ゲーム開始3

鬼塚の返答は、

少女の期待を裏切るものだった。


「……『断る』だってよ。タカツキリョウコちゃん。

残念でちたねぇ~? イヒヒヒッ」


白面の裏に下卑た笑いを浮かべながら、

副長が倒れている少女を見下ろす。


甘い蜜を啜るために、

指を触手のように遊ばせながら腕を伸ばす。


――その腕を、横から鬼塚が鷲掴みにした。


「なっ!?」


「……何を勘違いしてる?」


ギリギリと音を立てて、

副長の腕が締め上げられる――少女から遠ざけられる。


「俺はあんたに断ると言ったんだよ、副長」


「っ、コイツ……!?」


「あんたにその子は渡さない」


思いも寄らぬ裏切りに、

副長が驚愕の声を漏らす。


だがそれは、少女も同じだった。

目の前の信じられない光景に、息を呑んでいた。


少しだけ味方をしてくれると言った仮面の男が、

今はっきりと、自分を守ってくれている。


底の見えない絶望の淵へと落ちないように、

太く力強い腕でもって支えてくれている。


何という頼もしさ。


悪鬼の巣で初めて会えた味方への驚喜と安堵が、

少女の頬を濡らしていく。


どうして鬼塚がそうしてくれたのかは、

少女にも全く分からない。


ただ、少女が心の底から望んでいたことを、

彼は叶えてくれていた。


そんな鬼塚に、

落ち付き始めた副長が怒りをあらわにする。


「テメェ……

誰に何やってんのか分かってんのか?」


「ああ」


「おいおいおいおい。

腐れてんのは耳か? 頭か?」


「俺はさっき『帰っていい』って言ったんだぜ?

テメェが今やってることは、何か違くねーか? あ?」


「俺は『断る』と言ったはずだ」


「だ、か、らぁ!

違ぇだろうが、テメェが今やることは! なぁ!?」


「いいや、違わないね。

俺は最後まで撮影をするし、そいつのサポートもする」


「それにそもそも、

ここで生け贄に危害を加えるのはルール違反だ」


「ルールを破ってるあんたの命令に、

従うわけにはいかない」


野獣のように声をブチ撒ける相手に対し、

少女を背後に庇いながら、あくまで毅然と対応する鬼塚。


その冷静な態度が余計に癪に障るのか、

副長の全身がぶるぶると震える。


「……そうか、分かったぞテメェ?

自分が殺しに参加できないから逆らってんだろ?」


「テメェも後でどっかにそいつを連れ込んで、

一人で楽しもうって企んでんだな? 図星だろ?」


「……さぁな。ただ、何を言おうがこの子は渡さない。

これは頼んでるんじゃない……警告だ」


「大きく出るじゃねぇか……!」


鬼塚と副長の間に横たわる緊張感は膨らみ続け、

今や唾を飲む音ですら開戦の合図になりかねなかった。


そんな中、圧迫感に満足な呼吸もできないながらも、

少女が祈るような気持ちで鬼塚の背を見つめる。


そうして、

どれだけの時間が経っただろうか。


「……分かったよ。離せ」


しばしの沈黙の後に舌打ちを一つして、

副長は鬼塚の手を振り払った。


それから、障壁となったサポート役越しに、

床に座り込む少女へと目を向ける。


「ラッキーだったなぁ、タカツキリョウコちゃんよぉ。

クソ生真面目なサポート役で」


「ま、せいぜい俺以外に殺されないようにしろよ?

隣の校舎で待っててやるからよ」


少女の顔が引きつるのを眺めてから、

副長が再び鬼塚へ視線を戻す。


「ったく、ルールルールってうるさく言わなけりゃ、

テメェもいいやつなんだがな」


その言葉を残して、

副長は闇の中へと溶けていった。


「はぁ~~……」


ようやく緊張から解放されて、

少女が風船の口を解いたように息を漏らす。


濃密過ぎた時間の余韻で立ち上がることさえできず、

床に座って脱力したまま鬼塚を見上げる。


彼は先程までと同じく、

何事もなかったように少女の撮影を続けていた。


だが、その変わらなさが、今はありがたい。


「ありがとうございました……」


「何だ? 礼を言われる覚えなんかねーぞ?」


「いえ、助けてもらわなかったら、

絶対に死んでました」


「今のは副長がルールを守ってなかっただけだ。

別にお前を助けたわけじゃない」


「でも、助けてもらったことに

変わりないです」


「……もし、隣の校舎で今みたいなことがあっても、

俺は口を出さねぇ」


「今度は間違いなく死ぬから、

せいぜい見つからないように気をつけろ」


「……はい。ありがとうございます」


限りなく無法に近いこの場の、

本当に僅かなルール。


それを、鬼塚が守ってくれたことが――


あまつさえ自らの体まで張ってくれたことが、

少女にとっては心に沁みるほど嬉しかった。


“一割は味方”――たったの十パーセントなのに、

とても心強く感じた。


「おい、いつまで座ってんだ?

