目覚め

『お前が死ねばよかったのに』


――それは、人殺しの記憶だった。


誰がどう見ても間違いない、

殺人の記録帳。


記述されていたのは、見知らぬ男や同業者、

先の処理班の男、果ては自分の姉の姿さえあった。


そして、やりかけではあったものの、

那美ちゃんの姿まで――


信じられなかった。


信じたくなかった。


けれど、律儀に全てを記録していたその帳簿は、

紛れもなく自分のものであり。


否定しようと理屈を捏ねることも許されず、

ただただ自分の殺した人を見つめるしかなかった。


いや――あるいはそれは、

見つめられていたのかもしれない。


自分の冷たい瞳に晒されて、

初めて自覚する。


僕は、人殺しだ。


吐き気がしてくる。


主観と客観が混じったような記憶を見て、

腸を締め付けられる。


声を出すことができない?

笑えないくらい酷い冗談だ。


僕は、那美ちゃんが怯えて当然の、

途轍もなく恐ろしい生き物だった。


こんなものが自分だなんて、

それだけで死にたくなってくる。


足下から虫が這い上がってくるように、

嫌悪感がぞわぞわと心を覆っていく。


なのに――目を閉じても、目を背けても、

記録帳は勝手にぱらぱらと捲れていく。


そのたびに、

僕は殺し/殺される。


延々と続く悪夢。


網膜に、あるいは脳髄に焼き付いたそれが、

どこまで行っても離れることがない。


何とかしないと、

僕がどうにかなってしまう。


何とかしないと――


「――はい、そこまで」


言われたところで、自分の腕が、

痛いくらいの力で握られていることに気付いた。


その腕を握っている先に目を向けると、

ゴスロリ姿の女の子がベッドの傍に立っていた。


「危ない危ない。

縛り付けてたほうがいいのかな、これ?」


「君は……えっと、

僕を助けてくれた……?」


『ご名答です』とばかりに

にっこりと微笑む少女。


その笑顔を見て、この状況に至る前、

何があったのかを少し思い出した。


気付いた時には、何故か今回は素手だった

アーチェリーの仮面に転がされていたこと。


見上げる視界が、処理班とかいう仮面どもで

埋め尽くされていたこと。


そこに、この少女がいきなり現れて、

仮面をなぎ倒し始めたこと。


最後には、閃光手榴弾と思しき光と音で、

世界が埋め尽くされて――


「……そういえば、

ここってどこなの?」


「プレイヤーのためにABYSSが確保してる、

マンションの一室だね」


「いい感じの場所だったから鍵を拝借してたんだけど、

まさかこんな風に使うことになると思わなかったよ」


……っていうことは、

この子もABYSSなんだな。


「どうして、僕を助けてくれたの?」


「もちろん、君に死なれたら困るからだよ。

そろばんを弾く意味でも、人間としてもね」


「……人間として、か」


逆にその考えで言うなら、

僕は死んでしまったほうがよかったんじゃないだろうか。


こんな恐ろしい生き物を生かしておくほうが、

人のためにならない。


何より――僕自身が、

こんな記憶を抱えたまま生きて行ける自信がない。


「……とりあえず、何か飲もうか。

晶くんはまず、落ち着いたほうがいいよ」


「さっきも目を潰そうとしていたけど、

ちょっと色々混乱してるんじゃないかな?」


……ああ、それでさっき、

僕の腕を掴んでたのか。


あのまま放置してもらえていれば――

って思うのは、さすがに助けてもらっておいて失礼か。


でも、本当にこれから僕は、

どうしたらいいんだろう……。


「私は紅茶にするけど、晶くんはコーヒー派だっけ。

ミルクはないけどそれでいいかな?」


――えっ?


