琴子、夜の街へ2

「――なんか最近よぉ、

佐倉さんが可愛くなったと思わねぇ?」


二時限目の休み時間――


いつものように集まって雑談していた中で、

そんな話題が飛び出してきた。


「確かに、先週から変わった感じはあるな。

雰囲気が柔らかくなった」


「だろっ?

やっぱそう思うよな?」


「やっぱこれはアレだな。

俺が佐倉さんを恋に目覚めさせてしまったから……」


「……三橋くん、

佐倉さんに何かやったの?」


「人聞きの悪いこと言うんじゃねぇよ。

俺は佐倉さんと抱き合っただけだ」


「通報しようか」


「構わん、やれ」


「ちょっと待てよお前ら!

人の恋路を邪魔する気か!?」


「いいことを教えてやろう三橋。

恋路に見えるそれは、絞首台への階段だ」


「っていうか、本当に抱き合ったの?

三橋くんが? 佐倉さんと?」


「背後から一方的に抱き付くのは

抱き合うとは言わんぞ?」


「ちゃんと正面からだ、問題ない」


「じゃあ、何秒?」


途端、三橋くんが笑顔のまま固まった。


「いいところを突くな笹山。

ほら、何秒だ三橋。答えろ」


「れいてん、さんびょう……くらい」


「はい解散」


「いやぁ、俺は驚きだぞ?

予想していたよりずっと長かった」


「お、お前らなぁ……」



「……ん?」


三橋くんが歪な笑みを浮かべたところで、

勢いよく開いたドアが開いた。


その先にいたのは――


「佐賀島さん……?」


「あん? 何で一年の女子が

うちのクラスに来てんだ?」


何でだろうねー、と言おうとしたところで、

佐賀島さんと目が合った。


そして『あれ、もしかして僕?』という疑問が、

確信に変わるよりも早く――


「笹山先輩」


躊躇した様子もなしに、

佐賀島さんが真っ直ぐ僕の席へとやってきた。


「今、時間大丈夫ですか?」


「あ……う、うん。

大丈夫だけれど」


「よかった。

大事な話があるんで、ちょっと来て下さい」


「大事な話だとォー!?」


机をがたがたと揺らして

立ち上がる三橋くん。


というか、僕の後方複数の方向で、

机ががたがた揺れた気がしなくもない。


そんな物音やら何やらに動じる様子もなく、

佐賀島さんが三橋くんの顔を見上げる。


「お取り込み中でしたか?」


「そのとーり。ちょうど俺たちは、

如何にして女を断つか話し合っていたところだ」


……えっ?


「なあ宇治家!?」


「ああ。ついさっき笹山も、

『僕は一生彼女を作らない』と宣言したばかりだ」


「ちょっと待って!

僕そんなこと一言も言ってないよ!?」


「つまーり! 笹山は攻略不可能!

分かったら、俺に連絡先を教えてさっさと帰んな!」


「ちょっと何を言ってるのか

分からないです」


「あらやだ、

この子目が冷たい!」


いや、明らかに三橋くんが原因でしょ。


「申し訳ありませんが、

茶番なら今度にしていただけますか?」


「次の休み時間にまた来るのは面倒なんで、

この時間で済ませたいんです」


真っ正面から言い切って、

佐賀島さんが僕の制服の袖を掴んできた。


「さあ行きましょう」


そのまま引きずられるような形で、

椅子から立ち上がる/廊下へ連れて行かれる。


そうして、教室を出る間際。


色んな人が、色んな顔で、

僕らを見送っているのを目の当たりにして――


帰ってきた時に待ってるだろう質問攻めを思い、

暗澹たる気持ちに包まれたのだった。



……こんな大騒ぎまでして、

僕に話したいことってなんだろう?


