一堂に会す









「あの……そろそろ移動しないと……」


「ちょっと待ってろ。

コイツの息の根を止めたら移動する」


「うーん可愛いなぁミコちゃんは。

私に勝てると思ってる辺りがすっごく可愛い」


「誰も勝とうなんて思ってない。

殺すって言ってるんだ。あとミコちゃんって言うな」


「えっ、でも殺ったら、生徒会の仕事が

全部晶くんと琴子ちゃんに行っちゃうよ?」


「そうしたら二人は残業漬けになるし、

学園祭もメチャクチャになっちゃうよ?」


「それは……ボクには関係ないし」


「いやいや、関係あるでしょ。

いいの、琴子ちゃんがお肌ボロボロになっても?」


「そうなったら、琴子ちゃんもミコちゃんも、

晶くんに嫌われちゃうよ?」


「う……」


「琴子ちゃんはミコちゃんを恨むだろうなぁー。

何で私は悪くないのに……って」


「くっ……コイツ、卑怯だぞ!」


「卑怯って言われても、

私は事実を言ってるだけだしぃー」


ニコニコ笑顔で『さあどうする?』と先輩。


それにミコが、悔しそうに歯を鳴らしながら、

せめてもの抵抗をと先輩をガン睨みする。


「っていうか、これから決戦なんですから、

先輩はあんまりミコをからかわないで下さいよ……」


「だってミコちゃんが可愛いんだもん」


「だからミコちゃんって言うな」


「うん、分かったよミコちゃん」


「全然分かってないだろ!」


再び始まるわーわーというやり取り。


その緊張感とはかけ離れた賑やかさに、

思わず溜め息が出てくる。


バラバラじゃ絶対に勝てない相手なのに、

こんな調子で大丈夫なんだろうか?


「あー……でも、そうか」


今思うとこれは、

当たり前の光景だった。


生徒会でみんなが集まった時も、

こんな感じで真ヶ瀬先輩が琴子をからかって。


それを聖先輩がたしなめてから、

じゃあコーヒーで一服しましょうという流れになって。


そうして脱線した話を、

僕が何とか実務的なほうへと持っていって――


「どうしたの晶くん、ニヤニヤして?」


「いえ、懐かしいなと思って」


「はあ? とうとうオツムがイカレたのか?」


「大丈夫、余裕で正気だよ。

それより、そろそろ具体的な作戦を決めよう」


別にミコと先輩がケンカしてても、

不安に思うことはない。


いざその時が来れば、

二人ともいつもみたいに協力してくれるはずだ。


となれば、僕も生徒会の時と同じように、

実務的な話をしよう。






「とりあえず、獅堂に対して

真正面から行くようなことはしませんよね?」


「そうだね。コロシアムに事前に潜んでて、

出て来たところをどーんって感じ」


「でも、あんまり期待しないほうがいいよ。

獅堂は奇襲系は全部耐性があるはずだから」


「耐性……ですか?

やられ慣れてるから落ち着いて対処可能とか?」


「いや、そういうレベルじゃなくて、ホントに耐性。

一度食らった攻撃は二度と効かないんだよ」


「……そんなのあり得るのか?」


「うん。獅堂の系譜の人間はね、

傷を遺伝してるんだ」


「でもって、その傷を負った時の攻撃は、

もう二度と食らわないように耐性ができる」


「そういうの、御堂にもあるんじゃない?

危機感知に優れてるって言われてるし」


……確かに、御堂の危機感知は、

多分うちの一族限定の能力だと思う。


それに、僕の殺人の記録帳に関しても、

副作用に目を瞑れば戦闘技術の遺伝と言えなくもない。


「実際にね、私はこれまで何度も

獅堂を暗殺しようとしてるんだ」


「その時に毒も暗器も全部試したけど、

結局はどれも獅堂に対する有効打にならなかった」


「お前が弱いだけだろ」


「そう思う?」


先輩が真顔で聞き返すと、

ミコはばつが悪そうに目を逸らした。


そう。先輩は強い。


なのに、それでも獅堂に対して

手も足も出ないっていうのか……。


「……対策はないのか?」


「獅堂の経験したことのない攻撃で、

耐性を獲得する前に絶命させるくらいだろうね」


「だから、私みたいな偽物じゃない

本物の“逃れ得ぬ運命”が必要だったんだ」


「相手に迎撃も耐性を獲得する暇も与えないまま、

一瞬で殺してしまうために」


「ふん……“逃れ得ぬ運命”ね。

もういなくなったけどな」


「えっ、どういうこと?」


「ボクが呼ばれて出て来た時に、

晶が話してただろ」


「“逃れ得ぬ運命”だった琴子ちゃん……

御堂琴子は、そこにいる晶が殺したって」


「それは……」


「ああ、大丈夫だよミコちゃん。

晶くんは本物の“逃れ得ぬ運命”だから」


「……は?」


ミコが首を傾げる/その頭の上に、

クエスチョンマークが何十個も浮かぶ。


……まあ、僕が“逃れ得ぬ運命”だなんて言われても、

ミコには信じられるはずもないよな。


「実は、琴子姉さんが死んだ後は、

姉さんの仕事を全部、僕が受けてたんだ」


「はぁあああぁぁっ!?

ちょっと待て、そんなの全然聞いてないぞ!?」


「まあ、父さんは誰にも言わなかったしね。

僕が直談判したことも、僕の記憶を消したことも」


「対外的には、御堂刀の仕事になってるんでしょ?

