片山のゲーム

「……さぁて、

それじゃあ始めるとするか」


午後の十一時――


全ての人間がいなくなった学園の敷地に、

片山ら仮面の男たちの姿があった。


校内に最後まで残っていた教員も、

つい三十分ほど前に見回りを終えて帰ったところだ。


「入り口は全部塞いでんだろ?」


「え、あ、うん。

見張りは大丈夫、付けてるよ」


片山の問いに、

隣の仮面が何度も頷きながら答える。


その仮面に緑のぶちが入っている以上、

彼が丸沢豊らしかった。


「ふん、グッドだ。

それなら安心して狩りができるってモンだよなぁ?」


「そうだね。凄く狩りやすくなると思う。

さ、佐倉さんとか……うん」


「お前に言ったんじゃねぇよ、丸沢。

そもそも、俺とお前は今回は狩りに参加しねぇだろ」


「あ……ごめん!

ごめんね、ホントごめん!」


半ばまで声を裏返らせながら、

丸沢が何度も頭を下げる。


それを、うんざりしたよう目で見ながら、

片山が丸沢の尻を軽く蹴り上げた。


「そんなに謝る必要はねぇよ、バカ」



『だいたいお前は』を口切りに始まるお説教。


謝り癖/おどおどした態度/振る舞いを経て、

普段の生活態度から曲がった背筋にまで言及――


傍から見ている温子が飽きてきたところで、

周りにいる仮面に諫められ、ようやくお説教は止まった。


「ったく、余計なこと考えてんじゃねーぞ丸沢」


「俺たちは狩りのことなんか考えねぇで、

その後のことだけ楽しみにしてればいいんだよ」


「……それは、結局自分たちが勝つ、

ということか?」


背後から飛んできたその声に、

片山が頬を歪ませて振り返る。


そこには、複数の白面に囲まれる、

二人の女子の姿があった。


朝霧温子と、佐倉那美――


これから生贄として

無人の校舎に放たれる二人である。


だが、生贄らしく怯えているのは那美だけ。


温子のほうはというと、

地下室の頃から変わらぬままに屹然としていた。


そしてまた、その様が、

片山にはたまらなく愛しかった。


「話に聞く限り、

地下にいる間も随分と余裕だったらしいじゃないか」


「そうでもないさ。

足りなくて不味い飯に文句を言ったくらいだね」


「ほら、腹が減っては戦ができないって言うだろう?

