勝っていたはずのゲーム2



予想に反して、

保健室の中に他の仮面の姿はなかった。


部下は全て消火活動に回しているのだろうか。


ただ一人、片山とおぼしき人物だけが、

ベッドの上に寝転んで本を広げている。


片山であれば、仮面に紋様があるはずなのだが、

本に隠れてそれが確認できない。


果たして本人か、否か。


「なあ、何やってんだてめぇは?」


「……はい」


充電を切らしたことを責められているのだと判断して、

温子が小さくなって頭を下げる。


「俺は前も言ったよなぁ、あぁ?」


「すみません」


「ったく……てめぇらの脳みそは鳥並だと思ってたが、

猫のゲロでも入ってんじゃねえのか?」


「俺が頭カチ割って

確かめたほうがいいのか? あ?」


「……いえ。勘弁して下さい」


「チッ……今度やったら殺すぞ」


「気を付けます」


「……よし。んじゃ指示だ」


「消火を手伝ってこい。

学習棟二階の便所前の部屋だ」


「分かりました」


「さっさと行け」


しっし、と足で追い払う仕草の片山に、

温子が深々と頭を下げる。


下げながら――

必死になって、目の前の男について考えていた。


言動からすると片山らしくはあるが、

現状では確証がない。


まず、仮面に模様はあるか。

あったとしても、中身は本当に片山なのか。


何だかんだと言いつつも、

朝霧温子は片山信二という人物を正当に評価している。


温子じぶんが正体を特定するために動けば、

片山なら変装を見破るだろう――そう予想していた。


つまり、悠長に正体を確かめていては、

敗北は必然。


だが、正体を確かめないのであれば――


危険を冒すことを前提にするのであれば、

“誰か”に触れられそうな手段はある。


その場合、“誰か”が片山でなければ、

温子の運命はそれまでだ。


何故なら、触れるということは、

相手にも触れられるということであり――


捕まることが敗北条件として設定されている以上、

ミスはイコールで死と言っていいだろう。


逆に“誰か”が片山でさえあれば、

ゲームは即クリアとなる。


「……」


温子の喉が鳴る。


リスクは大で、リターンは中の選択肢と、

リスクは極大で、リターンも極大の選択肢。


選ぶなら、

果たしてどちらを選ぶべきか。


それとも、

ここは動かず黙って引くべきか。


「何やってんだ? さっさと行けよ」


迷った末に、温子は――


チッ、と小さな舌打ちをした。


と同時に、ベッドから

“誰か”の起き上がる音が聞こえた。


「あ?」


顔を上げる。


ベッドの上では、先ほどまで寝転がっていた男が、

ギリギリと白手袋を軋ませていた。


その仮面に紋様が入っていたことに、

温子が少しだけ安堵する。


これなら、賭ける価値はある――と。


「今……お前何した?」


「いえ、別に……」


「何したかって聞いてんだよ!!」


雑誌が飛んできて、

温子の背後の戸に当たり足下に転がる。


それを、温子は横に蹴飛ばしてみせた。


「てめぇ……!」


怒りに声を震わせながら、

模様入りの仮面がベッドから下りてくる。


予定通り――予想通りだが、

もう後には引けない。


覚悟を決めて歯を噛み締め、

迫り来る“誰か”をじっと見据える。


その視界の中で、“誰か”はそのままずかずかと、

殴りかからんばかりの勢いで近づいてきて――


「舐めてんのかコラァ!!」


温子の胸ぐらを、

思い切り締め上げてきた。


息苦しさにせる。

足が宙に浮き上がる。


それでも温子は、自身をつるすその“誰か”の手に触れ、

祈るような気持ちで呟いた。


「触ったぞ」


「……」


「朝霧温子だ。さっさと下ろせ」


自身を掴んだまま固まる男に、

温子が毅然と命令する。


「……なるほどね」



「だそうですけど、

どーします片山さん?」


「仮面と衣装を剥ぎ取ったら、

負けを認めるまではそのまま吊しとけ」


「!?」


温子が、声のしたほうへと目を見張る。


と、ベッド傍の死角――カーテンの裏から、

