ゲーム開始2





「……じゃあ、チェックポイントには、

武器があるかもしれないんですね」


「だから、どの勝利条件を目指すにしても、

寄っておいて損はない――と」


鬼塚から聞いた話を思い出しながら、

少女なりに手短にまとめて訊ね返す。


その問いに、横でカメラを構えている鬼塚が、

面倒そうに小さく頷いた。


「なるほど……」


それを聞くと、改めて、

このイベントがゲームなのだと思い出す。


武器が置いてあるのは、きっと、

生け贄に勝ちの目を持たせるためなのだ。


確かに、チャンスではある。


少女に相手を殺す気がないとはいえ、

護身用の武器は是が非でも手に入れておきたい。


しかも、何の危険も冒さずに手に入るのだから、

これを手にしない理由はないだろう。


ただ……それも、

鬼塚の話が事実だという前提の上だ。


現状、図書室に向かってはいるが、

果たしてこのまま進むべきか否か――


「何か言いたそうだな」


「えっ? あ、ええと……」


「……何で色々教えてくれるのかなって、

考えてたんです」


「チェックポイントのこととか、

この校舎にはABYSSはいないとか……」


勢いで話し始めたため、

後半はほとんど声になっていなかった。


それでも鬼塚は、何を言いたいのか理解したらしく、

『ああ』と短く呟いた。


「何を言うのかと思えば、

んな当たり前のことかよ」


「当たり前……ですかね?」


「そうに決まってんだろ。

ここで必要な情報を隠すのはルール違反だ」


「幾らサポート係をやりたくねぇっつっても、

仕事与えられたからにはキッチリやんだよ」


『文句あるか?』とでも言いたげな、

鬼塚の投げつけるような物言い。


しかし少女は、そんな鬼塚の態度に

僅かな希望を見出していた。


ルール違反はしない。


そして、与えられた仕事である

サポート係はキッチリやる。


ならば――


「……あなたはルールの中でなら、

私の味方でいてくれるんですか?」


「は?」


「教えて下さい」


回答は、偽りの可能性もあった。


しかし彼女からしてみれば、どれだけ怖かろうと、

こればかりは確認しなくてはならない問題だった。


少女の期待を込もった眼差しが、

鬼塚を掴む。


そこにあるのは、

ひとひらの期待と、拒絶への恐怖。


その縋るような視線に、彼は、

しばし考えるように黙り込み――


一度だけ首を縦に振った。


「ほ、本当ですか!?」


少女の顔がぱぁっと明るむ。


鬼塚はそれを、

ふんと鼻で笑った。


「一割だけな」


「一割って……

残りの九割は敵ってことですか?」


「これから死ぬ奴に味方したって、

俺に利点なんざねぇだろ?」


「ま、せいぜいルール内では力を貸してやるよ」


「そんな……」


胸に一瞬だけ膨らんだ希望がしおれ、

少女が落胆に肩を落とす。


「おいおい、俺だってうんざりなんだぞ?」


「『撮影役は生け贄に手を出しちゃならない』

ってルールのせいで、俺は何もできねぇんだ」


「せっかくのイベントなのに

指咥えて見てるだけとか、勘弁してくれよ全く」


心底残念そうに溜め息をつく鬼塚。


そのさまに少女は絶句し、

そして思い知った。


ここには味方なんていない――と。


信じられるのは自分だけ。


その現状を実感し、受け入れた後に、

少女は自身の絶望を打ち払うべく歩き出した。






進む廊下は暗く、僅かに差し込む月影によってのみ、

色というものが与えられていた。


そんな視界がほとんど利かない状況で、

二人の足音だけは変わらぬままに響く。


それ以外にある音といえば、

衣擦れとカメラの回る機械音だけ。


二人は、互いに無言だった。


少女は視線すら合わせず、

極力鬼塚から離れようと距離をとって歩く。


逃げ出せるとは思っていない。


ただ、ABYSSと一緒に歩いているというだけで、

どうしても落ち着かなかったのだ。


そうして、教室を三つ分も歩いた頃だろうか。


「そいつがそうか?」


突然、前方から聞こえてきた声に、

少女の足がぴたりと止まった。


同時に、視線の先は廊下の奥の暗闇から、

白い仮面がぼうっと浮かび上がる。


三人目の――ABYSS。