やる前から削られたんじゃ堪らないからね」


「くくく……やっぱりお前はベストだな。

どんなに劣勢でも、勝ちに行く姿勢を崩さない」


「お前に褒められても全く嬉しくないよ」


「そいつは残念だ。

ただ、その強がりがどこまで持つかな?」


片山が高く手を上げ、指を鳴らす。


瞬間、周囲を囲む仮面の群れが、

一斉に生け贄の周囲を囲った。


那美が悲鳴を上げ、

傍らに立つ温子に身を寄せる。


「怯えることはないよ。

どうせまだ、コイツらは何もしないから」


「そいつは違うな、温子。

そこのそれは、別に何かされることに怯えたんじゃない」


「単純に、彼我の戦力の差を感じ取ったんだ」


「こいつらはその気になれば、

お前ら二人を片手で押さえつけることだってできる」


「それが、二十人だ。

こいつら全員が、お前らを容赦なく狩り立てるんだ」


「お前らがどう逃げようが、あっという間に腕を取り、

髪を引き、足を掴み、腰を抱き、羽交い絞めにする」


「そして、奪い、犯し、殺してみせる。

どうだ? これでもまだ勝てると思うか? んん?」


「……一つ聞きたいんだが。

お前は、人を傷つけるリスクを考えたことはないのか?」


その反応――質問は、完全に想定外だったのか、

片山は目を丸くして沈黙した。


それから、顎に手を当て、

うーんと唸りながら十秒ほど考え込んだ。


「あー……そうだな。

温子、お前は菜食主義者ベジタリアンか?」


「いや。普通に食べるよ」


「だったら、菜食主義者そいつらがお前に対して、

肉を食うことについての感想を聞いてきたら何を思う?」


「……」


「そんな感じだ」


「……なるほどね。聞くだけ無駄だったか」


「まあ、どういうゲームだろうと、

適当に頑張らせてもらうよ」


「おぉ、怖いねぇそのセリフ。

二年前のゲーセンで、それと同じセリフを聞いたぞ」


「確かその時は、

俺がボッコボコにされたんだったな」


「現実とゲームは違う。だろう?」


「いいや、同じだね。

違いはせいぜい、リセットボタンがないくらいだ」


「ふーん、その程度の認識はあったのか。

これは驚きだ」


「いいや。

驚くのもお楽しみも、これからだろ?」


スッと、片山の瞳から感情が消える。


そして、部下から白面と外套を受け取り、

こなれた動作で身に着けた。


「ゲーム開始だ。

これから一時間、お前らに猶予を与える」


「……やれやれだね」


溜め息と共に、

那美に目配せをする温子。


二人のやり取りを困惑しながら聞いていた那美は、

その合図で正気に戻り、慌てて一つ頷いた。


「じゃあ、行こう。

――二十三時五分、開始でいいんだな?」


「おまけで十分開始にしてやるよ。

せいぜい楽しませてくれ」


「……さてね」


闇に居並ぶ二十二の仮面を背に、

二人の生贄が走り出す。


そうして、零れんばかりに満ちた月が、

天へと向かう中――


ここに、今宵の“ABYSS”が開始した。





――開いた口が塞がらないという事態を、

那美は初めて体験していた。


外でバカ共が騒いでいるうちにと、

朝霧温子が夜の廊下を駆けていく。


その手には、鍵束と懐中電灯、

そして幾つかの工具。


どれもたった今、

職員室から漁ってきたものだ。


二人――というより温子が真っ先に向かったのは、

職員室だった。


理由はもちろん、

全教室、準備室の鍵を取得するため。


明かりのない校舎の中、迷いなく職員室に飛び込み、

職員の荷物を漁って――今は次の行動に移っている。


校舎に入ってから僅か三分の出来事に、

那美が辛うじて追いつけるのは理解だけ。


今となってはそれさえも、

置いてけぼりにされそうな始末だ。


「朝霧さん、待って!

次はどこに行くの?」


「うん? 物理室だよ」


即答。


職員室での手際といい、行く順番も含めて、

向かう先を事前に決めていたのは明らかだった。


「……って、今思えば、

佐倉さんは無理して走らないほうがいいんだったね」


「先に行ってるから、

佐倉さんは無理しない程度に急いで来て」


「う、うん……」


「あ、ついでにこれ」


戸惑う那美へと温子が投げてよこしたのは、

先ほどの鍵束と懐中電灯。


「佐倉さんは、途中の教室に全部鍵をかけてきて。

それだけでも連中の足止めになるから」


「あ……そういうこと」


「それと可能であれば、ゴミ箱から

アルミ缶を二つほど探してきてもらえるかい?」


「アルミ缶?

