入部試験2





……蛍光灯の病的な生白い光の下で、

ひたすら棚の資料を読み漁っていく。


死体の腐敗防止も兼ねてか、地下室の気温は低く、

厚着してなお腕を擦られずにはいられなかった。


それに、シンと静まり返った部屋が相まって、

冷たい水底に沈んでいるような気になってくる。


死体入り冷蔵庫のコンプレッサが唸りを上げなければ、

時が止まっているようにさえ感じるかもしれない。


いや――


実際、時を忘れて読み[耽'ふけ]っていた。


生け贄に使用する首輪の説明書。


生け贄の候補をまとめた書類。


次々と見つかる新たな資料に、

ページを繰る手が止まらない。


「……ん?」


その中に、見覚えのある写真があった。


「何だ、これ……」


生け贄候補――佐倉那美。


記された様々な情報――

所属/住所/家族構成に行動パターンなどなど。


ページに書かれた全ての情報に目を通す。


信じられなくて、何度も見返す。


そうして得られた結論は、

間違いないというものだった。


日付は二年前だけれど、ここに載っているのは、

僕のよく知る佐倉さんだ。


「どうして、佐倉さんが生け贄の候補に……」


「知り合いか?」


「っ!?」


いきなりの背後からの声に、

心臓が飛び跳ねる――椅子を倒して飛び退く。


「おいおい、今さら気付いたのかよ?」


「鬼塚先輩……いつの間に?」


「今来たばっかりだよ。

お前と部長から、元部長の名前が出てたからな」


「っつーか、夢中になりすぎだ。

俺がプレイヤーだったら死んでるぞ、お前?」


「う……すみません」


倒れた椅子を起こして、

鼻を鳴らす鬼塚。


そのついでとばかりに、

机の上の佐倉さんの資料へと目を落とし――


「片山だな」


「片山って……片山信二?」


「そっちじゃねぇな。

片山喜一。片山の兄貴のほうだ」


「その兄貴が、この佐倉ってやつを、

やたらと生け贄に推してたんだ」


「どうして……?」


「さぁな。俺も理由は聞いてない。

異様に執着してたから覚えてるだけだ」


「……そうですか」


自分の身の回りの人が、

弄ばれて殺される予定のリストに加えられていた。


そう考えると、ゾッとするよりも先に、

ふざけたことを考える連中への怒りが込み上げてきた。


「この生け贄候補は……

今からでも浚われる可能性があるんですか?」


「というか、もしかして、

もう既に生け贄として浚われたとか……」


二年前にリストアップされたのであれば、

佐倉さんが変わった一年半前とも時期が重なる。


もし、生け贄として浚われたのであれば――

それが、豹変の原因とも考えられないだろうか?


「いや、どっちもねぇよ。

あったら、その資料が更新されてるだろ?」


「あ……確かに」


「兄貴のほうの片山も死んじまったし、

弟がその子に興味持ってなけりゃ大丈夫だろ」


「死んでるんですか?

