逃れえぬ運命との邂逅2

「!?」


予想通り、

初撃は深い踏み込みからの袈裟に入る一閃だった。


僕が一撃を受け止めたのは意外だったのか、

切り裂きジャックが困惑した風に一歩後ずさる。


……まあ、当然か。


さっきまで素手だった人間が、

無理やりにでも日本刀の一撃を止めたのだから。


しかも、放置自転車の脇に転がっていた、

誰かが取り外しただろう自転車のハンドルで、だ。


もちろん、

その隙を有効活用しない手はない。


「早く逃げろ!!」


背中に庇う少女へと叫び、

噂の正義の味方に突撃する。


本当は、自転車のハンドルこんなもので日本刀と打ち合いなんて、

幾ら金を積まれてもやりたくない。


でも、またあの夜みたいに女の子を見捨てるくらいなら、

多少の無茶でも押し通す気になれる。


ただ、こんなのは

何十秒も持ったら奇跡だ。


何でもいいから、

早く逃げてくれ――!


「ふっ!」


手に持つハンドルを振るう/突く

/思い切って距離を詰めていく。


相手の武器は長物である日本刀。


懐に入ってしまいさえすれば、

とりあえず武器は封じることができるはず――


「ぐっ……!」


フルフェイスの向こうから漏れ聞こえる、

くぐもった呻き。


未だに動揺しているのか、

その身体はやや動きが鈍い。


これは……行けるか?


「おぉおおおおっ!」


勝機と見てさらに踏み込む。


ハンドルで殴ると見せかけながら、

手足も交えて意識を散らすように打撃をばらまく。


軽いながらも端々の打点に手応え――

四つ躱されて三つ当たるようなやり取り。


一方でこちらの被弾はなし。


「っ……!」


黒ずくめの男の舌打ち――

近距離では圧倒的に有利と確信。


予定を変更して、

時間を稼ぐではなく打倒するために前進する。


押し負けまいとする相手が鍔迫り合いを要求。

さながらクリンチといったところ。


もちろんそんなのには付き合う義理もなく、

軸をずらして相手の左側に回り込む。


これまでの動きから判断するに、

相手の利き腕は恐らく右。


この位置からなら、一方的に――


「うっ!?」


そう思っていたところに、

刀が飛んできた。


『嘘だろ!?』という思いで、慌てて後ろに飛び退く

/受け身を取って転がる。


刀の使えない位置をキープしていたはずなのに、

一体どうやって斬り付けてきたんだ?


わけが分からなくて/答えが欲しくて、

跳ね起きると同時に相手を視界に捕らえる。


と、相手も似たような状況で、

砂を払いながら、体をゆっくりと起こしていた。


生まれる推測――まさか切り裂きジャックは、

自ら後ろに倒れ込みながら刀を振るってきたのか?


「おいおい……」


僕より縦も横も一回り大きい体で、

そんな器用なことをやってくるか普通?


それに何より、

幾ら何でもハイリスク過ぎるだろ。


「……そこをどけ」


その型破りな剣士が、

顔の高さに掲げた刀を真っ直ぐに向けてくる。


「そうしたいのも

山々なんだけれどね……」


何度も同じこと考えてるけれど、

こんな危ないことは出来ればやりたくない。


さっきの子はもう、

逃げてくれたか?


追跡させないだけの時間を稼いだら、

僕もさっさと離脱したいんだけれど――


「……分かった」


「え……?」


刀を鞘に納めた?


どういうことだ?


そう、こちらが戸惑った一瞬に、


「寝てろ」


男の真っ黒いメットに、

僕の顔が映りこんでいた。


慌てて回避――が間に合わず、

斜め下からの抉るようなフックを咄嗟に右腕で受ける。


体が宙に浮くような錯覚――

速さと重さに体が泳ぎかける。


そこに飛んでくる膝蹴り。


仕方なく膝を合わせるも、

さらに体勢が崩れてけんけんで後退する有様に。


そこへさらに突っ込んでくる

フルフェイス。


「ちょっ……!?」


勘弁してと思うものの、そんなのが通じる相手でもなく、

不安定な姿勢のところにタックルをかまされた。


一応はガード――が、

体が派手に吹っ飛ぶ/路地裏の汚い道を転がされる。


それでも何とか平衡感覚を保ちつつ、

壁際に行く前に手をついて起き上がる。


ついでに砂を握っておくも、

相手はフルフェイスだということを思い出した。


くそ、面倒臭い。


目つぶしは諦めて砂を手放しつつ、

再度突っ込んできた相手に見据える。


左右の足を踏み替える切り裂きジャック――

小刻みなステップ/摺り足/剣術じみた足捌き。


そこから予測される急激な加速に備えて、

どう来ても逃げられるように腰を落とす。


程なく、長躯が目の前に迫った。


放たれる左拳――避ける。


刀を握ったまま振り下ろしてくる右拳――避ける。


再びの左拳――

受け止める/打ち返す/受け止められる。


そんなやり取りが数度繰り返されると、

自然と乱打戦の様相に。


打つ/躱される/打たれる/受け止める

/前進/後退/回り込み――陣地取りのような殴り合い。


落ちこぼれとはいえ、一応は元暗殺者の僕と

正面から殴り合いで互角というのが笑えない。


何者なんだこいつ?

もしかして、こいつもABYSSなのか?