もしかして、ABYSSについて、

何か分かったって言うんじゃないだろうな――





――そんな僕の予想は、

幸か不幸か思い切り外れていた。


「琴子の様子が変?」


「はい。あの子、

最近何かあったんですか?」


「あー……僕の知ってる限りだと、

特にはないかな」


もちろん、あるにはあった。


けれど、それを言うわけには

いかないわけで。


「ふーん……まあいいです。

先輩の顔に免じて敢えて追求はしませんから」


う……上手く隠したつもりだけれど、

やっぱりバレてるのかな。


いやでも、かまかけの可能性もあるから、

ここは僕も知らない振りをしておこう。


「それより、

様子がおかしいっていうのは?」


また、夢遊病みたいな症状でも出たのか?


それとも、男性恐怖症になったとか、

物音に過敏になったとか?


「いきなり無表情になって

無口になったり」


……はい?


「物音にやたら敏感になる時があって、

猫みたいな速さで距離を取って身構えたり」


「笹山さんの後ろを通るだけで

ガンを飛ばしてきたり」


何だそれ?


琴子がそんなこと

するわけないと思うんだけれど……。


「なに? 信じられないって苦情なら、

受け付けてないんだけど」


「……じゃあ、ホントに?」


「でなきゃ、

わざわざ呼び出しになんて来ないですってば」


「本当は電話かメールでとも思ったんだけど、

もし携帯忘れてきてたらって考えるとね」


「もし手違いが起きて、

先輩の携帯を笹山さんが見たら大惨事だし」


ああ……それは確かに。


でも、あの琴子が昔の僕みたいな行動を取ってるなんて、

ちょっと想像できない。


と、僕のそんな思考を、

佐賀島さんは予想していたのか――


まるで用意していたかのように、

『それじゃあ』という言葉を口にした。


「そんなに信じられないなら、

自分の目で確かめてみたらどうですか?」





そうして訪れた昼休み。


佐賀島さんのメールに誘われて行ってみると、

一年のクラスの一角に謎の光景が展開していた。


三人が寄り集まってお弁当を広げている。

まあ、それはいい。


問題は、その三人組が醸し出している、

周囲と明らかに隔絶した雰囲気……!


「何だ、あれ……?」


一人は、謎のテンションで喋り続けながらも、

不思議な力でお弁当を確実に減らしていく女の子。


どことなく有紀ちゃんに似てるその子を、

琴子が以前“ゆんゆん”と呼んでいたことを思い出す。


もしかしてあの子の名前も

“ゆき”なんだろうか?


さておき――問題はその右隣。


こちらには、絶えずとにかくひたむきに仏頂面のまま、

黙々と口をもくもくさせている我が妹の姿があった。


っていうか『えっ、嘘? あれウチの妹?』

って感じなんだけれど……。


ちょっと琴子さん、

なんかいつもと違くないですかね……?


若干、信じたくない気持ちで、

三角形の最後の一角へと視線を移す。


そこには、目の前の不思議空間を物ともしない、

佐賀島さんの凛とした顔があった。


機関銃のような話にも的確に返しつつ、

琴子に突っ込みもせず――なのに自然な同席。


どうして平然としてられるんだという意味では、

佐賀島さんが最も理解不能かもしれない。


そんな三人の異様な雰囲気が、

昼休みの教室にざわめきを起こしていた。


何というかまあ……。


……何だこれは?


琴子がおかしいなんて嘘だろうと思って来てみたら、

事実は想像を遥かに超えていた。


無愛想は無愛想でも、

こんなの、不機嫌とかいうレベルじゃない。


人格から変わってしまったみたいだ。


アレは本当に琴子なのか……?


「――うっ!?」


いきなり飛んできた琴子の鋭い視線に、

慌てて出していた頭を引っ込める。


まさか……僕が観察していることに気付いた?


いやいや、気配は消してたぞ?

気付かれるわけが――


「おい」


って、やっぱり気付かれてた!