いいけど……何に使うの?」


「それは後で説明するよ。

先に行ってるから、よろしく」


「あ、ちょっと――」


まるで明かりが点いてるかのような速さで、

温子は廊下を一人駆けていった。


一人取り残された那美が、

手元の鍵束に目を落とす。


そして、思った。


どうして朝霧温子あのひとは、

この状況であんなにも迷いなく動けるのだろうか――と。





那美が物理室へ遅れて到着すると、

扉が既に開いており、中に小さな明かりが見えた。


中へと入るとすぐに見えたのは、

『声を出さないで』という張り紙。


一体、どういう理由なのだろうかと考えつつ、

那美が温子を探し歩く。


温子は、部屋の隅のほうで、

何やら色々な道具を用意していた。


『どうしたの?』


口をぱくぱくと動かしながら、

那美が温子の顔を覗き込む。



温子は手元に置いてあったノートに、

さらさらと鉛筆を走らせた。


『念のため。首輪に盗聴器あるかも』


なるほどという那美の頷き。

ひとまず、口を噤む理由は分かった。


温子はさらに手を動かし、

ノートに文字を綴っていく。


『でも、黙るの変。適当に会話して』


『ホントの話、筆記で。会話はこっちに合わせて』


じゃあ行くよ――と文字が走る。


「教室に鍵はかけてきた?」


「うん。ここに来るまでは、一応全部」


「それならよかった」


『これから、首輪ダメにする』


那美が目を見開く。


当然だ。


破壊すれば死ぬという説明があったにも関わらず、

それでも温子は首輪を破壊すると言うのだ。


少なくとも那美には、どうやっても、

そんなことは不可能としか思えない。


「今のうちに聞いておくけれど、佐倉さんは運動は?

確か心臓が悪いんだったよね?」


「うん……激しい運動が続くのは怖いかな」


『首輪、ダメにできるの?』


疑問を視線に乗せて、

那美が温子の顔を窺う。


温子はそれを、

真正面から見つめ返し――頷いた。


「ふむ。まあ、それならどうにかなるかな。

見つかった時に、少し走れるなら問題ないよ」


「それなら……えっと、大丈夫かな」


筆談での戸惑いが、

口でのやり取りにも影響してくる。


「なら、今後のことを決めようか」


そんな那美へ落ち着いてと目配せしながら、

温子は傍らに用意していたものを掲げてみせた。


『なにそれ?』


『半田ごて』


以前、授業で使ったことがあるのを思い出し、

ああと那美が頷いた。


けれど同時に、

どうして今それをという疑問も頭に浮かんだ。


半田ごて――


半田と呼ばれる鉛とスズを主成分とする合金を溶かし、

金属の接合や電子回路へ素子を固着する工具である。


合金を一時的に溶解するために高温を発するのだが、

首輪を溶かすような温度にすることは不可能だった。


なのに、それで一体どうするというのだろうか。


『毒針の出る穴を半田付けで塞ぐ』


「……!?」


『話、続けて』


「あ……うん」


那美が、一瞬だけ途切れてしまった会話を繕う。


それは、実際のところ筆談の側の返事だったが、

多少不自然でも会話が続くほうが、温子には好都合だった。


「私は、無難にどこかの教室にでも

立て篭もるのがいいと思ってる」


話を展開するフリをして、

温子が真面目な声音で今後について切り出す。


それと同時に、

右手に持つ鉛筆は淀みなく紙の上を滑っていく。


『この首輪、恐らく頑丈なだけ。

大したギミックはない』


『どうしてそう思うの?』


『生け贄を殺す手段は毒針だし、

肌に針を刺すだけの力があればいいから』


『だから、針を防ぐことができれば、

この首輪で死ぬことはなくなる』


確かに、理屈は通っている。


どんなに致命的な毒が仕込んであったとしても、

肝心の針にさえ刺されなければ死ぬことはない。


だが――初めて放り込まれたこの状況で、

果たしてその考えに至れる人間がどれほどいるだろうか?


