姉妹の秘策









ポットに溜まった120枚のチップが爽へと渡る中、

那美たちが三人の背後で感嘆の息を漏らす。


「朝霧さんも爽ちゃんも、

何かすっごい真剣な顔してるね……」


「うん……そうだね。

それくらい、本気なんだと思う」


付き合いの長い羽犬塚と龍一はともかく、

那美と幽は、爽の真剣な顔を見たことがなかった。


まして、姉妹の過去のいざこざなど、

空と地面がぶつかり合うような話だ。


けれど、

誰もそれに触れることはしなかった。


興味のあるなしではなく、二人が手を取り合う今、

外野がそれを語るのは無粋に思われた。


「爽が本当にやれるのって思ったけど、

普通に葉と勝負になってるみたいね」


「んでも、ここまでは運がええだけやろ?

強いカードが来たから勝ててるみたいな」


「ううん。ホールデムって弱いカードでも勝てるの。

相手を下ろしちゃうことができれば」


「だから、強いカードが来たように見えるけど、

本当は爽ちゃんのカードは葉さんのより弱いのかも……」


「あー、爽は何考えとんのか分からんからなぁ。

このゲームには向いとるのかもな」


龍一が首を傾げながら、

鋭く尖る爽の横顔を遠巻きに眺める。


「感心してるのはいいけど、

ちゃんと御堂数多も警戒してなさいよ」


「分かっとるよ。

いつでも刀抜く心構えはしとるし」


小アルカナをコピーする“愚者”があったのだから、

大アルカナをコピーするカードもあるかもしれない――


そんな温子の忠告に従って、

二人が“戦車”をコピーした数多を警戒する。


何かあれば、片方が足止めしつつ、

もう片方が那美と羽犬塚を外まで逃がす算段だった。


「でも、本当に爽たちは

守らなくて大丈夫なの?」


「あ、それは大丈夫だと思うよ。

温子さんたちに何かあれば、葉さんも危ないから」


勝負中に対戦相手が死んだ時の処理は、

田西の一件で既に分かっている。


二十四時間、葉がこの場に拘束されるということは、

獅堂から逃げられなくなるということだ。


葉がわざわざそんな愚を犯すわけがないため、

温子と爽の死は考える必要がない。


「っていうことは、本当に後は、

爽たちが葉に勝てるかどうかなのね」


「そういえば、爽ちゃんたちの作戦って、

那美ちゃんは知ってるの?」


「……ううん。私も全然聞いてない」


嘘だった。


数多が確実に潜んでいないと分かる晶と、

その傍にいた那美だけは、作戦を聞いている。


だが、万が一にでもバレれば勝ち目がなくなるため、

誰にも言うわけにはいかなかった。


『どんな作戦だろう?』と横で首を捻る羽犬塚に、

那美が心の中で謝る。


それから、ポーカーテーブルのほうへと目を向けて、

今まさに戦っている二人の勝利を祈った。


だが――


「フォールドだな」


「んじゃ、私も下りでー」


そんな那美の目の前で、

葉が80枚のチップを浚っていった。


これで葉は、

先の三戦の負けを一気に帳消しに。


だが、手札の強さからすると、

もっともっと稼げるはずだった。


少し積んだだけでこれだけ呆気なく下りられることに、

葉が今後のアクションの見直しを迫られる。


五戦目――


「あ、強いカード来たー」


「だからお前なぁ……」


「いーじゃん別に。

雑談は禁止されてないんだしさぁ」


ゲームに慣れ始めたという姉妹の言葉の通り、

徐々にテーブルには雑談の花が咲き始めていた。


とはいえ、爽のカードに関わる話は

マナー違反ではある。


それを許していたのは、単純に葉が、

些細なことに拘らない性格だというのが大きい。


そしてもう一つ、爽を分解するに当たって、

色々な話を聞いておきたいというのがあった。


「そういえば葉さんって、

好きなミュージシャンとかいないんですか?」


「そもそも音楽を聴かないわね」


「えー、もったいないー!

