咲くと見しまにかつ散りにけり








――僕は、暗殺者だった。


人が死ぬところなんて何度も見てきたし、

僕自身も死ぬような思いをしてきた。


家族はみんな人殺し。

そして……自分が忘れてただけで、僕も人殺し。


他の誰かが死ぬことで、

僕らはご飯を食べられる。


それは逆に、僕らが死ぬことで得をする、

他の誰かがいるということでもあるわけで。


そういう連中に、

御堂の家が滅ぼされて――


僕は、人殺しの必要のない、

普通の世界へと放り込まれることになった。


詰め込んできたものが全く必要とされないそこでは、

僕の中身は空っぽも同然だった。


見える世界は灰色で、どう生きればいいのか、

僕の居場所はどこなのかも分からない。


でも、誰も何も教えてくれない。


“義務感”と“疎む気持ち”の折り合う地点でしか

接触を持ってこようとしなかった叔父と叔母。


怖がって遠巻きにしか眺めてこない妹。


死にたがりとしか思えない、

隙だらけの人たち。


誰も彼も、同じ人間とは思えなくて――

でも、この世界においては彼らが普通であって。


独りになった僕は、暗殺者から

“よく分からない何か”になった。


そんな僕の前に、

ある日、美しい鳥が舞い降りてきた。


それにぼんやり見とれていると、彼女は、

何も考えることなく僕の手を取ってくれた。


『君が必要だから』と言ってくれた。


そうして――灰色だった世界が、

徐々に色鮮やかになっていった。


彼女は、僕にこの世界の生き方を

/楽しみ方を、全て教えてくれた。


色んなことがあった。


泣いたり、笑ったり、がっかりしたり、怒ったり、

毎日が新鮮だった。


友達ができたり、

二人だけの秘密ができたりもした。


空っぽになった僕の中に、

どんどん新しいものが詰め込まれていった。


彼女に共鳴し、

そうした日々を繰り返すうちに――


“よく分からない何か”は、

いつの間にか“普通の人”になっていた。


ひところそうと頑張っていた日々は、

たまに思い出す程度。


その代わりに、

いつも新しいことを考えるようになった。


この優しい世界が大好きだった。


そして、そんな世界へと僕の手を引いてくれた

那美ちゃんのことが、大好きだった。






……目が覚めたら、目尻から零れた涙が、

こめかみを濡らしていた。


ぼんやり光っている天井の照明が眩しくて、

手をかざす。


と、そうして掲げた手が、

血で茶色く汚れているのに気付いた。


……そうか。

夢じゃなかったんだな。


「晶くん……大丈夫?」


呼びかけられて目を向けると、

温子さんが今にも泣きそうな顔で覗き込んでいた。


「よかった……。

もしかすると、もう起きないんじゃって思ってた」


「晶くんに何度も呼びかけたのに、

全然起きてくれなかったから」


「……温子さん、どうしてここに?」


「須賀さんに連れてきてもらったんだ。

晶くんが一緒にいるからって」


「それで……佐倉さんのことも、聞いた」


「……そう」


「私が悪いんだ。私が大事な勝負で負けたから、

佐倉さんを一人にしてしまったんだ」


「いや、佐倉さんを一人にしない選択肢だってあった。

私が全部、間違った選択をしたから……」


温子さんが、顔を俯ける。


白くなるほど握り締めた拳を震わせて、

嗚咽を堪えるように静かに息を吐く。


でも、それは間違いだ。


「温子さんのせいじゃないよ」


温子さんが傍にいたところで、人殺しからすれば、

そんなのは獲物の数の違いでしかない。


佐倉さんが殺された原因に、

温子さんは関係ない。


「悪いのは、那美ちゃんを殺したやつだ。

それと――」


一番悪いのは、

間に合わなかった僕だから――


「……晶くん?」


「何でもない。

それより、今の状況を教えてもらっていい?」


温子さんが、じっと僕の顔を見てくる

/何か思うところがあるのか眉根を寄せる。


けれど、結局は何も言わずに、

『ああ』と小さく頷いた。


それから、僕が寝ている間に何があったのか、