新たな仮面はゆっくりとした足取りで、

少女と鬼塚の方へと近づいてくる。


「あ……えっと……」


近づいてくる新たな仮面と鬼塚との間で、

少女が何度も不安そうに視線を行き来させる。


「こ……この校舎には、

ABYSSはいないんじゃなかったんですか!?」


「ああそうだ。

いないはずなんだよ」


「えっ……?」


「――副長、何か?」


簡素な質問と共に、

鬼塚が新たに現れた仮面の前へ歩み出る。


しかし、副長と呼ばれたABYSSは、

その鬼塚へは一瞥をくれようともしなかった。


代わりに、少女へ向かって、

歓迎するように両手を広げる。


「やぁやぁこんばんは。初めまして、お嬢さん。

俺がABYSSの副長だ」


副長が口上を述べながら、

強張った少女の顔をまじまじと見つめる。


それから視線を下へと滑らせ、

縮こまった体をねっとりと値踏み――くくくと笑った。


「顔は少しガキっぽいが……むしろギャップがそそるな。

これはこれで楽しめそうだ」


「ひっ……!」


臭いすら感じ取れそうな男のいやらしさに、

少女が危険を感じて鬼塚の傍へと身を寄せる。


他人に性的に見られているのだと

ここまで意識させられたことは、人生で初めてだった。


鬼塚にも男の恐怖は感じたが、

それとは次元が違う。


“この人と一対一になったら、めちゃくちゃにされる”

という確信めいた予感があった。


「さて、タカツキリョウコ……何号だっけかな?

まあいいや」


「あんた、弟想いの

優しいお姉ちゃんなんだって?」


「や……優しいかどうかは、知りませんけど。

それが何ですか?」


「んじゃ、お前は弟を助けるために

ゲームに参加してんだ?」


「……そ、そうですよっ」


「絶対勝てねぇのにか?」


「な――」


「勝てるわけねぇだろバカっ!

テメェ、頭が茹で上がってんじゃねぇのか!?」


咆哮のように放たれた暴力的な言葉に、

少女の体と心が一瞬で竦み上がった。


その隙間に、

副長が無遠慮に踏み込んでいく。


「大方、人質の救出なんて目指しちゃってんだろ?

でもな、それ、一番難易度が高い条件なんだぜ?」


少女がまごつく間に、

副長は更に一歩前に出る。


「誰か一人殺した方がずっと早く蹴りがつく。

だけどお前はそれをやらない。何故だと思う?」


さらに一歩。


「それはお前が狩られる側の人間だからだよ。

殺される側の人間なんだよ、お前は」


さらに一歩。


「そして、俺たちは狩る側の人間だ。

お前から全てを奪い、殺す側の人間だ」


さらに一歩は――もう必要ない。


「つーわけで、

これから何が起こるか分かるな? ん?」


「っ……いやぁ! 来ないで!」


副長が何を言っているのか、

少女には全く理解できなかった。


ただ、恐怖だけがそこにあり――

副長を遠ざけたい一心で、両手を前に突き出した。


が、力を込めた腕は、

副長にやんわりと受け止められた。


どころか、掴まれた腕が、

ギリギリと締め上げられていく。


「あ……い、っ……!」


腕に走る鈍い痛みに、

少女の顔が苦悶を帯びる。


それを冷ややかに見下ろしながら、

副長はいやらしい笑いを零した。


「腕、振り解けるか?」


「くっ……うぅぅ……!」


言われるまでもなく、

少女は副長の指を引き剥がしにかかっていた。


だが、まるで動く気配がない。


岩に挟まれたかのように微動だにせず、

腕に食い込んでいく指を滑らせることさえできない。


「どうした? できないのか?」


「うっ、くっ、このぉ……!」


「できるわきゃねぇよなぁ、

お前の力なんかじゃよぉ」


ひひひ、という副長の笑声。


少女が助けを求めて鬼塚を見る。


が、味方であるはずのサポート役は、

撮影役に切り替わったらしい。


鬼塚はただ、

目の前の状況を冷静に記録していた。


一割だけ味方、という彼の協力には期待できない。

自力で何とかするしかなかった。


だが、同じ人間とは思えないABYSSの怪腕から、

一体どうやって逃れればいいというのか。


「な? つまり、お前の力はそんなもんってわけだ。

で、こうなったら次はどうすんだ?」


「う……」


「ナイフがあれば俺を刺すか?