片山くんのお兄さんが」


「ああ。つるんでた後輩二人と一緒に、

ブッ殺されたらしい」


「……ABYSSなのに?」


「ABYSSなのにだ」


「犯人は分かってねぇが、ABYSSを殺せる以上、

[只者'ただもの]じゃねぇんだろうな」


「でしょうね……」


「まあ、もう死んだやつのことなんて

どうでもいい」


「元部長の用件、何だったんだ?」


「あーっと……僕の入部テストでした」


「入部テスト?」


「って言っても、いきなり部長に襲われて、

その後にボコボコにされた感じですね」


「その割りには、綺麗な顔してんな」


「逃げ回るだけ逃げ回って、

最後に投げ飛ばされたところで終わりましたからね」


「でも、防御に使ってた腕とかは、

結構ぼろぼろですよ。ほら」


服の袖をめくって、

中にある痣や擦り傷だらけの腕を見せる。


が、予想よりずっと軽傷だったらしく、

鬼塚は一瞥だけして興味なさそうに『ふーん』と唸った。


「まあ、お前が

そうそうやられるわけねぇか」


「ただ、問題はその後で、

正式に所属することになっちゃったんですよね」


「ABYSSにか? 山田は?」


「高槻先輩が聖先輩に対して、

『あいつクビな』って言ってました」


「……相変わらず好き勝手やってやがんな」


「正直に言うと、

僕も勘弁して欲しいですね」


「鬼塚先輩は既に知ってると思うから言いますが、

僕はABYSSに狙われないために入部したんで」


「ああ、知ってるよ」


「でも……正式に入部が決まってしまった以上、

都合良く抜けるのは難しくなったなと」


「そういうわけで、まずはABYSSを知るために、

ここで資料を漁ってました」


「……分かってるだろうけどよ、

元部長には逆らおうと思うな」


「もし逆らえば、どんな目に遭わされるか分からねぇ。

例えそれが、同じABYSSだったとしてもな」


「あいつは俺たち学園のABYSSよりも、

ずっと上のレベルにいる化け物だ」


「ですね……それはもう、

さっき嫌というほどよく分かりました」


「あとお前、妹がいるんだったな。

そいつにも気を付けとけ」


「……どういう意味ですか?」


お昼に琴子を見た時にも、

似たようなことを言っていたけれど……。


「元部長は、兄弟とか姉妹とかを

人質に取ったゲームが好みなんだ」


……は?


「お前の妹を人質に取った上で、

ABYSSのゲームを開く可能性がある」


「いやいや、そんなまさか……。

だって、僕、ABYSSですよ?」


「“すぐにでも抜けたいと思ってる”

ABYSSだろ?」


そう言われてしまうと、

返す言葉が浮かばなかった。


「まあ、さすがに部員の身内は使わねぇと思うが、

あいつは何をしてもおかしくねぇからな」


「妹の件に限らず、これ以上、

目を付けられないようにしておいたほうがいい」


「……分かりました」


「あと、フォールは飲んでみたか?」


「あ、いえ。まだです」


「俺から渡しておいてなんだが、それでいいと思う。

別に無理して飲む必要はねぇよ」


「飲み続けない限り問題ないとはいえ、

副作用だってあるしな」


「守りたいやつができた時に、

備える必要があると思ったら飲めばいい」


「ただ、もしも飲んでみて

何かおかしいと思ったら、すぐに俺に言え」


「何かあってから後悔しても、

遅ぇからな」


「分かりました」



「何にしても、無理はするな。

お前は自分から飛び込んできたわけじゃねぇんだ」


「いつかまた“普通”に戻りたいなら、

できるだけ今のままでいる努力をしろ」


「……はい」


「話しておくことはこんなところだな」


「俺はもう帰るけどよ、お前もさっさと帰れ。

妹にABYSSだってバレるぞ」


「あ、そうか」


「急げよ。じゃあな」


簡単な別れの挨拶を残して、

鬼塚は部屋から出て行った。


聖先輩もだけれど……

鬼塚もまた、僕に気を遣ってくれているのが分かる。


そして、二人のそういう気遣いに触れるほど、

『何故ABYSSに?』と思わざるを得ない。


聖先輩は目的のためと言っていたけれど、

もしかして、鬼塚にもそういうのがあるのか?


だとすれば――僕のために、

二人の手を煩わせていていいんだろうか?


「……“普通”に戻りたいなら、

できるだけ今のままでいる努力をしろ、か」


そのために、

僕ができる努力は何だろう。


そう考えたところで、

内ポケットに入っている膨らみに考えがいった。


自分のことは自分でできるようになること。


元部長から、妹を守ること。


そして――


もしも、誰かが巻き込まれてしまった時に、

その人を今度こそ助け出せるようになること。


全てを上手くやるには、単純に、

もっと力がなくてはいけないと思った。


「……飲んでみるか」


ポケットから、小さな箱を取り出す。

中に入っているカプセルを一つ、つまみ出す。


……水が必要だな。





ただいまの挨拶と共にリビングに入ると、

ソファに転がって雑誌を広げていた琴子が体を起こした。


「おかえりー。遅かったね」


「あー、ごめんね。

もうちょっと早く帰れると思ったんだけれど」


「……お友達?」


「うん……まぁね」


「ふーん……」


う……さすがに遅くなりすぎたか。


事前に伝えていたとはいえ、

もうちょっと早く帰ってくればよかったかな。


なるべく今後は、

遅くならないようにしないと。


「あ、お風呂ってまだお湯ある?」


「うん。お兄ちゃんがまだだと思ったから

抜いてないよ」


「ありがと。それじゃあ、

ご飯食べたらお風呂入ってくるよ」


「え、こんな時間に食べるの?