一通り話してもらった。


那美ちゃん、羽犬塚さんを含み、

既に多くの死者が出ていること。


参加者の中に、

龍一や聖先輩がいること。


須賀さんは、知り合いだという

四日目に出現した特別な怪物に会いに行ったこと。


五日目に入ったことで、

どの部屋/エリアでも暴力が許可されたこと。


同時に、最後の特別な怪物が

迷宮内に現れたこと。


そして――


「脱出できるだけの小アルカナは、

あと二人ぶんしか残ってないの……?」


『嘘でしょ?』と聞き返すと、

温子さんは遣る瀬無いといった様子で首を横に振った。


っていうことは、本当に、

あと二人しか助からないのか……。


「それも……多めに見積もって、二人ぶんだ。

もしかすると、もう残ってないかもしれない」


「一応、高槻先輩が持っていた大アルカナがあれば、

最悪でも一人ぶんは何とか確保できると思う」


「こっちは森本先輩にメールを送って、

回収してもらうようにお願いしてるところだよ」


「田西が高槻先輩のぶんの大アルカナまで

賭けていないことが前提だけれどね……」


多くても二人。

最悪の場合は一人だけ。


助けたい人はもっと大勢いるのに、

その中から誰か一人を選べっていうのか?


……勘弁してくれ。

そんなの、できるわけがない。


「何でこんなことになるんだ……」


「晶くん……」


「僕は普通の世界に来たはずなのに、

どうして、こんなに人が死ななきゃいけないんだ」


那美ちゃんが死んで。羽犬塚さんも死んで。

これからさらに、何人も死ぬ?


意味が分からない。

どうして、こんなことになるんだ?


僕は罰を受けて当然の化け物だとしても、

他のみんなは、何も悪いことなんてしてないのに。


理不尽過ぎる。

あんまりだ。


「……私も晶くんと同じ気持ちだよ。

でも、もうカウントに回す小アルカナもないんだ」


「何とか一人でも多く生き残れるように、

許された時間でとにかく動くしかない」


「だから、晶くんの大アルカナについて教えて欲しい。

機能によっては、それで何か――」


と、話の途中で温子さんが固まった

/口を開けたまま目を見開いた。


何かあったんだと直感――

その視線を追って背後へと見返る。


「逃げ出したと思ったら、

こんなところにいやがったとはな」


そこには、初めて見る目つきの悪い男が、

鉄パイプを片手に部屋の入り口に立っていた。


「藤崎……」


「女如きが人間様の名前を

気安く呼んでんじゃねぇ!!」


鬼の形相に血走った目をぎらつかせて、

藤崎と呼ばれた男が大声で部屋を震わせる。


それから、鉄パイプを引きずりながら、

部屋の中へと侵入してきた。


「おい。森本聖はどこだ?」


「い、いや……知らない」


「ああそうか。じゃあ死ねよ」


「ちょっと待ってくれ! 本当に知らないんだ!

森本先輩とはまだ一度も会ってなくて!」


「森本聖の連絡先を持ってるテメェが、

会ってねぇわけがねぇだろうが」


「どのみち、勝手に逃げ出したテメェは

ブッ殺す予定だったんだ。大人しく死ねよ」


「……頼む。見逃してくれ。

何を要求してもらってもいい」


「ああ? 何だそりゃ?

それが人様に物事を要求する態度かぁ?」


足下を鉄パイプで叩く藤崎。


それに、温子さんが下唇を噛む

/膝を折ろうと前屈みになる。


「温子さん。

そんなことしなくていいよ」


その動きを、肩を掴んで止めた。


「晶くん……でもっ」


「こんなやつに、

温子さんが頭を下げる必要なんてない」


温子さんと入れ替わりで、

怒りに震える男の前へと出る。


「お前……ABYSSなんだよな?」


「だったら何だっつうんだよアァ!?」


「ABYSSは人間以上の力を持ってて、

生け贄を弄びながら殺す……だったか?」


「今まで、何人殺した?」


「あ? 覚えてるわけねぇだろ。

俺様がそんなの覚える理由がどこにあるんだ」


「だいたい、十や二十じゃ利かねぇのに、

覚えてられると思ってんのか?」


「……そうか。分かった」


「分かったか。んじゃもういいだろう?