「……何で、僕がコーヒー派だって

知ってるんですか?」


「何でだと思う?」


紅茶のパックを棚から出しながら、

少女が意地悪そうな笑顔を浮かべる。


そうだ。

どこかで見た覚えがある顔だと思ってたんだ。


そうやって関連づけてみると、

びっくりするほど声も似ていた。


身長もブーツのぶんを差し引けば恐らく一致。

仕草や表情も、いつも見て来たそのものだ。


「真ヶ瀬先輩……ですよね?」


「ピンポーン、大正解。

ABYSSではラピスで通ってるけどね」


ファンファーレのボタンを押すかのように、

先輩が嬉しそうに電気ケトルのスイッチを入れる。


「そっか……先輩はABYSSだったんだ」


「うん。隠しててごめんね。

本当は普通に話せればよかったんだけど」


「ABYSSって組織のことを考えれば、

それは仕方ないと思います」


「謝るついでにもう一つ言うけど、

晶くんをABYSSに巻き込んだのって、私なんだ」


「君が目を離した隙に、コーヒーに睡眠薬を入れて、

わざと儀式の夜の中に放り込んだ感じ」


「晶くんに効く睡眠薬の調合には、

だいぶ苦労したけどね」


ああ……あれはやっぱり、

偶然なんかじゃなかったんだな。


「何て言うか……先輩は本当に、

僕にいっぱいトラブルを持ち込んできますね」


「だって晶くんなら、

きっと付き合ってくれるじゃない?」


否定できないのが辛いところで、

苦笑いしか出て来ない。


「まあ、それはいいです。

それよりどうして、僕を巻き込んだんですか?」


「んー……その前に、

現状について少し話しておこうか」


現状……?


「実は明日にも、ABYSSによる

大規模なゲームが開催されるんだ」


「そのゲームに、晶くんのお友達……

佐倉さんと朝霧さんも参加することになってる」


ついでに晶くんもね――と、

先輩が困った風に眉をひそめる。


っていうか、僕と那美ちゃんと温子さんが、

次のABYSSのゲームに参加する?


何だそれ?

何がどうなったら、そんなことになるんだ?


「二人は片山のゲームをクリアしたでしょ?

