入部試験1

「結局、今晩も学園か……」


全部終わったと思っていたのに、

また夜に出かけることになるとは。


出かける間際に見た、琴子の渋い顔を思い出すと、

申し訳ない気持ちで一杯になってくる。


せめて、早めに帰れるといいんだけれど……。





誰も居ない校舎を歩く。


黒塚さんの警戒は続けているものの、

特に誰かが潜んでいるような気配はなかった。


先輩が人払いを済ませているんだろうか?


だとしたら、他のメンバーも集まっている?

それとも、僕一人?


頭の中で飛び交う色々な予想――

けれども、答えが出ないまま生徒会室に。


一旦、考えを頭の隅に追いやって、

ドアをノックする。


それから、聖先輩と呼びかけようとしたところで、

ABYSSにおける呼称のルールを思い出した。


「部長、笹山です」


一拍置いたものの、

室内からの返答はなし。


仕方なしに、

入りますと宣言してドアを開く。


――待っていたのは、

爆発的な哄笑だった。


津波のように押し寄せる死の気配に、

全身が一瞬で粟立つ。


痛むほどに強張った筋肉が軋みを上げて、

意思が判断するより早く脅威から距離を離す。


そうして、まだ生きていることに安堵してから、

生徒会室の中へと目を凝らした。


そこには、真っ白い仮面が浮いていた。


一瞬、聖先輩かとも思ったものの、

“判定”の音がまるで違う。


大きさも、質も、

まるで暗殺者だった頃に聞いていたそれ。


理解ができない。


信じられない。


どうして、こんな化け物みたいなのが、

こっちの世界にいるんだ――


「!?」


その困惑の隙間へと、

仮面が凄まじい速度で滑り込んできた。


咄嗟にガードを上げる――

飛んできた蹴りを受け止める。


「づっ……!」


折れたかと錯覚しそうになる一撃に、

体が泳ぐ。


それを何とか足捌きでごまかしつつ、

続く貫手を強引に躱す/拳を辛うじて止める。


聞こえて来る仮面のひゅうという口笛。


呼吸音? 賞賛?