邦楽でも洋楽でも一杯いい曲があるのに!」


「そうは言っても、雑務とか裏工作に忙しいと、

趣味に割く時間がなくなるんだよ」


「裏工作って……朝霧さんの中では、

私は相当悪い人間だと思われてるみたいね」


「いやいや、そんなことは。

最悪だと思ってるだけだよ」


温子の軽口に『ありがとう』と返しつつ、

BBの葉がさらに20枚のチップを積み足す。


葉のホールカードは

スペードのQ、スペードの10。


手札としては、ぼちぼちの強さであり、

これならチップを張っていく価値がある。


これに対し、温子はコール。

爽もコール。


合計120枚のチップがポットに入り、

フェーズはフロップへ。


出て来たコミュニティカードは、

ダイヤの3、ダイヤの3、ハートの10。


現時点で10と3のツーペアが成立しており、

キッカーもQと、十分戦える役ができた。


気になるのは、

対戦相手の動きだが――


「チェックだ」


この温子の動きをどう見るべきか。


ホールカードでAが来ているための様子見なのか、

それとも相手を深入りさせるスロープレイなのか。


一方で、温子の隣の爽はレイズを選択。

積んだ枚数は先の勝負で見た100枚。


強いカードが来たという話だったが、

今回は下ろそうとしているのかどうか。


爽と温子の視線と共に、

再び葉の順番が回ってくる。


相変わらずつぶさに観察してくる相手――

だが、そこで気付いた。


先に爽が100枚を賭けた時と比べて、

今回の爽は見ている場所が大きく違う。


先の爽は、葉が手を動かせば手を、

目を動かせば目を見てきていた。


細かな仕草――それこそ瞬き一つにさえ、

じっと目を凝らしている気配を感じた。


だが、今回の爽は、

葉の顔と手元以外の場所へ視線を動かそうとしない。


試しに髪をかき上げたり指を擦り合わせてみても、

爽がそれを見咎める様子はなし。


一方で、チップに手をかけようとすると、

その行動には大きく目を見張るのが分かった。


つまり今、彼女が見に来ているのは、

葉の癖ではない。


葉がどんなアクションをするかを見に来ている。


それだけアクションが気になるということは、

答えは一つしかない。


爽の強気はブラフ。

その狙いは葉を降ろしてチップを得るスチールだ。


となれば、

朝霧爽は既に敵ではない。


だが、問題はもう一人――朝霧温子。


先の彼女のチェックが、

どうにも葉には引っかかっていた。


自信があるならプリフロップから積めばいいし、

そうでないのなら引けばいい。


葉はここまで

強いカードに見えるアクションを行っている。


向こうもそれを承知のはずなのに、

ずるずると付いてきているのは何故か。


頭を過ぎる言葉――チェックレイズ。


確かに、コミュニティカードに3が二枚見えて、

温子がUTGにいるこの状況は、おあつらえ向きだ。


弱気のチェックで一巡目を消化し、

相手のレイズを引き出す。


その後にオールインを見据えた大枚を積めば、

温子が手札に3を持っている風に見えるだろう。


いや、実際に持っている可能性が高い以上、

それがブラフだとしても葉は下りるしかなくなる。


仮にオールインに負けても900枚とはいえ、

負ける可能性のある勝負で突っ込む必要はない。


そう判断して、

葉は3と10のツーペアを捨てた。


敗勢を察すれば即座に下りる元クイーンに、

温子が小さく息を吐いたのが分かった。


それは、葉の読みが正しかったことを

何よりも雄弁に語っていた。


その危機回避に喜ぶ間もなく、

第六ゲームが始まる。


「わーい強いカードだ」


もはや姉ですら突っ込まないその言葉の後に、

プリフロップがやってくる。


「そういやふと思い返してみたらさ、

温ちゃんとゲームやるの久し振りじゃん」


「ああ……言われてみればそうだな。

昔はトランプとかキャッチボールとかしたしな」


「え? あー、あったあった。

小四の頃の担任の頭にボールぶつけたっけ」


爽がにひひと笑いながらコールを選択。


その次の葉はレイズを選択。

ブラインドと合わせて60枚がテーブルに。


それを見た温子が、

目を閉じてディーラーへとカードを返す。


爽もまた同様にフォールドを選択し、

葉がブラインドの30枚を受け取った。


続く第七ゲーム。


「なかなか動かないな。

ホールデムはこういうものかもしれないが」


「あら、動かしたいなら、

朝霧さんが冒険してもいいんじゃない?」


