勝っていたはずのゲーム1










金網を離れ、校庭の片隅にまで戻ってきたところで、

二人はようやく栓が抜けたように息をついた。


体重を木や地面に預け、

めいめいに額の汗を拭う。


「びっくりした……。

まさか、あんなのが世の中にいるとはね」


「佐倉さんが気付いてくれなかったら、

今頃は二人とも死んでたかも」


「私も、気付けてよかったって心底思う……」


ラッキーだったと、

那美が胸を撫で下ろす。


しかし、彼女が温子よりも先に気付いたのは、

決してただの偶然ではない。


心臓を病み、常に死と向き合ってきた那美だからこそ、

待ち受けていたそれの臭いに敏感だっただけの話だ。


「でも……さっきの人、

どうして私たちを捕まえに来なかったんだろう?」


「私たちを捕まえるのって、

片山くんたちの誰でもいいはずなのに……」


「……それがもう答えだよ」


「え?」


「さっきのは、

片山の一味じゃないってこと」


じゃあ……と目を見開く那美へ、

温子が苦みを噛み締めるように頷く。


「あれが恐らく、

本物のABYSSだ」


「盗聴器か発信器か……

まあ、どっちもかな」


「生け贄の首輪が反応しないからって、

取り逃がさないようにわざわざ出て来たんだろうね」


「片山のABYSSもどきのために出てくるわけがない、

って思っていたけれど……甘かったか」


片山らとABYSSの関係が、

どういったものかは分からない。


が、少なくとも、ABYSSが彼らのゲームを

バックアップしていることは確実だった。


となればもう、このまま校舎の外にいることも、

外から公的機関が介入してくることも望めないだろう。


「状況としては……かなりまずいね」


温子は溜め息の後に眼鏡を直し――

その姿勢のままで固まった。


考え事をしているのか、

口を開くことなく、じっと目を瞑っている。


そんな温子の姿に、

那美ははらわたを握られるような不安を覚えた。


これまで、温子は幾つもの策を、

ほとんどノータイムで出してきた。


那美の質問にも、

打てば響くように回答をくれた。


それが今は、

堰き止められたようになくなってしまった。


いや、それどころか、

涸れてしまっているのではないか――


「……で、でもっ、

まだ終わったわけじゃないし。ねっ?」


そんな“本当にどうしようもない”という空気が嫌で、

那美は明るい声を上げた。


「不幸中の幸いっていうか、温子さんの言ってた通り、

脱出前に様子を見ててよかったよ」


「もし、すぐに学園の外へ出ていたら、

今頃どうなってたか分からないし」


「そんな感じで、ちゃんと考えれば、

この状況だって何とかなるんだと思う」


「だから、二人で頑張って考えよう」


「……うん。そうだね」


温子の反応は、

決して芳しいものではなかった。


それでも、一応は笑顔が戻ったことに、

那美はホッと胸を撫で下ろした。


「じゃあ改めて、

ゲームに勝つ方法を考えないとだね」


「……学園の敷地からの脱出はもう無理かな。

多分、このまま校舎の外にいるのもまずい」


「だから、校舎の中に戻るのは

確定だけれど――」


こうなったら、

片山の設定した勝利条件を満たすしかない。


三時間――残り二時間半を無事に逃げ切るか、

片山・丸沢のどちらかに触れるか。


だが、正攻法での勝ち目がほぼないことは、

誰よりも温子自身が知っていた。


それでも何とか勝利できる可能性を――と、

思いついた手段は二つ。


一つは、家庭科室の中にガスを撒いた上で、

敢えて家庭科室の中に潜むというものだ。


学園のガスは、