早くしねぇと夜明けなんてあっという間だぞ」


「あ、はいっ」


先を行こうとする鬼塚に急かされて、

少女が立ち上がる。


その足取りは、追い出されるように教室を出た時よりも、

少しだけ軽かった。





二つほど教室を越えると廊下の突き当たりを迎え、

右手に階段が見えた。


どうやら目的の図書室は上階にあるらしく、

鬼塚が無言のまま、視線で上がれと指示を出す。


階段を昇る前に、

窓の外へと目を向ける少女。


外の世界はもう寝静まった頃なのか、

煌々と輝く月が無言で宙に浮いていた。


正確な時間はわからないが、

もうとっくに母も帰宅しているはずだろう。


こんな時間に、姉弟揃って帰ってきていないと知って、

あの人はどう思っているだろうか。


もしもこのまま二人が帰らなければ……

そう考えた時に、少女の中にふと疑問が浮かんだ。


「あの……もしもですけど、

私がここで死んだらどうなるんですか?」


「……物凄く便利な言葉があんだろ?」


「便利な言葉?」


「行方不明」


鬼塚の“便利な言葉”に、

少女が目を見張る。


「……死体になっても

家に帰れないってことですか?」


「ああ。イベント後には証拠を徹底的に消すし、

ここにお前がいたっていう痕跡すら残さない」


「痕跡も……」


少女が露骨に眉根を寄せると、

鬼塚はここぞとばかりにカメラを向けた。


「なかなか良い表情だな」


「……っ!」


無神経な鬼塚の行動に、

少女が顔を背ける。


一割は味方ではあるが、

あくまで一割。


彼はサポート役であると同時に、

自身の死に様を記録するABYSSの一員なのだ。


頼れるのは自分だけ。


たった一人で、

弟を助け出さねばならない。


良都りょうと……」


思わず弟の名が口をついて、

少女は泣きそうになった。


「良都、ねぇ……。

そんなに弟を助けたいのか?」


「そんなの、当たり前じゃないですかっ!

弟なんですよ?」


「ふーん……そんなもんなのかねぇ?

俺には兄弟なんていねぇから分かんねぇよ」


「そういうものなんですっ!」


「あー、はいはい。

ブラコンなのは分かったから、そう怒るなよ」


「ブッ……!?」


「言いたいことは後で聞いてやるから、

さっさと図書室行こうぜ」


動揺する少女へ、

鬼塚が階段を上るように身振りで示す。


それに少女は、目を思い切り剥きながら、

言葉を探すように口をぱくぱくとさせるが――


結局何も言い返せず、

大人しく指示に従うのだった。





鬼塚が立ち止まった教室の札を見ると、

そこには“図書室”の文字があった。


この部屋が、五つのチェックポイントのうち、

最初の一つなのだろうか。


覚悟を決めて、

深呼吸の後に戸を引く。


扉に鍵はかかっておらず、

すんなりと開いた。


外から見る限り、中はかなり暗い。


鬼塚を疑うわけではないが、

誰かが潜んでいたとしてもおかしくはないだろう。


「あの……」


電灯をつけてもいいか訪ねようと、

少女が鬼塚へと振り返る。


と――


「てめぇ! 何しやがるっ!?」


鬼塚が突然大声をあげて、

図書室の壁にカメラを叩きつけた。


さらに、床に落ちたカメラを足で思い切り踏みつけ、

少女の目からも撮影不能と分かるほどに破壊した。


「えっ……?」


何が起こったのか、分からなかった。


その緊張した声の張りと荒々しい言葉遣いから、

鬼塚が副長か誰かに襲われたものだと思った。


が、それにしては、

カメラの破壊に続く音が一切ない。


「ちょっと……何ですか?」


暗い視界の中、不安げに周囲を見回しながら、

少女が胸元に手を寄せ身構える。


混乱しかけた頭を必死になだめながら、

現状を整理する。


鬼塚は誰と言い争っていたのか。


どうしてカメラが破壊されたのか。


一体今、何が起きているのか――


「あの……鬼塚さん?」


足下に散らばるカメラの残骸と鬼塚とを交互に見ながら、

少女がおずおずと声をかける。


「何かあったんですか?

っていうか今、誰かいるみたいに言ってましたけど……」


「ああ……そうだな。

ここには誰かがいた」


「えっ、でも誰も……」


「いたことになったんだよ。

さっき俺が騒いだせいでな」


いたことに……なった?


「ここまでは作戦通りだ」


「作戦通りって……」


図書室に来たことだろうか。

カメラを壊したことだろうか。


そんなことをして、

鬼塚に何のメリットがあるのか分からない。


有意義なシーンは今後訪れるはずなのだから、

ここでカメラを壊す意味はないだろう。


では――逆に、

壊すことに意味があるとすれば。


「……あ」


息が止まった。


肌が粟立った。


頭の中が、さっと冷たくなった。


知恵の輪が解けたように、本当に唐突に、

少女の手元に答えが現れたからだ。


撮られたくないのであれば、

カメラを壊す。


カメラを壊したことを咎められたくないのであれば、

誰かに襲われたかのようなアリバイを作る。


ABYSSのいない図書室でやれば、確実だ。


そして、撮られたくないものとは――


「『撮影役は生け贄に手を出しちゃならない』

ってルールのせいで、俺は何もできねぇんだ」


「せっかくのイベントなのに

指咥えて見てるだけなんて、勘弁してくれよ全く」


「テメェも後でどっかにそいつを連れ込んで、

一人で楽しもうって企んでんだな? 図星だろ?」


「う、そ……」


信じがたい結論。しかし――


「さて……」


「!?」


鬼塚の声に押されて、

少女が図書室の机にぶつかる。


さっき痛めつけられた腕が、

鼓動のリズムでずくんずくんと疼き出す。


その痛みに、副長と相対した時の恐怖が蘇り、

少女の歯がかちかちと震えた。


酷いことされる――!

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