さっさと死ねよ」


冷たい声と共に、

鉄パイプが顔へ向かって飛んでくる。


その見飽きた軌道を手で塞ぎ、

なるべく優しく受け止めた。


驚愕する藤崎――

その顔を見ながら思う。


僕の考えは、

なんて甘かったんだろう。


那美ちゃんや温子さんを生還させられれば十分だとか、

どうしようもないくらい間抜けな考えだった。


藤崎は――ABYSSは、

相手に非があろうがなかろうが人を殺す。


今後も目に付く人を殺し続けるだろう。


やっと分かった。

これは、そういう生き物だ。


そんな連中から、

本気で大切なものを守りたいと思うなら――


僕は、もっと早く覚悟を決めて、

こいつらに共鳴すべきだった。


もっと早くに覚悟を決めていれば、

優しい世界を守れたかもしれない。


那美ちゃんを、

守れたかもしれない。


そう思うと、悔しくて涙が零れた。

背中の辺りを冷たい血が巡って、肌が粟立った。


「なに泣いてやがんだテメェは!!」


空いた手で殴りかかってくる藤崎――

その拳を右の掌で受け止める/掴み取る。


あいにく、そんな攻撃は人殺しの記録帳で見飽きていて、

眠っていても当たる気がしない。


なのに、まるで化け物でも見たみたいに驚いてる藤崎が、

滑稽で仕方なかった。


本当にABYSSが超人だったら、

こんなので驚くわけがない。


「お前はただの人間だよ」


僕の言葉が理解できなかったのか、

はたまた怒りからか、藤崎が眉をひそめる。


その顔が、一瞬で苦痛の色を帯びた。


藤崎が飛び退る――鉄パイプを落とし、

外れた手首を押さえて、小さく呻く。


――ほら、やっぱり人間だ。


「テッメ……このクソ野郎ォがぁあああ!!」


藤崎が体ごとぶつける勢いで

殴りかかってくる。


その鼻先に、拳をめり込ませた。

怯んだところで足を払った。


伸びきった膝を踏み抜き、股間を蹴り上げ、

起き上がろうと付いた手の指をまとめて踏み潰した。


藤崎の呻き声を蹴り飛ばし、

転げて逃げられる前に幾つかの歯と片方の目を奪った。


それでもなお立ち上がり、

掴んだ鉄パイプを闇雲に振り回してくる藤崎。


その吹き荒れる圧倒的な暴力の前に、

部屋の調度が次々砕ける/破片と破壊音が乱れ飛ぶ。


まるで竜巻のようなそれを躱しながら、

改めて思う。


ABYSSは強い。


これまで見てきた部員たちを見ても、

そこの部分だけは掛け値なしだ。


僕よりも強いABYSSだって、

そう珍しくないだろう。


この藤崎も、

きっとそうに違いない。


でもそれは、強いだけだ。


幾ら強靱な肉体を持っていても、

別に刃物が皮膚を通らなくなるわけじゃない。


幾ら強力な運動性能があったとしても、

必ず攻撃が当たるわけでも、躱せるわけでもない。


先に心臓や脳を潰してしまえば、

それでお終い。


なら、幾ら強かろうが、

超人じゃなくただの人間だ。


そして、ただの人間なら――


暗殺者という“人殺し”が、

負ける道理はどこにもない。


「お前はただの人間だ」


懐に忍ばせてあったナイフを抜いて、

藤崎に真っ直ぐに向ける。


それから、よくある軌道の鉄パイプをすり抜けて、

そこにあった脇腹にナイフを突き刺した。


藤崎の苦悶――それでも怒りを叫びながら、

下がることなく殴りかかってくる/蹴りつけてくる。


その手足を/そこに潜む動脈や腱を、

片っ端から切り付けた。


噴き零れる血液が、

瞬く間に藤崎を赤く染めていく。


『何をしやがった』と藤崎が絶叫しながら、

怖がる子供のように凶器を無茶苦茶振り回す。


その無様な攻撃をあやしながら、

残ったもう一つの目を抉り取った。


それで、とうとう藤崎が鉄パイプを取り落とし、

顔面を押さえて悲鳴を上げ始めた。


後退する藤崎――壁に辿り着いて、

クラゲのようにぐずぐずと壁伝いに座り込む。


地面に転がった眼球を踏み潰しながら、

その前に立った。


「何だよ……お前、何なんだよ……?

俺に何をしやがった!?」


藤崎が、暗い穴の空いた両眼で見上げてくる

/『畜生』と怨嗟の声を上げる。


それに答える代わりに、

まだ動く腕の筋をナイフで切断した。


さらに上がる悲鳴。

うるさいという感想しか出て来ない。


そんなものは、

僕もお前も聞き飽きてるはずだろう?


ああ、いや――違うか。


お前はまだ、

飽きるほど積み上げていなかったんだった。


それでも、

わざわざ付き合ってやる義理はない。


木偶と化した藤崎の髪を引っ掴み、

その耳元に口を寄せた。


「藤崎……下の名前は何て言うんだっけ?