空気よりも重いプロパンガス。


そのため、段ボール等で偽装した上で、

棚の上に隠れれば、ガスの影響は少ない。


片山たちが探しに来ても、ガスの臭いで罠だと判断し、

調査そのものを見送られる可能性がある。


ただ逆に、火災事故の予防のためにガスを止め、

ついでに室内を探してくることもあり得るだろう。


他の教室を巡回し、どこにもいないとなれば、

家庭科室を調べるという流れも考えられる。


それは、ジャンケン大会において、

必勝を期すことなく勝負の場に立つのと同じことだ。


鍵となる一勝負だけを運に任せるともかく、

最初から最後までそれではお話しにならない。


自身の命運が、自身の意思の及ばない

相手の行動にかかってくる――


そんな手は、

温子にはとても選べなかった。


となれば、

残る手段はあと一つ。


「片山に触る方向で行こう」


「……行けるの?」


「一応、不可能ではないと思う」


温子の言い回しは、

この作戦の勝率がかなり低いことを暗に示していた。


だが、一度温子を信じると決めた以上、

今さら那美に反対する気はない。


「聞かせて、その作戦」


成功させるのだという意思を込めて、

那美が温子の目を真っ直ぐに見つめる。


そんな不安の欠片も見えない那美の反応に、

温子はしばし固まり、目をしばたたかせて――


「……まあ、大した作戦じゃないんだけれどね」


そう、面映おもばゆそうに頬を掻いた。


「とりあえず、やることは単純だよ。

片山に連絡を取って、来てもらうか行くかして、触る」


「……それだけ?」


「大まかに言うとね」


「でも、どうやって連絡を取るの?

校内放送で呼び出すとか?」


「それをしたら、

他の連中が放送室に集まるだけだよ」


「そうじゃなくて、片山の手下を襲って、

仮面と衣装と携帯電話を手に入れるんだ」


「仮面はボイスチェンジャー内蔵みたいだから、

部下を装って片山を呼び出せるだろう?」


「あー、なるほど」


「そのまま衣装も着てしまえば、

少なくとも今のままよりは近づきやすくなるはずだ」


「ただ、最大の問題になるのが、

どうやって片山の手下を襲うかなんだよね……」


「正面から行っても百パーセント負けるし、

後ろからでも一撃で気絶させないとダメだし」


「あ、それなら……」



ほら――と那美の指差す先には、

外の水飲み場でぐったりとしている男の姿があった。


「あそこにいるあの人を、

後ろから襲えばいいんじゃないかな?」


「……いいね。やっちゃおう」


「うん、やっちゃおう」






「……うーん。打たれ強さに関しては、

普通の不良と大差なさそうだね」


ブラックジャックの直撃で昏倒した男を見下ろしながら、

興味深げに頷く温子。


その傍らに屈み込んで、

那美が黒衣と仮面を手際よく剥いでいく。


「……ちょっとプールの臭いがする?」


「あー、塩素ガスを食らったんだね。

だから外でのびてたと」


「この人、大丈夫かな……?」


「見た感じ、身長は百七十ちょいだけれど、

ギリギリ何とかなると思うよ」


「いや、衣装のサイズそっちじゃなくて」


那美としては男の健康面を心配したつもりだったが、

温子はとても/非常に/物凄ーくどうでも良さそうだった。


『まあ、目を覚まされなければいっか』と割り切って、

那美が剥ぎ取りを再開する。


「あ、これがボイスチェンジャーかな?」



「あーあー。ワレワレワー」


「単純に音程を弄っているだけみたいだね。

ちょっと低めに喋らないと厳しいかも」


「じゃあ……ワレワレワー」


「そのくらいなら行けそうだね」


「よし。じゃあ仮面それ、貸してもらえるかな?