「死にたくないから遠慮しておくよ。

片山にキスするのと二者択一なら迷うけれどね」


「そんなの聞いたら、あいつ地獄で大喜びだよ。

便所コオロギ辺りに化けて出てくるかもね」


メチャクチャな言いように、

温子と葉がくすりと笑う。


だが、和やかな雰囲気から一転して、

勝負自体は爽と葉の猛烈な殴り合いに。


葉はスペードのQ、Aという強ハンドを背景に、

プリフロップからチップをガンガン積んでいく。


対する爽も手札には相当自信があるらしく、

一歩も引かずにレイズで応酬。


ここで温子が脱落し、

勝負はフロップに突入。


現れたコミュニティカードは、

スペードの3、ハートのJ、ハートのK。


役こそ成立していないが、

葉はストレートも見える状態でまだ悪くはない。


相手を下ろすつもりで、

葉がさらにレイズを宣言。


が、爽にも一向に引く様子はなく、

お互いのチップがうずたかく積まれていく。


コールで済ませるような雰囲気は感じられないため、

恐らく爽はKかJのペアを確保しているのだろう。


それでもまだ勝機は十分だと判断し、

葉のコールでターンフェイズへ。


出て来たカードは――ダイヤの8。


10が出ればほぼ必勝のストレートだったが、

リバーでそれが出てくる確率は9%ほど。


もう一つ勝ち目のありそうなAのワンペアも、

出現確率は7%弱。


合わせて15%の勝率では、

さすがにどうしようもない。


「フォールドするわ」


最終的に葉が撤退を余儀なくされ、

爽が400枚近いチップを獲得した。


初めて動いた大きなチップに、

周囲がざわめく/どよめく。


場が温まり始めたところで、第八ゲーム。


「そうだ温ちゃん、ジュースか何かない?

トマトジュースがあれば最高」


「そんなピンポイントのあるわけないだろ……。

水で我慢しとけ」


「えぇーっ、やだやだー!

トマトジュース飲みたいぃー!」


「泥水を飲まされたいみたいだな。

それとも塩水がいいか? もちろん目から出るやつだ」


「……はい、水で我慢します」


そんな掛け合いから始まったこのゲームは、

先のそれとは対象的に静かな進行をしていった。


お互いに控えめにレイズしつつ、

高騰しないうちにコールで次のフェーズへ。


徐々に蓄積していく情報とチップの下で、

ひりつくような読み合いが交わされる。


葉から見た温子――

とりあえず何か手が入っていると推測。


ターンフェイズでカードを開けた時の逡巡から、

恐らく手は10のワンペアの可能性が高い。


が、手が入る前と動きが変わらないのは、

スロープレイでチップを釣り出そうとしているのだろう。


一方で、葉もまた、

相手を釣り出すためにずっと動いていた。


彼女の役は、

最初から入っていたKのワンペア。


コミュニティカードに並んでいる数字で

最高は10であるため、同じ役ならまず負けはない。


一応、ストレートも見えている状況だが、

温子の様子であればその可能性は除外していいだろう。


それでも、焦りは禁物ということで、

最後のカードを見るまで動かずにじっと待つ。


そんな葉の思惑通り、

勝負は動かないまま最終のリバーフェイズへ。


出て来たコミュニティカードは、

勝負には完全に無関係なスペードの2――勝利確信。


後は、温子のレイズに対して、

思い切りレイズで吹っかければいい。


「チェックだな」


そう思っていたのに、

温子の選択はチェックだった。


ここまでじっくり立ち回ってきた相手の、

相変わらずエンジンのかからない動き。


内心で首を傾げる葉――

“どうして、ここまで来て何もしないの?”。


しかし、葉のアクションを見た後に

レイズをする可能性も考えられなくはない。


「私はレイズで。40枚ね」


相手の強気のレイズを期待した

控えめなアクション。


対する温子は――


「フォールドさせてもらおうか」


なんと、フォールドを選択。


ここまで仕込んで来たカードとチップを棄て、

葉のカードも見ないままにあっさりゲームを下りた。


その意図がまるで読めず、

葉が思わず自身の口元に手を伸ばす。


何故チェックをしたのか。

どういう理由でゲームを下りたのか。


まさか最後リバーの2が

ツーペアやスリーカードに絡んできたと思った?


いや、そんな読みは

あまりにピンポイント過ぎる。


であれば、10のワンペアでは、

葉には勝てないと思ったということだろうか?