太っちゃうよ?」


「ちょっとだけだから大丈夫だよ。

明日のお弁当に入れるぶんは残しておくし」


「じゃあ、ご飯温めてくるね」


「ああ、琴子は先に寝てていいよ。

自分でやるから」


「あ、戸締まりはきちんとしておいてね。

最近、ホント物騒になってきたから」


「うん、分かった」


元部長が鬼塚の言う通りの人間なら、

自宅でも警戒しておくに越したことはないだろう。


後は……とりあえずは大丈夫か。





それから、軽くのつもりが、

ご飯をたっぷりと平らげ――


湯船にゆっくりとつかってから自室に戻ると、

ふと奇妙な感覚に気付いた。


「……何だこれ?」


ちょっと……何か腕がおかしいか?


上手くは言えないけれど、

引きつる感覚があるというか……。


「変なところ痛めたかな?」


元部長にやられたところを中心に、

体のあちこちの機能を確かめる。


と――腕だけじゃなくて、

足にも妙な違和感があった。


最近、しばらくご無沙汰だったのに、

随分体を動かしすぎてるからか?


「ここでボロが出るのは

困るんだけれどなぁ……」


即座に命の心配はないものの、

また込み入った状況になってきたところだし――


「いっ!?」


腕を回した瞬間、ミシっと来た。


……何だ、今の?


別に無理した覚えは――


「って、痛ででででででっ!!」


つった! 腕がつった!


何でいきなり?

何かした覚えはないのに!


「いぎっ!?」


とか思ってたら、今度は足!

足がががっ!


「何これ? なに、何が起きた!?

痛っ、いだだだだっ!」


ベッドの上で這いつくばって、

布団を噛み締めて悶える。


琴子は一度寝たら起きてこないからいいにしても、

あんまり夜中に騒ぐわけにもいかない。


とにかく、できるだけ静かに、

引きつって曲がった関節を伸ばさないと――


「ふぐぅ!!」


こ、今度は……背中!


何で? いきなり何でこんな、

あちこちつり始めたんだ?


僕の体に、一体何が起こってるんだ――?








気付いたら、

目覚ましが横で鳴っていた。


あちこちつってはストレッチをしているうちに、

いつの間にか寝ていたらしい。


腕や足やらを触ってみると、

痛みの余韻が熱を伴って残っていた。


「……何だったんだ?」


一番最初に思い当たるのは、疲労。


ただ、全身がつって痛むような疲労は、

未だかつて経験したことがない。


それ以外で、変わったことと言えば――


「まさか“フォール”か?」


いやでも、飲んだのは、

痛み出した頃からせいぜい二時間前。


そんな短期間で、しかもたった一粒で、

あんな副作用が出るとは思えない。


というか、副作用が出てるなら、

作用もあってしかるべきなんだけれど……。


「……ちょっと試してみるか」


ベッドの下に忍ばせていた、

筋力維持のためのトレーニング器具を引っ張り出す。


その中から、お手軽に試せるハンドグリッパーを選び、

いつものように握ってみた。


と――


「うわっ……!?」


目一杯の力でやっと閉じられるはずのグリッパーが、

自分でもびっくりするくらい簡単に閉じてしまった。


「……嘘だろ?」


いまいち信じられなくて、

何度もグリッパーを握り直してみる。


けれど、結果は同じ。


さらに他の器具で確かめてみても、やはり同じように、

以前より負荷が小さくなっていた。


もちろん、僕の知らない間に、

琴子が弱い器具にすり替えていたわけじゃないだろう。


明らかに、

以前より身体能力が上がっている。


「おいおい……」


信じられない気持ちはあっても、

結果を目の当たりにしたら、疑う言葉は出て来なかった。


「こんなのを使ってたら、

そりゃ超人になるよなぁ」


改めてグリッパーを握り締めて、

その効用と速効性に改めて驚く。


まあでも、ABYSSの作った薬品だと思えば、

一応、あり得る範囲のものではあるか。


だいたい、そこを疑っていたら、

僕の“集中”は何だっていう話になるし。


筋肉増強剤――アナボリックステロイドの場合でも、

一週間で効果が出た話もある。


直前の戦闘で体を酷使して、帰宅後に一杯食べたのも、

恐らく急激な体の成長に寄与してるんだろう。


「あー……そう考えると、

体がやたらとつってたのは、その辺りが原因なのかな」


筋肉が悲鳴を上げるほどの成長って……。


急激過ぎて、体が耐えられるのか、

ちょっと心配になってくる。


まあ、ABYSSの連中だって飲んでるんだから、

耐えられるんだろうけれど。


何にしても、

薬の効果は分かった。


今も熱と鈍痛を伴っていると考えると、

この先もまだまだ伸びる余地はありそうだ。


上手くいけば、手に入るかもしれない。

あの元部長にも勝てるくらいの力が。


この熱が引いた辺りで、

二錠目も飲んでみるか。





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