あなたに逢えて良かった

「さぁ、教えてもわうわよ。

あれから何があったのかを」


勝負の翌日――


『明日になったら説明する』という約束の履行を求めて、

幽に思い切り詰め寄られた。


昨日じゃ気持ちの整理が付かないと思って、

明日とは言ったけれど……。


一日経って、幽の気持ちが

変に熟成されてしまったんじゃないだろうか?


「えーと……とりあえず落ち着かない?」


「落ち着いてるわ」


目が血走ってます。


「……とりあえず、僕らが勝ったのは、

聖先輩が負けを認めたからだよ」


「はぁ? あの状況で、

どうしてあいつが負けを認めるわけ!?」


「それは……ダイアログの時間制限で、

僕が逃げ続ければ倒せないって思ったみたい」


「……なるほど。

でも、私を殺すことはできたわよね?」


「殺せたけれど、結局は僕に勝てなければ、

ABYSS側の負けになるでしょ?」


「だから聖先輩は、勝敗を最初から

僕と鬼塚の勝負に委ねてたみたいなんだ」


「『自分には晶くんろ殺せないから』って」


「……何それ? 彼女はABYSSでしょう?

だったら、誰であろうと殺すんじゃないの?」


「……ABYSSにも色々あるんじゃないかな。

人殺し以外の目的があったとか」


聖先輩の悲しそうな表情。

そして、去り際の背中を思い出す。


身内補正もあるのかもしれないけれど、

やっぱり僕には、先輩が殺人鬼だなんて思えない。


「私にはよく分からないわね。

矛盾してるとしか思えないわ」


「人を殺したくないなら、

最初からABYSSになんて入らなければいいのに」


「僕にだって分からないよ。

でも、人ってそういうものなんじゃない?」


僕らがそれを想像するのは自由だけれど――

先輩の気持ちは、先輩にしか分からない。


僕らに分かっているのは、

先輩の行動が起こした結果だけだ。


そう――


「何にしても、

幽はこれでゲームクリアだ」


「……そうね。

プレイヤーとしてのゲームはこれでお終いになるわ」


「復讐……するんだよね?」


「ええ。そのために戦ってきたんだもの。

最後までやり遂げなきゃ」


「私は、逃げ出してしまった

あの人たちとは違うから」


……幽の両親か。


幽とお別れになる前に、

その辺りの誤解も解いておいたほうがよさそうだな。


死んでしまった両親のことを、

間違った理由で恨み続けるなんて、悲しすぎる。


それに、もしかすると、

幽が復讐を諦めてくれるかもしれないから――


「……あのさ、幽。

今夜うちへ来てくれないかな?」


「何かあるの?」


「いや、幽が行っちゃう前に、

色んな話をしておきたいと思ってさ」


「琴子にケーキを作ってもらうのがいいかな。

まあ、お別れ会みたいな感じだね」


「幽の両親について、

僕なりに考えてみたこともあったし」


両親の話を出したところで――

幽の眉が、露骨にひそめられた。


「……私は別に、

両親の話なんてしたくないわ」


「あー……ごめん。

幽の嫌がることをしようと思ったわけじゃないんだ」


「ただ、僕なりに思ったことがあって、

それを幽に評価してもらいたいだけなんだ」


「だから、お願い。聞くだけでいいから。

ケーキも大きめに取り分けるから、ねっ?」


「……本当に聞くだけよ?

ケーキも大きめね?」


「どっちも保証するよ」


「じゃあ、いいわ。

ケーキを食べるついでなら」


「それじゃあ、

せっかくだから爽にも連絡しておくね」


……よかった。断られなくて。


こういう場を作ってやれば、

幽も逃げずに話を聞いてくれる。


そして、きちんと話を聞いてさえもらえれば、

きっと幽も分かってくれる。


後は、琴子と爽に根回しをして――





「何これ……?」


うちに来て早々に、

幽は戸惑いの声を上げた。


そして次に、

怖いくらいの視線を僕に向けてきた。


……まぁ、それも仕方がないと思う。


テーブルの上に用意してあったのは、

幽の嫌いなチョコレートケーキなんだから。


「……晶、これは何なの?」


「幽のために用意したケーキだよ」


「前に言ったでしょう?

