那美からの呼び出し1

差し込む日差しに目を擦りつつ、

ゆっくりと体を起こす。


目を向けた先にある時計の表示は、

午前の六時半。


今日も、着替えて琴子を起こすところから

一日が始まる――





「琴子ー、朝だぞー」


数回のノックの後に、

琴子の部屋の扉に手をかける。


いつも通りのルーチンワーク。


とはいえ、ここ何日かは例外ばかりだったから、

微妙に久し振りな気がしないでもない。


「……早いところ、元通りにしないとなぁ」


昨日、新たにした決意を再確認しつつ、

目の前の扉を開く。




扉を閉じた。


「えっ? いや……えっ?」


何だ、今のは?


何だか、物凄い光景が広がっていたような……。


「いや、いやいやいや……」


目を擦って深呼吸をして、

寝惚けた頭に活を入れる。


それからもう一度、扉を開ける。


そうすればほら、

そこにはいつも通りの光景が広がって――



――いなかった。


「いや、ちょっと……その……」


見てはいけない。


そう頭では分かっていても、

目が離せない。


白い肌。

寝息に上下する豊かな膨らみ。


普段、目にすることのない琴子の女性の部分に、

胸が高鳴るのを自覚する。


普段は特に意識しない琴子の部屋の匂いが、

今日に限ってチョコレートのような濃厚な甘みに感じる。


その感覚にされるがままになっていると、

すーすーという琴子の寝息が聞こえてきた。


その規則的な響きが、やけに生々しい。

艶めかしい。


同じ部屋にいるだけなのに、

耳元に吹きかけられているような錯覚を起こしそうになる。


何というか……

これまで考えもしなかったけれど――


琴子の寝てる部屋に毎朝来てるのって、

実は、物凄くアブナイ行為なんじゃないか?


「いや……待て待て待て!

そっちの方向はやばい!」


頭を振って、

変な方向に行こうとしている思考を戻す。


冷静になって考えてみろ。


僕は、義理とはいえ琴子の兄なんだ。


兄弟がお互いの部屋に入るくらい、

別に普通のことじゃないか。


胸がはだけていようが下着が見えていようが、

普通の兄弟なら気にしないはずだ。


……ちょっとくらいは気になるかもしれないけれど、

他の女の子とは明確な差がつくに違いない。


「そうだ……そうだよ!」


意識なんてするほうがおかしい。


寝坊しそうな兄弟を起こす。

でも、たまたま、今日に限って服がはだけていた。


それだけなんだから、

動揺する要素なんて微塵もないはずだ。


そう考えたら、少し落ち着いてきた。


後は、この冷静な精神のまま、

いつものように琴子を起こすだけ。


何かが見えそうな感じだったけれど、

泰然としていれば何の脅威もない。


いざ枕元へ。


「いや待て、ちょっと待とう!」


枕元から飛び退すさって、いったん仕切り直す。


冷静に考えてみれば、

無言で近づくとか物凄く変態っぽい!


ここは一つ、気軽に歌でも口ずさんだほうが、

より冷静な感じがするんじゃないだろうか?


飽きるほど回数を重ねた作業であれば、

退屈しのぎに何か他のことをするのは当然とも言える。


なら、妹を冷静に起こす作業も、

冷静になっていればながら作業でやるはず……!


「そうだ。きっとそうだ」


世の妹を持つ諸兄たちは、きっと妹を起こす時、

鼻歌交じりでやっているに違いない。


そんな確信の元に、

琴子の枕元へと再び接近する。


口ずさむのは、コンビニなどで最近よく聞く、

流行りの歌のサビの部分。


というより、サビしか覚えていないから、

その部分をループしてしか歌えない。


……二周三周してしまうと、

何だか不自然な気がするな。


早いところ、

決着をつけてしまわねば……!


冷静にメロディに乗せて、

いつものように琴子の肩へと手をかける。


それから、深い眠りから呼び覚ますために、

冷静に琴子を揺り動かす。


「うっ……!?」


揺れた……?