その後始末として開かれるのが、次のゲームなんだよね」


「でも……生け贄がABYSSに勝ったら、

日常に戻してもらえるんじゃなかったんですか?」


「建前はね。でも、実際にそれを実現できるのは、

管理している人間が責任を持って処理した時だけだよ」


「プレイヤーかABYSSになるしか、

基本的に生け贄が生き残る道はないんだ」


「何ですか、それ……。

そんなの、卑怯じゃないですか」


日常に戻すって約束しておいた癖に、

実は次のゲームで始末しますとか、最悪の裏切りだ。


「私もそう思うけど、言ってもABYSSだからね。

そういうものだと思うしかないんじゃないかな」


「日常に戻すとは言っても、

次のゲームに誘わないとは言ってないわけだし」


それはそうだけれど……

そんなのは後出しだ。


また那美ちゃんや温子さんが巻き込まれるだなんて、

僕には絶対に許せない。


「止める方法はないんですか?」


「それは無理だね。もう決まっていることだし、

逃げれば家族に被害が行く」


「ただ、晶くんに関してはついでの参加だし、

扱いも失踪状態だから、まだ何とかなる」



「だからもしも、晶くんが逃げたいっていうなら、

それに協力してあげる。もちろん、琴子ちゃんもね」


「私のツテを使えば、ABYSSでも

簡単に手を出せない組織に逃がすことができるから」


「でもそれって、那美……佐倉さんとか、

温子さんは無理なんですよね?」


そうだね――と、先輩が首肯する。


それなら、僕の答えは決まってる。

NOしかない。


「……まあ、晶くんならそう言うよね。

そうなると、後はゲームで直接助けるしかない」


「でも、そのゲームで勝ったとしても、

ABYSSがその後で襲って来るんじゃ……」


「それは心配しなくて大丈夫。

今度のゲームは、ABYSSの上層が関わってるから」


「詳しくは言えないけど、派閥対立の一環で、

約束を違えられないことになってるんだ」


「だから、次のゲームで勝つことさえできれば、

本当に完全に自由になれるよ」


「……そうですか」


それなら、今回が正真正銘、

最後ってことなんだな。


その部分は安心できるけれど、問題は、

ABYSSのゲームに勝てるかどうか。


もし、あの鉱物めいた男と殺し合うなら、

絶対に勝ち目はない。


……改めて、あの化け物と対峙した時の恐怖を

/痛みを自覚する。


それは、想像するだけで、

殺しの記録帳に負けず劣らず背筋を寒くしてくれた。


「……晶くん、まだ少し変だね。

話しててもちょっと落ち着きない感じだし」


「それは……はい、そうです。

僕は心底おかしいんだって、分かりました」


大事な幼馴染みを殺しかけて、

自分の姉まで手にかけて――


しかも、そんな大事なことを、

今の今まで忘れていただなんて。


そして、一旦それを思い出したと思ったら、

自分の内から湯水の如く鬼畜の所業が溢れてくる。


僕の家は暗殺者で、人を殺して生計を立ててるとか、

暗殺は必要なことだとか、とんでもない話だった。


殺される側の視点に立ってみれば、

殺す側の事情なんて関係ない。


僕らは肉を食べる時に何も感じないけれど、

食べられる側に立てばその恐怖が分かる。


ただ、恐ろしくて、おぞましい。


自己嫌悪で潰れそうになる

/潰れたくなる。


人を食べる生き物は、

人の中で生きていちゃいけなかった。


那美ちゃんたちを助けないといけないから、

今すぐというわけにはいかないけれど――


いつか、何とかしなきゃいけない。


「なるほどね……まあ、

コーヒーでも飲んで落ち着くといいよ」


インスタントコーヒーの入ったカップに、

今さっき沸いたケトルのお湯を注ぐ先輩。


香ばしい匂いが部屋に広がって、

先輩がかちゃかちゃと用意をしていて。


何だか、生徒会室に戻ってきたみたいな気がして、

無性に泣きたくなった。


「砂糖は一つでいいんだっけ?」


「あ、はい……お願いします」


俯いて涙を擦りながら、

じっと呼吸を落ち着ける。


そうしているうちに、先輩がカップを差し出してきて、

とりあえず飲みなよと肩を叩いてくれた。


その気遣いにまた泣きそうになりつつも、

ひとまずコーヒーを一口。


「どう? 美味しい?」


「……はい。美味しいです」


適度な苦さと温かさが、

酷く心に沁みた。


「よかった。それじゃあ、

零さないようにカップをここに置いて」


「? はあ……」


よく分からないけれど、とりあえず指示に従って、

ベッドの脇の台の上にカップを置く。


――瞬間、くらりと来た。


っていうか、ちょっと待て。

何だこれ?


思う間に、起こしていた体がベッドに倒れ込む

/視界の天井が傾いで崩れていく。


力が入らず、目を開けているのが辛くなり――

これはそう、あれだ。


猛烈に、眠い。


まさか、この感覚は……!?


「あぁー、まちがえたー!

コーヒーに入れたのは砂糖じゃなくて睡眠薬だったー!」


しがみつくような思いで見つめた先では、

先輩がわざとらしく笑顔で慌てふためいていた。


こ、この人ってやつは……。


「いやー、ごめんごめん。

でも、晶くんが死んじゃうと困るからね」


「騙し討ちして悪いけど、

無理矢理でも少し休んだほうがいいよ」


だったら、きちんと説明した上で、

自分から薬を飲ませて下さい――


そう言ってやりたくても、

もうほとんどか細い声しか出なかった。


意識がどんどん希薄になっていき、

考えていたことが全て暗闇に溶けていく。


自分への嫌悪感も、琴子姉さんの記憶も、

那美ちゃんへ謝り倒したい気持ちも、全てが全て。


そうして、コーヒーの匂いが薄れ、

目の前が暗くなり、意識が落ちる直前に――


「頑張って、晶くん。また後でね」


一際優しい先輩の声が、

聞こえたような気がした。





「……あー、そうだった。

それで、この部屋に運ばれてきたのか」


ここに至る前のことを何とか思い出して、

とりあえず、ここがどこなのかは把握できた。


かび臭い部屋――

簡単な設備とベッド、そして謎の宝箱。


恐らくここが、ABYSSの次のゲームとやらの会場、

もしくはその待機室なんだろう。


ただ、どうして僕は、手足をガチガチに縛られて

拘束されてしまっているんだろうか?


どうにか転がってベッドの周囲は把握できるけれど、

それ以上は何も分からない。


まさか、真ヶ瀬先輩が

縛ったまま放置したのか?


「動くな」


その疑問に答えるかのように、

突然、後方上部から冷たい声が降ってきた。


若い女の声――聞き覚えはなし。

一体誰だ?


考える間もなく、後頭部の辺りに圧力――

もしかして、ナイフか何かを突き付けられている?


転がって壁を見た隙に来たっていうことは、

もしかして最初から部屋に潜んでいた?