目の前にいるはずの男の姿が現れた。



「お前……!」


「グッドイブニーング、プリンセス。

ご機嫌はいかがかな?」


「……最悪だよ」


片山のねっとりとした薄ら笑いを見て、

温子は、自分が賭けに負けたことを理解した。


それでも、

せめてもの抵抗で暴れてみる。


しかし、自身を拘束してくる男の腕は、

片手ながらまるで一つの金棒か何かのようだった。


間接を捻ろうが肌をつねろうが、

びくともする気配がない。



「さて。色々と積もる話はあると思うが、

その前にもう一人の生け贄にもご入場いただこうか」


片山が携帯で誰かにコールする。


程なく、数人の仮面の男たちが、

後ろ手に捕まえた佐倉那美を連れて保健室へ入ってきた。


「温子さん、ごめんなさい……」


「……仕方ないよ」


人数も増えた以上、抵抗は無駄だと悟って、

温子が両手を上げる。


片山は満足そうに頷き――

それを合図に、温子と那美は拘束から解放された。


「ふふん、グッドだ。

それじゃあ役者が揃ったようだし、種明かしと行こうか」


「……別に聞きたくもないんだけれどね」


「くっく、まあそう嫌な顔をするな。

俺が話したい時は話を聞くのが義務マナーってもんだろう?」


ご機嫌な様子を隠すことなく、

片山が喜悦の笑みを浮かべる。


「さて……まずは、このゲームの説明をした際に、

二つの勝利条件を設けたな」


「三時間の間、捕まらずに逃げ切るか、

もしくは俺か丸沢……ABYSSに触れるか」


「このどちらを選ぶか――

その予想からが、俺の勝負は始まりだった」


「普通なら、超人であるABYSSに近づかずに済む、

時間の経過を勝利条件として選ぶだろう」


「だが俺は、朝霧温子という人間であれば、

必ずABYSSに触るほうを選ぶだろうと思っていた」


「理由は単純。いかに温子でも、

三時間を逃げ切るのは到底不可能だと思ったからだ」


「それに、温子は俺に会いに来ることで、

頭がいっぱいだったはずだからな」


『誰が……』と敢えて聞こえるように呟く温子。


しかし、蛙の面に小便といった具合なのか、

むしろ反応を楽しむように片山は鼻を鳴らした。


「で、だ。必ず来ると信じているなら、

あとはその経路を警戒していればいい」


「あちこちに罠を仕掛けたり、色々やっていたようだが、

そんなのは全部目くらましだ」


「考えられる経路は二つだけ。

偶発的に会うか、温子が俺に連絡を取ってくるかだ」


「偶発的ってのもまあ、運命って感じでグッドなんだが、

残念ながら負ける可能性があったからな」


「保健室に留まることで、

この可能性は排除した」


「これで残る経路は一つ。

が、こっちも潰すのは簡単だ」


「どうすればいいと思う? ん?」


「……合い言葉を決めておくとか、

色々とやり方はあるだろうね」


「その通りだ。

合い言葉も一つの正解ではある」


「……が、それだと、

温子が俺に会うのを諦めちまうだろう?」


「正解はもっとシンプルに、

『俺の居場所を聞いてくる奴を全員疑う』だ」


「かくして、お姫様は王子様の足元に平伏ひれふしました、

めでたしめでたし、というわけだ」


「ちなみに、俺を動かす目的で

保健室に火やガスを放ってきても無駄だったぜ?」


「その時は、周りに呼び寄せておいた部下に、

すぐさまお前を確保させて終わりだったからな」


温子は何か言いたげに口を開いたが――


そこから音を出すことなく、

ぐっと口を閉じた。


それを潔い敗者の態度と取ったのか、

片山が温子の背後に回り、笑顔で愛しい人の肩を叩く。


その耳元に口を寄せ、

恋人へ熱い吐息を吹きかけるように、賞賛の言葉を囁く。


「ま、温子。お前は実によくやったよ。

正直、これほどまで抵抗されるとは思ってなかった」


「随分と手を焼かされたのも事実だ。

慣用句としての意味でも、文字通りの意味でもな」


「ただ、俺が作り上げてきたこのABYSSと、

この俺が相手だったのが、お前の運の尽きだったな」


「どうだ、温子……?