私はチョコレートケーキは食べられないって」


「それとも、

わざとこれを用意したわけ?」


幽の敵意じみた視線に怯まないように、

敢えてその目を見て頷く。


と――幽はそれが不愉快だったのか、

黙って席を立った。


「いや、ちょっと待ってよ幽」


「嫌がらせに付き合ってられないわ」


「ちょ、ちょっと晶?」


「お兄ちゃん……」


「幽、話を聞いて欲しい」


「何の話よ?」


「幽の両親は、自殺じゃなかったんだ」


「……はぁ?」


「だって、幽に遺したものが、

あんまりにも中途半端だから」


僕の話に、

少し思うところがあったのか――


幽は部屋の扉に手をかけていたものの、

その手を一旦止めてくれた。


「……幽の両親は、幽の誕生日ケーキを

昼に届くようにしていたんだよね?」


「ええ、そうね」


「幽には、夕方までに戻るって

話してたんだよね?」


「……結局帰って来なかったから、

置いていくための嘘だったんでしょうけど」


「幽の両親は、

どうして幽を置いていったんだろう?」


「さあ、知らないわよ。

娘に手をかけるのは辛かったんじゃないの?」


「だったら、自分たちが死んだ後の幽の処遇を、

親戚とか身内に依頼して行くと思うんだ」


「それは……」


「じゃあ、直前まで迷っていたせいで、

親戚に頼むことができなかったのか――」


「僕はこれも、NOだと思う」


「だって、もし迷っていたんだとしたら、

ケーキを頼むこと自体しなかっただろうしね」


「死ぬことを前提にしてるにしては、

幽の両親の行動はおかしいと思うんだ」


「夕方には戻るなんてことも、

戻ってくる気のない人間は絶対に言わないよ」


「どうしてそんなこと断言できるのよ?」


「うちの[義理の両親'おや]が、

そうやっていなくなったから」


「あ……」


幽が、僕の顔を見て――

琴子の顔を見た。


琴子はそれに、

困ったように笑顔を浮かべた。


「だから、幽の両親も、

幽を見捨てるために置いていったんじゃないと思う」


「じゃあ、どうして……?」


「……ここからは完全に想像だけれど、

戦いに行ったんじゃないかな」


「戦いって……何と?」


「幽のお兄さんを殺した相手だよ」


爽と琴子の手前、

ABYSSとは言えなかったけれど――


幽はきちんと理解してくれたらしく、

大きく目を見開いて口元を押さえた。


「……幽も言ってたよね。

誕生日の少し前から、両親が急に明るくなったって」


「それって、お兄さんの件の決着を付ける目処が

立ったからだと思う」


「そうして、二人は恐らく、

慎重に実行の日を考えた」


「その日を幽の誕生日の後にしなかったのは、

日程をずらせない理由があったか、もしくは――」


「幽の誕生日に、

間に合わせたかったんじゃないかな」


「家の中の暗い雰囲気を、

吹き飛ばすために」


「幽の誕生日っていう大切な日を、

心の底からみんなで喜ぶために」


「そんな……でも……」


幽が俯き、

戸惑うように視線をさまよわせる。


そして、まるで助けを求めるかのように、

僕のほうを見つめてくる。


……幽がこれまでABYSSと戦ってきたのは、

復讐のためと言っていた。


兄をABYSSに殺され、

家族をABYSSにムチャクチャにされて。


失うものがなくなった幽は、

プレイヤーになった。


そう言っていた。


けれど、それだけなんだろうか?


ABYSSに家族が殺されたにも関わらず、

逃げ出した両親を見返したい――


そんな気持ちも、

少なからずあったんじゃないだろうか?


もしも、僕の想像通り、

幽にそういった気持ちがあったんだとしたなら。


その、幽を過去に縛り付ける呪いのような重しを、

僕が下ろしてあげたい。


幽が、復讐という二文字を、

できるだけ早く忘れられるように。


だから――


「幽の誕生会をやりたいんだ」


「幽の両親がお祝いできなかったぶんを、

僕と琴子と爽とで、祝ってあげたいんだ」


「あの日と同じ、

このチョコレートケーキで」


幽の表情に、戸惑いが生まれる。


助けを求めるように僕を見て、それから、

その視線チョコレートケーキへと向けて――


『やっぱり無理よ』と、

小さくなって項垂れた。


「……何度かね、

食べてみようとしたことはあるの」


「でも駄目だった。

身体が受け付けないのよ」


「せっかく、琴子が作ってくれたものでも、

吐き出してしまうかもしれないから……」


「大丈夫ですよ、黒塚先輩」


「琴子……」


「みんなで食べれば、きっと大丈夫です」


「そだよ、幽。

みんなで食べるから美味しいんでしょ?」


「爽まで……」


「怖がらなくていいよ。

今度は食べても、誰もいなくならないから」


「みんなずっと、例え遠くに行っても、

幽の友達のままだから」


大丈夫だよ――と、

幽の小さな手を取って椅子へと誘う。


爽が何も言われずとも椅子を引いて、

琴子がケーキの前に立って、幽の着席を待つ。


幽は、そんな僕らの顔を、

びっくりしたような顔で見回して――


「……分かったわ」


観念したように、

椅子へと戻ってくれた。


「よっしゃー! そんじゃ、誕生日っつったら歌!

あたしの出番だね!」


「は、恥ずかしいから、

そこまでしなくていいわよっ」


「まあ、夜だからね。

爽の歌はまたの機会ということで……」


「ぐぬぬっ……無念」



「それじゃあ、ケーキを切り分けるね」


「あ、四等分した後に僕のを削って、

幽のを多めにしてくれる? 約束なんだ」


「分かった。そうするね」


琴子が手早くナイフを振るって、

ケーキを綺麗に取り分ける。


それから、

みんなで席に着いた。


「それじゃあ、幽。

お誕生日おめでとう」


「いえーい!