「これから幾つか質問をする。

でも、君はそのまま壁を向いたままだ」


「変な動きをしたら、すぐ死んでもらう。

嘘をついても同じ。分かった?」


逆らっても死ぬだけだと判断し、

背後の相手にYESと返す。


……拘束しておいて顔も見せずなんて、

かなり用心深いな。


少なくとも、相当場慣れしてる。


もしかすると、この子も黒塚さんと同じプレイヤーか、

あるいはABYSSなのかもしれない。


「君って一人?

他に仲間はいないの?」


「……状況が分からないからアレだけれど、多分、一人。

でも友達はこのゲームに参加してると思う」


「とりあえず、目が覚めたら今の状態だったから、

会った人はあなたが最初だよ」


「……君が大怪我してたのは、

誰に襲われたの?」


「ここに来る前に、ABYSSの男に。

同じ人間とは思えないような化け物だった」


「君はどういう経緯で

ラビリンスゲームに参加したの?」


「ゲームに参加してる友達を助けに。

友達は二人で、女の子で、戦うことができないから」


「……もしかしてその二人っていうのは、

佐倉那美と朝霧温子?」


「二人を知ってるのっ?」


「資料の上ではね。

今回のゲーム開催の切っ掛けになった二人だから」


「その二人を助けようとしてるってことは……

もしかして君、一年半前に活動休止したプレイヤー?」


「いや、違う。

僕はそもそもプレイヤーじゃないし」


「……嘘をついても、

何も得することなんてないんだけど」


ごりごりと後頭部に

硬いものを押しつけられる。


でも、違うものは違う以上、

本当のことを言う以外に、僕にできることはない。


「僕はプレイヤーじゃない。

嘘は言ってない」


「じゃあ、どうしてプレイヤーでもない人間が、

ラビリンスゲームに参加してるの?」


「それは……理由が複数ある、かな?

自分でもどれがどれとはハッキリ分からないんだけど」


でも、説明できるだけはしておこう。


そう思って、儀式の夜に紛れ込んだところから、

順番に掻い摘んで話した。


生け贄を連れた鬼塚と戦ったこと。

片山の儀式に乱入し、最終的に部長とまで対峙したこと。


御堂について聞いて来た男の件。

名前は言わないけれど、真ヶ瀬先輩の件。


そして、伏せるところは伏せつつ――

僕の特殊な生まれについて簡単に。


諸々を話すと、僕の話の整合性を考えているのか、

後ろの誰かがしばらく黙った。


……ちゃんと、

信じてくれるだろうか?


まさか、いきなり殺されるなんてことは

ないと信じたいけれど……。


「じゃあ、最後の質問。

君の名前は?」


隠すとためにならないと判断し、

笹山晶を名乗る。


と――『ああ』と溜め息みたいな声が聞こえてきて、

後頭部に押しつけられていた何かの感触が消えた。


ついでに、ロープを解いてくれたのか、

体の締め付けが消え失せた。


「もう動いていい。

君が敵じゃないってことは分かったから」


それじゃあと、

お言葉に甘えて手足を体を起こす。


「いきなり手荒な真似して悪かったよ。

でも、死ぬよりはマシでしょ?」


振り向いた先で、

女の子が銃を慣れた手つきで仕舞っていた。


とりあえず、年は同じくらいか?

ただ、目つきが一般人じゃない。


“判定”の音は――拳銃のコッキング音。

大きさは、薬を使う前の黒塚さんと同程度か。


「君のことはよく知ってるよ。

ABYSSの儀式を邪魔した部外者だって」


「……どうしてそれを知ってるんですか?

っていうか、あなたは?」


そんなことを知ってるってことは、

まさかABYSSなんじゃ……。


「ABYSSじゃないかって警戒してる顔だけど、

生憎、私はプレイヤーだよ。名前は須藤由香里」


「プレイヤー……っていうことは、

黒塚さんと同じなんだ」


「……その黒塚ってやつは全然知らないやつだけど、

そいつと私を一緒にして欲しくないね」


「部外者にプレイヤーだって知られるなんて、

どう考えてもプレイヤー失格だから」


「っていうか、君はどうして、

そいつがプレイヤーだって知ってるの?」


「それは……本人に聞いたからかな?

あと、その前に一回、襲われてるし」


ありのままに起きたことを話す。


と、須藤さんは手で顔を覆って、

『ああもう……』と項垂れた。


「とりあえず、そいつと話す機会があったら、

言っておくから。死ねって」


「う、うん……。

お手柔らかにお願いします……」


よく分からないけれど、須藤さんが

同業者に厳しいプレイヤーってことは理解した。


「まあ、そのバカのことはいいや。それで?