琴子の足音がずかずか近づいてくる――

それから逃げるべく、気配を消して速やかに移動する。


そうして隣のクラスに飛び込んだところで、

琴子が廊下へと飛び出してきた。


獲物を狙う猫のような目と動作で、

機敏に左右を窺う琴子


その目が、僕がついさっきまで隠れていた辺りで、

友達と談笑していた一年男子を捕らえた。


「お前か」


男子生徒の胸ぐらを、

琴子が迷わず掴み取る。


困惑する男子生徒。


けれど、否定する間を与えられることはなく、

綺麗に男子生徒の体が一回転した。


さらに、流れるような動作で

男子生徒の体を押さえ込み――制圧完了。


「監視の目的は何だ?

何を企んでる?」


声を出せる程度に締め上げながら、

耳に齧り付くような近さで男子生徒へ囁く琴子。


それに対して、

男子生徒が暴れながら冤罪を訴える。


でも残念、そこまで完璧に押さえ込まれると、

どうやっても解けないんだよなぁ。


というか、思い返すと凄いな今の動き。

一分の無駄もなかったぞ。


「……いや、

感心してる場合じゃないな」


信じられないけれど、信じざるを得ない。


あの琴子が、男子生徒を一瞬で投げ飛ばして、

抵抗も許さずに押さえ込んだ。


おかしいのは間違いない。


一体、琴子に何が起きてるんだ?


「……しぶといな」


っと、考え事してる場合じゃないな。

早く琴子を止めないと。


……と思ったものの、

男子生徒の顔を見たら、一瞬でその気が失せた。


あいつ、何で嬉しそうにしてるんだ……?


というか、より琴子に密着するように、

体まですり寄せてないか?


うちの琴子にそんなことをしでかすとは、

いい度胸をしてるじゃないか。


お兄ちゃんが許す。

琴子、そのままやってしまえ。





「……で、どうでした?

昼休み、ちゃんと見に来てくれましたよね?」


「うん……

正直、想像以上だったかな……」


普段の琴子からはかけ離れているどころか、

完全に別人状態だった。


幾らABYSSに襲われたことがあっても、

ああも攻撃的になるとは考えづらい。


だから、他に原因が

あると思うんだけれど――


「いつからああなったの?」


「月曜からです。

って言っても、一日中じゃないですけど」


月曜か……

何か特別なことあったっけ?


