ABYSSとの遭遇1

「白い……仮面?」


まさか、幽霊なんじゃ……。


と思っていたら、闇が集まって形ができたかのように、

仮面の下に人間の輪郭が浮かび上がった。


遠目にも分かる巨躯に、広い肩――恐らくは男。


黒衣に隠れて見えないものの、

恐らくは見えない部分も相当にゴツい。


隣にいるのは……他校の女生徒、か?


「あ――」


その女の子が、

見ている前で仮面の男に殴り倒された。


これは……どういう状況だ?


ハロウィンからフライングした男がいきなり出て来て、

よく分からない理由で女の子を殴って。


――今、警戒も顕わに僕と向かい合って。


「……プレイヤーのほうか」



「えっ?」


予想していなかった加工音声に、

思わずぎょっとした。


仮面の下に、

ボイスチェンジャーを仕込んでるのか?


っていうか、プレイヤー?

何だそれ?


「あの……」


幽霊ではなく、話のできる人間だと判断し、

さらなる情報を求めて声をかけてみる。


意外にも、頷きを返してくる仮面の男。


あれ、これもしかして、

本当に意思疎通できる?


「なら、話は簡単だな」


――え?


噛み合わない返答に、

一瞬、思考が止まる。


一拍の後、

それが男の都合だけの独り言だと悟り――


やばいと思った頃には、

既に仮面の男はこちらへと突進してきていた。


ちょっ……異様に速い!


何なんだコイツ!?


「くっ!!」


背を向けて逃げる余裕もなく、

勢いそのままの体当たりを横に跳んでかわす。


かすっただけで弾き飛ばされそうな迫力/圧力。


ふいに運動エネルギーの方程式が頭に浮かび、

まともに食らったら悲惨なことになってたと肝を冷やす。


でも、この隙に逃げられるラッキー。


と思っていたところで、

だん、と廊下が震えるような音がすぐ後ろで響いた。


「……は?」


見れば、仮面が一踏みでエネルギーを殺して急停止中。

そして流れるように急旋回/急発進。


体格に見合わない脅威の機敏さを、

体勢を整えながら信じられない思いで眺める。


まるで大型の肉食獣。

――おいおい、いる場所を間違えてないか!?


けれど驚いている暇はなく、

追尾してくる仮面の攻撃に先んじて跳ぶ。


その一瞬後に、

肉食獣の爪が背後の空間を切り裂いた。


風切り音に身を竦めながら着地する。


間髪入れずに仮面の男の追撃が到来――


体ごとぶつけてくるような右のアッパーカット。

一撃必殺の意思が滲み出てるそれを体を捩って回避。


続く左フックは手で弾く――

反応が遅れてなしきれず/頬を掠める/頬が切れる。


まともに当たれば、

致命的なのは疑いようもない。


そんな打撃が、五月雨のように降ってくる。


目の前で金属バットを

フルスイングされ続けている気分。


けれど、バットよりもずっと避けづらいため、

事態はもっと深刻で悲観的だ。


「くそっ!」


体力勝負での不利を悟り、破滅的な未来の到来より先に、

仮面の右拳が閃くタイミングに合わせて前へ出る。


フルスイングは鼻先十センチで回避――


――のつもりが、黒衣で出所が見えず、

実際は睫毛が擦れかねない距離に。


思わず息が詰まる/冷や汗が噴き出る。


けれど、リスクに見合うだけの隙をゲット。


相手の伸びきった右腕を絡め取って、

一気に地面へと引き込んだ。


「うおぉ!?」


巨体が綺麗に一回転。


ここまで来たらこっちのものだと、

そのまま間接を取って制圧しにかかる。


が――


「嘘だろっ……!?」


極まらない。


正確には、一度は完璧に極まったところから、

じりじりと押し戻されている。


体重を思い切り乗せて、肘を砕くつもりで

技をかけているのにも関わらず、じりじりと。


何だ?

何なんだ、この力っ……!?


明らかに、人間じゃない……!


『部員は超人的な力を持ってたりするらしいよ』


ついさっきの会話が、頭の中をぎる。


そうだ。

これは、まさにそれじゃないか。


人間離れした力。


人を殺すことに躊躇のない動き。


そして、殴り倒された少女――恐らくは生け贄。


実在するとは思っていなかっただけに、

夢でも見ているんじゃないかと疑いたくなる。


けれど、手に残る感触は疑いようもない。


コイツは……この仮面は――!


「うらぁああっ!!」


「ぎっ……!」


雄叫びと共に、掴んでいた男の腕が

ただの腕力だけで強引に切られた。


手の平に痺れが走る。

あまりの途方もなさに思考の握力まで奪われる。


それでも、暗殺者の本能が離脱を選択――

ほとんど同時に飛んできた拳を間一髪で回避。


そのまま地面を転がり、跳ね起き、後ろへ数歩下がって、

どうにか体勢を整えた。


奇しくも互いの立つ場所は初期位置に。

それぞれを初めて認識した距離で、再度向かい合う。


聞こえてくる獣の舌打ち。

落ち込む様子はなし/苛立つ様子もなし。


ただ、もう闇雲に追いかけてくるのは止めたのか、

様子を伺いながら男がゆっくりと距離を詰めてくる。


丸きり狩り慣れた黒豹の様相。


簡単に仕留められないと見るや否や、

逃がさず観察しながら追い詰めてくるやり方を選んできた。


息を呑む。

微かに痺れの残る手を見る。


まさか、ここまで噂通りだとは。


「これが、ABYSSか……」


運がいいのか悪いのか、奇縁への複雑な気持ちと、

純粋な力への賞賛を秘めて、相手を見据える。


……さて。

正体が分かったところでどうするか。


このまま逃げるのも不可能ではないと思うけれど、

あの女の子を置いて行くことになる。


しかもまずいことに、

僕の顔を見られてしまっている。


黒衣の下に覗く制服はうちの学園のものみたいだし、

ABYSSは絶大な権力を持っているって話だ。


探す気になれば、

簡単に僕を探し出してくるだろう。


ただ逃げるだけじゃ、

一時しのぎにしかならない。


じゃあ……どうする?


どうすれば、この仮面を黙らせられる?


「……」


耳を澄ます。


最後に公園でやった時以来の“判定”。


聞こえて来る音は――



「……獣のうなり声、か」


不可能と出たことがほぼない癖に、できたことのない、

センサーの正常性を疑うような気休めの判定。


そんな限りなく怪しい基準ながら、

判定は“可”だった。


まあ、今さっきのやり取りで得た情報と比べてみても、

間違ってはいないと思う。


強さの判定としてであれば、

信頼できそうだ。


問題は、僕が声を出せるかどうか――


「……無理だな」


そんな、できるかどうかも分からないことを

計画には組み込めない。


失敗したら意識を失うかもしれないと考えると、

五人いるというABYSS相手に試すのは無謀だ。


っていうか、僕自身がもう、

向こうの世界に戻りたいと思っていないわけで。


よし。

できないと割り切れば話は早い。


今までの思考を破棄して、

生徒会室へ飛び込む。

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