私に会ったのが最初って言ってたっけ?」


「あ、はい。そうです」


「じゃあ、説明会にも

出てないってことでいいんだよね?」


説明会……?


「……出てないみたいだな。

道理で、宝箱に携帯が入ってると思った」


「えっと……携帯って、僕の?

というか、宝箱ってそこの?」


「あー、分かった。一通り説明してあげる。

このゲームの内容と、普通の参加者の取る行動を」


面倒そうにしつつも――

須藤さんは色々と話してくれた。


このゲームの目的/進め方/携帯の機能

/アルカナの種類とゲームにおける役割。


そして、自分たちの首についている首輪と、

その作動条件。


「あれ? でも部屋の中が暴力禁止なら、

さっき銃を突き付けてたのって意味ないんじゃ……?」


「ええ。だから、そこを突っ込んでこないのを見て、

君が誰とも会ってないって話を信じたの」


ああ、なるほど。

僕の反応を見るのがメインの脅しだったってわけか。


「まあ、君が何の活動もしてなかったっていうのは、

大体予想はついてたんだけどね」


「この部屋に入ってみたらいきなり君が寝てて、

話しかけてみても意識がなかったし」


「それに、宝箱もそのままだったし、

よく見たら大怪我してうなされてたから」


「だったら、

別に縛る必要もなかったんじゃ……」


「私が外で動いてる間に目を覚まして、

勝手に出歩かれたりしたら困るだろ」


「怪我人だし、戦って負ける気はしなかったけど、

野垂れ死にさせたくなかったんだよ」


つまり、僕を助けるために、

縛って動けなくしたってことか。


やり方が荒っぽいのは間違いない。


でも、僕の携帯だって持ち逃げできたはずなのに、

それをせずに助けてくれたなんて……。


「ありがとう、須藤さん。

おかげで助かった」


「別にお礼なんていいよ。

私も好き勝手に使える駒が欲しかったところだし」


はい? 使える駒?


「説明を聞いてて分かったと思うけど、

このゲームは徒党を組んだほうが基本的に有利だ」


「でも、知らない連中と組むのは面倒だろ?

裏切られるのもそうだし、意思統一の問題もある」


「だから、私が主導権を握れて、

かつ少しでもマシなのと組みたかったってわけ」


例え怪我人でもね――と、

須藤さんが僕の額にデコピンをかましてきた。痛い。


「君も、仲間がいたほうが色々と楽でしょ?」


「それはそうだけれど……

僕は早く友達を助けに行かないと」


「そんな体で助けられるの?

今の君じゃ、女の子の足すら引っ張るんじゃないの?」


うぐっ。

痛いところを突かれた。


実際、僕の体調は

まだまだ酷いものだった。


幾ら回復力があると言っても、満足に戦闘するには、

もうしばらく時間がかかるだろう。


「ほら、自分でも分かってるだろ?