まあ、何でもいいか」


「お前が本当に超人ならさ、

それを証明してみせてよ」


藤崎の体が強張る

/何か言おうとしているのか口を開ける。


けれど、それが

まともな言葉になることはなかった。


藤崎はやっぱり人間で――


心臓に突き立てたナイフが、

当たり前にその息の根を止めていた。





「……はぁ」


溜め息が零れた。


終わってみたら、

特別に何かを思うようなことはなかった。


やり飽きた/やられ飽きたことを、

淡々とこなしただけ。


心配していた、

記憶が消えそうになるようなこともない。


それでも、

強いて何かを言うのであれば――


やっぱり、人殺しっていうのは、

声を出すのと似てるということくらいだ。


難しいとか簡単だとか、

そういうことさえ思わない。


当たり前に口にする。

それだけの話。


「晶くん……」


と、呼びかけられて振り向けば、

そこには蒼い顔をした温子さんが立っていた。


そういえば、温子さんには

目を閉じててもらったほうがよかったか。


……でも、まあいい。


怖がられるくらいのほうが、

僕も踏ん切りが付く。


「ごめんね。

びっくりしたでしょ」


「それは……まあ」


「僕ね、実は人殺しだったんだ。

暗殺者の家に生まれた、生粋の人殺し」


「一家みんなで人を殺して、

そのお金でご飯を食べてたんだよ」


「まあ、ちょっと事情があって、

僕だけこっちの世界に来ることになったんだけれどね」


「それで……ずっと本性を隠して、

みんなの中に紛れてきたんだ」


「今まで騙してて、ごめんね」


何か言いたそうにしている温子さんに、

無理矢理笑いかける。


これで終わりだ。

後は余計なことを考えなくて済む。


そう思っていたのに――

いきなり、温子さんに血塗れの手を握られた。


「えっと……温子さん?

どうしたの? 手が汚れちゃうよ?」


「……違う」


違う……?


「晶くんが人殺しだったとしても、

晶くんの本性は、人殺しなんかじゃない」


「だって……私は晶くんのことを見てたから。

私が一番、知ってるから」


「晶くんの内側に怖いところがあったのも、

ずっと前から知ってる」


「みんなのために平気で損することができるのも、

人を助けるのが好きだっていうのも、ちゃんと知ってる」


「だって私は、

晶くんのことを、ずっと……」


「……佐倉さんの次くらいに、

ずっと、傍で見てたんだから」


「佐倉さんだって、ずっと、

仲直りしたいって思ってたんだから」


温子さんが、目の端から涙を零しながら、

ぎゅっと僕の汚れた手を握ってくる。


それが嬉しくて/辛くて、

泣いて縋りたい気持ちに駆られた。


けれど……

それは、僕には過ぎた贅沢だ。


温子さんが変わらず友達でいてくれることだけでも、

十分にありがたいと思わないと。


「温子さん……ありがとう」


温かい手をそっと握り返して、

頭を下げる。


そうしながら、心に誓った。


この人だけは絶対に、

このゲームから脱出させよう――と。





それから、しばらく経った後――


須賀さんが四人目の怪物こと先輩を連れて、

部屋に戻ってきた。





「……あの藤崎朋久を、

笹山くんが殺したの? 本当にっ?」


不在の間の事情を一通り説明すると、

須賀さんは『嘘でしょ?』を五回くらい繰り返した。


そうは言われても、

本当なんだからリアクションの取りようがない。


「っていうか、藤崎っていうABYSSは、

そんなに強かったの?」


「強いも何も、一番当たりたくないヤツだよ。

説明会であいつを見た時『うわ最悪だ』と思ったし」


「聖ちゃんと並べて比べられるくらいだね。

多分、今のABYSSで上から十番以内くらいかな」


「……森本聖って、

そんなに強かったんだ」


「あれ、由香里ちゃんは知らなかった?