『理解してもらえた?』


那美が温子へと目を向ける。

その口元には僅かな笑み。


命のかかったこの状況で、

どうしてそう笑えるのか――


「……朝霧さん」


「うん?」


「どうして、そんなに落ち着いてるの?」


突然の――恐らく筆談側へと投げられた音声での質問に、

温子は思わずぎょっとした。


しかし、那美は構わず続けていく。


「私、分からない」


「いきなり地下室を見つけて、死体を見て、

片山くんがABYSSだって知って……」


「命をかけたゲームに参加しろって言われて、

それが本気だって分かって、何で冷静でいられるの?」


「佐倉さん……」


「どうしてそんな風に、

色んなことを考えられるの?」


「そんなの……全然普通じゃないよ」


那美は、ゲームが始まるまでの約六時間に、

鍵を取得することまでは考えていた。


ただ、それから先は、

何をしていいのか全くまとまらなかった。


考えていたのはせいぜい、

どこに隠れれば見つかりにくいか程度。


天井を外して隠れるだとか、

家庭科室に行って包丁を確保するとかでしかない。


首輪の機能など、

考えを向けることさえなかった。


対して、この温子の思考の深さはどうだ。


種々の指示といい、手際といい、

那美ではとても及びも付かない。


片山たちへのふてぶてしい態度もそうだ。

知り合いにしても、緊張感というものがない。


とても、命をやり取りする間柄とは

思えないほどだ。


まるで――

最初から打ち合わせでもしていたかのように。


「おかしいよ、朝霧さん」


「……それで、

佐倉さんは何が言いたいんだい?」


「それは……」


声にはならなかったが――


温子へと向けるその目には、

確かな言葉があった。


私を騙しているんでしょう、と。


そんな那美に、温子は特に動じた様子もなく、

『ふむ』と一つ唸った。


「そうだな……後々のためにも、

ここで誤解の種は潰しておいたほうがいいか」


「まず、佐倉さんの主張は理解できるよ」


「私だって、他人とズレてる自覚はあるし、

それで怖がられてきた経験もしているからね」


「その上で言わせてもらうと、

私は百パーセントあなたの味方だ」


「ただ、味方であることを証明するのは難しいから、

代わりに敵ではないと判断できる材料を並べたいと思う」


『ここまではいい?』と、普段と変わらない話し口で、

温子が同意を求めてくる。


その様子に、恐怖一色だった那美の顔が、

困惑の色が滲むそれに変わった。


そんな相手の表情の変化を読み取り、

温子が意を得たとばかりに頷く。


「じゃあ、まず大きなところから行こうか」


「佐倉さんは、『朝霧さんは私を騙して殺す気だ』と

思ってるのかもしれないけれど……」


「佐倉さんを殺すつもりなら、

とっくにやっていると思わないかい?」


「それは……」


「地下室で幾らでもやる機会はあっただろう?