何にしても理解している余裕はない。


“集中”なしで敵う相手とはとても思えず、

どうにか逃げられないかと算段する。


が――ただでさえ速かった仮面がさらに加速。


思考を吹き飛ばす勢いで、

息つく間もなく攻めてくる。


喉元へ飛んでくる手刀――

首の皮一枚で回避。


続く細かな牽制の雨――

弾く/受ける/振り払う。


反撃なんて考えられない。


とにかく、死なないことだけを考えて、

烈火の如き猛攻を必死に捌いていく。


そんな僕の意思を感じ取ったのか、

仮面が動きに変化を付け始めた。


熾烈ながらも緩急を混ぜた巧みな打撃――


受けるべく構えた攻撃がフェイントに変わる。

避けようと思って滑り込んだ先に回り込まれる。


変則的な軌道で飛んでくる打撃に回避を封じられ、

盾として晒された両腕が見る見る削られていく。


痛みに歯を食いしばりながら、

この状況の圧倒的なまずさを確信する。


やばい。何とかして逃げ出さないと――


そう思っていたところに、

鉈のように鋭い蹴りが割り入ってきた。


「ぐぎっ……!」


あまりの重さに悲鳴が漏れる/呼吸が乱れる。


そこに脇腹を穿ってくる右拳――膝で止める

/止めきれずによろめく。


さらに飛んでくるタックル――

敢えて受けて後方へ吹っ飛ばされる/跳ね起きる。


そうして距離が開いたところで、

化け物に背を向け逃走を開始。


二日前のように、飛び降りられる窓を目指して、

必死に足を――


「どこへ行くんですか?」


「っ!?」


気付けば、

その仮面がすぐ真横にあった。


狂喜を宿した白面から響く

その無機質な機械音声に、本気で恐怖した。


「うあぁあああぁっ!!」


その悪夢のような怪人を掻き消したくて、

無我夢中で腕を薙いだ。


けれど、その腕はあっさりと受け止められて、

振り払う間もなく投げ飛ばされた。


着地の衝撃で、

口から空気と悲鳴が零れる。


背中の痛みで上手く息が吸えず、

汗が噴き出してくる。


その酸欠により明滅する視界の中で、

悠々と見下ろしてくる仮面。


無理だ。


絶対に勝てない。


こんなのがABYSSにいたなんて。


“集中”してようが、有利な状況で戦おうが、

こんな化け物に絶対に敵うはずがない――


「素晴らしい動きですね」


「……え?」


「入部試験、合格です」


死を覚悟していたところで、

機械音声の笑い声が頭の上から降ってきた。


何事かと呆気にとられていると、

白面の怪人は小さく肩を竦めて、その衣装を脱ぎ捨てた。


出てきた顔は――


「高槻、先輩……?」


「はい。こんばんは、笹山晶くん」


立てますか――と、腕を差し伸べられる。


訳も分からずその腕を取ると、

高槻先輩はにっこり笑顔で僕の体を引き上げてくれた。


「あの……入部試験って、何ですか?」


「入部するに当たって必要な試験ですね」


「いや、それは

分かっているんですけれど……」


「前の部長が、

笹山の実力を確かめたかったそうです」


「聖せん……部長」


「鬼塚を倒したという話は、本当みたいですね。

私も見るまでは信じられなかったんですが」


「……森本、敬語を使うのはやめませんか?

私とキャラが被っても困るんですよねぇ」


「私はいつも通りです。

そちらこそ、素で喋ればいいと思いますが」


「私が仕事はきっちりやる派だということを、

森本も既に知っているはずですよね?」


「あなたはもう部外者なんですから、

別に今は仕事じゃないでしょう」


「……それもそうか」


「んじゃ、今から素で行くわ。

つーわけで、お前らも素で喋れよ」


みんな巻き添えだ――と、

高槻先輩が肩を掴んでくる。


「で、晶の実力見せてもらったんだけどさぁ、

お前本当にABYSSじゃねーの?」


「いや、今はABYSSですけれど……」


「そういう意味じゃねーから。

フォールとか飲んだことないのかっつー話」


「晶くんの経歴は、

さっき説明しましたよね?」


「いや、そりゃ分かってるけどよぉ。

お前だって見たろ? こいつの動き」


「それはまあ……」


「ぶっちゃけプレイヤー級っつーか、

下手な学園の部長並みだろ」


「若干非力だとは思うけど、

即座に逃げを選んだ判断力も優秀だしな」


「戦闘訓練をやってきた……だっけ?

そんなんでここまでなんの? マジで?」


「それは……なっちゃったとしか

言いようがないというか……」


「ふーん……まあいいや。

何にしても合格には違いないしね」


「ホントは適正検査とか色々あんだけど、

あんだけ強いならそれだけで十分だ」


「今の代表が実力重視っつーのもあるし、

誰も文句つけねーよ」


「……ありがとうございます」


「ただ、晶くんに関しては、

あくまで山田の補欠という形での入部ですから」


「あぁ? 何でだよ?」


「うちの学園のABYSSは、既に五人いますからね。

晶くんを入れたら六人になってしまいますし」


「んじゃ、その山田ってやつクビな。

今日から晶が正式な部員で」


文句は言わせねーぞと、

高槻先輩が聖先輩を小突く。


……高槻先輩の提案は、僕にとって、

もちろん喜ばしいものではない。


ただ、ABYSSを敵に回さなくて済むというのは、

本当にありがたいことだった。


高槻先輩……高槻良子、だったか。


この人と戦わなくて済むというだけで、

心の底からホッとする。


こんなのを敵に回していたら、

命が幾つあっても足りない。


殺されなくて、

本当によかった……。


「しっかしまあ、人材ってマジで埋もれてんのな。

こんなのが出てくると思わなかったよ」


「今回、新入部員が来たって話を聞いた時も、

ずっと温子だと思ってたからね」


温子……?



「もしかして、朝霧温子ですか?」


「おお、そうそう。

やっぱあいつ、この学園でも有名人になってたか」


「いや、別に有名じゃないですけれど……」


「ん? だったらどうして晶が知ってんだよ?」


「温子さんとは同じクラスなんで」


「へー、そんな接点があったとはねぇ」


「あ、ちなみにアタシは温子のゲーム仲間な。

二年前、片山と三人でゲーセンに入り浸ってたんだ」


「でも、有名じゃないっつーことは、

あいつも猫被ること覚えたんかな」


猫被るって……何だそれ?


