へと耳を澄ました。


もう、誰から教わったのかは

忘れてしまったけれど――


こうして聞こえて来る音で、

僕には人を殺せるかどうかの判別ができた。


基本的に静かであれば殺しやすく、

うるさく感じれば殺すのに一苦労。


そして、聞いているのも辛いようであれば、

その人は殺せない――という感じだ。



……この老夫婦の場合は、

音にすらならないような、微かな音。


つまり“殺せる”ということだ。


人によって聞こえ方は違っていて、

ノイズ音やガラスの擦れる音、叫び声なんてこともある。


以前、軽い気持ちでお父さんに試したら、

頭が割れるほどの音で慌てて耳を塞いだことがあった。


……あんな音は、

もう二度と聞きたくない。


もっとも、音を聞くには程近い場所で、

かつ目を凝らすみたいに耳を澄ます必要がある。


だから、実際に聞く機会は

もうないはずだ。


――今のまま、

お父さんに会えなければ。


「殺せる……かな?」


先の老夫婦を目で追う。


叔父さんたちよりもさらに酷い無防備を晒したまま、

幸せそうに寄り添って歩く二人。


あれなら、適当に近づいて首を撫でれば、

それで全て終わりだろう。


反撃される恐れはまずないから、

何も警戒する必要はない。


一般の常識として、

人殺しがいけないことなのだとは知っているけれど――


「また、お父さんと一緒に暮らせるなら……」


もう一度、暗殺者になるのなら、

こっちの常識なんて関係ない。


躊躇するな。


行け。


殺せ――!


「……」


また、声が出ころせなかった。


掠れた息が漏れるように、手足が変に強張って、

僕が動く前に獲物は人目のある辺りに行ってしまった。


……でも、簡単に人を殺せないことは、

最初から分かってる。


今度はもっと早い段階で用意をしておいて、

ターゲットと見定めた時から動くようにしないと――



……そう思って、何度も確かめてみたけれど、

結局は誰も声が出ころせなかった。


“耳を澄まして、

相手の音が大したことがなければ殺せる”?


そんなの、嘘っぱちだ。

ちっとも殺せないじゃないか。


周りは『何でそれができないのか分からない』ほど、

文字通り息を吸うようにころしていたのに。


どうして僕は、

ひところせないんだろうか?



人を殺すって……

どうすればいいんだろう――



そんな自問は、家族といた頃から既にしているわけで、

今更やっても答えなんて出るわけがなかった。


それでも諦めきれずに、次の日からも、

学校が終わった後に毎日公園に通って試した。


けれど、結果は同じ。


つまり、お父さんが僕を捨てた判断は、

間違っていなかったっていうことだろう。



「はぁ……」


今日も一人、

公園のベンチに座って溜め息をつく。


毎日通っていれば、

さすがに顔も覚えられるらしい。


今まで殺そうとしていた人に、

何度か挨拶をされたりもした。


その無防備さが――無神経さが気に障るけれど、

あの人たちに怒っても仕方がない。


僕が怒ってもいいのは、

才能の欠片もない自分自身にだけだ。


そう――


惨めだった。情けなかった。


自分が何者なのか、分からなかった。


「僕は、何なんだろう……」


普通の人にも暗殺者にもなりきれない何か。


自分の居場所すら見つけられずに、

灰色の町で一人、ベンチで頭を抱えている何か。


この異物は、一体何なんだ?


何のためにここにいるんだ?


僕は――何になりたいんだ?


「……分かんないよ」


別に、どうしても

暗殺者になりたかったわけじゃない。


ただ、今までずっと、

そうなるのが当然だと思って頑張ってきただけだ。


なのに、ある日突然、

その道から閉め出されて――


色々なものを詰め込んできた宝石箱の中身が、

目覚めた朝にいきなりがらくたに変わっていた。


信じたくなかった。

信じられるわけがなかった。


苦しんだり褒められたりしながら、

頑張って詰め込んできた、自分の全て。


それが、誰の役にも何の役にも立たないということを、

認めたくなかった。


でも、目を擦っても、手に取ってみても、

何度確かめてみても、がらくたは宝石には戻らない。


この世界で、

がらくたを必要とするところはどこにもない。


「僕は、どこに行けばいいんだろう……」


お父さんに、

どこに行けばいいのか教えて欲しい。


お母さんに、

こっちだよって手を引っ張って欲しい。


けれど、二人とはもう、

二度と会えない。


そう思った途端――

心細くなって、体がぶるりと震えた。


誰も味方はいないという実感が、

笹山の家に来て二週間経って、ようやく湧いてきた。


そうして、深く深く考えていくうちに、

どんどん怖くなって――


耐えきれなくなって、走った。


全速力で、当てもなく逃げた。


僕を知らない世界から/僕を必要としない世界から、

とにかくとにかく遠くへ。


でたらめな走りはすぐに息が切れて、

脇腹が痛くなった。苦しくて、涙が出た。


世界とかいう、自分じゃどうしようもない大きな何かに、

いじめられている気分だった。


そんな、惨めな逃走の最中――


ふいに、いつかお母さんが聞かせてくれた

鳥の童話を思い出した。


童話の主人公である雛鳥は、生まれた時から、

兄弟と姿形が大きく違っていた。


兄弟が着飾った鮮やかな黄色に対して、

その子の羽毛は煤けたような灰色。


体も大きく、その群れの基準で言えば、

一羽だけが“普通”じゃなかった。


雛鳥は当然のように、

兄弟たちから爪弾つまはじきにされる。


最初は我が子として愛していた親からさえも、

時が経つにつれて疎まれるようになった。


居たたまれなくなった雛鳥は、親元を離れるものの、

結局どこでも疎外されるのは変わらない。


雛鳥は逃げ出す。


いじめられないように隠れながら、

必死に自分を受け入れてくれる群れを探して。


そうして、逃げて、逃げて、

疲れ切ったところで――


――そこに、美しい鳥を見た。

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