体が治るまでは、大人しく私と一緒に動けって」


「なに、悪いようにはしない。

とりあえず絶対服従してもらえばそれでいい」


「いやそれ、

物凄く悪いようにされてる気が……」


「いいからさっさと決めろって。

私に従うのか、従わないのか」


悩むまでもなく簡単な問いだろう――と、

須藤さんが淡い笑顔で僕を見下ろしてくる。


断る選択肢は……ないよな。


このゲームについて僕は知識がないし、

何より戦える状態じゃない。


話に聞いた怪物や、悪意のある参加者に遭ったら、

それこそ一方的に殺されて終わりだろう。


その点、ゲームを既にある程度進めていて、

プレイヤーでもある須藤さんが一緒なら心強い。


徒党を組むほうが有利なのも間違いないし、

この先を思えば考える余地はなかった。


「従います……」


「よろしい。じゃあ、まず最初の命令。

とりあえずそれを食べること」


五分以内ね――と、

須藤さんが僕に軍用食料レーションを押しつけてくる。


……絶対服従って言ってたけれど、

失敗したかな、これ。









カジノエリアを出て数分ほどで、

那美はかつてない心細さを覚えた。


思えば、一人でまともに迷宮を探索して歩くのは、

今回が初めてだ。


温子を探す時に、一人で走り回りはしたが、

あの時は恐怖を感じている余裕はなかった。


死んでも構わないという気持ちも、

確実に存在していた。


しかし、今は違う。


温子と迷宮を脱出するために、

生きて有利な状況を作り出さなければならない。


途端に、怪物との遭遇が

/曲がり角の向こうの闇が、恐ろしく感じられた。


怪物を呼び寄せるのではないかと、

足音一つにまで気を遣うようになっていた。


頼みの綱の“隠者”は、

田西に奪われてもうない。


この先は、那美一人の判断で

何もかもを決める必要がある。


「……そろそろまずいかな?」


那美が荷物の袋を体に巻き付けて、

駆け足で移動を始める。


温子の助言その1――“怪物との遭遇に備えて、

部屋から走って三分以上離れた場所には長居しない”。


温子の実験した結果によれば、

怪物の行動はある程度、制御されているらしい。


参加者を追いかける時は、その逃走速度よりも

僅かに上の速度で追いかけてくるとのこと。


ただ、最低速度が設定されているのか、

普通に逃げていると走って来るという話だ。


つまり、小走りで逃げ始めて、

部屋に着く直前で全力で走れば逃げ切れる。


部屋まで逃げ込めば侵入してくることはないため、

部屋から三分以内の場所なら遭遇しても何とかなる。


それ以上離れた場所を歩く時は、

なるべく早足で長居しないようにすればいい――


そんな助言に従って、

那美が迷宮を小走りで駆けていく。




新たな部屋を見つけたのは、

それから五分後だった。


が、既に誰かが到着した後らしく、

カードとアイテムは入手できなかった。


やむなくベッドに腰だけかけて、

上がった息を整える――今後について思考する。


那美が先日集めた小アルカナは4枚。


他のチームも同数を集めていると考えると、

五チームいたとしても二十枚は消えている計算になる。


もし、これが七チームなら二十八枚――

半分以上の部屋が通過済みという話だ。


となると、通行の多いだろう迷宮の中央付近の部屋は、

ほとんど全滅の可能性がある。


もしかすると、迷宮の端のほうの部屋を狙って、

探索していくべきなのかもしれない。



――そんな那美の予想は、当たっていた。



「やっと見つけたぁ……!」


迷宮の端付近まで移動する途中の部屋で、

聖杯ハートの6の小アルカナを手に入れることができた。


途中で三回も怪物と遭遇し、

逃げ延びた末の発見――


迂闊にも涙が出て来そうになり、

慌てて目を擦る。


たった一枚のカードとはいえ、田西に全て奪われた今、

この一枚を足がかりに進めていくことになる。


温子の助言その2――

“できるだけ多種のカードを集める”。


提示されている脱出条件としては、

『同じ数字のカードを四枚集める』とある。


が、四枚を一人で集めきることは難しく、

他の参加者との交換がまず必須になるとの予想だった。


その際、有利になるのは、

多種のカードを保持していたほうだ。


例えば、那美が6のカードを三枚保持しており、

相手の持つ6のカードを欲しがったとする。


その際、相手が交換の条件として、

6を除く全てを要求してきたらどうするか。


交換の条件としては、

圧倒的に不利であることは間違いない。


が、脱出条件の達成を目指すのであれば、

全てを要求されたとしても交換することになるだろう。


何故ならば、その機会を逃してしまえば、

再び6のカードを手に入れられる保証がないからだ。


カウントに変換されてしまうかもしれないし、

持ったままクリアされてしまうかもしれない。


あるいは、持ち主が怪物に襲われて、

抱え落ちするかもしれない。


諸々の可能性を考えれば、機会を見つけたなら、

多少の無茶な要求でも飲むのが普通だ。


それはつまり、多種のカードを持ってさえいれば、