「……いやいや、まさか」


引きつる口元を自覚しつつ、

再度、冷静に琴子の肩を揺さぶる。


が――


今度こそ揺れた。


間違いなく揺れた。


肩を揺すっただけなのに揺れた。


「やばいよ……やばいよ……」


見るだけでも十分ハードなのに、

その上、僕の力で揺れられたりしたら堪らない。


これはもう、エクストリームだ。


エクスタシーだ。


僕の冷静ポイントが、

見る見る激減していくのが分かる。


お前は十分頑張った、あとは欲望おれに身を任せろと、

悪魔が百点満点の笑顔で囁いてくる。


家には、僕と琴子の二人きり。


しかも、その琴子でさえ、

今は眠りの底に沈んでいる。


バレるわけがない。


後は、ほんのちょっとの勇気を出して、

好奇心と欲望に満ちた手を伸ばすだけ。


そうして僕は、

琴子のはだけている胸元へと手を伸ばし――


「こ、こんなものがあるから

いけないんだっ!」


パジャマのボタンへと手をかけた。


僕は琴子のお兄ちゃんだ!


お兄ちゃんは欲望なんかに絶対に負けない!


心を惑わすものが見えなくなれば、

もう何も怖いものなんてない!


待ってろ琴子。

今、お兄ちゃんがボタンを全部閉めて――


「お兄ちゃん?」


「……えっ?」


ぴたりと、ボタンにかけた指が止まった。


顔を上げる。


「ん……おはよう、お兄ちゃん……」


「こっ、こっ……こと、こっ……」


「……ニワトリさん?」


寝惚け眼を擦りながら、

琴子がじっと僕を見つめてくる。


けれど、そこで、

僕が何故か目の前にいる謎に気付いたらしい。


琴子は、目をぱちくりさせた後に、

緩慢な動きで視線を胸元へ動かし――


「えっ……」


自身はだけた胸と、

ボタンに手をかけている兄の指を発見した。


琴子の視線が、

高速で僕の顔へと戻ってくる。


見る見る顔が赤くなっていく。


瞬間――僕の中で何かが切れた。


「これは夢だよ、琴子ッ!!」


「えっ? ゆ、夢?」


「そう、夢!

だからほら、もう一度寝なおさないと!」


「あ、う、うん! そうだね!」


「よし、いい子だ!

少しして目が覚めたら、自力で起きてくるんだよ!」


「あと、着替えるのも忘れないで!

くれぐれもそのまま来ちゃダメだから!」


「う、うん! 分かった!」


こくこくと頷いて、

思い切り目を瞑る琴子。


その隙に、バック転を連発するくらいの勢いで、

琴子の部屋を離脱した。


辛うじてごまかせた……だろうか?


やましいことは何もしていないけれど、

まずいところを見られた思いは拭い去れない。


ああもう、何て朝なんだ……。







……結局、琴子とは

登校する間も微妙な雰囲気のままだった。


夢だってごまかしてはみたけれど、

やっぱりかなり苦しいよなぁ。


放課後までに、

お互い忘れてるといいんだけれど……。


鉛のように重い溜め息をつきながら、

靴を履き替える。


それから、教室に向かおうとしたところで――


「さ、佐倉さん……?」


予想もしていなかった人物が、

僕の前にさっと飛び出してきた。


「ええと……おはよう。

どうしたの? 僕に用事かな?」


キッと目元を引き締めたまま、

首を小さく縦に振る佐倉さん。


その返答に、正直言って驚いた。


これまでずっと避けられてきたのに、

急に僕に会いに来るなんて……。


「何だろう?

僕にできることなら何でもするよ」


「別に、頼み事じゃないから」


……頼み事じゃない?


じゃあ、何だろう――


そう言いかけて、

佐倉さんの肩が細かく震えているのに気付いた。


珍しく話しかけてくれたと思ったけれど、

やっぱり、僕を怖がっているんだろうか?


「放課後、中庭に来て」


「えっ?」


「待ってるから」


それだけ言い残して、呼び止める間もなく、

佐倉さんは逃げるように走っていってしまった。


あんな、震えを我慢して、

最低限の用事を終えたら逃げ出すほど怯えて……。


なのに、僕を呼び出してくるなんて、

何か大事な用事でもあるんだろうか?