『御堂の誰かが逃れ得ぬ運命』ってことだったから」


「そうですね。

実際、父さんがやったこともあります」


「でも、大半は晶くんがやってて、

そのこと自体も晶くんは忘れてましたーと」


その通りです――と頷きを返す。


「……アキラがやってたとかじゃなくてか?

もう一つの人格のほうのアキラの話だ」


ああ、そっちの人格も僕と同じ名前なのか。


「別な人格は、父さんが、

記憶抹消と万が一の時の保険として作ったみたい」


「どうして記憶を消す必要があるんだよ?」


「……獅堂が傷を遺伝してるみたいに、

僕は記憶を遺伝してるみたいなんだ」


「その記憶は、殺人の記録帳みたいな感じ。

人を殺すのと殺されるの、両方の視点がある」


「両方って……それ、ヤバくない?

殺すだけならまだしも、殺されるんだよね?」


「……はい。僕が人を殺したり、

身近な人が死ぬたびに、その記憶を疑似体験します」


先輩とミコが、

息を呑むのが分かった。


僕が何度も殺されてるみたいな話だし、

複雑な顔をされるのは当たり前か。


まあ、この二人なら、

きっと納得はできなくても理解はしてくれるだろう。


「その記録帳はある意味、教科書みたいなもので、

そこにあらゆる技術とか呼吸が詰まってます」


「そこから情報を引き出して――深淵に“繋げ”て、

危機感知を一段上に昇華させたのが逃れ得ぬ運命です」


「まあ、特別な風に言ってますけれど、

単純に“声”の隙間に入って相手を刺すだけなんで」


「うんごめん、全然分かんないや」


『“声”って何それ?』と首を傾げる先輩。


ま、まあ、

先輩は御堂じゃないから仕方ないか。


でも、ミコならきっと

分かってくれるはず――


「何言ってんだコイツ?」


「……」


うーん……やっぱりこういう感覚は、

人それぞれ違うものなのか。


「原理はともかく、その“繋げる”のって危ないよね?

感覚的に死の追体験をしてるんでしょ?」


「……そうですね。

精神的にも肉体的にも負担が来ます」


「となると、多用は出来ないってことか。

まあ、そもそも長期戦用の技じゃないんだろうけど」


「別に晶はどうでもいい」


よくない。


「それより、琴子ちゃんも晶みたいに、

その殺人の記録帳って記憶が入ってたのか?」


「それは……よく分からないかな。

でも、可能性としてはあると思う」


姉さんも逃れ得ぬ運命と呼ばれていたんだから、

僕と同じものを見ていても不思議じゃない。


それに、思い返してみても、

姉さんの強さは御堂の中で群を抜いていた。


それこそ、あの数多兄さんを、

子供扱いできるくらいに。


「……っと、話がズレましたね」


「獅堂の耐性の件と、それを突破するのに

逃れ得ぬ運命が必要なのは分かりました」


「もし、耐性っていうのが一瞬で獲得されるなら、

失敗は本当に許されないですね」


「それもそうだけど、

晶くんの負担の意味でも失敗できなくなったかな」


「いや、負担があるって言っても、

そんなにキツいわけじゃないですよ」


「戦い続けるのは無理でも、

要所要所で“繋ぐ”くらいなら何とかなります」


「……無理はしないでね」


「もちろんです。それより聞きたいのが、

耐性のある攻撃って完全に無意味なんですか?」


「いや、さすがに効かないわけじゃないよ。

でも、ほとんどダメージにならないってこと」


「硬かったり自動オートだと疑うレベルで迎撃してきたりで、

とにかく傷つけるにまで至らないんだ」


「獅堂は体中に無数の傷を持ってるんだけど、

獅堂自身が受けた傷は、その中の二つしかないらしい」


「その傷の一つを付けたのが、

君たちの父親――御堂刀だっていう話なんだ」


父さんと獅堂が

戦ったことがある……?


「襲撃の件で、御堂の当主が

ABYSSのトップに対して報復に来たんだよ」


「結果、ABYSSの代表は暗殺されたんだけど、

その後に獅堂が御堂刀を仕留めたっていう話」


「……そうですか」


父さんは、もう死んでたのか。


あの、父さんが……。


「他人事みたいに話してるけど、

ラピスこいつだって御堂を襲撃したやつの一人だぞ」


「ボクと晶にとっては、獅堂だろうとこいつだろうと、

どっちも家族の仇なんだよ」


「ミコ……」


「別に隠すつもりはなかったんだけどね。

今は流れに関係ないから話してなかっただけで」


「どうだかな。ボクが言わなかったら

ずっとごまかしてたんじゃないのか?」


「いや、全部終わったら話すつもりだったよ。

それで晶くんが私を殺すなら、仕方ないと思うし」


「……まあ、それはいいです。

先輩の言う通り、今は関係ないですし」


「それに、姉さんを殺した僕だって、

ミコに見逃してもらってる立場ですから」


「……」


「今は、みんなを助けるために、

獅堂を倒すことだけ考えましょう」


「僕も獅堂のことは、仇としてじゃなく、

みんなのために倒す必要のある相手として考えます」


「ミコもそれでいいよね?」


「……好きにしろよ。

晶がどう思おうとボクには関係ないし」


『ボクは気に入らないから!』というオーラを出しつつ、

腕組みしてそっぽを向くミコ。


でも、ミコも複雑だろうに、

それを脇に置いていてくれるのは素直に嬉しい。


ちゃんと全部終わったら、

琴子姉さんの件について謝らないとな……。


「話を戻して。もし父さんが獅堂と戦ってるなら、

まずいかもしれないですね」


「まずいって……どうして?