那美が相手に無茶な要求を通せるということでもあった。


“――ただし、相手に負けない暴力が必須”。


「……そうだそうだ。

交渉する時のことも考えないと」


上手くいった時のことだけを考えていないで、

上手くいかない時を重点的に想定しなければ。


温子の注意を思い出しつつ、

さらに宝箱を漁る――袋を見つける。


中に入っていたのは、食料と水、

それから大振りのナイフだった。


「水と食料はいいけど……

ナイフこっちはダメかなぁ」


温子の助言その3――

“役に立たない半端な武器は持たない”。


同じ一般人ならともかく、相手が怪物やABYSSでは、

近接武器を持っていたところで何もできない。


逆に、武器を持てば、

気負いや過信が生まれてしまう。


もしも持つとすれば、

遠距離からでも威嚇になるものがいい。


銃やボウガンなど、見た目にも威圧感のある武器なら、

使えずとも持っているだけで効果がある。


一人の時は、これがないと交渉もできないので、

なるべく早く武器を見つけること――


そんなメールの文面を思い出しつつ、

那美がひとまずナイフを袋に仕舞った。


温子は使えない武器を持たないほうがと言ったが、

やはり使えずとも何もないのは不安だった。


それに、ナイフであれば、

武器以外の用途もある。


使えなければ捨てればいいし、

持っていかないという手はないだろう。


「……でも、早く使える武器を見つけないとなぁ」


ここに来て、手ぶらの怖さを

那美は改めて感じ始めていた。


怪物は部屋に逃げ込めば対処できるとしても、

他の参加者は部屋まで追ってくることが可能だ。


部屋内は暴力禁止ではあるが、

出た瞬間に襲われたのでは対処にならない。


他の参加者に会うよりも先に、

何とか武器を手に入れないと――





「あら、どうもこんにちはー」


しかし、武器を手に入れるよりも先に、

見知らぬ男とばったり出くわした。


部屋を出てから五分が経ち、

歩きから小走りに変えた矢先の出来事だった。


那美の脳裏に過ぎる後悔――

足音を消さなかった/足音に気付かなかった。


しかし、出会ってしまった以上、

幾ら行動を悔いても遅い。


いつでも逃げ出せるように足を置き、

袋の中に手を突っ込んでナイフを握り締める。


「あれ? それとも今は、こんばんは?

おはようございますかな?」


「あっ、そうだ。

こういう時は万能挨拶、ごきげんよう!」


笑顔で手を挙げる男――深夜拝。


場違いな明るさ/場違いな挨拶/場違いな笑顔――

えっと、何この人?


戸惑いつつも、

那美が『ごきげんよう』と返答する。


途端、深夜のぱちぱちと手を叩き、

それから『やったー』と諸手を挙げて喜びだした。


「いやー、やっと普通の人に会えた。

挨拶が返ってくるって素晴らしいなー」


「で、ちょっと聞きたいんですけどー、

ここはどこですかね? どこかのビルの地下?」


言われている意味が分からず、

那美が困惑を浮かべつつ黙り込む。


「あれ、もしかして君も知らない感じ……?

参ったなぁ、早くここを出たいんだけどなぁ」


深夜がぼさぼさの頭を掻いて、

口をへの字に曲げてうむむと唸る。


その様子を見て、

那美はふとした疑問に至った。


「あの……ひょっとして、

説明会に参加されてないんですか?」


「え、説明会? 何それ?」


「この、ラビリンスゲームの説明会です。

携帯にメールが来てたと思うんですけど……」


「えっ、ホントに?

そんなの来てたの?」


深夜がおたおたと携帯を取り出し、

メールを確認する。


「うわっ、ホントだ来てた!

しかも何か開封されてるし!」


ちょっと待ってよ勘弁してよーと

頭を抱える男。


が、それも一瞬。


すぐさま仕方ないやと割り切って、

携帯を仕舞って那美のほうへと顔を向けてきた。


「あのー、ちょっと聞きたいんですけど、

あなたって説明会に出席されました……?」


「ええ、まあ……一応は」


「おー、よかった。それじゃあお願いなんですけど、

その内容を教えてもらっていいですか?」



「……ついでに、お弁当なんかも持ってたら、

少しだけ分けて欲しいなーなんて」


男が両手を合わせて拝んでくる――

那美の顔の戸惑いが猜疑さいぎへと変わる。


説明会に出ていないと男は言ったが、

果たしてそんなことがあるのだろうか。


説明会に出ないままで、

ここまで無傷で生きて来られるのだろうか。


仲間が欲しい気持ちはあるものの、

さすがにこうまで怪しい人物は――


そこまで考えたところで、

那美の脳裏にふと、田西の顔がぎった。


……そうだった。


田西のように表面上は優しくても、

裏で何を考えているのか分からない人間はいる。


結局は、上辺だけの情報で判断するのではなく、

きちんと中身まで踏み込んで見るしかない。


それに、この男が本当に困っているなら、

何も教えないのは見捨てるのと同じだ。


「……分かりました。

それじゃあ、近くの部屋に行って話しませんか?」


「お、本当ですか?