私が片山とグルならの話だけれど」


「もしグルじゃなかったとしても、

佐倉さんを犠牲にして交渉する手もあったはずだ」


「わざわざ、こんなゲームの体裁を取って、

佐倉さんを騙す理由がない」


「その辺りを考えると、

『少なくともこいつは敵ではない』と思えないかな?」


「でも……それも、仕込みだったら……」


「それを言うなら、佐倉さんだって

仕込みかもしれないじゃないか」


「『片山たちしか出入りできないはずの地下室に、

どうしてあんなに都合良く佐倉さんがいたんだろう』」


「『今もこうして貴重な時間を浪費しているけれど、

もしかして、私をハメようとしているのか』」


「ほら、考えたらキリがないだろう?」


その意見に、

那美は首を縦に振るしかなかった。


自分は断じて仕込みではない。

朝霧さんをハメることなんてあり得ない。


そう思ってはいても、温子と同じく、

那美にそれを証明する手段はなかった。


「結局、どこかで信じるしかないんだよ。

人間関係なんてものはね」


「ちなみに、私は佐倉さんを信じてるよ」


「というか、そもそもこの状況下じゃ、

信じる以外に打開の目はないしね」


「だから、佐倉さんも自分の納得の行く範囲で、

私のことを信じればいい」


納得の行く範囲――


そう言われてみると、どこまで線を引いていいのか、

那美にはよく分からなかった。


「話が逸れたね。

もう一つ、色々考えてることについてだ」


「私と佐倉さんとで考えていることが違うのは、

単純にスタンスの違いだね」


「スタンス?」


「えーと、例えば、

ジャンケン大会があったとしよう」


「優勝しなければ絶対に殺されてしまう、

命のかかった大会だ」


「もし、それに参加させられていたとしたら、

佐倉さんは運に任せて手を出していくのかな?」


「ううん、まさか――」


そんなことはしないと言いかけたものの、

那美の口が固まった。


他の人の出す手を見ることで、

傾向と対策を練ることは可能だろう。


だが、気まぐれや、別な勝負での学習効果といった

相手任せの部分がある以上、絶対はない。


勝率を上げることはできるが、

結局最後の部分は運任せになってしまう。


だってジャンケンだから――


そう口にするも、

温子はどうしてか首を横に振った。


「ジャンケンなのに、運任せにならないの?