「晶は知らないと思うけどよ、

あいつ、マジで人間ブッ壊れてんだぜ?」


「世の中全部見下してるし、

クッソつまんねーと思ってるしで、もうマジ最高」


「アタシも片山もブッ壊れてるほうだと思うけど、

温子と比べたら、とてもとても」


「アタシの見立てだと、ありゃいつか人殺すな。

今はゲームで対戦相手ボコってるだけだけど」


何だ……?

この人の温子さんの評価は。


人違いじゃないのか?


「そのゲームがよぉ、またつえーんだ。

読み合いやったら勝てる気がしねー」


「しかも、度胸もある。

勝負所と見れば、自分の命も平然と賭けられるタイプだ」


「多分、ああいうのを天才っつーんだろーな。

認めたくねーけどさ」


「あの温子さんが……ですか」


確かに、この人の言うことが

全くの的外れってわけじゃない。


出会ったばかりの頃の温子さんは、

近寄りがたい雰囲気があった。


頭もいいし、

度胸があるのも間違いないだろう。


けれど――


いつか人を殺すような人間だなんて、

僕には到底思えない。


それとも、僕が知らないだけで、

昔の温子さんはそんなに尖っていたのか?


「何か信じられないって顔してるけど、

今の温子って、そんなに上手く化けてんの?」


「……化けてるかどうかは分かりませんが、

僕の知ってる温子さんは、普通の学生ですよ」


「少なくとも、

先輩の話すような人じゃないです」


「ふーん……んじゃ、もう一個質問。

温子はABYSSに入ってくれると思う?」


「それは……無理だと思います。

ABYSSの存在自体を否定していましたし」


何より僕には、

温子さんが喜んで人殺しをするところは想像できない。


「……なーるほどねー。

今のあいつはそんな感じなのかー」


「オッケーオッケー、超把握した!