よかったー、いい人と会えて」


部屋であれば、怪物と遭遇する心配もないし、

何より暴力行為は禁止だ。


そこでなら、少ないリスクで

この男がどんな人間かを見極められるかもしれない。





「へぇー、そんなことになってたんですね。

変なことに巻き込まれてたんだなぁ」


「でも、佐倉さんのおかげで、

どうにか死なないで済みましたよ」


ありがとうございます――と、

深夜が頭を下げる。


那美は一通りゲームの説明をしたのだが、

彼の反応はどれも、初めて聞く風だった。


そこに演技めいた所作は見られず、

どうも嘘をついているようには思えない。


それ以外に得た情報は、深夜拝という彼の名前

/彼の記憶障害/彼の持ち込んだもの――鉛筆。


そしてもう一つ。

これは情報というより感覚だが――


那美は彼に、

どこか晶に近いものを感じていた。


別に姿形が似ているわけでもないし、

性格が似ているわけでもない。


ただ、その在り方というか、毛色が、

出会った頃の晶に近いのだ。


羽のように、いつでもどこかに飛んでいって、

消えてしまいそうな――


それでいて、そんな自分を大事にせずに、

消えることを無抵抗に受け入れてしまいそうな雰囲気。


もしかすると、記憶障害が、

彼をそういう風にさせているのかもしれなかった。


「それで、佐倉さんはこれから

どうするつもりですか?」


「えっ? どう……っていうのは?」


「もし何も予定がないようなら、

僕も一緒にいけると助かったりするんですけど……」


ダメですかね――と、

深夜がはにかみながら問うてくる。


味方を求めていた那美としては、

願ったり叶ったりという提案。


しかし、それには

“深夜に害はない”という条件があった。


問題は、その条件を

どうやって確かめるかだが――


「……そうだ。その前に、

深夜さんの大アルカナを見せてもらっていいですか?」


「えっ? 大アルカナ?」


「さっき説明した、

ゲームを有利に進めるためのアプリです」


「あぁー、そういえばそんなことを

聞いたような聞いてないような」


もしも深夜が嘘をついているなら――

本当は説明会に出ていたなら、恐らく拒否される。


害の有無を判断するには少し弱いが、

少なくとも嘘をついているかどうかは分かるはずだ。


「いいですよ。はい、どうぞ」


深夜はごくあっさりと、

那美に携帯を手渡してきた。


「あれ、佐倉さん?」


「あ――は、はいっ。お借りします」


あまりにも簡単に/無防備に、

深夜は携帯を預けてきた。


その無遠慮な――あるいは那美を信じ切った様子に、

試すつもりが、逆に申し訳ない気分になってくる。


ただ、今さら試していましたと明かすわけにもいかず、

ひとまず携帯を操作――大アルカナを起動。


「“死神”……ですか」


「お、どんな効果なんでしょ?」


持ち主である深夜も初めて見るのか、

那美の後ろに回って画面を覗き込んでくる。


『対象の小アルカナ、もしくは大アルカナを

一枚だけ無条件に破壊する』


『この能力はゲーム中に一度しか使うことができない』


「うーん……相手を攻撃するだけで、

何か自分の脱出には役に立たなさそうだなぁ」


「みたいですね。

“死神”らしいと言えばらしいですけど」


「こんな機能なら、

いつでも食料が出る機能のほうがよかったなぁ」


那美から携帯を受け取りつつ、

深夜が残念そうな笑顔を浮かべる。


「そういえば、佐倉さんの大アルカナは

どんな感じなんですか?」


「私のは……“隠者”だったんですけど、

もう他の人に取られちゃったんです」


「取られたって……

随分酷いことをする人がいるんだなぁ」


「そんな人がいるなら余計に、

一緒に行動したほうがよさそうですね」


「そうですね」


色々と疑ってはいたものの、那美は既に、

深夜に関しては信用しようと決めていた。


自分にできる範囲で確認はした。

その結果、嘘はついていないと思った。


片山のゲームの時に、温子に言われた通り、

後はもう信じるしかない。


深夜が笑顔で手を差し出してくる。


「それじゃあ佐倉さん、

よろしくお願いします」


「はい、よろしくお願いします」


那美もまた笑顔で、

その手を握りかえした。


新たな同行者の手は、やはり男らしく、

那美の手よりも一回りほど大きかった。



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