色々と想像を巡らせたものの――


結局、よく分からなかった。


……まあ、佐倉さんのことは

放課後でいいか。


今はそれよりもABYSSだ。


昨日、再確認した通り、

こっちを先にやろう。


差し当たっては、

鬼塚との交渉。


もちろん一筋縄ではいかないだろうから、

罠にかけて拘束して、有利に交渉を進める。


そのための方策を、

何とか今日中に考えないと。




そうして、

あっという間にやってきた放課後――


佐倉さんの名前を伏せて用事の件を伝えると、

琴子はしょんぼりと項垂れた。


「ごめんね。でも、どうしても外せない用事だから、

先に帰っててもらえるかな?」


「……うん、分かった。

でも、早めに帰ってきてね?」


「オッケー。なるべく急ぐよ」


……微妙に心配はしていたけれど、

朝のことは忘れてくれているみたいだな。


引きずってぎくしゃくするのも嫌だし、

僕も早く忘れてしまおう。


「一応、帰りは人気の多い道を選んでね。

また、昨日みたいなことがあったら困るから」


「うん、分かった」


「何なら、ぼくが送っていこうかー?」


PCに向かっていた真ヶ瀬先輩が、

くるくると椅子を回転させてこっちに手を振ってくる。


「本当ですか?」


「うん。そのほうが晶くんも安心でしょ?」


「琴子ちゃんとは帰る方向が逆だけど、

晶くんの頼み事なら喜んで引き受けるよ」


「あ、それじゃあ――」


「お断りします」


……はい?


『何で?』と思って顔を向けると、そこには、

琴子の何故か笑ってないように見える笑顔があった。


「大丈夫だよ、お兄ちゃん。

私、一人で帰れるから」


「いやでも、せっかく真ヶ瀬先輩が

送ってくれるって言ってるんだよ?」


「だって、真ヶ瀬先輩と一緒だと、

逆に絡まれそうだし」


「えー、そんなことないよ。

どんな極悪人でも、ぼくが微笑めば一発さ!」


「一発で相手を怒らせるんですよね?」


「あはは、そうかもね」


いや、そこは笑ってないで

否定しましょう先輩。


「そういうわけなんで、

私は一人で帰ります」


「って言ってるけど、

どうする晶くん?」


「……まあ、本人がいいって言うなら、

仕方ないですね」


先輩の提案はありがたいけれど、

こればっかりはどうしようもない。


無理やりお願いしたところで、

先輩も琴子も、どっちも嫌な思いをしそうだし。


溜め息が出てくる。


……どうしてこう、

琴子と先輩は相性が悪いんだろう?





中庭に来てみると、

佐倉さんがベンチにも座らずにじっと立っていた。


壁を背に周囲を窺ってる様子から

透けて見える警戒心。


僕に対するものなんだろうけれど、

それを気にするのは今さらだろう。


こうして、話す機会が得られただけでもありがたい。

誤解があっても、きっと話せば解ける。


そう信じて、驚かさないように一声かけてから、

佐倉さんの前に出た。


「……来てくれたんだ。

約束どおり」


「ごめん。待たせちゃった?」


「別に……

いつまでも待つつもりだったから」


……朝も感じたけれど、

何だか随分と覚悟を固めてきてるみたいだな。


これまでは、僕が何度捕まえても、

逃げられていたのに。


これは何かあるのかなと覚悟を決めつつ、

佐倉さんの言葉を待つ。


と、強い意志を秘めた瞳がぐっと細まって、

深呼吸する音が聞こえた。


「二年前。覚えてる?」


「……二年前?」


「正確に言うなら、一年半前。

二月の二十日」


ああ……思い出した。


佐倉さんと仲良くできた、最後の月だ。


「あの日、笹山くんは……人を殺したよね?」


――は?


「驚くふりなんてしなくていいよ。

私は全部知ってるんだから」


「あなたが人殺しだって、

知ってるんだから」


「い、いや、ちょっと待ってよ!」


僕が人を殺した?

佐倉さんは、全部知ってる?


「えーと……本気で言ってる?」


「っ……本気に決まってるでしょう!?

とぼけないでよ!」


僕を警戒していたのも忘れて、

声を荒げる佐倉さん。


……この反応は本気だな。


でも、だとしたら佐倉さんは、

僕が人殺しだと思ってたから怯えてたってことか?


話があんまりにもぶっ飛び過ぎてる。


佐倉さんの様子があまりにも真剣過ぎるのと合わせて、

逆にこっちが冷静になってしまうくらいだ。


とりあえず、

断言できることは一つ。


「どこからそうなったのかは知らないけれど、

僕は人なんて殺してないよ」


「そんな嘘、信じるわけないでしょ?」


「いや、本当だから」


佐倉さんに言うわけにはいかないけれど、

僕には人を殺せない理由がある。


だから、僕にはそもそも不可能だ。


「だって、私見たんだよ?