俺のほうが優秀だろう?」


今にも唾液が垂れ落ちそうな舌を伸ばし、

耳朶じだを舐めんばかりに近付ける片山。


その怖気の走る行為に、

しかし温子は、覚悟を決めたようにじっと目を瞑り――


「違う!!」


――怒号が響いたのは、その時だった。


窓が震えたかと思うようなその大声に、

保健室の時が止まり、しんと静まり返った。


「……あ?」


片山が/温子が/仮面の男たちが、

それぞれ驚きの表情を浮かべる。


その視線の集まる先で、

叫びを上げた佐倉那美がキッと片山を睨んでいた。


「温子さんは片山くんに負けたんじゃない!

本物のABYSSに負けたんだもん!」


「温子さんは、片山くんに会いに行くことなんて、

これっぽっちも考えてなかったんだもん!」


「佐倉さん……」


「片山くんが保健室にふんぞり返ってても、

火を消してても、そんなの私たちには全然関係ない!」


「だって、私たちは最初から、

学園の外に出ようとしてたんだから!」


「は? んなの首輪が……」


「首輪なんて、温子さんの案で、

とっくに動かなくしてるの!」


片山の目が、

零れんばかりに見開かれる。


それを那美の首元へ向け――温子の首元へ向け、

片山はようやく首輪殺しの細工に気付いた。


「温子、お前……!」


驚愕に口も塞がらない片山の呼びかけ。


それに温子は、ただ素知らぬ顔を作って、

やれやれとばかりに溜め息をついた。


そのしらばっくれが、

どうしようもないくらい激烈に――


まずたゆまず心血を注いで描いた渾身の一作へ

ペンキをぶちまけるが如く鮮烈に、片山の顔を歪ませた。


そのぐちゃぐちゃの表情の向こうで、

那美がなおも続けていく。


「校舎の外まで出ても、

片山くんたちなんて誰も気付いてなかった!」


「見張りの人は学園の外ばっかり見てたし、

誰も私たちを止められる人なんていなかった!」


「そのまま行けてたら、

絶対に私たちが逃げ切ってた!」


「でも、金網を越えようとしたところで、

ABYSSの人が出てきて……」


「戻らないと殺されるって分かったから、

結局、校舎の中に戻らなきゃいけなくなって……」


「それでも何とか勝たなきゃってなったところで、

ようやく片山くんに会いに行く案が出てきたの!」


「可能性は低い、こんな案でごめんねって、

温子さんが何度も何度も謝ってたの!」


「ほら、分かるでしょっ?