どうして?」


「簡単な話だよ。

対戦相手を皆殺しにすればいい」


「えっ!?」


那美が大きく目を見開く

/眉をしかめて温子の顔を窺う。


が、温子は何故驚いているのか分からないとばかりに、

大げさに肩を竦めてみせた。


「だって、考えてもみなよ。

優勝しなければ、自分が死ぬんだよ?」


「死んだら何もかもお終いなんだし、

手段を選んでなんかいられないさ」


「まあ、大会が中止されるケースも考えるなら、

せいぜい相手の買収か脅迫かくらいだろうけれどね」


皆殺し。買収。脅迫。


次々と出てくる自身の中にないフレーズに、

那美は絶句する以外になかった。


「ね? こういうこと」


「平たく言ってしまえば、

佐倉さんはお行儀がよすぎるんだ」


「だから、私と佐倉さんが同じものを見たとしても、

感じ方や捉え方が全然違うんだよ」


「あるいは、考えたとしても、

検証をせずにそれを捨ててしまうんじゃないかな?」


温子の言う通りだった。


提示された答えを聞いた今も、

自分に実行できるわけがないと那美は思っていた。


「どっちがいいかは状況によるけれど、

今回はきっと、私の見方が役に立つと思う」


「命がかかっているからこそ、

取り乱すんじゃなく、ひたすら知恵を巡らせないとね」


「知恵……」


「私から言えるのは、

大体こんなところかな」


「まあ、信用できないならしなくてもいいから、

せめて協力だけはして欲しい」


「何せ、私たちのどちらか一人が捕まっても、

ゲームは負けになってしまうからね」


「というところで、どうだろう?」


『そろそろ首輪をやってしまわないかい?』


ノートに文字が走る

/温子が那美の目を見つめる。


話に理はあった。


状況を考えれば、

お互いの協力は必須。


温子が巡らせていた知恵を借りれば、

ゲームを有利に運べるかもしれない。


ただし、それは自分の運命を、

温子の案に委ねるということでもある。


そして――どんなに親しい人でも、

ある日、突然豹変することを那美は知っていた。


彼女が孤立したのは、周囲を巻き込みたくない気持ちと、

他人を信用できなくなったというところが大きい。


だからこそ、迷う。


単純な損得であれば、

温子の手を取るほうが確率は高いはずだ。


それでも、信じて取った手を

また一方的に切り離されるのは、怖かった。


病気のせいで普段から身近にあるとはいえ――

それこそ、死ぬことと同じくらいに。


「信じてくれるかい?」


そんな那美に、

温子が再度、信を問うてくる。


その視線は、先ほどから那美の瞳を掴んだまま、

身じろぐこともしない。


悩んだ末に――


「……信じられる、範囲で……だけど」


那美は、首を縦に振った。


自分のためではなく、

協力しなければ負けてしまうという温子のために。


そういう理由であれば――

こちらから掴むのであれば、きっと怖くない。


そういうことにして、

おずおずと温子の反応を窺う。


「ありがとう」


目の前には、笑顔があった。


クラスの誰もが頼りにしている、

あの副委員長のあの力強さを感じる表情。


いつも遠巻きにしていたそれが、

自分の前にあることに、那美はしばし呆然となった。


それはまるで、遠い昔に見た夢の場所に

気付いたら立っていたような、不思議な感覚だった。


「佐倉さん?」


温子に呼びかけられて、

那美はほうけていた自分に気付き、慌てて首を振った。


それから、ノートに書き記されていた、

新たな文言へと目を落とす。


『首輪を殺す方法はこう。

まず、半田を流し込んで針の穴を埋める』


『その上から、帯状に切ったアルミ缶を巻いて、

ビニールテープで固定する』


『さらに、上から厚手の紙を巻いて、

ビニールテープで固定する』


『これなら、

まず間違いなく貫通はしないはずだ』


さらに『無言にならないように、会話は続けよう!』と

丸でくくって書き足された。


「じゃあ、改めてさっきの続きだ」


「一応、私のほうで策は考えているけれど、

佐倉さんも有効そうなのがあったら教えて欲しい」


「家庭科室から包丁を持ってくるとか?」


「うーん、もう少し違う感じがいいかな。

例えば、罠のアイディアみたいな」


『今から私は、佐倉さんの首輪をやるから』


『もし、何か気になることがあったら、

今のうちにノートに書いておいて』


「……了解」


話の相槌と筆談の了承を合わせて、

那美は頷いた。


それを確認してから、

温子がノートを一ページ破り取る。


それから、那美の背後に回って、

首元へと手を伸ばした。


他人に首筋を触られるのは、

那美にとって最も苦手なことだった。


が、必要な手順なだけに暴れるわけにもいかず、

息苦しさと恐怖に耐えながら、じっと終わりを待つ。


一方、破ったノートにメモを取りつつ、

首輪に沿って指を滑らせていく温子。


その指が首輪を二周したところで、

今度は首と首輪の隙間に、金属の板が差し込まれた。


金物の冷たさに、

身を縮こまらせて目を見開く那美。


それでも、温子のメモを思い出し、

何とか会話を途切れさせないように口を開く。


「と……扉を開けたら、

本棚が倒れてくるようにするとか?」


「……罠としては弱いね。

もっとこう、致命傷を与えるレベルがいい」


「致命傷……」


その言葉に、ふとした疑問が首を擡げ、

那美はペンを手に取った。