お父さんが敵わないから勝てないみたいな?」


「いや、獅堂が強いことは元々分かってます。

その部分は最初から父さん以上だと覚悟してるんで」


「そうじゃなくて、父さんから傷を受けたなら、

御堂の技にも耐性ができたんじゃないかって」


耐性ができてるんだとすれば、

この場の全員の技が通用しないことになる。


そうなると、勝率はかなり低いどころか、

始まる前から負け確定なんてことになりかねない。


せめて、何の技で傷を負ったか

分かればいいんだけれど……。


「それは心配ないだろ。

晶と刀じゃ、技も戦い方も全然違うからな」


「え……でも、僕の技ってほとんどが、

父さんから教わったのがベースだよ?」


「基本の技術だけだろそんなの。

実戦だと、個人とか流派の癖が相当出るんだから」


「ボクの見る限りだと、晶の実戦の動きは、

御堂の中ではかなり異端だよ」


「えっ、そうなの?」


「だから、お前は落ち零れって言われてただろ。

基礎能力はあっても、教科書通りにできないから」


……ああ、そういうことか。


「ボクの知る御堂の中での異端は三人だけ。

外から来た数多と、琴子ちゃん、それと晶だ」


「晶は琴子ちゃんの真似ばっかりしてたから、

勝手にそうなったんだろうな」


「あー……それは、

微妙に心当たりがあるかな」


元々、姉さんみたいになりたかったし、

姉さんが死んでからは代わりになろうと頑張ったから。


でも、そういうことなら、

獅堂の耐性の件は考えなくても大丈夫そうだな。


「逆に、ボクは結構ヤバいかもな。

刀と同じ御堂のオーソドックスなスタイルだし」


「御堂のスタイルっていうと、護衛術?」


面倒臭そうに頷くミコ。


「っていうか護衛術が御堂のスタイルなんですか?

暗殺者の系譜なのに?」


「御堂って、元々は護るって書く護堂で、

護衛を生業にしてた一族なんだよ」


「だから、御堂に伝わる技っていうのは、

基本的に暗殺より防御面が強いって話」


……初めて聞いたぞ、そんな話。


「ミコは知ってたの?」


「防御特化とかは、親から技術と一緒に習った。

でも、護堂って名前は初耳だ」


「まあ、知らないのが普通だと思うよ。

私も文献を漁ってやっと知ったくらいだし」


「でも、御堂の護衛術を

ミコちゃんが習得してるなら、かなりありがたいね」


「防御をほとんどミコちゃんに一任できるから、

かなり生存率が上がると思う」


「そうですね。ミコの実力は僕も知ってますし、

安心して背中を預けられると思います」


「……面倒臭いから、あんまり頼るなよ」


顔を赤くしてそっぽを向くミコ。


その明らかな照れ隠しに、先輩とニヤニヤしてると、

『何笑ってんだ』と蹴りを入れられた。


「まあ、手元の情報としてはこんなところかな。

一番警戒すべきなのは、獅堂の身体能力と耐性だね」


「相手は人間じゃない化け物だと思ったほうが、

感覚的には分かりやすいと思う」


……そうだな。

あれはもう、人間の規格から外れてる。


鉱石の化身と表現するのが、

最も印象的には近いかもしれない。


「作戦はどうします?

奇襲はいいとして、どう攻めるか」


「一番勝率が高いと思うのは、誰かを捨て駒にして、

“逃れ得ぬ運命”モードで不意打ちだね」


「却下です。

全員で生きて帰りましょう」


「まあ、晶くんならそう言うよね。

ただそうなるともう、具体的な案は何もないよ?」


「獅堂が相手だと何も予想できないから、

それぞれの技を確認しておくくらい」


「特に私の暗器は巻き込む範囲が大きいし、

事前に知っておかないとちょっとキツいかも」


「そうですね。それは教えて下さい。

……ただ、それだけだとまだ怖いですね」


「そんなに獅堂っていうのは強いのか?

ちょっと大袈裟過ぎだろ」


「そういえば、

ミコは見たことがないんだっけ」


「化け物だよ。ミコちゃんの思う一番強い相手より

倍は強い相手が、全力で殺しに来ると思って」


「ふーん……まあ了解」


『話だけは聞いてやったぞ』

とでも言いそうなミコの生返事。


いきなり化け物を想像しろって言われても、

さすがにできるわけないか。


……この様子だと、奇襲の一手目は

飛び道具に限定したほうがよさそうだな。


「ついでにもう一つ教えろ。

ラピスおまえは何で獅堂を殺そうとしてるんだ?」


「何でって……」


言いかけたところで、

先輩が僕の顔をちらっと見てきた。


「うん。晶くんだけなら教えてもよかったけど、

ミコちゃんがいるから言いたくない」


「はぁ? 何だそれ?」


「何って言われても、

そのままの意味だけど」


何か文句ある――と先輩の微笑。


それと同時に、カチリと、

ミコに何かのスイッチが入るのが分かった。


嫌な予感がしたものの、

止めるより早く二人の言い合いが始まる。


別にミコと先輩がケンカしてても、

不安に思うことはない……はずなんだけれど。


「それじゃあ技の確認をさせてやる。

安心して死ね!」


「わーこわい!

晶くんたすけてー!」


僕の目の前で始まった追いかけっこを見ていると、

どうにも不安しか湧いてこなかった。


本当に大丈夫なのか、これ……?