聖ちゃんって今、五人のABYSS以外で筆頭だよ」


「情報を公開してる部長なんて藤崎くらいだし。

森本が部長って知ったのも、ゲームの直前だよ」


「なら、ラビリンスゲームが開かれてラッキーだったね。

黒塚さんをそのまま行かせてたら、普通に死んでたよ」


「……今の状況の幽も、

あんまりいい状態とは言えないけどね」


須賀さんが口を尖らせて目を逸らす。


「まあ、黒塚さんはどうでもいいとして、

晶くんは藤崎を殺して大丈夫だったの?」


先輩が僕の目を

じっと見つめてくる。


体の負傷を気にする様子がないところからすると、

きっと、心のほうを言っているんだろう。


「大丈夫です。

もう、覚悟を決めましたから」


「……そっか。

それでも、無理しないようにね」


気遣うような微笑みに、頷いて返す。


そうしたところで、

今後の方針を決める流れになった。


「それじゃあまずは、真ヶ瀬先輩を連れてきた理由を

聞かせて欲しいんだけれど」


「ああ、こいつと私は裏で協力してたんだ。

目的が同じで、ABYSSの打倒だったから」


「ABYSSで怪物役の真ヶ瀬先輩が、

ABYSSの打倒ですか……?」


「今はラピスでいいよ、朝霧さん。

どうせ、どっちも偽名だしね」


「――で、ABYSSに関してだけど、

私は嫌々所属させられてる感じなんだよね」


「自由を得るために、ABYSSを倒したい。

それが私がABYSSを潰す理由だよ」


「信じられない気持ちは分かるけどね。

私だって、最初はそうだったし」


「あー、由香里ちゃんも疑って凄かったよねー。

結局、信じてもらうのに一年くらいかかったし」


「当たり前だろ。私は敵側の組織の人間なんだし、

罠だと思わないほうがおかしいっつーの」


敵側の組織……まあ、ABYSSの組織を考えれば、

そういうのがあって当然か。


もしかすると、先輩の言っていた

“僕を逃がす当て”は須賀さんの組織なのかもしれない。


「でも、須賀さんはプレイヤーなんだよね?

敵側の組織なのに、よく潜り込めたね」


「そうだけど、プレイヤーなんて、

みんなABYSSを倒したいと思ってる連中だし」


「そこに敵対組織の人間が混じっていたとしても、

ルールさえ守ってれば関係ないんだよ」


「それに、プレイヤー間では基本的に連絡は取れないし、

ABYSSの情報の大半にアクセスできないからな」


つまり、敵が紛れ込んでいても、

情報漏洩や結束される心配はないってことか……。


「だから、私がやったのは手引きと情報交換だよ。

由香里ちゃん以外にもゲームに参加させたりね」


「あ、他にも人がいるんですね。

その人たちとは合流できないんですか?」


「残念だけど無理だね。

芳賀鉄男も明夜正吉も初日で死んでるから」


「……ABYSSの正規のゲームで三校クリアした、

腕の立つ連中だったはずなんだけど」


「そうは言っても、藤崎辺りと遭遇してたら、

きっと殺られてたと思うよ」


「戦績を見たら、連中が倒してきたABYSSって、

聖ちゃんよりずっと格下だったし」


「そんな連中が獅堂の前に立ったところで、

肉壁にもならない可能性が高いしね」


「獅堂……?

ABYSSの人間ですか?」


「そう、獅堂天山。今のABYSSのトップで、

このゲームに最後に現れる特別な怪物だ」


「晶くんは遭ったことがあるよね?

鉱石みたいな男と、この迷宮に来る前に」


……あの大男か。


「その怪物を殺すことが、

私と由香里ちゃんの最終目標だよ」


「それで……この先を話す前に、

一つだけ晶くんに質問」


「晶くんは、佐倉さんを殺した犯人に

復讐するつもりはあったりするの?」


「それは……」


那美ちゃんの仇討ちをするか、否か。


犯人が憎い気持ちは当然ある。

ないわけがない。


もしも今、目の前にいたなら、

その浅はかな行動を全力で後悔させてやりたい。


でも――


「敢えて犯人を探し出してまで、

復讐をする気はないですよ」


「本当にそれでいいの?

