温子との約束2

「晶くん……

いい加減にして下さい……!」


屋上のドアを開け放ったところで、

聖先輩は僕の手を振り解いた。


「一体どうしちゃったんですか?

こんなの、晶くんらしくないですよ?」


「そうでしょうね」


聖先輩に背を向けたまま答える。


教室へと乗り込み、ろくに用も告げず、顔すら合わせず、

先輩をこの屋上まで引っ張ってきたんだ。


普段の僕なら、こんなことは実行するどころか、

考えることさえしないだろう。


でも今は、

自分の行動に何一つ疑問を持たなかった。


仇を目の前にした時の思考っていうのは、

きっとそういうものなんだろう。


「……晶くん?」


そんな僕の態度が伝わったのか、

先輩の声音が意図を探るようにそれに変わる。


その声に、子供を騙しているような

僅かばかりの罪悪感を覚えたけれど、

だからといって、もう引けない。


言いたいことはある。

聞きたいことも。


そう、まずは――


「……琴子が死にました」


「は……?」


「殺されました。あなた達に」


息を呑む音が、

背後から聞こえた。


……驚いているんだろうな、きっと。


僕が、あなたの正体を知っていたなんて、

夢にも思わなかっただろうから。


「待って下さい」


「何をですか?」


「本当……なんですか?

琴子ちゃんが死んだって……そんな、まさか……」


「……とぼけるのはやめましょうよ。

今さら、僕を騙せると思ったら大間違いですよ」


「騙すなんて、そんなっ……」


「だから、そういうのはいいですってば。

みんな、先輩たちが殺したんだから!」


「……本当、なんですね?

琴子ちゃんが死んだというのは」


「……ええ。知ってることを、

何度も確認する必要ないでしょう?」


どんな顔をして、

とぼけた言葉を吐いているんだろうか。


そう思って見返れば、そこには、

これまで決して見たことがない聖先輩の瞳があった。


無機質――


そうとしか形容できない、

感情のない瞳が。


「……やっぱり、そうなんですね」


それを見て、

確信せざるを得なかった。


いや、そもそも黒塚さんが調査済みなんだから、

そこに疑問を挟むという余地もなかったんだけれど。


それでも――やっぱり、

自分で会ってみて分かった。


「先輩は……ABYSSなんだ」


「――ええ。そうですよ」


にこりともせず、先輩は答えた。


心臓が軋みを上げたような気がして、

胸を押さえた。


下を向いて、

必死になって呼吸を整えた。


先輩がABYSS。


分かってはいた。


でも、いざ、本人の口からそれを聞くと、

どうしようもないくらい心が騒いだ。


「――くそおっ!」


目の前のフェンスを思い切り殴りつける。


拳の皮が裂けた。

痛みと血が滲んだ。


それでも殴った。


何度も何度も殴って、

金網をべこべこに凹ませた。


こんなものしか殴れない自分が、

悔しくて仕方なかった。


「……もうやめて下さい。

怪我をするだけですよ」


「っ! 何を今さら……っ!」


先輩の言葉が全く理解不能で、

その胸倉を掴み上げる。


そして、そのまま拳を固めたところで――

どうにか止まることができた。


聖先輩は全く抵抗しない。

黙って、僕の顔を見つめている。


「……殴って、それで気がすむのならどうぞ。

遠慮はいりませんから」


「っ……馬鹿にしてるつもりですかっ!」


胸ぐらを掴んでいた腕を力任せに振り払い、

先輩を突き飛ばす。


先輩は後ろに数歩よろめいただけで、

倒れることはなかった。


「……ごめんなさい。

そんなつもりはありませんでした」


「ただ、晶くんが私を憎む気持ちは理解できるから、

抵抗しないようにしようと思っただけです」


僕の気持ちを……理解できる?


何だよそれ。


何だよ、それ――!


「ふざけんなよっ!」


誰が、誰が憎みたいものか。


これまで笑顔で接してきた相手を、

突然そんな風にできるほど僕は器用じゃない。


なのに、

何でこんなことに……。


「晶くん……」


「……もういいです」


息を整え、気を落ち着かせてから、

僕はまた先輩に背を向けた。


もう、ABYSSの森本聖は見たくない。


「ただ……一つだけ、答えて下さい」


「……私に答えられることでしたら」


「ABYSSに……

ABYSSの以前のメンバーに――」


あの人の名前を口にしたところで、


「――という人はいましたか?」


風が僕の言葉を浚っていった。


けれど、先輩には

きちんと届いていたらしい。


再び、息を呑む音が聞こえた。


だから、その消え入りそうな返答がよく聞こえなくても、

あの人がメンバーにいたというのは、確定だった。


「……そうですか」


それが、

どうしても確認したかったことだ。


それさえ分かれば、

もう、先輩に用はない。


「さようなら、先輩」


「ぁ……晶くん、待って下さい!

私の話も聞いて下さい!」


聞く必要なんかない。


だって、相手は喜んで人を殺す団体の親玉だ。

そんな人の言葉を聞いて何になる?