それから、一応は落ち着いた二人を交えて、

お互いの技と初期配置を確認――


コロシアムの近くまで来た頃には、

獅堂が出てくる時間まで十五分を切っていた。


「最後に動きを確認してから、

コロシアムに入りますか」


「そうだね。ギリギリだと怖いし」


「分かった」


ミコと先輩は緊張しているのか、

さすがに口数がだいぶ減っていた。


というか、僕自身もそうだ。


どうにも気持ちが落ち着かず、

定期的にナイフを抜いては弄っていた。


「……そういえばさ、

そのナイフって鬼塚のじゃない?」


「あれ、そうなんですか?

聖先輩が持ってたやつなんですけれど……」


「だとしたら、鬼塚ので間違いないだろうね。

聖ちゃんに預けてたのかな」


へぇ……これって鬼塚のだったんだ。


だとすると、初めて会ったABYSSのナイフで、

最後の勝負に臨むことになるのか。


「何か、不思議な感じですね。

あの人のナイフが巡り巡ってここに来るなんて」


「鬼塚はABYSSを倒そうとしてたからね。

その執念が、ナイフを晶くんに預けたんじゃない?」


「『これで代わりにABYSSを潰してくれ』って」


「……かもしれないですね」


その鬼塚の遺志に、

僕もきちんと応えてあげたいと思う。


ただ、獅堂を殺すかどうかは別だ。


もし可能であれば、例え相手が獅堂でも、

殺さずにどうにかしたい。


甘い考えだってことは、

自分でも分かってるつもりだ。


でも、人を殺す生き物だった僕でさえ、

変わることができたんだ。


過去に罪を犯していても、変わる気持ちがあるなら、

僕はその可能性を尊重したい。


でも、もしも獅堂に変わるつもりがなかったり、

変わるのを待つだけの余裕が僕らになかったら――


その時に獅堂を殺すのは、

僕の役目だ。


先輩やミコの手を汚させたくない。


そういうのは、

人を殺す生き物の役目だから。


――そんな考えが、

痛みすら伴う凄まじいノイズに掻き消された。


「二人とも、跳んでっ!!」


困惑――その一瞬後に状況を理解した二人が、

辛うじてその場から後方へと跳ねる。


そうして開いた空間を、

回転した大剣が凄まじい勢いで飛んでいった。


「なっ……!?」


「うそ……どうしてっ!?」


二人の狼狽を、

突き当たりの壁にぶち当たる大剣の轟音が掻き消す。


けれど、誰もその音の方向には

目を向けなかった。


全員が、大剣の飛んできた先にある闇を見て――


そこに浮かび上がったまだいるはずのない男の姿に、

顔を蒼くして震えていた。


「避けたか」


“判定”のノイズの中でもハッキリ届く

何の感情も含まれない暗い声。


向けられただけで汗が噴き出してくる

ゴミでも見るような暗い瞳。


絶望的な生物としての差を実感させられる

鉱石じみた隆々とした肉体。


一度対峙したら、

この男を忘れられようはずもない。


けれど――


「獅堂、天山……!」


まだ出てくる時間じゃないはずなのに、

どうしてこいつがここにいるんだ……!?







