温子とのABYSS調査1

――気付いたら朝になっていた。


連日の戦闘で体が疲れていたのか、

いつ寝たのかさえ記憶にない。


その代わり、体調は良好。


昨日感じていただるさも、

すっかり消えてなくなっていた。


これなら気分よく朝ご飯を――


「……あれ?」


そう思って時計を見ると、

何だかいつもの表示と違っていた。


時計の指し示す時間は、

午前の七時四十五分。


ああ、なるほどね。

それはまあ、体調もよくなるわけだ。


「――って、やばいよ!

寝過ごした完璧に!」


掛け布団を投げ出し、

ベッドから飛び起きる。


目覚ましセットしてて

起きないとか何なんだ!?


早いところ琴子を起こさないと、

遅刻するするヤバいホント!


部屋から飛び出して、

とにかく琴子を起こすべく部屋の前へ。


それから、扉を叩こうとしたところで、

違和感に気づいた。


というか、匂いに気付いた。


これは……お味噌汁か?


いやでも、

まさか、そんなわけが――



「あ、おはようお兄ちゃん。

今日はゆっくりだったね」


「あ――う、お、おはよう」


居間に飛び込むなり、

琴子から挨拶が飛んできた。


「もうすぐご飯できるから、

顔洗ってきてね」


しかも、パジャマじゃない。

制服姿で台所に立って、朝食を用意してる。


あの、朝に弱い琴子が。


何だこれ……今は朝だぞ?


夜じゃないんだぞ?


思わず目を擦るも、

目の前の光景は変わらない。


どんな天変地異の前触れなんだ……?


「どうしたのお兄ちゃん?

琴子の顔じっと見て……」


「いや……琴子が僕より早く起きてるなんて、

珍しいなと思って」


「だってお兄ちゃん、

昨日は溜め息ばっかりだったでしょ?」


う……そうだったのか?


「だから、たまにはゆっくりしてもらいたくて、

頑張って起きたんだ」


起きるの大変だったけれどね、と、

琴子が舌を出して微笑む。


……そっか、

純粋に心配してくれてたんだな。


琴子の気遣いに感謝しつつ、

今は甘えさせてもらおう。





教室に入ると、僕を待っていたかのように、

温子さんが真っ直ぐ僕のところへやってきた。


「晶くん、昨日はごめんね。

いきなり帰っちゃって」


「ああ、別に気にしてないから大丈夫だよ。

あれからすぐに先輩と別れたしね」


「ちなみに、

先輩の印象ってどうだった?」


「……まあ、変わった人だけれど、

ああいう人もいるんだなーって感じ?」


ある程度、距離を置けるなら、

知り合いとして付き合っていけそうな気はする。


「そうか……それなら、

何とかなるのかな」


「何とかって、

何かあったの?」


「実は、高槻先輩からメールが来たんだよね。

『学園が終わったら一緒に遊ぼうぜ』って」


「それで……晶くんも一緒にって

言われてるんだけれど」


「え、僕も?

っていうか、それっていつ頃の話?」


「今日の放課後だね。

昔から、思い立ったが吉日って人だから」


今日って、

随分急な話だなぁ。


まあ、あの人なら

不思議じゃないけれど。


「もし晶くんが行きたくないなら、

私に気を遣わずに断ってもらって構わないよ」


「久し振りの遊びの誘いだけれど、

別にそんなに大事な関係でもないから」


そういえば、何年かぶりに

会ったって言ってたっけ。


まあ、断る選択肢もあるとして、

どうするかだな……。


ABYSSに狙われている今の状況を考えれば、

当然、僕に遊んでる暇なんてない。


ただ……気になるのは、

高槻先輩が知ってる切り裂きジャックについてだ。


昨日の話とか、実際にやり合った感触を総合すると、

彼がABYSSであるとしても不思議はない。


情報を得られるなら、

行く価値はあると思うけれど――


「何かあったのかい?」


「――え?」


「いや、何だか真剣に

悩んでいるように見えたから」


「ただ遊びに行くかどうかで迷う人は、

そんな顔をしないしね」


……確かに、遊びに行く行かないで、

ちょっと真剣に考えすぎてたかもしれない。


「そういえば、昨日も色々やってたよね。

黒塚さんに会ったり、龍一くんと授業サボったり」


「それは……生徒会の案件とか、

色々あったりして……」


『ふーん』と、

温子さんが眼鏡の向こうで目を細める。


……やっぱりこんなのは

バレバレの建前か。


「ま、いいんだけれどね別に。

晶くんのプライバシーなんだろうし」


「それに干渉できるような勇気も、

私にはないから」


「ただ、もし本当に何か困っていることがあって、

それに時間制限まであったなら――」


「その時は、

手遅れになる前に話して欲しい」


「力になれるかどうかは分からないけれど、

私のできる範囲でなら、協力は惜しまないから」


真摯な瞳を向けてくる温子さん。


その目が、声が、本気で僕のことを

心配してくれているのだと告げていた。


……ここは甘えるべきなんだろうか?


