abyss調査2







……黒塚さんについてあれこれ考えていたら、

あっという間に放課後になってしまった。


それくらい、

昼間のやり取りは強烈だった。


「あなたはそう遠くないうちに殺されるわ……」


黒塚さんはあれを“予言”だと言っていたけれど、

どう考えても“予告”としか取れないよな……。


最悪の状況を想定するなら、

明日どころか今晩にも襲われかねない。


そうなる前にABYSS候補を絞って、

できるだけ早く解決しないと……。


「……まあ、その前にまずは生徒会か」


教室の戸締まりを確認して、

さっさと生徒会室に行こう。






「っ……!」


「あ――っと、ごめん……」


扉を開けると同時に立ち上がった佐倉さんへ、

反射的に謝罪の言葉が口を衝いた。


っていうか、誰もいないと思っていたら、

まだ佐倉さんが残ってたのか。


……今朝のやり取りが脳裏に浮かぶ。


もう構うなって言われたし、ここはきっと、

黙って教室を出るのが正解なんだろう。


「……日誌、もう書き終わった?」


それでも、もう慣れっこだろうと気を落ち着けて、

笑顔で佐倉さんに声をかけた。


温子さんの時みたいに、粘り強く行く。


仲直りできるまで、何度でも。


「ずっと今日は佐倉さんにお願いしちゃったし、

最後くらいは僕に書かせてくれないかな」


「戸締まりも僕がやっておくから、

佐倉さんは先に帰っていいよ」


同じ空間にいたくないだろうという、

向こうの意思を尊重した提案。


佐倉さんとしてはメリットしかないんだし、

断る理由はないはず――


「……いい。私がやるから。

笹山くんこそ、先に帰ってて」


「いや、だって……」


「いいの。私がやるからっ」


いつもと同じように襟元に手を当て、

胸に日誌を抱えたまま、佐倉さんが声を大きくする。


その行為に、明らかな震えが伴っていて、

差し出していた手を下ろさざるを得なかった。


「……じゃあ、僕もせめて最後まで残るよ」


「それも……要らない。

私だけで……」


……意味の分からないまま拒絶されるのは、

やっぱり辛い。


けれど、今朝よりも少しだけ

冷静な自分がいた。


改めて考えてみても、

ここまで拒まれるのは異常に感じる。


単に僕のことが嫌いで、同じ空間にいたくないなら、

日誌を僕に預けて帰ればいいだけの話だ。


なのに佐倉さんは、

日誌を受け渡すことさえ避けている。


まるで、僕に関わること自体が穢れみたいに。


一体、何があったんだろうか。

何が彼女をここまで変えたんだろうか。


それさえ分かれば、

会話くらいはもう少しできるのに。


そう思ったら――

聞かずにはいられなかった。


「ねえ、佐倉さん。

そんなに僕のこと……嫌い?」


「それは……」


「僕は、嫌いじゃない。

っていうか……」


「……うん、仲良くしたいと思ってるんだ。

昔みたいに」


頑張って、

少しでも佐倉さんに響きそうな言葉を選ぶ。


ずっと伝えたかったのに、いつも逃げられて

聞いてもらえなかった思いを打ち明ける。


「佐倉さんと……上手く話せなくなったのって、

確か二年くらい前だよね」


「あれ以来、佐倉さんが笑わなくなって……

何でなんだろうって、ずっと思ってたんだ」


「何で、って……」


「多分、佐倉さんから見て、

僕に嫌なところがあるんだよね?」


「そこを何とかして直すから、

僕のどこが悪いのか教えてくれないかな?」


「自分じゃよく分からないから……お願い」


何が何でもという思いで頭を下げる。


そうして顔を上げてみると、


「う――」


襟元を強く握り締めた佐倉さんが、

今にも壊れそうな引きつった顔で僕を睨んでいた。


そのひびの入った姿に狼狽する。

心臓がどくりと跳ねる。


何で……理由を聞いただけで、

こんな風になるんだ?


「そんなの……

自分が一番よく分かってるでしょっ?」


荒い呼吸の合間に、

絞り出すように呟く佐倉さん。


……自分が一番よく分かってる?


どういうことだ?


自分で気付いていないだけで、

僕が佐倉さんに何かをやらかしたってことか?