――異変が起こっていた。


那美が/羽犬塚が/龍一が/幽が、

全員が口を閉めるのを忘れていた。


そして、全員のポーカーテーブルへ向ける目が

険しいものとなっていた。


「……フォールド」


これで、温子らの七連続フォールド。


その七戦で合計で800枚超のチップが動き、

葉が戦況を若干の不利程度にまで盛り返していた。


「じゃあ、次のゲームに行きましょう」


ニコニコとカードを返す葉――

対する温子たちの表情は沈鬱そのもの。


何が起こっているのか、

ギャラリーは誰も理解ができない。


イカサマが破られたのだろうか。


いや、それならば原理を白日の下に晒し、

即座に勝利を手に入れればいい。


葉側がそれをしていない以上、

温子たちのイカサマは破られていない。


では、何故、

突然ここまで負けが続いたのか。


それは、志徳院葉というもう一人のABYSSの怪物が、

イカサマの影響下のゲームに適応し始めたからだった。


第三十一ゲーム。


温子のホールカードは、

ダイヤの8とダイヤのQ。


爽のホールカードは

クラブのJとスペードのK。


イカサマによって二人がこの情報を共有し、

チップを積んでいく。


葉も当然のようにレイズを選択。

全員で60枚ずつのチップを賭けてフロップへ。


現れたコミュニティカードは、

ハートの3、クラブの4、クラブの6。


温子が次の順番で下りることを考えて、

ひとまずコールを宣言する。


一方の爽は40枚のレイズを選択。


これ以上は負けられないと、

JかKのワンペアを期待して踏み止まる。


そして――


「レイズ。200枚ね」


葉が、爽の五倍のチップで殴ってきた。


明らかに下ろしスチールを狙ったレイズ。


だが、現状で役がない爽にとっては、

スチールと分かっていても勝負に行きづらい。


それでも、こうして下ろされることが、

この七戦で何度か続いていた。


ここで踏み止まらなければ、

やりたい放題やられてしまう。


それに、温子はフォールドしても仕方ない手札だが、

爽はまだ残る価値がないわけでもない。


「こっちもレイズ。360枚」


コールで粘ればさらにレイズが飛んでくると読み、

爽もレイズを選択。


その読みが当たったのか、葉がコールで応え、

ターンフェイズに突入――


場にハートのJが出現し、

爽が何とかワンペアを確保した。


こうなってくれば、

爽も強気に突っ張れる。


当然、選択はベット――

ただし、一気に大枚を叩くとJのワンペアと知られる。


ひとまずは、これまでと同じ40枚のベットで、

さらに吊り上げてきた場合に大きく積む。


Jのワンペアでは多少の不安が残るものの、

絵札は温子と爽で一種類ずつ見えている。


Jに関して言えば、

葉がそれを持っている可能性は10%程度。


十分に勝機はあるはずだ。


「レイズで。200枚」


そんな爽の内心を嘲笑うように、

葉が再び5倍のチップで殴ってきた。


これには、爽が固まった。


相手の戦術は、

レイズで強引に下ろしてくること。


それは理解していたものの、ここまで強気だと、

さすがに何かの手が入っていると思わざるを得ない。


コミュニティカードに目を移す爽。


ハートの3、クラブの4、クラブの6、ハートのJ。


真っ先に思いつくのはストレート絡み。

次がクラブのフラッシュ。


コミュニティカード絡みのワンペアでは負けないため、

手札で高位のワンペアができている可能性もある。


いや――と、思い出す。


プリフロップ時点で

葉が積んだチップの数は40枚。


それがフロップに来て跳ね上がったということは、

Aが手札として最有力、その他が2、5、7辺りか。


あるいは、フラッシュと複合して、

ストレートと両天秤で待っているのかもしれない。


爽が口元に手を当てて、

葉へと視線を戻す。


しかし、百戦錬磨のクイーンの顔からは、

何も読み取れなかった。


判断の基準となるものは、これまでの賭けの傾向と、

場に出ているカードの情報、チップの山の高さ。


そして、大局的に考えた上での、

自分たちの判断の履歴の作り方。


それらを頭の中で並べて、考えて――


「……フォールドします」


爽は、このゲームで積み上げた

440枚のチップを手放した。


これで、温子たちの八戦連続の負けフォールド

損失合計は1300枚にものぼった。


このチップの移動により、

戦況は完全に五分に。


勢いだけで言うのであれば、

葉が遥かに有利だった。


しかし、この結果は決して偶然ではない。


葉がイカサマを駆使する二人に仕掛けたのは、

チップと賭けの傾向を用いた心理戦だ。


どれだけイカサマをして情報を共有しようと、

チップのやり取りはホールデムで行われる。


そこで葉は、イカサマを暴くことを放棄し、

二人の賭ける傾向の分析にリソースを全て回した。


そうして得られた急所――

“彼女たちは、10の勝負で10の損を選ばない”。


彼女らにとっての10の損とは、

ホールデムで負けた上にホールカードを見られることだ。


イカサマの秘密を守るためには当然とも言えたが、

それが逆に枷となって選択の幅を狭めていた。


つまり、温子たちは自信のない手ならば、

葉がチップを大量に積めば幾らでも下りてくる。


そうなれば、あとは相手に入っている手が

強いかどうかだけに注意を割けばいい。


その辺りの読みに関しては、

志徳院葉に勝てる人間はそういないだろう。


原理としては単純な快進撃――


しかし、外野からは、

何故か温子たちが負けだしたようにしか見えなかった。


対峙している温子たちでさえ、

葉の勝ち方に気付いているのみ。


強気なレイズを仕掛けられているのは分かっても、

その根拠たる自らに課している枷が見えていない。


そもそも、他人のことにはすぐに気付いても、

自身のことは非常に見えづらいものだ。


自信作のイカサマと、それによる恩恵もまた、

朝霧姉妹の目を曇らせる原因となっていた。


あるいは、羽犬塚にホールデムの経験があれば、

葉の戦術に気付いたかもしれない。


実際、温子らのイカサマに関して言えば、

既に羽犬塚は何となく正体に気付き始めていた。


だが、田西の揺さぶりも温子のイカサマについても、

直接ホールデムとは関係のないものだ。


ホールデムに関係のある賭けの傾向等は、

その意味が分からなければ発想に至らない。


致命的な穴を抱えつつも、

温子らは誰もそれを塞ぐことができない。


それでも、勝負は続いていく。


「……フォールドだ」


温子らの当座の対策は、

勝ち目のある勝負以外は挑まないこと。


運に恵まれたホールカード以外では、

フロップまでには下りていく。


しかし、葉のブラインドが一巡30枚に対して、

二人組の朝霧姉妹は一巡で60枚。


勝負手で下ろされるケースもあって、

どんどんチップが削られていく。


その間に解決策を見つけようとはしていたが、

イカサマの維持と並行しているため、枷が見えない。


募る焦りに、

どんどん二人の顔が曇っていく。


「那美ちゃん……大丈夫かなぁ?」


その不安が見ている側にも伝わり、

羽犬塚が那美の袖を引いた。


「……大丈夫だよ。

ののちゃんは心配しないで」


「でも、葉さんは凄く強いし、

このままじゃ……」


「大丈夫。大丈夫だよ」


那美がにっこりと笑顔を浮かべて、

羽犬塚の頭を慈しむように撫でる。


そうしながら、ゲームを始める前に交わした、

温子との会話を思い出していた。


“――今回のゲームに勝てる確率は、

正直なところ、半々だと思う”