温子さんなら、

僕にない知恵を出してくれるかもしれない。


高槻先輩にジャックのことを尋ねるなら、

温子さんの協力があったほうが確実だろう。


人が多ければ、

張り込んだりする必要が出て来た場合にも負担が減る。


一人で悩むこともなくなる。


それでも――

それだけのメリットがあったとしても、怖い。


もしABYSSの事を話すことで、

温子さんが危険な目に遭うような事があれば。


もし、温子さんを

守ることができなかったら――


「……迷ってるみたいだね」


「いやー、

そんなことは……」


「確かに、晶くんの抱えている問題は、

私にはどうする事もできないかもしれない」


「それでも、話すことで

何か変わる可能性だってあるだろう?」


「それに、秘密を他人に共有できないまま、

ずっと一人で抱え続けてるのも辛いからね」


それは……。


「無理にとも、今すぐとも言わないよ。

晶くんが話したくなった時でいいから」


私を一杯利用してくれていいよーという、

温子さんの微笑。


……そこまで言ってくれるなら、

打ち明けてみるのもいいか。


「あのさ……ABYSSの事で悩んでるんだ、

って言ったらどうする?」


「……からかってたりする?」


「だったら良かったんだけれどね。

これが冗談だったらって、僕自身が思ってるし」


「でも、嘘偽りなく、

僕は実際にABYSSに遭ったんだ」


温子さんの沈黙/無表情――

きっと、疑っているんだろう。


まあ、信じてもらえなかったしても、

それはそれで問題ない。


実際に戦闘したことだけは伏せて、

このまま事実を並べていこう。





昨日の出来事を一通り話すと、

温子さんは小さく唸ったきり、黙り込んでしまった。


……まあ、さすがに信じられないよな。


僕が温子さんの立場だったとしても、

やっぱり信じてないと思うし。


ましてや温子さんは、

ABYSSを完全に否定していた人だし。


「……ちょっと話を整理したいから、

私のほうから質問していっても構わないかな?」


「え? まあ、いいけれど……」


「じゃあ、相手は何人だった?

全員に顔を見られたのかな?」


「会ったのは二人だよ。どっちにも顔を見られてる。

暗かったから、確証はないけれど」


「でも、生徒会室に残っていた生徒なんて、

少し調べればすぐばれると思う」


「そうだね。

既にばれていると思っておいたほうがいい」


「ちなみに、その仮面をつけた二人は、

どちらもうちの生徒だった?」


「……多分、片方だけかな」


「男女一人ずつだったんだけれど、

男子はうちの制服で、女子はセーラー服だったから」


「なるほど。目の前の情報としては、

男はうちの生徒、女は他校の生徒らしいと」


「服装自体が変装の可能性もあるけれど、

ひとまず男のほうが手掛かりを得やすそうだね」


「他に情報はないかな?

体格だとか、声の高さだとか」


……あれ?


「ん? どうかした?」


「いや……その、温子さんが

あんまり真面目に考えてくれてるんで」


「あれ、嘘だったのかい?」


「いや、まさか!