一式着てみるから」



「あ、いい感じ」


「あーあー。

……む。ちょっと煙草臭いな」


「でも、ぱっと見だと全然分かんないよ。

これなら行けるんじゃないかな」


「……よし。

じゃあ、片山に電話してみるか」


温子が男の体を漁る――煙草、財布と出て来た後に、

本命の携帯と通話用のイヤホンを発見。


さて携帯のロックをどう外そうかと思っていたら、

指紋認証画面が出て来た。


もちろん、ほくそ笑む温子。


倒れている男の指を取り上げて、

認証画面に押し当てることで、難なくロックを突破する。


ホーム画面が表示されたところで、

まず確認するのは電話帳――


「……うわ、バカかコイツは!」


「どうしたの?」


「いや、ご丁寧に

全員実名で登録してあってね」


「こいつらは犯罪組織だっていうのに、

実名で登録とか色々怖くないのかと」


他人事ながら心配しつつも、指先は容赦なく、

電話帳の中身をまとめたメールを作成する。


そうして作ったメールを、

数ある捨てアドレスの一つへとまとめて送信。


……しようと思ったものの、

やはり思いとどまってメールを削除した。


この携帯がどういう由来のものかは不明だが、

首輪と同様にABYSSから支給された可能性がある。


今後、ABYSSと関係を持つつもりは更々ない以上、

余計なことはしないほうが身のためだろう。


色々としてやりたい気持ちを抑えつつ、

大人しく電話帳から片山を選択――発信。


コール中に『静かにしててね』と那美へ指示――

頷きで無言の了解が返ってくる。


それとほぼ同じくして、

加工された音声がイヤホンの向こうから聞こえてきた。


「俺だ。どうした?」


「いや、気持ち悪くて休んでたんですけど、

だいぶよくなったんで」


「ああ……塩素ガス食らってたってやつか」


「ええ。まだ目が痛いのと咳は出ますけど、

何とか動けると思います」


「まあ、大丈夫だと思ってもあまり無理はするな。

煙吸ってまた悪化したじゃシャレにならねーからな」


「ありがとうございます。

でも、やれると思うんで」


「それで、俺は何をしたらいいですかね?

――っと、やばっ」


「どうした?」


「すみません、

携帯の電池切れそうです」


「あ!? クソ野郎が!

いつも充電しとけっつってるじゃねぇか!」


「ホントすみません!」


「今から指示もらいにそっちに行くんで、

場所教えてもらっていいですか?」


「……ったくよぉ」


「保健室にいるからさっさと来いバカ」


「了解です。

それじゃあ、急いで行きます」


最後まで言い切る前に通話を終了し、

温子はふぅと溜め息をついた。


「もう喋って大丈夫だよ、佐倉さん」


「あ、うん。

……電池、切れちゃったの?」


「ああいや、アレは嘘だよ。

片山の居場所を聞き出す言い訳が欲しかったから」


「あ、そういうことだったんだ」


「多少の無理があるのは承知の上だけれどね」


片山に会う方法は二つ。

会いに行くか、向こうから来てもらうかだ。


しかし、後者は

部下が上司を呼び出す形になるため不可能。


ならば前者で、極力不自然のない理由を考えると、

『指示をもらいに行く』が最適だろうと温子は判断した。


「おかげで、あのバカの居場所は分かったよ。

保健室だ」


「じゃあ、これから作戦実行だね」


「もちろん。ただ、衣装は一人分しかないから、

これは私が着ていくよ」


「私はどうすればいいの?」


「佐倉さんは、

もし失敗した時のためのバックアップをお願い」


「具体的には火炎瓶を作って、

私が失敗した時に保健室の中に投げ込んで欲しいんだ」


「正直、逃げ出せたらラッキーくらいの保険だけれど、

何もないよりはずっといいから」


「うん、分かった」


「……本当はこんなことしたくないくらい、

作戦としては杜撰なんだけれどね」


「ただ、これ以上時間を使っても、

消火を終えた連中が動き始めるだけだ」


「やるなら、

タイミングは今しかないと思う」


「こんな作戦に佐倉さんを巻き込んでしまって、

本当に申し訳ない」


「ううん、そんなことないよ」


「このまま待って、できることが無くなって負けるなら、

やるだけやって負けたほうがいいと思うし」


「佐倉さん……」


「だから、頑張ろう」


「……そうだね。頑張ろう」





そうして、二人は校舎の中へと戻り――

片山の待つ保健室へと向かった。


階上で音はするものの、

仮面たちの姿は見当たらない。


連中が消火活動に勤しんでいるのだとすれば、

間違いなく今は片山へと近づく好機と言えた。


しかし、

温子の胸中に不安は尽きない。


もし仮に、温子が片山の立場だとすれば、

ゲームの間は絶対に人を近付けさせないからだ。


片山と対面するところまでは

叶うかもしれない。


ただ、そこから先――勝利条件となる接触までは、

どうやって持って行けばいいのか。


そして、

片山は本当に保健室の中にいるのか。


不確定要素が多すぎて、

今さらになって隠れる作戦に切り替えたくなってくる。


背後へ首を向ける。


『やっぱり止めよう』と、

口から零れそうになる。


けれど――


後ろにあった那美の顔を見ていたら、

開きかけた口が自然と塞がった。


その顔が、何度追い返しても自分のところに通い詰めてきた、

どこぞのお節介な委員長のように見えたからだ。


そして、そんな顔をされてしまったら、

朝霧温子が動かないわけにはいかない。


前を向いて、再び足音を響かせる。


ネガティブな考えはいったん脇に置いて、

勝つために、思考を研ぎ澄ます。



「おう、入れ」


そうして行き当たったドアをノックすると、

中から入室を促す加工音声が飛んできた。


「失礼します」


那美に目配せをして、

温子が保健室の戸を開く。



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