笹山くんが、血溜まりの中で立ってるの」


「なのにそんな嘘、

信じられるわけないじゃない!」


「いや、本当だってば。

ちょっと冷静になろう」


「もし、そんな血溜まりのできるような人殺しをしたら、

警察にすぐ捕まっちゃうよね?」


「それは……」


「それに、僕が嘘を言ってないこと、

佐倉さんも分かってくれると思うんだ」


「でもっ……私は本当に……」


「うん。僕も、

佐倉さんが嘘を言ってないのは分かるよ」


昔からの付き合いだったんだし、

目を見れば分かる。


僕も佐倉さんも嘘を言ってないし、

やましいところもない。


「だから“僕が人を殺した”ことに関しては、

どっちかの認識が間違ってるんだと思う」


「例えば、佐倉さんがたまたま怖い夢を見て、

それを現実のものとして認識しちゃってるとか」


「違う! あれは夢なんかじゃない!」


「だから、例えばの話だよ」


「逆に僕も、自分がやってないと思ってるだけで、

実は知らないところで人を殺してるかもしれないし」


「でも、今ここで佐倉さんと話してる僕は、

本当にやった記憶がないんだ」


「だから、僕たちにまず必要なのは、

お互いの認識を話していくことだと思う」


「そうして材料が揃えば、

どっちが正しいか検証できるでしょ?」


「それは、そうだけど……」


佐倉さんが煮え切らない表情で俯く。


そこにはきっと、

恐怖とか興奮とかの感情が入り混じってるんだろう。


とりあえず原因は分かった。


僕を人殺しだと思っていたなら、

これまで佐倉さんが怯えていた理由も納得できる。


ただ……そうなると、

一つ疑問なところがあった。


「……佐倉さん。どうして急に、

僕に人殺しだって言いに来たの?」


「それは……笹山くんが人を殺してるって、

知ってる人がいたから」


……は?


「それ、どういうこと?」


「他にも知ってる人がいたの。

笹山くんが人を殺してるってこと」


「その人と色々話して、

いつまでも逃げてちゃダメだって言われて……」


僕が人を殺していることを、

知っている人がいる?


それは、佐倉さんがあったと主張する、

二年前にあったらしい人殺しのことか?


それとも――僕が暗殺者だったことを、

知っているっていうことか?


「……その人の名前は?」


「聞いてどうするの?

まさか、殺す気なんじゃ……」


「あのね……殺す気だったら、

佐倉さんのことだって殺してるでしょ?」


「僕はそもそも人殺しじゃないんだから、

その人のことも殺す必要はないの」


「でも、真偽を問わずに、

自分が人殺しだなんて噂を流されたら困るでしょ?」


否定するところが見つからないという感じで、

佐倉さんが渋々頷く。


「だから、その佐倉さんが話した人と、

僕も話をしてみたいんだ」


「心配なら、佐倉さんも同席してもらってもいいし、

人のいる場所でも全然構わないよ」


……心にもないことを口にしていても、

全然、罪悪感はなかった。


佐倉さんが会ったというその人物は、

ろくでもないことがほぼ確定しているからだ。


可能性は二つ。


一つは、佐倉さんの言葉を狂言だと思いつつも、

話を合わせているだけの人間。


そしてもう一つは、

僕が元暗殺者だと知っている人間だ。


前者であれば、シンプルに考えれば、

佐倉さんに近づく目的なんだろう。


何をするつもりなのかは分からないけれど、

危ない感じなら、僕が露払いをする必要がある。


けれど、後者――こちらだった場合は、

問答無用で佐倉さんを遠ざけなきゃダメだ。


何せ、僕が暗殺者だと知り得るのは、

ABYSSしか考えられない。


まさか、佐倉さんに

二年前から仕込んでいたとは思えないけれど――


現状の佐倉さんを見て、

利用しようと考えるというのはあり得る話だ。


「教えてくれない? その人の名前を」


「……本当に、話すだけなの?」


「もちろん」


ジェスチャーも絡めて無害を示すと、

佐倉さんは少し黙った後に、静かに頷いた。


さて、どんな名前が飛び出してくるか――


「片山……信二くん」


……片山?


それって確か、琴子のクラスの佐賀島さんが、

ABYSS候補って言ってたよな?


しかも、ABYSSらしき人物に襲われる直前に、

調査していたはず。


これは……当たりか?


「片山くんって、何年何組なの?」


「……そんなの、知ってるでしょ?」


「いや、全然」


僕が答えるのと同時に、

佐倉さんが眉根を寄せた。


「うそ……」


「いや、嘘じゃないよ。

僕は片山って人と会ったことは一度もないし」


「えっ? えっ?