でも……本当に信じてくれるの?」


恐る恐る尋ねてみる。


すると、温子さんは眼鏡を直して、

しょうがいないなぁとばかりに苦笑いを浮かべた。


「信じるに決まってるじゃないか。

そんな下らない嘘を、晶くんが言うはずないからね」


「晶くんが実際に襲われたっていうなら、

信じる以外に何があるっていうんだい?」


「……ありがとう温子さん。

凄く嬉しい」


「そんなに感謝されるほどのことでもないよ。

晶くんの日頃の行いが良かったからだし」


「それに晶くんは私の……

その、友達だから」


そう言った傍から、

温子さんの顔が赤くなるのが分かった。


まあ、面と向かって改まって言うと、

さすがに恥ずかしいよな……。


こっちも何だか照れ臭くて頬を掻いていると、

温子さんは仕切り直しに大きな咳払いをした。


「晶くんの話は全面的に信じるとして、

少しおかしな点があるね」


「ABYSSと関わりを持ったのが一昨日なら、

既に晶くんに何かしらの接触があるはずなんだ」


「何せ、噂通りのABYSSなら、

確実に隠蔽できるだけの力があるんだからね」


「というわけで確認なんだけれど、見た目以外に、

ABYSSだと判断できる材料はあったのかな?」


「これは晶くんを疑ってるわけじゃなくて、

本当にABYSSなのかどうかを切り分ける確認ね」


「えーと……怪力かな。

生徒会室の扉を軽々吹っ飛ばしてたり」


「あと、もう一人はアーチェリーを連射してた。

秒間一発とかそういう人間業じゃないレベル」


「……なるほど。普通じゃないね」


「でもって、生徒会室の扉を破壊したのに、

翌日にそれが話題にも上らない、と」


「うん。昨日の朝、僕も確認したんだけれど、

痕跡は全部消されてた」


「となると、背後に大きな組織っていうのも、

間違いはなさそうだね」


それなら確かに噂通りだと、

口元に手を当てて唸る温子さん。


「でも、それならなおのこと、

晶くんに対して行動を起こしてるはずなんだけれど」


「あ、一応あったといえばあったよ。昨日」


「……それ、大丈夫だったのかい?」


「うん。尾行されて……」


狙撃された――と口に出しかけて、

ギリギリのところで思いとどまった。


この辺りは有紀ちゃんも絡んでくるから、

黙っておいたほうがいいかな……。


「――上手く撒いて、何とかなった感じ。

あとは切り裂きジャックに襲われたかな」


「切り裂きジャック?

それって、例の偽者かい?」


「黒ずくめで日本刀を持ってたから、

多分それで合ってると思う」


「ただ、その偽者には襲われたっていうか、

巻き込まれた感じかな」


頭上から降ってきた金髪の少女と、

それを追ってきた切り裂きジャック。


路地裏での顛末を話すと、

温子さんは『ふむ』と一つだけ唸った。


「……となると、

ジャックに襲われたのは偶然と見るべきか」


「気になるのは尾行のほうだね。

相手の顔とか服は見た?」


「うん。相手は同年代の三人組で、

うちの生徒じゃないみたいだった」


「他校の生徒か……」


腕を組んで、

考え込むように目を瞑る温子さん。


何か思い当たる節でもあるんだろうか。


「じゃあ、もう一つだけ。

晶くんの今の目的は、ABYSSの特定だよね?」


「そうだね。ABYSSのメンバーを見つけて、

交渉しようと思ってるから」


「じゃあ、私も手伝うよ」


……はい?


「だから、晶くんの

ABYSSの調査を手伝うよ」


「いやいやいや、それは駄目だよ。

気持ちは嬉しいけれど、危ないってば」


「私の心配をしてくれるのは素直に嬉しいけれど、

本当に危険なのは晶くんだろう?」


「その本当の危険に、

温子さんも巻き込むことになりかねないんだってば」


一昨日だって、もしも残っていたのが僕じゃなければ、

そのまま殺されていたはずだ。


それだけで済むならいいけれど、

家族まで巻き込まれる可能性がある。


そんなのに温子さんを関わらせるなんて、

絶対に認められない。


「私だって荒事が得意なわけではないし、

表立って晶くんを手伝うつもりはないよ」


「基本的には、晶くんから話を聞いて意見を出すだけ。

これならそう危険はないだろう?」


「……それでも、

やっぱり危険だよ」


ABYSS側が誰だか分からない以上、

協力者の存在がどこから漏れるか分からない。


もし、秘密の共有がバレてしまえば、

温子さんは十分に口封じの対象になり得るだろう。


そう考えると、やっぱり、

最初から話すべきじゃなかったんだ。


「……話したことを後悔してるのかな?」

だとしたら、その心配は逆だよ」


「もし話してくれなかったとしたら、

私は数日以内に晶くんの調査を始めていたと思うし」


えっ。


「晶くんの行動は昨日から気になってたしね。

まあ、やる前に一度忠告を挟むかな?」


「調べ始めたら、ABYSSに辿り着くのはすぐだ。

晶くんの足跡そくせきを追っていけばいいだけだし」


「だから、その前に教えてもらえたのは、

私としても凄くありがたかった」


僕の気を軽くする方便……ではないか。


温子さんなら、

実際にその通りにやっていそうな気はする。


「さて、そんな私がここで晶くんに置いて行かれたら、

どういう行動に出ると思う?」


「どうって、まさか……」


目の前の温子さんが、

にんまりと笑みを浮かべる。


「うん。もしどうしても私を置いて行くなら、

私は私で勝手に調べる事にするよ」


「幸い、晶くんから聞いた話からでも、

調べられないって事はないからね」


「いや、それはダメだってば!」


「じゃあ、協力させてくれる?」


「それは……」


「じゃあ、私一人で調べるね」


さあどうする? とでも言わんばかりに、

温子さんが僕の目を覗き込んでくる。


……爽と同じで、こうなった時の温子さんは、

絶対に引いてくれないんだよな。


でも……どうする?