同時に、温子が短く唸る――“開始”の合図。


首輪を引き、那美のうなじの後ろに

大きな空間を作る。


それから、見つけた穴の少し上に半田ごてを当て、

さらにそこに半田を当てる。


「――」


熱い。


直接こてが当たっているわけではないし、

金属板も間にあるが、それでも熱気が伝ってくる。


程なく上がる白い煙

/フラックスの溶ける飴のような臭い。


それに呼吸を抑えつつ、ノートにペンを走らせながら、

那美は温子の作業が終わるのをじっと待った。


温子の見つけた針穴の位置は三箇所。


輪を連結していると思われる基準点から、

それぞれ90度、210度、330度の位置にある。


穴の半径は一ミリメートルほどで、

全てが首輪の鉛直軸の中央に位置していた。


動作を確実にするためか、

温子の予想通り、余計なギミックは一切見当たらない。


「考え過ぎて頭が沸騰しそうになったら、

いつでも言ってくれ」


間を持たすための会話を行いながらも、

集中力を切らすことなく、温子が半田付けを進めていく。


一つ終えたら、首輪を回転させ、

また次の穴へ。


繰り返すこと三度――


一定の速度で、つつがなく、

那美の首輪にある穴は塞がれた。


「どう? 何か思いついた?」


「ううん、全然……」


「それじゃあ、選手交代だ。

私のほうでもう少し色々と考えてみるよ」


温子が那美の手に半田ごてと半田を渡し、

お互いの位置を入れ替える。


「ええと……」


温子がやった半田付けの工程を思い出しながら、

首輪の隙間に指を差し入れる。


と、温子がメモを取っていた通りの場所に、

三つの穴が見つかった。


それ以外に穴やギミックはない。

どうやら、那美の付けている首輪と同じものらしい。


では――と、次にやる作業を思い出し、

隙間に今度は金属板を差し込んだ。


「あ、いいことを思いついた」


「え? えっと……どんな?」


「もう少し考えを整理したら話すよ。

ついでに、必要な工作もやっておくか」


間を持たすための会話をしつつ、

那美が半田ごてを見つめる/やらなきゃと独りごちる。


しかし、言葉とは裏腹に、

その手はなかなか動き出さなかった。


理由は簡単。

那美はここからの作業を知らないのだ。


この先は、

完全に那美のオリジナルでやるしかない。


ただ、すること自体は授業で実習した内容であり、

温子もやった以上、そう難しいことはないのだが――


「っ……!」


漏れた息は、温子のものだった。


那美が長く金属板にこてを当てていたため、

熱が伝わって、温子の肌を焼いたのだ。


「あ……」


ごめん――と飛び出しかけた謝罪を、

温子が背中越しに手で制した。


それから、ノートに特段に大きく書いた“大丈夫!”を、

那美の前へと掲げてきた。


自分の手の届かない場所を他人に委ねて、

突然の痛みを味わわされても――


温子が軽々とやったことを、

那美が上手くできなくても――


文句どころか、

疑う言葉の一つも出て来ない。


温子はじっと自分の作業をしながら、

那美の半田付けが終わるのを待っていてくれている。


そんな温子の態度に触発されたのか、

那美の表情が変わった。


すぐさま金属板が冷めたのを確認――

もう一度半田ごてを手に取る。


それから、先ほど変に固まった状態で止まっていた半田を

溶かす/整形する/さらに流し込む。


徐々に盛っていきつつ銀色の土手を作り、

ある程度の量が確保できたら、穴の奥へと半田を押し込む。


「……ふぅ」


一つ目の穴が、

完全に見えなくなった。


しかし、気を緩めるようなこともなく、

すぐに標的を二つ目の穴へ。


コツを掴んだのか、あるいは腹を括ったのか、

那美の手先に迷いはない。


最初の穴の手際とは打って変わって、

二つ目、三つ目ともに迅速に処理を完了した。


正面へと戻ってきた那美を見て、

温子がふぅと息をついた。


「工作完了かな。

ようやく一つ目ができたよ」


無言を避けるための会話の裏で、

ノートが那美へと手渡される。


そこにあったのは、

『お疲れさま、ありがとう』という感謝の文字。


その何でもないはずの言葉に、

どうしてか那美はこそばゆい気持ちを覚えた。


こんな感覚は、

一体どれくらいぶりだろうか。


たった二文節でしかない言葉を、

何度も何度も読み返したくなってくる。


その欲求をとどめたのは、

ノートの上に伸びてきた温子の指だった。


指先にあったのは、那美の質問に対する回答と、

首輪の仕上げ手順。


「これと同じものが複数欲しいから、

佐倉さんも作ってくれるかな?」


「……うん。分かった」


頷き合って、

改めてノートへと目を落とす。


『1:アルミ缶を帯状に切っておいたから、

半田付けした箇所の上からそれを巻いて、

ビニールテープで固定する』


『2:その上からさらに紙を巻いて、

こっちもビニールテープで固定する。

危なくないように、缶の端まできっちりと』


指示を見て、那美が自身の首輪に触れてみると、

半田付けされている部分がぼこっと盛り上がっていた。


これであれば、人の手を借りずとも、

自分の首輪の作業はできそうだ。



指定の作業をしながら、

もう一つの書き置き――Q&Aに目を向ける。


『Q1:首輪の件は、ずっと喋らないほうがいいの?』


『A1:喋らない。

    こっちが有利な要素を相手に伝える必要はないしね』


『Q2:首輪ってどうして毒針なんだろう?