だとしても、それを判断する場所は、

もっと前の時点のはずだ。


分からない。


分からないが――

一つ、確実なことがある。


それは、温子は彼女なりの判断基準で、

葉のハンドを当ててきたということだ。


どうにかして、前回のゲームの最後リバーに、

10のワンペアでは勝てないと判断してのけた。


問題は、その理由。


「さて、次のゲームだな」


ほんの二時間ほど前の勝負では、

彼女にここまでの判断能力はなかった。


その短時間での成長を考えるよりは、

何かしらの対策を練ったと考えるほうが納得できる。


真っ先に浮かぶ心当たり――イカサマ。


勝負が始まる前にそれの確認をされたが、

まさか、実際にやっているのでは――


そう思って、温子と爽の顔へ目を向けると、

ちょうど向こうも葉を見ていたらしい。


葉の顔を見て、まるで示し合わせたかのように、

姉妹がそっくりな顔でニヤリと笑った。


それで、確信した。

間違いない。


この子たちは、イカサマをしている。


ただ、イカサマと言っても、

カードをすり替える等の物理的なものではない。


その手のイカサマを葉は見逃さない自信があるし、

温子たちも当然それを想定しているはずだ。


やっているのは十中八九、

カード情報の共有。


つまり、温子と爽で、

ホールカードをお互いに教え合っている。


判断力が上がったようにしか見えない点からも、

この推測は間違っていないだろう。


そうして改めて考えてみれば、

これまでの勝負でも思い当たる場面は多々あった。


爽がスチールするべく大枚を賭けてきた場面――

その裏で温子が強いハンドでチェックレイズを画策。


葉に強いハンドが入った際のレイズ――

双子が共に異様な見切りの速さで離脱。


引くかどうかの判断が問われる微妙な競り合い――

どのアクションもそこに不安は介在せず。


どうやってイカサマを敢行し、

情報を教え合っているのか。


決まっている。


「どうした葉、もう始まってるぞ?

ブラインドだけ払って下りるか?」


――この、ゲームの前の会話やりとりだ。


「温ちゃん気ぃ早すぎー。待ったげなよ。

女の子には色々と秘密とか事情があるんだゾ!」


「そうだな。私とお前にもあるもんな。

大きく言えない非行とかな」


ははは、ふふふと笑い合う二人。


彼女たちが、

イカサマのことを言っているのは瞭然だった。


だが、幾ら葉がそれを感じたところで、

明確にやっていると示せないのでは意味がない。


イカサマはそれとバレない限り、

イカサマではないのだ。


とはいえ、葉の正直なところを言えば、

まさかここまで大胆に来るとは思っていなかった。


バレないようにやるのではなく、

バレても構わないという姿勢。


それが意味するのは、ポーカーでの読み合い勝負を

イカサマを暴く勝負に置き換えることだ。


経験や実力の差を何もかもを横にうっちゃって、

別な土俵へと引きずり込む。


朝霧姉妹と志徳院葉の間にあるどうしようもない差を、

勝負しないことで強引に埋める。


その、正々堂々とイカサマで嵌めることこそが、

温子の立てた秘策だった。


唯一の問題として、このイカサマは、

葉側が雑談を禁止することで回避できる。


が、あいにくと葉には、

そのゲームの誘いを断る気がなかった。


温子はそれを、元クイーンのプライドと見越していたが、

実際はそうではない。


ゲームは、この感情の欠落した女にとって、

数少ない娯楽なのだ。


カードで身を削るような読み合いが期待できない以上、

温子たちの新たな挑戦はとても刺激的だった。


「――楽しめそうね」


ホールカードを確認しながら、

葉が温子たちへと本心からの笑みを返す。


それに、温子たちが表情を引き締めたところで、

第九ゲームが始まった。


イカサマを暴く勝負とはいえ、

チップの多寡が勝敗を決めることには変わりない。


カードは真剣にプレイしながら、

その傍らで情報を収集しイカサマを暴いていく。


だが、今回は温子らにいいカードが入っていたようで、

葉は40枚のチップを棄ててフォールド。


「相変わらずチップを吐いてくれないな」


「だって、負けられないじゃない」


「私たちが勝っても、そっちの命は保証するぞ?

遠慮なく負けてくれていい」


「ありがたい提案だけど、

私は勝つのが楽しいから」


十ゲーム目――カードが配られる。


「んでも、楽しさ優先っていうのはそうだよねー。

焼き肉食べに行くようなもんでしょ。食べ放題の」


「設定金額以上に食べようとするんじゃなくて、

焼き肉を味わおうってことか? それは違うだろ」


「えー、同じじゃない?