もう、機会がなくなっちゃうかもしれないよ?」


「そうだとしても、復讐をしたところで、

もう那美ちゃんは戻ってこないですから」


それに、僕にはまだ、

このゲームから温子さんを脱出させる目的がある。


那美ちゃんが生きていたとして、その目的と復讐、

どっちを優先させて欲しいというかは明らかだろう。


何より大切にしたかったものがなくなった今、

僕の事情は全部後でいい。


そんな僕の内心を透かしているのか、

先輩がじっと僕の目を見つめてきた。


「……何だか、今の晶くんって、

聖ちゃんみたいだよ」


「聖ちゃんもね、大切な弟さんがいたんだけど、

人質にされたその子を助けられなかったんだ」


「……聖先輩が、ABYSSの儀式に

生け贄として参加してたってことですか?」


頷く先輩。


……そんなの、全然知らなかった。


だって、聖先輩はいつも、

僕らに悲しい顔なんて見せなかったから。


年下の子をやたら見てたなって思っていたけれど、

そういう事情があったなんて……。


「でも、弟さんを犠牲にしながらも聖ちゃんは勝った。

そこで、三つの選択肢を与えられたんだ」


「日常に戻るか、プレイヤーになるか、

それとも、ABYSSになるか」


「私からすると、二択でしかない質問だった。

だって、普通は復讐をするかしないかだもん」


「でも……そこで聖先輩は、

ABYSSを選んだんですね?」


そうだね――と、

先輩が当時を思い出したかのような呆れ顔で頷く。


……それは、当然の反応だろう。


ABYSSは、自分の弟を殺した存在そのものだ。

それに敢えてなろうとするなんて、普通あり得ない。


無理に合理的な理由を付けようとするなら、

不幸を拡散したいとか、欲に負けたとかだ。


「それに納得が行かなくて、聖ちゃんに聞いたんだ。

どうしてABYSSなんかに入るのって」


「……返ってきた答えは、

今でも一言一句覚えてるよ」



『だって、中から潰さないと

意味がないじゃないですか』


『ABYSSは、私が潰します』



「……今の晶くんは、

その時の聖ちゃんと同じ目をしてる」


「本当は、真ヶ瀬優一として、

それをたしなめなきゃいけないのかもしれない」


「でも、私は今回が、

待ちに待った最後のチャンスなんだ」


「だから、今はその晶くんの気持ちを、

私に利用させて欲しい」


そう言って、

先輩は目を閉じ――


深呼吸の後に再び目を見開き、

その碧眼で真っ直ぐ僕を見据えてきた。


「君に、獅堂天山の暗殺をお願いしたいんだ」



……静かになった。


先輩の言葉の重みを、

部屋にいる誰もが理解していた。


獅堂という男は、

ABYSSのトップ。


それを殺すということは、

ABYSSそのものを潰すということだ。


ABYSS内には派閥があると聞いているし、

頭が潰れれば、内部で必ず争いが起きる。


ABYSSという組織は残るにしても、

派閥ごとに独立して規模が縮小するなりするだろう。


そうなれば、須賀さんの組織が攻勢に出られるし、

現状のABYSSとは違う形になるかもしれない。


それを、みんなが分かっていた。


先輩はずっと黙って僕を見ていた。


須賀さんは、壁際で銃を弄りながら、

僕の答えを待っているようだった。


温子さんは、まるで自分のことみたいに、

僕のことを心配してくれているみたいだった。


そんな、それぞれの思いに囲まれながら、

もう一度依頼を反芻する。


――獅堂天山の暗殺。


あの鉱石じみた大男を、

僕ら三人で仕留める。


そんなことが、

果たしてできるんだろうか?


全てを思い出した今でも、

全くイメージが湧かない。


「……念のため聞いておきたいんですが」


考え込んでいる間に、

温子さんが挙手をして沈黙を破った。


「そいつを倒すことで、

晶くんがメリットを得られるんですか?」


「脱出成功者の褒賞は、脱出時の状況に応じて

増減するって説明は聞いてるよね?」


「獅堂を倒すと、莫大なポイントが手に入るんだ。

それこそ、小アルカナの過半数を独占したくらいのね」


「それは……何ていうか、

クイズ番組の最後の一問が一億点みたいな感じですね」


「それくらい難易度が高いってことだよ。

実質、不可能だからそう設定されてると思っていい」


「でも、藤崎を圧倒できる晶くんも加わってくれれば、

どうにかなる可能性は出てくる」


「森本聖もいるんじゃないの?

あいつが藤崎より上なら、相当心強いと思うけど」


「聖ちゃんは高槻を狙ってるみたいだから、

そのままお願いしていいと思うよ」


「ああ、高槻は獅堂派だったもんね。

そこを押さえてもらえるならそのほうがいいか」


「……派閥争いは、

私たちには関係ないんでどうでもいいです」


「でも、とりあえず獅堂を倒すメリットが

一応あるっていうことだけは分かりました」


「でも、それを分かった上で、

私は晶くんが行くのは反対します」


「……どうしてか理由を教えてもらえる?」


「獅堂を倒せる可能性よりも、一位上がりの人間が

私たちを逃がす可能性のほうが高そうだからです」


「話を聞く限り、その獅堂っていう相手に挑むのは、

もうほとんど決死隊ですよね」


「まあ、それは否定できないな。

もちろん死ぬ気はないけど」


「でしたら、須賀さんたちには申し訳ないですが、

私は晶くんが生還するほうがずっと大事です」


「どうしても人が欲しいのであれば、私が――」


「温子さん、待って」


「晶くん……」


僕の目的は、

無事に温子さんを脱出させることだ。


ここで温子さんに行かれたら、

それこそ本末転倒になる。


それに……できることなら、

先輩と須賀さんだって助けたい。


「問題は、僕と先輩と須賀さんの三人で行っても、

獅堂には絶対に敵わないことです」


「これは、僕が獅堂と実際に対峙した経験からですけど、

きっと先輩も同じ考えですよね?」


「……実際、かなり厳しいとは思うね。

十回やって一回勝てれば奇跡だと思う」


「その確率を少しでも上げられませんか?