「本当に、心当たりはない?」


本当はありますよね――と裏から滲ませて、

佐賀島さんが僕の目を見据えてくる。


でも、残念ながら本当にない。


無理やり心当たりを探すなら、

夢で怖い思いをしたくらいだ。


「じゃあ、最近の付き合いに

問題があるとかは?」


「というと?」


「『朱に交われば赤くなる』です」


……誰か悪い友達ができて、

その子が琴子に悪影響をもたらしてるって話か。


「僕の知る限りではないと思うけれど、

ちょっと観察してみるよ」


「そうして下さい。

私もあんな雰囲気でご飯食べるの嫌なんで」


「ああ、あれってやっぱり嫌だったんだ」


「そりゃ嫌ですよ。疲れますし」

耐えられるってだけの話です」


平然としてたから、

あんまり気にしてないのかと思ってた。


でもまあ、そういうことなら、

早く解決してあげないといけないな。


「オッケー。

何か分かったら連絡するよ」


「お願いします」





……とは言うものの、琴子の交友関係を、

一体どうやって調べたらいいものか。


一番簡単なのは電話を見ることだけれど、

琴子の電話は新しくしたばっかりなんだよなぁ。


電話帳を新しく登録しなきゃって言ってたから、

データも恐らく全部なくなったんだろう。


幾ら変化が表に出始めたのが月曜からとはいえ、

あれだけ染まるには相当な時間が必要なはずだ。


他に思いつくのは琴子の尾行だけれど、

昼間みたいに気付かれる可能性がある。


となると……。





「やっぱり、これしかないか」


琴子が風呂に入っているのを見計らって、

琴子の部屋を漁る。


琴子も女の子の例に漏れず、お風呂の時間が長いから、

そこまで時間を気にする必要はない。


時間よりも、証拠を残さないほうに気を遣って、

慎重に探索を行わなければ。


「でも、この言い知れぬ罪悪感よ……」


琴子が悪の道に進まないため、という大義はあれど、

やってることが最低なのは間違いない。


家族だろうと、

プライバシーがあるのは当然だ。


それを今、

僕はないがしろにしようとしているわけで。


「……いや、強い心を持とう」


琴子のためと割り切って、

机やベッドの周りを調べていく。


よく整理整頓されているおかげで、

資料を選り分ける苦労はほとんどない。


このぶんなら、

何かあればすぐ見つかるかな……。


っと、早速使えそうなの発見。


メモ帳の延長線にあるような日記帳。

最近になって買ったのか、装丁が新しい。


ただ、使っていないわけではないらしく、

側面の一部が汚れてたり折れてたりしていた。


これなら、手掛かりも期待できそうだ。


「ごめんなさいっ」


手を合わせて、日記帳を開く。


後ろめたさがあるのは当然として、

ちょっとだけ楽しいのも間違いない。


やっぱり、普段は口にしていない

琴子の内面が出ているんだろうか――


「……あれ?」


中身は、予想していたのと

だいぶ違っていた。


琴子が日々を綴ったものかと思いきや、

実際のところは交換日記らしい。


ざっと見たところ、筆跡は二つ。

琴子ともう一人の二人だけで交換しているんだろう。


「相手の子の名前は……

ミコでいいのかな?」


琴子の筆跡を負っていくと、

相手のことを『ミコちゃん』と呼んでいた。


名前からすると、恐らくは女の子だろう。

それにしては字が汚いけれど。


「っていうか、

内容も凄いなこれ……」


絡んできた男を足腰立たなくしたとか、

気絶させて逆さ吊りにしておいただとか。


ナイフの所持も込みで琴子に止められてるけれど、

止めなければ持ち歩いていたってことだろう。


恐ろしいことに、鬼塚の名前まで出ていて、

復讐してやるとか何とか書いてある。


琴子がやられたと聞いての義憤にしても、

ちょっとじゃないレベルで過激すぎだ。


鬼塚に復讐してやろうなんて、

怖い物知らずを通り越して死にたがりまであるぞ。


まさかこの子、

ABYSSじゃないだろうな……?


もしくは、プレイヤーとか。


であれば、鬼塚にどうこうも分からなくもないし、

琴子に体術の手解きをしたというのもあり得る。


というか……だとするとアレか?


片山一味から佐倉さんと琴子を助けたのは、

このミコって子だったりするとか。


……交換日記が始まったのは、

つい最近っぽい。


ページをぱらぱらめくってみるも、

使ってあるのは最初の数ページだけ。


もし、それ日記以前からの付き合いでなければ、

知り合って間もないということになる。


そのきっかけが、

片山一味から助けてもらったことだとしたらどうだ?


琴子がおかしくなり始めた時期とも、

上手いこと合致するし。


「筋は通りそうだな……」


謎があるとすれば、

佐倉さんがミコって子の正体を隠した理由か。


本人に口止めされていたとか?

可能性としてはなくもないけれど。


まあ――そこは些末事だから

置いておくとして、だ。


琴子が変わった原因はハッキリした。

このミコっていう子だ。


ただ……どうやって解決するか。


可能であれば、

琴子には日記を見たことを知られないまま対処したい。


となれば、アクションを起こす対象は琴子じゃなく、

ミコっていう子になるけれど……。


そのミコって子に、

上手く連絡を取れるだろうか?


「……とりあえず、

佐賀島さんに連絡かな」


必要な情報は得られた。


後々の対策に関しては、

佐賀島さんと話し合って決めよう。


それと、念のため龍一にも

メールを送っておくか。


もし、ミコって子がプレイヤーかABYSSなら、

龍一のほうで何か知ってるかもしれない。


しかしまあ……ABYSSの調査が終わったと思ったら、

今度は別の調査が始まるのか。


命がかかってないだけ

マシだと思うことにするか……。



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