最優先なのは“楽しい体験”なんでしょ?」


「そういう風に見るなら同じだけれど、

多分この人のはそれだけじゃないんだよ」


「それだけじゃないって、

他に何があるのさー?」


「楽しいって言葉で梱包してるけれど、

実質は逆で、負けるのが嫌なんだ」


「ゲーマーっていうのは、

誰も彼も負けず嫌いなものだからね」


『ふーん』と曖昧に頷く爽。


その後も会話は続いたが、重要なのは、

カード配布後から爽がアクションをするまでの間だ。


ホールカードの情報を共有するのであれば、

アクションを決める前でなければ意味がない。


今の会話のどこかに、

情報が埋め込まれているのは確実だろう。


暗号の解析や生成は、

葉が“賢い役”の時に手を付けたことがあった。


結局はすぐに専門家に任せることとなったのだが、

基礎はある程度、知識として持っている。


まず、秘匿通信の手段としては主に三つ。


通信文を、服や絵などの模様に擬装するなど、

それと分からないように隠す“ステガノグラフィ”。


通信文を、事前に決めてあった

特定の記号や言葉に置き換える“コード”。


通信文を、所定のアルゴリズムに従って

読めない文章に置き換える“サイファ”。


また、カードの情報としては、

4種類のスーツと13種類の数字だけだ。


温子と爽の会話自体はごく普通のものであり、

数字が意図的に組み込まれているようなことはない。


それらが文字に置き換えられて

会話の中に組み込まれているのだろう。


つまり、コードが使われていると見て

ほぼ間違いない。


加えて、ゲームが始まるたびに都度、

自然な会話として組み上げ/解析しているのだ。


複雑なものにできるはずがない以上、

平文とコードが混じっているのは確実。


ただ、4種類のスーツと13種類の数字しかないのに、

頻出するワードがなかった。


温子と爽の会話を思い出す限り、

よく聞いたのは温子、爽、葉の名前のみ。


ということは、スーツや数字に

単語を当てているのではない。


何文字目かのアルファベットか平仮名かを、

それぞれ数字とスーツに当てているはずだ。


と――葉がそこまで考えたところで、

問題にぶち当たった。


サンプルとなるケースが、ない。


これまで九回のゲームを消化してきたが、

まだ一度もショーダウンまで行っていない。


つまり、暗号の解析をしようと思っても、

その答えとなるホールカードを確認できない。


もし、それを見に行こうとしても、

葉が勝つケースでは二人は途中で下りるだろう。


その証拠がまさに一つ前のゲームで、

温子はわざわざリバーまで行っておいて下りている。


勝ちが怪しければ、ホールカードを晒す前に即逃げ――

そういう作戦を立ててきているのは容易に想像できる。


となれば、ショーダウンまで行ける状況は、

葉の負けが濃厚なケースだけだ。


二人が読み違えてくれれば話は別だが、

それを期待するのはかなり難しいように思われた。


さらに、ホールカードを確認できたところで、

暗号を解読できるかどうかも分からない。


ここに来て葉は、朝霧温子の作戦が

とんでもないものであることに気付いた。


彼女が仕掛けてきたのは、単にポーカー勝負を

イカサマを暴く勝負に置き換えるだけではない。


そう置き換えた上で、

こっちに多大な参加費ブラインドを払わせに来ているのだ。


もしイカサマを無視するにしても、カード二枚分の