例えば、ABYSSの薬を飲むとかで」


「一応、武器はかき集めるつもりだよ。

由香里ちゃんは特に必要だろうしね」


「それと、私はダイアログを飲むつもり。

嫌であんまり使ってないけど、効果は普通にあるし」


「じゃあ、僕にもその薬をもらえませんか?」


「ちょっと、晶くんっ?」


「このままじゃ勝てないんだから、

獅堂に挑むならそれを飲むしかないんだ」


「温子さんが心配してくれるのは嬉しいけれど、

もしも戦って勝てるなら、僕はそっちを選びたい」


だから黙ってて――と目で訴える。


当然、温子さんの顔は不満の色で染まったものの、

しばらくすると、どうにか口を閉じて下がってくれた。


「薬ね……持ってはいるけど、

ダイアログはそこまで効果がないと思うよ」


「効果がない……?

どうしてですか?」


「ダイアログは、御堂に伝わる

身体強化を元に作られてるんだよね」


「人間の潜在能力を引き出す薬なんだけど、

晶くんも同じようなことをできるんじゃないかな?」


ああ……“集中”と同じような効果を、

薬で簡易的に実現できるようにしてるってことか。


それなら、確かに使っても効果は薄そうだ。


「フォールに関しても、服用期間がモノを言う薬だから、

今からじゃ飲み始めても遅いと思う」


……その辺りは、

須賀さんに聞いてた通りだな。


人を超えるための時間はなくて、

人の限界に関しては今の僕でも引き出せる――


となると、残る薬は一つだけ。


「アビスは持ってませんか?」


「……どうしてABYSSでもない晶くんが、

その名前を知ってるの?」


「ああごめん、私が話した。

幽がアビスを使ってるみたいだったから」


決まり悪そうに手を挙げる須賀さんに、

『面倒なことしてくれるなぁ』という目を向ける先輩。


けれど、その反応で分かった。


「持ってるんですね。アビスを」


確信を持って訊ねると、先輩は少し悩んだ後、

服のどこかから小さな箱を取り出した。


中に入っていたのは、

三つの色の異なるカプセル。


これがそれぞれ、

フォール、ダイアログ、アビスなんだろうか。


「どれがアビスなんですか?」


「全部がそうだよ」


全部……?


「これを順番に飲むことで、

願いを叶えるための力を与えてくれるらしいんだ」


「でも、詳しいことはよく分かってない。

他と比べてぶっちぎりで危ないってことだけ」


「実際、あの丸沢も、

アビスを飲んで怪物になったみたいだし」


「他に知ってる例だと、レイシスかな。

ほら、あのアーチェリーの子だよ」


ああ……丸沢やアーチェリーのABYSSも、

アビスを服用してたのか。


「それなら、絶対に強くなることは

間違いなさそうですね」



「それはそうだけど……でも、

やっぱりこれを使うのはやめよう」


「成功例って言われてるのがレイシスだけど、

逆に言えば、適合しててもああなるんだ」


「そんなものを、

晶くんに飲ませたくない」


「でも、先輩は薬を持ってたじゃないですか。

いざとなったら先輩が飲む気だったんですよね?」


「それは……でもこれは、

私が当事者だから……」


ごにょごにょと尻すぼみに呟きつつ、

先輩が目を伏せる。


……この人は、僕に睡眠薬を盛ったり無茶苦茶しても、

何だかんだで悪人にはなりきれないんだな。


でも、そういう人だからこそ、

僕もずっと付き合って来られたんだと思う。


いや。

付き合って行けるんだと思う、か。


「――飲みますね」


『えっ?』と目を見開く先輩。


それから一歩遅れて、

空っぽになった手の中に気付いたようだった。


けれど、今さら気付いたところでもう遅い。


こっそりと掠め取ったカプセルを口の中に放り込み、

噛み砕きながら嚥下する。


――瞬間、ぞくりとした。


血管に氷水ひみずを流し込んだみたいに

体の内側を何かが駆け巡る感覚があった。


何かが通過した場所から毛でも生えたかのように、

全身の肉に痒みと疼痛が走った。


それらが過ぎ去った後にやってきたのは、

頭の内側で鐘が鳴っているような小さく響く頭痛。


それと、僅かな吐き気を堪えていると――


ひたりと、何かが自分の背後に

立ったような感覚があった。


敵?