理解できない言葉に困惑する。


その間に、佐倉さんが自席に飛びつき、

机脇の鞄を引っ掴んだ。


「あ……ちょっと!」


逃げないでという単純な思いから、

反射的に佐倉さんの手を捕まえる。


瞬間――佐倉さんの目から、

大粒の涙がぼろぼろと零れ始めた。


「やめて……」


「那美、ちゃん……」


「お願いします……やめて下さい……」


か細い声だった。


本気の懇願だった。


握っていた手から、

那美ちゃんの震えが直に伝わってきた。


それが、叩かれたみたいに痛くて。


泣きそうなくらい辛くて。


「……ごめんなさい」


何か言わなきゃと思っても、

そんな言葉しか出て来なかった。


捕まえていた那美ちゃんを離す。


笹の葉の下で握ってもらったあの手が、

僕の中からするりと抜けていく。


「……ごめんなさい」


佐倉さんが、僕の解放した震える手を、

隠すようにゆっくりと握りしめる。


そして、下唇を噛みながらその手を下ろし、

『でも』と小さく呟いた。


「あなたは……晶ちゃんじゃないから」


さようなら――


そう言って、

佐倉さんは教室から出て行った。


「……やっちゃった」


一つ二つと深呼吸をした後に、

ようやくそんな言葉が自分の中から出て来た。


自分が何だかよく分からない。


やっちゃったとは言うものの、

後悔してるわけでもない。


さっきは辛くてどうしようもなかったのに、

今はもうそれほどでもない。


色々と実感がなくて……

なのに妙に冷静な自分がいて。


まるで、夢って自覚してる状態で

夢を見ているみたいだった。


ただ――最後に佐倉さんの言った言葉が、

頭の中でぐるぐると回っていた。


「僕が、晶じゃない……か」


どういう意味なんだろう。


僕が自覚していないだけで、

昔から何か変わったってことか?


それとも、僕の偽物とか

ドッペルゲンガーが他にいるとか?


「わけ分かんないな、もう……」


上手く頭が回ってないのがもどかしくて、

ガリガリと頭を掻く。


どうもまだ、

夢の中にいるような感覚が抜けない。


……これから生徒会室に行かなきゃいけないし、

もう少し落ち着いてから考えるか。





あ。そういえば、

まだ教室の戸締まりをしてなかったな。


佐倉さんが日誌も置いて帰っちゃったし、

そっちも僕のほうでやっておくか……。





「あれ、爽……?」


「あ、あはは……やっほー」


教室に戻ると、何故かバケツに片足を突っ込んだ爽が、

目を泳がせながら手を振ってきた。


その横には、キィキィと音を立てて揺れる、

掃除用具入れの扉。


「もしかして、その中にいたの?」


「えー……あー、うん。

どうなのかな?」


「見てたんだ?」


「いやっ、それはっ」


「……はい。見てました」


「いや、何で敬語なのさ」


「だってさぁ……」


……まあ、逆の立場だったら、

僕も気を遣ってるとは思うけれど。


「い、一応言っとくけどっ、

最初から覗こうと思って隠れてたわけじゃないかんね?」


「分かってる。

別に怒ってるわけじゃないよ」


爽の奇行は

今に始まったことじゃないし。


「ただ、誰にも言わないでくれると助かるかな。

僕もそうだけれど、佐倉さんも嫌がると思うから」


「それはもちろんだってば!

可愛い子を泣かせるつもりはないし!」


「うん、ありがと」


「……っていうか晶、

思ったより冷静な感じ?」


「うん……そうみたい。

僕もちょっと自分が信じられないけれど」


「ふーん……」


爽がまじまじと僕の顔を覗き込んでくる。


その探るような視線に、

微妙な居心地の悪さを覚えたところで、


「まあ、あんま気にすんなよ!」


べちん、と爽に背中を叩かれた。


「人生長いんだしさ、

たまには悪い日だってあるさ!」


「ちょ……爽、痛い痛い!」


「落ち込んでる時は刺激が必要なの!

黙ってぺちぺちされろオラー!」


「いや、そんなに落ち込んでないってばっ」


驚くことが多過ぎて、

落ち込むどころか他人事みたいな感じがしてたし。


まあ、何だかんだで爽と話してたら、

少しは夢から覚めてきた気がするけれど。


「……ならいいけどさー」


「でも、無理してんならちゃんと言えよー?

晶はただでさえ弱っちぃんだからさ」


「あー……あと、

琴子ちゃんと登校するのも悪くないと思うよ」


「え……何で琴子?」


「いや、妹パワーで癒してくれそうじゃん?」


「……それは爽の願望が多分に入ってると思う。

というか、琴子とは大抵一緒に登校してるし」


今日は例外だったけれど――って、あ。


やばい……今朝の件で、

琴子からメール入ってたの忘れてた……。

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