すげー残念だ!」


「まあでも、人間なんて環境で変わるもんだからな。

その辺に期待しておくとしますかね」


「……先輩はもう卒業した人間なんですから、

これ以上、うちの人事に口を出すのはやめて下さい」


「あーはいはい、

分かってるっつーの」


「んじゃま、アタシの今晩の用事は終わりな。

後は聖のほうでやっといてくれ」


「分かりました」


「じゃーな晶。

次期部長候補としてがんばれよー」


「……はい?」


意味不明な台詞に戸惑っていると、

先輩はニヤリという笑みを残して、悠々と去って行った。


「あの、聖先輩……」


「気にしなくて大丈夫ですよ。

たちの悪い冗談でしょうから」


「ですよね……」


すぐ足を洗う予定の人間に、

いきなり次期部長候補とか言われても困る。


部長どころか、

そもそも僕は人を殺せないんだから。


「それより、すみません晶くん。

いきなり呼び出した上に、こんなことになってしまって」


「……まあ、季節外れの肝試しだったと思えば。

大きな怪我もしてませんしね」


「いえ、それだけじゃなくて。

正式な所属になってしまったこともです」


「ああ……」


正式な所属ということは、

どっぷりとABYSSに足を浸していくということだ。


頃合いを見て離脱なんてことは、

そうそうできないんだろう。


「でも、あの状況じゃ仕方ないです。

殺されなかっただけマシですから」


「聖先輩には、

助けてもらえただけ感謝してます」


「……そう言ってもらえると助かります」


「何にしても、晶くんにはしばらくの間、

ABYSSとして活動してもらうことになるでしょう」


「そのためには……どうしても、

見せておかなければいけないものがあります」





冷たい顔をした先輩に連れられて、

暗く湿った階段を下りた。


ここに来るのは二度目。


けれど、この部屋にこびり付く臭いと漂う空気には、

ずっと昔から馴染みがあった。


「……そこの冷蔵庫の中を見て下さい」


だから、聖先輩にそう言われた時点で、

何を見せられるのか察しは付いていた。


それでも、念のため呼吸を整えて、

ゆっくりと重い戸を引く。


……冷たい空気を吐き出しながら現れたのは、

少女の死体だった。


着ている服も体も、同じくらいボロボロで、

どういう風に殺されたのかが嫌でも分かる。


「生け贄の末路です」


「……はい」


他には遺体がないところを見るに、

この子は一昨日の儀式での犠牲者。


つまり……僕が助け損ねて見捨てた子だ。


こうなることは、分かっていたはずだった。


それも踏まえた上で、恨まれることも覚悟で、

僕は自分の安全のために逃げ出した。


なのに……。


「ごめん……」


実際にその遺体を目の前にすると、

見捨てたことに対する後悔しか湧いてこなかった。


「晶くんは、今後もこういった

“タカツキリョウコ”と付き合っていくことになります」


「……タカツキリョウコ?」


「はい。生け贄の名前ですね」


「いやでも、高槻先輩と同じ名前じゃ……。

まさか、同姓同名?」


「いえ。この学園のABYSSが、

生け贄につけている名前ですね」


「どういう理由があって、

その名前をつけているのかは分かりません」


「私が知っているのは、私がABYSSに入る前から、

そういう決まりがあったということだけです」


「ただ、発案が[高槻良子'あのひと]であることは、

間違いないでしょうね」


「なるほど……」


「……これが、

一昨日の生け贄の本当の名前です」


聖先輩が、棚から取り出したファイルを開き、

僕の前に差し出してくる。


そこには、倉橋香奈という名前と、

写真付きの詳細なプロフィールが書いてあった。


「撮影もしてありますから、

見たい場合は言ってくれれば持ってきます」


「それと、人質のほうも見たいようなら、

言ってくれれば用意します」


「……遠慮しておきます」


死体を見ただけで胸が騒ぐのに、

実際に殺されるところなんて、とても見る気になれない。


「そうですか」


先輩が、ホッと息をつく。


「でも、この記録だけは、

ちょっと見せてもらっていいですか?」


「……構いませんが、

面白いものではないと思いますよ」


「いや、別に興味で見るわけじゃないです」


「ただ……ABYSSに勝って、

生きて帰った人はいないのかなと思って」


「……残念ながら、

日常に戻った人は一人もいません」


「そうですか」


やっぱり、普通の人間じゃ、

ABYSSには勝てないのか。


もしも生け贄でそういう人がいるなら、

生き残った先のことを知りたかったのに。


「まあ、見るぶんには止めません」


「今日はこれでお終いですから、

帰る際に、部室を隠すのだけは忘れずにお願いします」


「分かりました」


「……次の儀式は、

だいたい一ヶ月後です」


「晶くんがその時まで残っているかは分かりませんが、

一応、覚悟だけはしておいて下さい」


「もちろん、できるだけ参加しなくて済むように、

私のほうで努力してみます」


「ただ、もし参加することになったとしても、

大きく騒ぐようなことはしないで下さい」


「間違っても、

ABYSSの露見に繋がるようなことは、絶対に」


……外部に告発するような形で、

儀式の開催を潰そうとするのは禁止って話か?


ABYSSは秘匿が原則だろうから、

今さらな注意だと思うけれど……。


「今度こそ話は終わりです。

それじゃ、後はよろしくお願いします」


先輩が無表情で頭を下げる。


ABYSSとして会った時からずっと一貫している、

淡々とした態度。


その無機質さが、逆に異様だった。


先輩は、僕のことに凄く気を遣ってくれているのに、

どうしてそんな機械のように振る舞おうとするのか。


いや、そもそもどうして――


「聖先輩」


そう考えたら、

呼び止めずにはいられなかった。


「何でしょうか?」


「先輩は……

何でABYSSになったんですか?」


「……どうして、そんなことを?」


どうして?


そんなの、決まってる。


「先輩が、人殺しを楽しむような人間には、

とても思えないからです」


もし、先輩が人殺しを楽しいと思っているなら、

僕にそれを喜々として見せてくるはずだ。


同じ組織に入った今、気にかけている僕と、

歪んだ価値観を共有したいと思っても不思議じゃない。


でも先輩は、昨日からあったはずの死体を、

正式に所属するまで見せようとしてこなかった。


僕が生け贄の映像を見ないことに、

安堵の息を吐いていた。


そんな人が、

人殺しを楽しんでいるはずがない。


そんな人が、

自ら望んでABYSSに入るとは思えない。


もう一度その理由を尋ねると、

先輩は静かに目を伏せた。


それから、僕に背を向けて――


「目的を果たすためです」


その言葉を残して、

真っ直ぐに階段を上っていった。


足音は立ち止まることなく、

地下室に大きな木霊を残していった。

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