お誕生日おめでとー!」


「おめでとうございます、先輩!」


ぱちぱちと拍手を送ってから、

みんなで幽の最初の一口をじっと見守る。


そんな中、

おずおずとフォークを手にとる幽。


それから、爽の顔を見て、琴子の顔を見て、

僕のほうを見て来て――


意を決したのか、幽はゆっくりと、

ケーキを口の中へと運んだ。


「どうですか、先輩?」


「どう、幽?」


「……おいしい?」


俯いたままの幽に、優しく訊ねる。


幽はゆっくりと顔をあげ――


「……うん。おいしい」


その目尻から、

ほろりと涙が零れた。





扉を開けると、

眩しいくらいの光に溢れていた。


やや強めの風にさらされた、

学校の屋上。


待ち合わせをしていた彼女は、

どうやらまだ来ていないらしい。


「僕が先って、

今思えば初めてかな?」


珍しいなと思ったけれど、

ある意味では“普通”になったのかなとも思う。


だって、待ち合わせに

遅刻するっていうことは――


ABYSSにしか時間を使っていなかった幽が、

他に時間の使い道を見つけたってことだから。


「変わったなぁ、幽も」


お誕生日会から、

経つこと一週間ほど。


あの日から、幽は以前にも増して、

よく笑うようになった。


ABYSSとの戦いが終わり、

授業にもちゃんと出席し始めているらしい。


最初はクラスメイトに遠巻きにされるだけだったものの、

幽の地がバレてからは、少し話す機会が増えたとか。


幽は複雑な顔をしていたけれど、

何だかんだで満更ではなさそうだった。


それ以外の人間関係で言えば、

やっぱり目立つのは爽だろうか。


相変わらず一方通行気味ではあるけれど、

時々幽と食べ歩きなんかもしていたり。


ただ、爽が覗きポイントを紹介した時は、

幽は相当呆れたらしい。


後日、幽に爽の頭について真剣に相談された時は、

あれは変態だというフォローを入れるはめになった。


そういった諸々を経て、

少しずつ、幽は学園に溶け込み始めていた。


このまま、

もっと溶け込んで欲しい。


けれどそれは、

僕のわがままなんだろうな――


「待たせたわね」


そんなことを考えている間に、

待ち人が来たらしい。


「おはよう、幽」


「おはよう。

ごめんなさいね、爽に捕まっちゃって」


「ああ、それは爽が悪いから。八割方」


「さすが、よく分かってるわね」


二人で苦笑いを見せ合う。


「まあでも、今日で最後だと思うと、

やっぱり名残惜しいわね」


「……だね」


幽がこの学園に来るのも、

今日で……というよりも、昨日で最後だった。


今日は、最後の挨拶にと、

僕と幽で会う約束をしていただけだ。


「やぁね、そんなに暗い顔しないでよ」


「でも、幽とこれでお別れって思ったら、

やっぱり明るい顔はしにくいよ」


「もう……またいつかここに戻ってくるわよ。

その時は、真っ先に晶に連絡するから」


「そうしたら、今度は……うん。

デートしましょう」


「二人きりのデートって、

行ったことなかったでしょう?」


「ああ……そういえばそうだね」


「絶対楽しいわよ」


幽が、空に浮かぶ太陽に負けないくらい

眩しい笑顔を浮かべる。


それを、僕がじっと目に焼き付けていると、

幽はふぅと息を吐いて、僕に正対してきた。


「ねえ、晶」


「うん?」


「晶がいて、よかった」


「……そんなこと。

僕のほうこそだよ」


幽に面と向かって『よかった』と言われる

気恥ずかしさに、思わず顔を背ける。


そんな僕を見て、

幽はくすりと笑った。


「これで、しばらくはお別れになるわけだけど、

やっぱり寂しいわ」


「僕だってそうだよ。

本当は、幽に行かないで欲しいと思ってる」


「……ごめんね。

でも、私は行かなきゃいけないから」


「だから……晶に、私が晶のことを忘れないような、

おまじないをして欲しいの」


「お、おまじないっ?」


「そう。目を瞑ってるから、

好きなことしていいわよ」


「すっ……」


好きなことって……

一体、何をすればいいんだ?


そう思って前を見ると、既に幽が目を瞑って、

顔を僕のほうへ――上へと向けていた。


こ、これって、

キスをしてくれってことだよなっ?


というか、この場面でキスをしないなんて、

普通に考えたらあり得ないよな!?


「っ……!」


いや、待て待て待て!

早とちりはまずい!


僕が勘違いをしてる可能性だってある。


幽に『そういうつもりで言ったんじゃない』

なんて言わせたら、ずっと悶えることになるぞ。


ここはもっと、

キスより無難な選択をするべきじゃないか?


でも――


ああもう、余計なことは考えるな!


幽は好きにしていいって言ったんだから、

僕の思う通りのことをすればいいんだ。


だったらもう、

選択肢なんてあってないようなものじゃないか。


そう、僕は――






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