じゃあ、何で……?」


そんなに意外だったのか、

その表情に明らかな困惑を浮かばせる佐倉さん。


……何でそんな、

うろたえてるんだ?


「だって、片山くんは、

笹山くんのことをよく知ってたんだよ?」


「それに、琴子ちゃんとだって、

仲良くしてるって聞いたのに……」


何だ……それ?


琴子と仲良くしている?


いや、百歩譲って、

付き合いがあってもいいとは思う。


ただ、どうしてそこで――

佐倉さんとの話の中で、それを出す?


佐倉さんを懐柔する際、

情報の信憑性を上げようとしたのか?


でも、そんなことをしたら、

片山の名前が僕に露出する可能性は上がる。


にも関わらず、

佐倉さんに強く口止めをした様子もない。


佐倉さんの信頼を得るにしても、

もっと他にやり方はあるのに……。


「笹山くん?」


「……ちょっと待って。

今、ちょっと琴子に電話してもいい?」


「う、うん……」


ありがとうという返事と同時に携帯を取り出して、

履歴から琴子を選択――通話を押下。


僕の思い過ごしなら、

それでいい。


でも、もしも片山が、

何かを意図して琴子の名前を出したのだとしたら――


「って、おいおい……」


コール音が十を超えても、

琴子が出る気配はなかった。


「琴子ちゃん……出ないの?」


「……うん」


たまたまなのか?


それとも、

何かトラブルに巻き込まれている?


携帯で表示時刻を確認――四時半過ぎ。


僕が生徒会室を出て来てから、

三十分くらいか?


なら、今は帰宅途中のはずだから、

出ないほうがおかしい。


嫌な予感がする。


「琴子ちゃんに、何かあったの?」


佐倉さんが、西日で影の出来た顔で、

不安そうに見つめてくる。


「……ねえ、佐倉さん。

今日、僕を呼び出すのって誰が決めたの?」


「それは……私だけど」


「じゃあ、その決めた日時は、

片山って人も知ってるの?」


「それは……って、

もしかして片山くんが琴子ちゃんに何かしたの?」


「――ごめん、佐倉さん」


もう、それだけで十分だった。

彼女に一言だけ謝って、走った。


西日に目を細めつつ、

全速力で昇降口へと向かう。


その道中で、自然と奥歯が鳴った。


「やられた……!」


今日の話し合い自体、

仕組まれた罠だった可能性が高い。


片山ってやつはABYSSで、

最初から琴子を狙うつもりだったんだ。


いや――落ち着け。

断定にはまだ早い。


琴子がたまたま

電話に出ないだけの可能性だってある。


何にしても、確認が先決だ。


琴子……!

頼む、思い過ごしであってくれ――





「琴子!」


リビングに飛び込む。


が、そこに琴子の姿はなかった。


ならばと、階段を上がって二階――

琴子の部屋へ。


玄関に靴はなかったけれど、

自分の目で確かめたい。





――当然、

部屋にも琴子はいなかった。


生徒会室を出たことは、

既に真ヶ瀬先輩にメールで確認してる。


となると、本当に片山に浚われたのか?

それとも寄り道?


週末に備えて買い出しに行くというのも、

可能性としてなくはない。


他にも、友達に誘われたりしたら、

どこか遊びに行ってることもあり得る。


例えばカラオケなら、

僕からの電話に気付かないこともあるだろう。


「……どうする?」


寄り道なら待っていればいいけれど、

拉致の場合はそうもいかない。


となると、まず最初にするべきは、

拉致かどうかの確定か?


なら、琴子の行きそうな場所を回って、

まず琴子を足で探さないと。


ただ、如何せん候補が多すぎる。


誰か、他の人に助けを借りるか?


真っ先に思いつくのは、

佐賀島さん。


彼女に頼めば、もし琴子が友達といるなら、

すぐさま見つけることができるはずだ。


ただ……もしもABYSSが関わってるなら、

彼女を巻き込むのは危険過ぎる。


女の子だし、何より、

ABYSSとは手を切りたがっていたのもある。


かといって、

他に頼れそうなのは……。


「……無理だな」


真ヶ瀬先輩と温子さんが思い浮かんだけれど、

どっちもABYSSと関わらせたくなかった。


もうすぐ日も暮れるし、

ABYSSじゃなくても、二人が出歩くのは危ない。


結局、自分で探すしかない――

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