ま、今は武器なんか持ってねぇだろうけどよ」


「じゃあどうする? 殴ってみるか?」


「でも気をつけろよ?

俺だってまだ片方の腕は空いてんだぜ?」


「もしやられたら、

俺は怒り狂ってお前をぶん殴るかもしれねぇぞ?」


「もう、身体中満遍なく、

それこそ全身内出血で紫になるまで殴るかもしれねぇ」


「そうしたら、そのままお前は死ぬかもしれねぇ。

さあ、どうする?」


「ひっ……」


「じゃあいっそ、腕は諦めて我慢するか?

でももし、俺が女を殴り殺すのが趣味だったら?」


「そしたら、抵抗しようがしまいがブッ殺すよな。

――さぁ、どうするよ?」


「う……あぁああっ!!」


畳み掛けるような副長の言葉と腕の痛みに、

少女は完全に呑まれていた。


半ばパニックになり、早く逃げ出したい一心で、

副長の腕を剥がすための無駄な努力を繰り返していた。


「おい、どうした?

どうすんだオイ?」


さらに、追い討ちをかけるような掛け声が飛ぶ。


腕を掴む副長の力が少しずつ増していき、

どんどん少女を追い詰めていく。


「いやぁ! 離して!

はなして! はなしてぇ!!」


万力に挟まれているかのような途方もない力と

握り潰さていく強烈な苦痛に、少女が半狂乱で絶叫する。


「おいおいおいおいどうすんだぁ?

さっさと答えねぇと、このまま腕の骨が折れちまうぜ?

ひゃははははははははははははははははははははははははは!」


「いやあぁああああっ!!」


その悲鳴が、宙を舞った。


副長が、少女を掴んでいた腕を無造作に振り回し、

その先にある体を放り投げたのだった。


受身を取ることもできず、

冷たく固い床へしたたかに身体を打ちつける少女。


痛みに潤む視界には天井が映り――

そしてその端に、黒いマントがちらついた。


副長が、目の前に立っていた。


「で、どうすんだ?」


副長が少女を見下ろしながら、

嘲りを含む気軽さで問いを投げる。


しかし、少女の脳裏に浮かぶ言葉は、

問いへの答えではなかった。


“殺される”


生まれて初めて、

自然とその言葉が自身の内から湧いて出た。


戦おうなどとは塵ほども思えず、

副長から逃げ出そうと、少女が懸命に床を這いずる。


「おいおい何だよ、もう怖がってんのか?

俺まだなんにもしてねーんだけどなぁ」


「っ、近寄らないで……っ!」


「あー、マジで怖がってるみてーだなぁ、コレ」


おもちゃでも見るように、

副長が半泣きの少女を面白そうに眺める。


「泣かすのはこれからなんだから、

今そんなビビられちまっても困るんだけどなぁ?」


「つーか、もう俺を見て怖がるようになるとか、

マジびびりすぎだっつーの。俺は恐怖の大王か?」


なあ、と鬼塚に同意を求める副長。


しかし、黙々と撮影を続けるだけの鬼塚に、

副長はつまらなそうに舌打ちをした。


「まあいい。

鬼塚、お前はもう帰ってもいいぜ」


「えっ……?」


その言葉に、

少女の顔から一気に血の気が引いた。


もしも鬼塚がこの場からいなくなれば、

少女はこの副長と二人きりになる。


そうなったら、一体何をされるのか。

一体自分はどうなってしまうのか。


確実に分かること――

絶対に取り返しが付かない。


「たっ、たすけて……」


敵の一員に助けを求めるという矛盾した状況だが、

なりふり構ってはいられなかった。


涙の浮かんだ瞳で、

鬼塚を縋るように見つめる。


絞り出したか細い声で助けを求めて、

痛みに震える手を伸ばす。


しかし――


「断る」

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