片山くんの予想は外れてたの!」


「勝ってたのは温子さんなの!」


「本物のABYSSさえ出て来なければ、

片山くんになんか絶対に負けてなかったんだから!」


最後のほうは、

ほとんど悲鳴だった。


温子の勝利そんなことを訴えても、

結果が変わるわけがないことは、誰もが知っている。


しかし――その誰もが、

那美の声を遮ることをしなかった。


意味のない、必死なだけでしかないはずの行為を、

ただ黙って眺めていた。


やがて、ぜいぜいと荒い呼吸が響く中、

片山の手を擦り抜けて、温子が那美へ歩み寄った。


「……もういいよ、佐倉さん」


「でもっ!」


「もういいんだ」


「っ……!」


那美が、歯を食いしばる。

俯いて、肩を震わせる。


その震えを、温子が抱き留めた。


「私……こんなの、悔しいっ……」


「うん……」


「温子さんのほうが、

絶対……絶対凄いのにっ……」


「……佐倉さんがそう言ってくれれば、

私はもう十分だよ」


「ありがとう」


途切れ途切れの息に上下する那美の背を、

温子があやすように優しく撫でる。


それで気持ちの堰が切れたのか、

那美は友達の腕の中で、子供のようにすすり泣いた。



「ふっ……ふふふっ……」


「なるほどなぁ。

実のところは俺の完敗だったってわけか」


「……いつもならこんな状況、

恥ずかしくて私の勝ちだなんてとても言えないけれど」


「それでも、今回は私の勝ちだと言わせてもらうよ。

佐倉さんのためにもね」


「いや、そんなのはどうでもいい。

俺が温子に負けたと思うから俺の負けでいい」


「だがな、俺は悔しくないんだ温子。

むしろ、清々しいベターな気分だと言っていい」


「勝負には負けても、

試合には勝ったからか?」


「いや、違う。

お前が、相変わらず俺をボコってくれたからだ」


「……?」


「最近のお前は腑抜けていたと思っていたが、

腹を覗いてみれば、まだまだ化け物で安心したよ」


「そう。そうだ。

温子はベストでなければダメだ」


「朝霧温子は、平気な顔をして

俺を足蹴にできるやつじゃなきゃいけないんだ」


「だから今は、たまらなく嬉しい」


「恥ずかしながら、

暴発しそうなくらいそそり立ってる」


「うっ……!」


恥じらいを口にしつつも、

見せつけるように両手を広げる片山。


そうして、潔白を体現するかのように

惜しげもなくありのままの自分をさらけ出しながら――


「ありがとう……温子でいてくれて」


片山は、天に向かって

恍惚とした笑みを浮かべた。


その有様が心底狂気じみていて、

温子は思わず閉口し、那美の肩をぐっと抱き寄せた。


那美もまた、総身を粟立たせる寒気に涙を忘れ、

ぐっと温子の体にしがみついた。



「……あ?」


そんな折りに、コール音が響いた。


片山のうっとりとした顔が再び締まり、

鼻息を一つ噴き出した後に電話を取る。


「どうした?」


「……あ? 侵入者だぁ?」


「入ろうとするヤツは、

問答無用でブチ殺せっつってただろうが」


苛立ちではなく気怠げといった様子の、

面倒くささが滲み出る応答。


が――


「強い……? おい、相手誰だ?」


僅かな沈黙。


その短い時の中で、

片山の目が徐々に見開かれていった。


「……分かった。すぐ行くから時間稼いでろ」


通話を切る――先ほどとは一転して、

鋭い目を部下の仮面たちに向ける。


「おいお前ら、侵入者だ。狩りに行くぞ」


「狩りに……?

外の連中がいるんじゃないんすか?」


「それが、クソ強いんだとよ」


「強いって……まさか、鬼塚とか?」


「いや。何とびっくり、笹山晶だ」


「晶ちゃん!?」


那美が身を乗り出して声を上げる。


そんな相方の反応に驚きつつも、

温子もまた、信じられないといった顔を片山へ向けた。


「……本当に、晶くんなのか?」


「電話の話だとな。

どこまでホントだか分からねぇが」


実際のところ、

報告を聞いた片山でさえ半信半疑だった。


服用期間が短いとはいえ、

片山の部下はABYSSの薬“フォール”を飲んでいる。


その力は常人に勝りこそすれ、

劣るはずがない。


にも関わらず、笹山晶に遅れを取るとは、

一体どういうことなのか――


「……まあ、誰が相手だろうと関係ねぇ。

狩りに行くぞ」


「あと、二人残って、

温子たちを地下に連れてけ」


「あ。俺そっち行きます」


じゃあ俺もと、

仮面がもう一人手を上げる。


片山は、それらの浮かれたように揺れる手を

見回した後――


その二人の胸ぐらを、

吊り上げんばかりの勢いで掴み上げた。


「言っておくが、手ぇ出すなよ?」


「先に手ぇ出してたら、

お前らの首が物理的に吹っ飛ぶと思え」


その脅しに、震えた答えが返ってきたところで、

片山は二人から手を離した。


「……よし。んじゃ行くぞ」



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