那美が勝率を温子に訊ねたところ、

返ってきた答えがそれだった。


半々。

五割の確率で、全員が死ぬことになる。


勝ち目のなかった戦いを

半々にまで持ってきたという意味では上出来だろう。


仲間の命を背負って戦う温子たちへも、

感謝と尊敬の念が尽きない。


しかし――やはりそれは、

全員の命を預けるには心許ない数字だった。


まるでジャンケンの勝ち負けで

死んでしまうようなものだ。


そんな賭けに出るしかないと分かっていても、

黙って受け入れることはできなかった。


では、少しでも勝てる可能性を上げるには、

どうすればいいのか。


考えて、考えて、考えて。


那美は、いつかの温子の言葉を

思い出すに至った。


そう。それは、片山たちとのゲームの中で、

温子の出題した思考実験。


優勝しなければ死んでしまうジャンケン大会。

そこで確実に勝つにはどうすればいいのか。


そこで温子は、

どんな回答を出してきていたか。


「那美ちゃん……?」


袖を掴む羽犬塚の手をそっと解き、

那美がポーカーテーブルへと歩み寄る。


そうして、友達みんなの視線が集まる中、

一呼吸の後に懐へと手を伸ばし――


「――もし葉さんが勝ったら、

その瞬間に撃ちます」


志徳院葉の後頭部に向けて、

後ろから拳銃を突き付けた。







「ふん……三人」


突如、通路の奥に現れた、

本来いるはずのない最後の怪物――


その出現に狼狽えながら、

退くか戦うかを必死に考えていると、


「そいつが逃れ得ぬ運命か、ラピス?」


獅堂は僕なんて眼中にないとばかりに、

ミコへと目を向けた。


と、その目が、

すぐさま訝しげに細まった。


何故だろう――

思ったところで、ぞっとした。


獅堂の見つめる先で、ミコが、

熊を前にした山羊のように震えながら固まっていた。


「……こんなごみばかり集めて、

俺に勝てるとでも思ったか?」


獅堂の体がめりめりと音を立てて盛り上がり、

“判定”の音がそれに伴って膨れ上がる。


その狂騒を歯を食いしばって堪える

/獅堂を見据えて全力で走る。


ほとんど同時に動き出す獅堂――

一直線に竦み上がったミコの元へ。


「ミコちゃん!」


けれど、誰よりも早く

ミコの元へ辿り着いたのは先輩だった。


声をかけ、無理だと判断し、

その体を拾って逃げにかかる。


そこに伸びようとする獅堂の腕を、

先輩とすれ違いながら切り付けた。


鬱陶しそうに腕を払ってくる獅堂。


その宙を薙ぐ剛腕を飛び退いて回避し、

再び獅堂へと突っ込んだ。


狙いは獅堂の足止め。


視界を遮るように立ち回り、

先輩がミコをどうにかするまでの時間を稼ぐ。


初見で獅堂を前にして固まるのは仕方ない。

こういう事態の予想もしていた。


あとは、早く恐慌から立ち直って、

二人が戦線に戻って来てくれるのを期待するだけ。


けれど――


「邪魔だ」


このどうしようもない怪物に、

一体どれだけ単独で生き残ることができるだろうか。


「くっ……!」


巨体が常軌を逸した速度で動き回り、

暴風を伴って拳の雨を降らせてくる。


そのどれもが一撃必殺。

まともに当たれば致命傷は確実だった。


ならば回避に専念――と行きたいところだけれど、

それは相手に攻撃に専念させることと等しい。


恐怖を飲み込み、危機感知の絶叫に耐えながら、

こちらからもナイフを振るっていく。


紙一重の攻防。

いつ死んでもおかしくない状態が続く。


その一方で、獅堂には事前情報通り、

ダメージを与えられている様子がなかった。


掌に伝わってくる感触は

金属にナイフを立てたようなそれ。


耐性獲得という先輩の情報を真に理解。

どれだけ硬いんだコイツ!?


こんなんじゃ、

僕の攻撃はあってもなくても変わらない。


どうにかしないと――


想像するだけでゾッとしたものの、

さらに踏み込まなくてはと判断。


関節と目を狙ってナイフを振るい、

どうにか相手にもリスクを負わせに行く。


そんなこちらの意図を悟ったのか、

獅堂が攻撃一辺倒から足を絡めてくるようになった。


息をつく隙間はようやくできたものの、

攻撃は複雑さを増し別なベクトルで苛烈に。


幾つか避けきれない攻撃が出始めて、

ガードするしかなくなる/そのたびに吹っ飛ばされる。


床や壁やを踏んで体勢を立て直すも、

視界が猛烈に揺さぶられる。


まるで崖から落ちる車の中に放り込まれた気分。


受けた場所には焼かれたかと思うような痛みが走り、

とても長くは受けられそうにない。


一方で、こちらの攻撃は完全に防がれる上に、

ナイフが届く位置は皮膚から先へ刃が通らず。


“集中”はとっくにしているけれど、

こいつの前じゃ焼け石に水だ。


深淵と“繋いで”からじゃないと、

勝負にさえならない。


とにかく離脱して、

いったん逃げることを考えないと――


獅堂の攻撃を捌き/受けて吹っ飛ばされながら、

どうにか距離を取れるだけの隙間を探す。


そんな折りに、狂乱した危機感知が

針のように脳髄を刺すのを感じた。


「やば――」


思う間に、獅堂に殴り飛ばされた。


辛うじてガード――受け身を取るも、

一手遅い。


その着地点を狙い澄ました獅堂が、

隆々とした肉体を弾丸にして突っ込んでくる。


その突進を、

どこかから飛んできたミコが受け止めた。


さらに、ワイヤーの乱舞が

停止した獅堂をしたたかに打ち据える。


「お待たせ晶くん!」


「先輩っ!」


ようやく来た九死に一生の救援。

けれど、安堵する暇はない。


獅堂がワイヤーをものともせずに、

ミコへと拳を放ってきた。


人間二人はぶち抜きそうな脅威の一撃。


それを、ミコが足で受け――

ふわりと浮いて衝撃を殺した。


思わず、息を呑んだ。


獅堂でさえ、

目を見開いたのが分かった。


僕がやっとの思いで捌いていた攻撃を、

こうまで綺麗に受け流せるのか――?