本当に、温子さんに手伝ってもらうのか?


一緒に調べたほうが、温子さんを放置するよりは、

何倍もマシだというのは分かる。


でも、どう考えても一番いいのは、

温子さんが関わらないことだ。


そこは絶対に動かない。

温子さんだって、それを分からないはずがない。


なのに、どうして……。


「……どうして、

温子さんは手伝ってくれるの?」


「危険なんだよ? 僕に協力したところで、

何かいい事があるわけでもないんだよ?」


あるのは逆に、

自身の命が危険に晒されるリスクばかりだ。


百害あって一利なしとすら言っていい。


なのにどうして――と訊ねると、

温子さんは大きくため息をついて、首を横に振った。


「晶くんが、

私を巻き込みたくない理由と同じだよ」


僕と同じ理由……?


「晶くんが私に死んで欲しくないように、

私も晶くんを死なせたくないんだ」


「なら、危険に晒される人数が増えたとしても、

より上手く行く可能性のある方法を取るべきだと思う」


「事情まで聞いておいて、

何もできないまま後悔したくないからね」


何もできずに後悔する――


それは、ABYSSから少女を見捨てて逃げた後、

確かに僕の胸に湧いた気持ちだ。


僕が一人で死ねば、その時と同じ思いを、

温子さんにも味わわせることになるのか。


いや――

今思えば、温子さんだけじゃない。


琴子もそうだし、きっと周りのみんなにも、

色んな心配をかけてしまうだろう。


こっちの世界に来たての頃は、

ずっと一人で死んでいくんだって思ってたけれど――


僕はもう、

一人じゃ死ねないみたいだ。


「温子さん」


「何かな?」


「助けて欲しい」


僕と、温子さんを。


僕らに関わる全ての人たちを。


「もちろん。私は副委員長だからね、

委員長を助けるのが仕事だ」


それに温子さんは、

力強い笑顔で応えてくれた。


「さて、それじゃあ

ここからは具体的な話だ」


「結構な情報がある状況だけれど、

晶くんは誰か怪しいと思っている人物はいるの?」


「……鬼塚先輩かな。

根拠は、体格と鬼塚先輩の素行の悪さで」


「それと、こっちは実際に会ってみての感想で、

黒塚さんも怪しいと思ってる」


黒塚さんと会った時の、

最後の言葉を思い出す。


――あなたは近いうちに殺される。


あれは、どう考えても殺人予告だろう。


鬼塚はともかく、黒塚さんに関しては、

ほぼ間違いないはずだ。


「……鬼塚先輩に関しては否定できないかな。

でも、黒塚さんは多分、ABYSSじゃないね」


「え……どうして黒塚さんは違うの?

もしかして、根拠が僕の印象だから?」


「いや、そういうわけじゃないけれど。

ちなみにどんな話をしたの?」


「……ええと、

僕が黒塚さんに探りを入れた感じかな」


「それに対して黒塚さんは、僕が一昨日、

生徒会室に残っていたこと仄めかしてきて……」


「最後には、『僕が近いうちに殺される』

っていう予告まで……」


「ふぅん……なるほどね。

それは怪しい」


「それで、その時に彼女は、

自分がABYSSだって名乗ったかな?」


……はい?

黒塚さんが、ABYSSを名乗る?


そんなの、自分から

言うわけがないと思うんだけれど。


「じゃあもう一つ」


「晶くんは黒塚さんに対して、

『あなたはABYSSですか?』と確認したかな?」


「いや、それもしてないけれど……」


そんなことをしたら、

あの夜の人間が僕だって自白するようなものだし。


そう思っていたところで、

予鈴が鳴った。


「もう時間だね。先生も来るだろうし、

説明はまた後にしよう」


「それと、次の休み時間に

鬼塚先輩の確認に行こうか」


「あれ? 温子さん、

鬼塚先輩の顔が分かるの?」


龍一なら知ってるはずだから、

登校してくるのを待ってたんだけれど……。


「ま、有名な人だからね。

今も昔も、その点に関しては何も変わっていないから」


今も昔も……?


その疑問を口にする前に、

温子さんは手を振って自分の席へと戻っていった。

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