そう思ってはいても――


捨てきれない日々の記憶が、

歩みを止めてしまっていた。


「……何でしょうか?」


「今回のことについては……

私は一切知りませんでした」


「言い訳ですか?」


「……そう取られるのは、仕方ないと思います。

実際、そうだとも思います」


「でも、本当です。

琴子ちゃんのことも……今初めて、知ったんです」


……聖先輩が知ってようが知るまいが、

そんなのはどうでもいい。


結果として、琴子は死んだんだ。


先輩たちのせいで。


今さらそんなことを聞かされたところで、

何の意味もない。


だから、

この人と交わすべき言葉はもうない。


なのに、まだ何かを言おうとしているのを感じて――

付き合っていられないと、屋上を出た。


後ろで何か聞こえた気がしたけれど、

気のせいだと思うことにした。





ベンチに座って、

はらはらと舞い落ちる紅葉を眺める。


平穏に時の流れる世界を見ているだけで、

だいぶ心は落ち着いてくれた。


早く来すぎたなとも思ったけれど、

これはこれで悪くない。


ただ……これからのことを思うと、

自然と溜め息が漏れた。


復讐の意味……か。


父さんは『無い』とはっきり言っていて、

僕も聞いた時はそう思っていたけれど――


今はもう、

よく分からなくなってしまった。


復讐が無意味だとするなら、古今東西、

どうしてそこかしこに復讐が溢れているんだろうか。


少なくとも、暗殺者のなり損ないの僕としては、

復讐にもきちんと意味があるようにしか思えない。


もし、意味がないのだとすれば――


それは、あくまで

死者に対してのものだろう。


死者は何も言わない。

何も考えない。


死んだ後の体はただの肉だし、

生前に宿っていた精神だって揮発する。


当然だけれど、死者に対して何かをしたとしても、

反応が返ってくることはない。


それを無意味というのであれば、

正しいと思う。


でも、逆に言えば、

残された人間は物を考える。


残された人間のためにやることであれば、

そこに意味は出てくるはず――


そうして考えて行くと、

結局は根本に行き当たった。


そう。


一体、復讐というのは、

誰のためにやることなんだろうか――


「晶くん」


そんなことを考えていたところで。


温子さんが、

手を振りながら小走りで駆け寄ってきた。


「ちょっと待たせちゃったかな?」


「いや、そうでもないよ」


……とりあえず、

考えるのはここまでだ。


結論は出ていないけれど、どちらにしても、

温子さんに伝える言葉に変わりはない。


「あのさ、温子さん。

僕、諦めることにするよ」


「……え、何を?」


「だから、復讐の話。

諦めようかなって」


もう一度言うと、温子さんは口を結んで、

何度も目をしばたたかせた。


「……色々考えたけれど、

やっぱり、リスクが高いなと思ったんだ」


「もし、琴子や爽が生き返ってくれるなら、

何が何でも復讐するところなんだけれどね」


「でも、そうじゃないなら、復讐は結局、

僕らの自己満足でしかないんじゃないかなって」


「そう、か……」


温子さんの気のない相槌――

僕の言葉を咀嚼しながらといった感じ。


そのまま黙って反応を待っていると、

温子さんは、僕に困ったような笑顔を向けてきた。


「ちょっと意外だった」


「そう?」


「うん。だって晶くんは、

もっと不器用だと思っていたから」


う……そこまで直球で言われるとは。


「ごめんね。

でも、素直な感想のほうがいいと思って」


「あと……ほんのり嫉妬って感じかな」


嫉妬……?


「私はまだ、晶くんほどきちんと割り切れてないんだ。

だから、そんな風に決められるのは、凄いなぁって」


「……そっか」


純粋な賞賛に、心が痛む。


だって――僕もまだ、

本当は割り切れていないんだから。


ただ、温子さんだけは巻き込まないようにって、

割り切れた振りをしているだけなんだから。


「晶くん?」


そんな僕の――恐らくは迷いの浮かんだ顔を、

温子さんが覗き込んでくる。


その真っ直ぐな瞳が、

凄く後ろめたくて。


「……あのさ、温子さん」


どうにかして、

僕もきちんと答えを出したくて――


思いつきの、提案をすることにした。


「デートしよっか」


「えっ!?」


「明日、学園をサボってデートしよう。

何だか、遊びたい気分だし」


「遊びたい気分って……」


「だめ?」


「いや、だめじゃない!

全然だめじゃないよ!」


「じゃあ決まりだね」


お話は決まりました――とばかりに、

ベンチから立ち上がる。


すると、わたわたと独り言を呟いていた温子さんが、

大きく息を吸って吐いた。


それから、胸の前でもじもじしていた両手を後ろに回して、

僕の顔を正面から見上げてきた。


「あ……明日は、

よろしくお願いします」


そんな、やたらとかしこまった温子さんの様子に、

僕は思わず噴き出してしまった。


その後はもちろん、

温子さんにみっちりと怒られた。






そうして迎えた次の日は、

丸一日、温子さんと遊んだ。


デートはお互い初めてで、

コースは行き当たりばったりながら定番。


それでも、つまらないなんてことは全然なくて、

最初から最後までドキドキして、楽しかった。


温子さんのことを、

ますます好きになった。


けれど――


一人になった途端に、

胸の奥から後ろめたい気持ちが溢れてきた。


琴子や爽をほったらかしにしているような気分が、

どうしても拭えなかった。


「やっぱり、

忘れられないよな……」


どうやら僕は、

どうあっても復讐をしたいらしい。


でも……琴子や爽は、

僕にどうして欲しいと思うだろうか。


復讐とは、

誰のためのものなんだろうか――





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