見惚れる先で、

ミコが宙返りしたまま壁を蹴る。


その柔らかな動作から連続して、

拳銃を獅堂へと向けた/引き金を引いた。


三発の銃声に、

獅堂が顔をしかめて大きく後退する。


肩についた弾痕からは僅かな流血。


その上を獅堂が軽く手で払うと、

弾丸が音を立てて地面に落ちた。


それを見て、初のダメージへの喜びよりも、

その程度の傷だということに戦慄した。


拳銃の弾丸でさえ、

皮膚の辺りで止まっているのか……。


「ほらね、拳銃も効かないでしょ?」


「言われなくても分かってるんだよ。

もう、さっきみたいに驚いたりしない」


赤くなった頬を手の甲で擦りながら、

ミコが獅堂を睨み付ける。


その様子からすると、

もう心配は必要なさそうだな。


ただ、スタートラインに立てたところで、

どうやってあの化け物に打ち勝つか――


「今の動き……御堂だな?」


「……さあな」


「とぼけても無駄だ。

動きを見れば誰だって分かる」


「しかし、御堂の生き残りを二枚か。

随分と大盤振る舞いだな、ラピス」


「そっちこそ、ここにいるのっておかしくない?

まだ怪物が出てくる時間じゃないはずだよ」


「怪物役でABYSSの代表だからって、

ルール違反はよくないと思うんだけど」


「それがどうした」


「志徳院さんの陣営が

黙っていないんじゃないの?」


「関係ない。

須賀葉は、これからここで殺る」


「……まさか、

そのために早く出て来たの?」


「奴は俺が出ると同時に脱出するだろう。

だが、今ならまだカジノエリアにいるはずだ」


「奴を殺す機会は今後あるかどうか分からん。

ここで確実に仕留める」


「メチャクチャだ……」


先輩が引きつった笑いを浮かべるものの、

獅堂は全くの無表情だった。


……処罰は覚悟の上で、

ルール違反をしてきてるってことか。


でも、カジノエリアでは今、

みんなが集まって戦ってるはずだ。


こいつをそこに

行かせるわけにはいかない。


「先輩。ミコ」


「分かってるよ、晶くん」


「こいつはここで止めるぞ」


お互いで頷き合ったところで、

獅堂が一直線に突っ込んできた。



何も言わずに前に出るミコ――

獅堂の肩口からの体当たりを真正面から往なす。


同時に僕と先輩で横に展開して、

獅堂のガードの薄い箇所に狙いを定めた。


乱れ飛ぶ暗器の群れ。


それに獅堂が対処している隙に、

深淵と“接続”する。


そして、獅堂の凄まじい“声”を聞きながら、

死角となる音の隙間を探して――驚駭きょうがいした。


ない。


獅堂天山には、

どこを探しても隙間がない。


薄い場所はあるけれど、どこにいても、

獅堂の意識から外れることはできないだろう。


つくづく化け物。

殺せないと出る“判定”の正確さが恨めしくなる。


それでも逃げるわけにはいかず、

先輩と入れ替わりで獅堂に攻撃を敢行。


刃の通りづらさを補うために、

突きを中心とした連携を繰り出していく。


細やかな足捌き/フェイント/打撃と蹴り

/そして本命のナイフによる刺突。


持っている技術を総動員して、

少しでも薄い箇所目がけて攻撃を滑り込ませる。


にも関わらず、

それに難なく対応してくる獅堂。


傍らで先輩やミコが動いているというのに、

何故捌けるのかが全く理解できない。


歴然とした戦闘経験の差を見せつけられる。

傷により遺伝している耐性を意識させられる。


戦いの化身そのもの。

こんな男を、本当に僕らは止められるのか?


攻撃を出し尽くし、連携が止まる。


なお掠り傷しか負っていない相手に

絶望的な思いに駆られる。


追い打ちをかけるように反撃が到来――

必死に逃げ回る/転げ回る。


その最中に、ミコが僕の前に飛び込んできて、

獅堂の怪腕を弾き飛ばした。


さらに続く猛攻を往なす/止める

/動き回って紙一重で避けていく。


とんでもない神業。


まるで体が液体か何かでできていて、

獅堂の攻撃がすり抜けているようにすら思える。


ミコには虐められていた記憶ばっかりだけれど、

守りに入るとここまで凄かったのか――


「何やってんだ! 早く動け!」


飛んできた声に我に返って、

獅堂の音の薄い部分を探して周囲を走る。


そうしていざ周囲に目がいくと、

とんでもない破壊の跡ができていた。


穴こそ空いていないものの、

迷宮の壁が崩れ大きく抉れている。


そうでない箇所も掻き傷が物凄いことになっていて、

とても人間の暴れた跡としか思えなかった。


そんな景色の中を走り、

獅堂の斜め後方から再び攻撃に走る。


けれど、結果は先ほどと同じ。


幾ら攻撃を繰り出しても、

獅堂には通じてくれる気配がない。


どうすればいい?

どうすればこいつを止められる?