    爆弾とかにすれば、首輪も無力化できないのに』


『A2:多分、毒針は爆弾と違って、

    死体の後片付けが楽だからじゃないかな。

    ギミックが単純だと誤作動も少ないだろうし』


二つ目の回答に、

那美は思わず狐につままれたような顔になった。


……那美の反応はいまいちながら、

実際のところ、毒針は非常に合理的である。


爆弾と違い、保管も容易であり、

作動した際も肉が飛び散るどころか血もほとんど出ない。


死体を処理する側の人間からすれば、

これほど楽なことはないだろう。


「……よし、できたっ」


そうこうしている間に、

首輪の処理が完全に終了――


次にするべきことを訊ねるべく温子に目を向けると、

温子は早速、次の行動に移っていた。


「朝霧さん、何をやってるの?」


「あぁ、ちょっと武器を作ってた」


温子が、カーテンの生地に

ボルトやナットを詰め込んだものを掲げる。


「ブラックジャック。気休めだけれどね。

噂だと、ABYSSは超人的な力を持っているらしいし」


「でも、ABYSSは超人なんでしょ?

武器があっても勝てないんじゃ……」


「いやぁ、どうだろうね。

あいつらって本当に超人なのかな?」


意味ありげに微笑を浮かべて、

頬を掻く温子。


その一方で、先の半田ごての電源コードをハサミで切り、

器用に銅線を剥き出しにしていく。


同時に、那美にビニール紐を二メートル程度に切り、

できる限り細く裂くように指示。


那美は、その指示に従いながら、

温子の言葉を反芻し――


やがて一つの結論に思い至った。


「……片山くんたちは、

ABYSSのニセモノってこと?」


「“かも知れない”だね」


「噂とは違いすぎるルールもそうだし、

五人のはずが三十人近くいたり、色々でたらめだ」


「超人的な力ってヤツも、

この目で見たわけじゃないしね」


「でも、首輪が……」


首輪これも本物って確証はないだろう?」


人を殺しているのは間違いないし、

本物である可能性は十分にあるけれど――と温子。


「あと、あの地下室も、

ガキの遊びにしては上質すぎる」


「総合すると、本人たちは胡散臭いけれど、

施設や小道具は本物っぽい、ってところかな」


「まあ、私が片山のことを、

色眼鏡で見ている可能性もなくはないけれどね」


「……そういえば、

朝霧さんって片山くんとどういう関係なの?」


「ん……多分、昔なじみ?

ちょっと一緒に遊んでた頃があって」


「でも、一緒にいても、そんなに面白くなかったかな。

当時からろくでもないやつだし」


「そうなんだ……」


「見ていれば分かると思うけれど、

片山って自己主張が物凄く激しいんだ」


「『自分は優秀なのに評価されてこなかった』

って思ってるらしくてね」


「他人に自分の価値を認めさせるために、

自分の考えとか行動を聞いてもないのに言ってくるし」


「芝居がかった行動が多いのも、多分それ」


そう言われてみれば思い当たる節があり、

那美はなるほどと頷いた。


「ただ……一つだけ褒めるなら、

フェアなやつだとは思うよ」


「どうしても賞賛されたいんだろうね。

ルールを守った上で、相手を潰すのが楽しいみたい」


「だからこそ、

私にとってはカモなんだけれど」


ニヤニヤと答える温子を見て、

那美が苦笑を浮かべる。


そして、温子に執着していた片山を思い出し、

彼が賞賛されたい相手は温子なのではと想像した。


そうこうしている間に、

二人の新たな工作は完了――


温子が那美から細く裂いたビニール紐を受け取り、

それの一端を教室のドアにテープで貼り付ける。


もう片方の端は、銅線を剥いた電源コードに貼り、

そのプラグをコンセントへと差し込んだ。


「さて、窓から出ようか」


「え? あ、うん……」


那美の背を押し、

温子が物理室の窓から出るように促す。


その去り際に、流し台に二つある蛇口を逆さまにして、

そのまま全開にした。


「ブレーカーが落ちるから、

どこまで効果があるのかは分からないけれどね」


「――まあ、多分死なないだろう」



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