いや……何だ、これは?


これが、アビスの効果なのか?


「晶くん、大丈夫!?」


「……大丈夫、だよ。

今のところは危ないを感じはないから」


不安そうに制服の袖を握ってくる温子さんに、

手を振って無事をアピールする。


実際は、僕も危ないのかどうかは分からない。


ただ、御堂の危機感知が

働いていないことだけは確かだった。


「晶くん……何でそんな無茶するの?

別に困ってから飲んでもよかったんだよ?」


「勝率を少しでも上げるためですね。

それと、先輩が隙だらけだったんで」


「……油断してたつもりはないんだけどね」


呆れとも感心ともつかない溜め息をついて、

先輩が僕を咎めるように半眼を作る。


それを笑ってごまかして――

改めて、先輩と須賀さんに目を向けた。


「もう、後戻りするつもりはないです。

先輩たちの目的に協力します」


「……ずっと思ってたけどさ。

笹山くんって超絶バカでしょ?」


「いや、本当に。本当に。本当にその通り。

何でこんなにバカなんだ……」


「逆に考えれば、

バカなのが晶くんなんじゃないかな……」


示し合わせたように揃って溜め息をつく三人。


……何だか凄い言われようだけれど、

まあ事実だろうからそれでいい。


バカでも、自分の選択に後悔はない。


「まあ、経緯はともかく、

晶くんの協力は本当に嬉しい。ありがとう」


「そのお礼にしてはささやか過ぎるけど、

これを渡しておくね」


先輩が、またどこかから何かを取り出し、

僕に差し出してきた。


それは、一枚のカード――

星の絵柄の描かれたタロットだった。


「“星”の大アルカナだよ。

怪物としての私を倒した報酬だね」


「カードの下のQRコードで携帯に入れられるから、

取り込んで使うといい」


「効果は何なんですか?」


「簡単に言うと、ゲームに直接関係ない願いを、

一つだけ運営に要求できるっていう感じかな」


無理なお願いとしては、アルカナの要求や、

首輪の作動等の、ゲームに直接影響するのはアウト。


ただ、戦況に大きく影響しない火器等であれば、

外部から持ち込んでもらうことは可能らしい。


その他、ABYSSの限度を超えるものは

無理という話だった。


例えば、一千万円ならもらえても、

一兆円を要求するのは無理――といった具合に。


「まあ、色んな使い道があると思うけど、

それは琴子ちゃんたちの解放に使うといいよ」


「琴子たちの解放って……まさか、

ABYSSが僕らの家を襲ったんですか?」


「いや、その逆。

琴子ちゃんたちがこの場所を探しに来たんだ」


「追い返そうと思ったんだけど、思ってるより鋭くて、

ごまかしきれなかったんだよね」


「それで、仕方なく捕まえた感じ。

でも、ほとんど無傷だから安心していいよ」


「……そうですか」


それを聞いて、ひとまず安心した。


ただ、星の大アルカナの用途は、

先輩の言う通り、琴子たちの解放で決まりだろう。


温子さんも、

それで異論はないはずだ。


「でも……どうして先輩は、

“星”を交渉材料に使わなかったんですか?」


「最初からその話を出してしまえば、

晶くんを楽に引き込めたと思うんですが」


「あー、無理無理。

ラピスは大事な相手に嫌われたくないやつだから」


「さっきも笹山くんがアビスを飲むの止めだたろ?

振り回すのは好きでも、壊すのは怖いんだ、そいつ」


「由香里ちゃんに言われたくないなぁ。

そっちも大概、人に甘いくせに」


「私はやる時はやるっつーの。

一緒にすんな」


須賀さんがすまし顔で銃を弄り始める。


それを横目で眺めながら、

薬の影響か乱れてきた脈を収めるべく深呼吸した。


これから無理に挑むと分かっているのに、

体と違って、心は落ち着いていた。


これまでも何度か仕事はしたことがあるけれど、

こんなに落ち着いているのは初めてかもしれない。


……初めてといえば、

自分自身で依頼を受けるのもそうか。


以前の仕事は、父さんが受けていた依頼を、

僕が代わりにやってきただけ。


成功も――したことはないけれど失敗も、

全て父さんの責任だった。


けれど、今回は僕の仕事だ。


僕の責任で暗殺を遂行する。


失敗は許されない。

ABYSSの頭は必ず、ここで潰す。


「獅堂天山の暗殺、

御堂晶が確かに承りました」


もう、これ以上の犠牲を出さないために。


優しい世界でようやく花開いた僕の名前ささやまを、

今、躊躇なく捨てる――



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る