焦りばかりが募り、攻撃が単調になる

/意識しても上手く体が動かない。


考えている間にも、先輩が/ミコが/獅堂が動き、

破壊の暴風が通路を蹂躙していく。


なのに、まだ誰も死んでいないどころか、

誰も重傷を負っていない。


ただ、その拮抗を生み出してくれているミコが、

どんどん削れているのが音で感じられた。


琴子として生活してきたが故の、

体力的な不安の顕現。


獅堂を受けられるのはミコしかいないだけに、

ここでミコが崩れると大惨事だった。


先輩に関しても同じだ。


暗器の数には限りがあるため、

仕込みを全部使い切ったら後は手持ちで戦うしかない。


このまま長くは持たない。

どんどん不利になっていく。


もう、獅堂を殺したくないとか

言っている場合じゃない。


ここで獅堂を殺さなければ、

全員が死ぬ。


それが嫌なら、

四の五の言わずにやるしかない。


二人に戦場を任せて、

迷宮の角へと飛び込み獅堂から姿を隠す。


そうして、扉を開け放った。


途端に溢れ出す深淵

/その“音”の奔流へと手を伸ばし、共鳴する。


強くなった繋がりから、

どんどん殺しの記録が流れ込んでくる。


その他殺体験に/殺人追想に

吐き気が込み上げてくる。


それでも、何とか意識を飲み込まれないよう、

必死になって踏み止まった。


やがて訪れる根源的な理解――

誘われるがままに喉を開く/ナイフを構える。


出すのではなく

色を付けるのだという感覚。


必要なのは、

それを流す扉を開けておくこと。


ただ、これが僕にできる全てだ。

もしも、これが通じなかったら……。


不安のうちに、世界が暗転する。

闇が命を/運命を/全てを飲み込んでいく。


その中で僕は、みんなの顔を思い出しながら、

勇気を決意に変えて声に出した。


「獅堂天山は――僕が殺してみせる」


何とか準備が整ったところで、

再び角を飛び出した。


ミコの音の隙間が見える。


先輩の音の隙間を感じる。


「くっ……!」


獅堂の音の隙間は、どこにもない。


どれだけ意識を集中させても、

どれだけ“繋がり”を太くしても結果は同じ。


これでもダメなのか?

“逃れ得ぬ運命”自体が獅堂に通じないのか?


「――いや」


獅堂が僕に気付いている様子はない。


隙間が見つからないだけで、

恐らく認識の外に立つことはできている。


なら……一か八か、

上手く行くことに賭けるだけだ。


ナイフを持って、

破壊の中心へと走る。


獅堂の周囲に渦巻く“音”を再び探知。


隙間は見つからずとも、

可能な限り薄い場所を探す。


そうして、先輩の暗器を潜り、

ミコの背後の壁を蹴って――


獅堂の頭上へと跳んだ。


狙いは最も警戒の薄い襟首。


確実に刃が通るよう、ナイフを構え、

急所目がけて体ごとぶつかっていく。


――その瞬間に、

獅堂の体が迅速に動いた。


突然の挙動に

『しまった』という言葉が頭に浮かぶ。


けれど、軌道を修正する暇もなく、

目標を外したナイフが獅堂の肩に深々と突き刺さった。


もちろんそんな程度の傷で、

この戦いの化身とも言うべき男が止まるわけがない。


ニヤリと笑う獅堂と目が合う

/危機感知が発狂する。


そして――


獅堂がその腕を大きく振りかぶるのが見えた。


そこからは、何も分からなくなった。


景色がぐちゃぐちゃになって、

大きな音が鳴ったところまでは分かった。


回避する術がなかった以上、

恐らくは獅堂に殴り飛ばされたのだと判断。


けれど、自分は今、

一体どうなってるんだ?


床はどっちだ?

自分は壁に激突したのか?


目の前が真っ暗で、何も聞こえなくて、

何がどうなっているのかが分からない。


体を動かそうと思っても、

全くどこも動いてる気がしない。


もしかして僕ってもう、

死んでるのか……?


そんなことを思い始めたところで、

僕の名を叫ぶ先輩とミコの声がすぐ傍から聞こえてきた。


同時に戻ってくる視界――

右目の視界が欠けているのに気付く。


けれど、それを気にする間もなく、

胃の中のものが口からどばどばと出て来た。


遅れてやってきた痛み――腹の中に手を突っ込まれて、

臓器の一つ一つを絞り上げられているよう。


自然と胎児のように丸くなった体が、

意思に反して床の上でのたうち回る。


そうして、腹の中身を全部出した後は、

勝手に口から悲鳴が絞り出されてきた。


いっそ死んでいたほうがマシだったと思えるような

地獄の苦しみ。


それに必死になって耐えている最中に、


「まさかとは思ったが……

お前が逃れ得ぬ運命だったか」


獅堂の声が、どこかから聞こえて来た。


「その名に恥じない見事な一撃だった。

刺される瞬間まで気配も感じさせんとは」


勝利を確信しているのか、

こちらを追撃してこようとしない。


チャンスだった。


戦いの化身だからか、はたまた格上だからか、

どちらかは知らないけれど――


相手に一気に止めを刺さないのは、

暗殺者としては愚の骨頂だ。


その点で言うなら、僕のほうがずっと、

この怪物よりも暗殺者として優れている。


御堂晶とは、人を殺すための機能だ。


いったん殺ると決めたら、

余分な考えは一切排除する。


痛苦だって、この一瞬は忘れてみせる。


「……“集中”」


誰にも聞こえないよう口の中で呟いて、

獅堂を殺す工程への没頭を開始。


ナイフがない今、素手で獅堂をるために、

右手をそれ以上に研ぎ澄ます。


幸い、先輩とミコが壁になってくれていて、

獅堂から僕の準備を見ることはできない。


それなら“逃れ得ぬ運命”でもって、

獅堂に近付けるかもしれない。


あとは何とか、

“音”の隙間さえ見つかれば――


「……えっ?」


獅堂の“音”を捕まえようとしたところで、

ふと気付いた。


“判定”――殺害可能。


つまり、今なら殺せる……!



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