情報ハンデを背負ったままの勝負となる。


二枚分とはいえ、

ホールデムは勝負する時を選べるゲーム。


情報が有効な場面でのみ勝負をされれば、

影響は計り知れない。


そんな状況で、この強敵二人に

競り勝つことができるのだろうか――


「さて、レイズと行こうか」


「じゃー、あたしはコールしちゃう!」


二人がブラインドに加えて40枚ずつのチップを積み、

葉へと挑戦的な微笑を向けてくる。


それを受けた葉は、

頬杖を突いて『んー』と唸った。


ゲームに影響が出るという理由で会話を禁じて、

イカサマを封じ込めるか否か。


葉は、一瞬だけ考えて――


「それじゃあ、

私は受けて立とうかしら」


朝霧姉妹から叩き付けられた挑戦状を、

真正面から受け止めることにした。


葉の主な方針は二つ。


一つは、イカサマの内容を

引き続き探っていくこと。


もう一つは、ハンデを背負った上でなお、

この姉妹に打ち勝つこと。


どれだけ上手くやれるかは分からないが、

葉は壁を前に気分が高揚してくるのを感じていた。


こんなに気が乗ってきたのは、

カジノ以来かもしれなかった。


そんな葉の変化を肌で感じながら、

なお温子と爽が大胆に立ち回っていく。


情報のアドバンテージと複数人であるメリットを

最大限生かし、スチール気味のレイズを敢行。


これに、葉は早々に手を諦めてフォールド。


最終的には80枚のチップが爽の手に渡り、

次のゲームに移る。


そのゲームで葉に10のペアが入る――

フロップでさらに10が入りスリーオブアカインドに。


が、ここで爽が、

先のゲームと同様にレイズをしてきた。


強い手札が入っているようには見えないため、

恐らくは手を読み違えているのだと判断。


葉がコールで引っ張り、

ターンフェイズで一気にチップを積んでいく。


「むーむむむ……フォールドで」


爽を引きずり下ろし、

葉が160枚を奪い返す。


が、肝心のイカサマのほうは

未だに解読できず。


いつからか身振りも交え始めているため、

どれが本物のサインなのか分からない。


あるいは、複数の暗号を決めていて、

サインによって変えている可能性もある。


解読は絶望的だが、もしも分かれば

その瞬間に勝ちが確定するため、できるだけ粘りたい。


どんどんゲームは進んでいく。


葉の苦慮の間にも、

チップは氷が溶けるように少しずつ温子らの手に。


ショーダウンまではまだ一度も行っておらず、

お互いが信用を売り買いしているのと同じだった。


となれば、情報が多く確度の高い

温子らの信用のほうが高く売れるのは道理。


売り買いは重ねれば重ねるほど、

葉が損をしていく。


そうして、最初にあった両者の3000枚近い差は、

もはや1000枚程度にまで縮まっていた。


そんな三人の戦いを後ろで見ながら、

那美は温子の発想の非凡さに感服していた。


イカサマの話を聞かされた時は、

本当に上手く行くのか不安だった。


だが、こうして目の前の猛追を見ていると、

それが杞憂に過ぎなかったことを思い知らされる。


“バレても構わない”


“相手が秘密を解き明かそうとしても、

答えに辿り着かせない立ち回りができる”


言葉で聞いていた時は分からなくても、

どれも実際に見てみると意味が分かった。


“それにもし、ショーダウンで答えを提示しても、

恐らく志徳院葉では回答を出せない”


“何故なら、このイカサマは――”


「そういえば聞きそびれてたんですけど、

儀式って何で学園でやるんですか?」


「薬の実験場にしたいっていうのが名目だけど、

発案者の趣味でしょうね」


「実際、そういう企画のほうが、

スポンサー受けがよかったのも確かだし」


「ふーん。やっぱりどこの世界でも、

人を動かすのは金なんだな」


後ろで会話を聞いている那美が、

爽と温子の言葉を拾い上げ、頭の中で数字に変換する。


得られた爽のカードは、恐らく9と2。

温子のカードは10とK。


前者は2と2、後者は10と6の可能性もあるが、

その断定は暗号を知る那美でもできなかった。


――温子と爽が事前に決めていた暗号は、

葉の推測通り、平文とコードを交えたものだ。


コードとして使用しているのは、

文章中における普通名詞と固有名詞。


その頭文字の平仮名が、ア行であれば1、

カ行であれば2という風に割り当てている。


例えば、先の爽の言葉であれば、

“儀式”と“学園”がコードに当たる。


“学園”の頭文字は“が”。

カ行の言葉であるため、2の数字となるわけだ。


至極、単純ではある。


それでも、その場で作成と解読を行うことができ、

かつ文脈的に不自然なものにならない――


そんな仕様を満たすための暗号としては、

強度よりも簡易さが優先された。


ただし、平仮名はンを含めても11行しかなく、

トランプの数字の13には届かない。


この解消には、一部の行に二つの数字を持たせ、

フラグによって示す内容を切り替える必要がある。


温子はそのフラグとして、

“好き嫌いという感情”を採用した。


つまり、ア行の名詞が好きであれば1だが、

そうでなければ数字の8の意味で扱うということだ。


先の例で言えば“学園”が好きであれば2の数字、

嫌いであれば9の数字を示す。


具体的な対応表は次の通り。


好き      嫌い

アカサタナハマ アカサ タナハ

1234567 8910JQK


『アカサタナハマ』と1~7まで数えた後に、

再び『アカサタナハ』に8~Kを割り当てる。


ヤ、ラ、ワ行と、マ行以降で嫌いな名詞については、

数に変換することのないコード外の扱いとなる。


もう一つ、頻出するだろう

温子、爽、葉の名前もコード外で扱う。


これにより、平仮名のみで

13の数字を表現が可能になった。


スーツも表現できれば最高だったが、

そちらは暗号の簡易さと必要性とを秤に掛けて諦めた。


もし、フラッシュが絡んでくる場面が来ても、

フォールドしてしまえばそれで済むからだ。


この暗号を正確に解読できるのは、

暗号を交わす者同士で好みを把握している場合のみ。


友達の那美ですら解読に正確性を欠くのだから、

関わりのない葉は言わずもがなだ。


加えて葉は、喜悦以外の感情が欠落しており、

好悪がフラグという発想に至るのが困難だった。


つまり、葉が相手の場合に限り、

この暗号でもある程度の強度が保証されるのだ。


ただし、良い面の裏には必ず悪い面があるもので、

このイカサマを実行できるのは温子と爽だけだった。


人数が増えれば増えるほどカードの情報も増えるが、

即座に暗号を作れなければ意味がない。


手間取ってコードが目立ってしまえば、

そこから葉にバレる怖れがあった。


また、仲間内で好みの完全な把握が必要なため、

この面でも双子である朝霧姉妹以外には難しい。


痛し痒しだが、元々負けが確定的だった勝負が、

勝算の見える戦いに変わったのだ。


それだけでも、

値千金の作戦だったと言えよう。


かくして――


勝負の形勢は、

今や完全に温子らへと傾いていた。


葉が必死になって暗号と戦っている隣で、

温子と爽が容赦なくチップを奪っていく。


先ほど1000枚になったばかりの差が、

今や200枚を切ろうかという程に。


こういう時は何をしても上手く回るのか、

カードもどんどん強いものが入ってくる。


余裕が出てくると立ち回りにも現れ、

これまでにないレイズで葉が下りることもあった。


「すごいねー、爽ちゃんと朝霧さん。

ほとんど負けてたのを取り返しちゃった」


「うん……ホントに凄いね……」


口を開けて感嘆を漏らす羽犬塚――

その隣で、那美が戦っている二人を見つめる。


そのあまりの頼もしさに、

気を抜くとすぐにでも涙が零れてきそうだった。


けれど、泣くにはまだ早い。


二人の隣に立てないのであれば、

せめて勝負を最後まで見届けたい。


それに、何かあれば、

那美が必要となる場面もあるだろう。


その時を見逃さないためにも、

勝負は常に追っていなければ。


「……えっ?」


そう思っていたところで、

温子がふいに那美へとちらり目を向けてきた。


一体どうして、

那美のほうを見てきたのだろうか――


「そういえば、そろそろ晶くんたちが出る頃か?

こっちもぼちぼち終わらせていかないとな」


「……うん、そだね。晶は弱っちいんだし、

あたしらで手伝ってやんないと!」


えっ――と、

那美が目を大きく見開いた。


「獅堂のところへ行くつもり?

殺されると思うけど」


「だとしても、私たちの運命もかかってるんだ。

戦いもしないで負けるなんて悔しいだろう?」


「そうそう。諦めて後悔するより、

当たって砕けろでやってみないとっすよ」


「佐倉さんもそう思うだろう?」


「佐倉さんもそう思うよね?」


二人が揃って

那美へと微笑みかけてくる。


温子が口にした、晶くん。

爽が口にした、晶。


暗号を数字に変換すれば、

恐らくどちらもAを指すのだろう。


だが、急にそんなことを言われても、

那美はただただ困惑するしかない。


温子も爽も、那美にとっては大切な友達だし、

何より二人とも眩しいくらい素敵な女の子だ。


あの幼馴染みに限ってそれはないと思うものの、

まさかという可能性は否定できない。


「う、うぅぅ~~っ……」


那美が手をぎゅっと握り締めて、

まごまごする。


『ホントに? 冗談じゃなくて?』とでも言いたげに、

温子と爽を困った顔で見つめ返す。


が、姉妹は意地悪そうにニヤリと笑って、

テーブルへと向き直り――


「じゃあ、ガンガン攻めて行こうか。

まだ間に合ううちにね」


それぞれが宣戦布告レイズ右に同じくコールを宣言した。



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