いや、それにしては、

刀を使ってこない理由が――


そう思っていた矢先に、ジャックが唐突に間合いを離し、

居合い斬りの構えを作った。


「っ……!」


慌てて飛び退く

/体をくの字に折って軌道を空ける。



瞬間、鞘に入ったままの日本刀が、

風切り音を引き連れて闇を走り――



その先にあった壁面に、

蜘蛛の巣じみた罅が刻み付けた。


その破壊力に冷や汗が噴き出す。

大急ぎで飛び退いて距離を取る。


と――


切り裂きジャックは壁に埋まった刀を悠々と抜き、

そら逃げろとばかりに顎をしゃくってきた。


……本当に逃がしてくれるんだろうか?


でも確かに、そろそろ潮時かもしれない。


もういい加減、女の子も逃げただろうし――


「って、はぁ!?」


後ろを見ると、信じられないことに、

まださっきの女の子が残っていた。


「ちょっと、何してんの!?」


「ああ、ごめん。

面白かったから、つい観ちゃってた」


「いや、そんなことしてる場合じゃないから!

早く逃げて!」


せっかく時間を稼いだ僕の努力を、

あっさりと無にしないでくれ!


「あ、後ろ」


「っ!?」


見れば、切り裂きジャックは刀を上段に構え、

今まさに振り下ろさんとしていた。


その標的は僕――ではなく、

延長線上にいる少女。


慌てて体を反転させ、

刀の軌道を逸らすべく男に突っ込む。


助走もなしに吹っ飛んでくれるとも思えないけれど、

せめて体勢くらいは崩れてくれ――


「――え?」


が、躱された。


足を引き、半身ぶんだけずらすことで、

僕のタックルがなされた。


――まさか、

振り下ろそうとしていたのは演技フェイク!?


気付くも既に遅く、見返った時には、

既に切り裂きジャックが刀を振り上げていた。


その狙いの先には、

つまらなそうに男を見上げる人形染みた少女の姿。


口が開く。


待てという言葉が、

喉の奥から噴き出してくる。


けれど、それが音になる前に、

切り裂きジャックは渾身の力で刀を振り下ろし――


真後ろに吹っ飛んだ。


「……え?」


「ちょっと、はしゃぎすぎたね」


少女が、かつんかつんと靴音を立てて、

吹っ飛んだ男の傍へと歩いて行く。


壁際でよろめく切り裂きジャックを見下ろし、

くすくすと笑いかける。


「見てるぶんには楽しかったんだけどね」


「でも、幾ら夜の路地裏だからって、

さすがにこんなところでやっちゃうのはダメだと思うよ」


子供をあやすように語りかける少女に、

男が猛然と刀を構える。


が、何故か少女が男へと手を伸ばしただけで、

ぴたりとその動きを止めた。


「元気なのはいいことだね。

でも、今日はこの辺にしておこうよ」


「それとも――元気だからダメなのかな?」


少女が、かつんと靴を床に打ち付ける。


それで、黒いジャケットはようやく僕らに背を向け、

程なく夜の闇へと融けていった。


「さて……っと」


男が消えたのを見届けてから、

少女が僕のほうへと向き直ってくる。


と――自分の意識の外で、

足が一歩引いていた。


「あれ? もしかして怯えてる?」


……答えは、YESだ。


さっきは気付かなかったけれど、

この子の本当の“判定”は、鈴の音なんかじゃない。



その裏に、時計の秒針のような、

一定間隔で反復するもっと大きな音が潜んでいる。


しかもその大きさは、

昨日のABYSSを遙かに凌駕していた。


「やだなぁ、そんなに警戒しなくてもいいよ?

別に私は、キミをどうにかしたいわけじゃないから」


顔の高さでひらひらと手を振る少女。


その愛嬌のある仕草でさえ、

気を抜くことができない。


先の切り裂きジャックが吹っ飛んだ理由も、

ようやく見当が付いた。


あれは恐らく、この子が隠し持っていた武器――

暗器によるものだろう。


ただ、普通の暗器と違うのは

その威力をとんでもなく上げていることだ。


切り裂きジャックの長躯を

仕込み武器であれだけ吹っ飛ばすほどの暗器。


射程はどこまであるのか。

予備動作は何なのか。


それらを掴むまでは、

この子の傍に寄るのは危険だ。


「んー、やっぱり警戒しちゃうか。

それが普通の反応だから、仕方ないね」


残念だよ――と呟きながらも、

ちっとも残念じゃなさそうな少女の笑み。


……あれ?


この笑顔、どこかで見たことあるような……。


「どうしたの?」


「あーっと、その……

僕らって、どこかで会ったことありますか?」


「一応ね。

多分、キミは覚えてないけど」


フリルのついた裾を揺らし、

近くのビルの壁へと背中を預ける少女。


「私はラピス。

あと……そうだな」


「“Sealed Fate(逃れえぬ運命)”

なんて呼ばれることもあるかな」


……その名前には、

少しだけ聞き覚えがあった。


そう、確かそれは、

こっちの世界に来る前の話。


血を流すことでお金を得ることが当然だった、

暗殺者むこうの世界にいた頃に聞いた名前だ。


曰く――

『“Sealed Fate”には関わるな』。


触れるどころか、

視界に入れることさえ敵わない。


気が付けば、

その時には既に自身の首が落ちている。


狙われたら最後、

標的は必ず逃れえぬ運命を辿る――と。


暗殺者の間でさえ伝説のように囁かれていた、

絶望の象徴。それが“Sealed Fate”だったはずだ。


ツチノコよりも遭遇率が低そうなのに、

まさか、目の前にいるこの子が……?


「ふふ、信じられない?」


「……いえ」


例え本物だろうと偽物だろうと、

僕にとって敵わない相手であることは間違いない。


どっちでも同じことだ。


だったら、もう血で血を洗う世界に戻る気がない以上、

この子とは関わらないほうがいいだろう。


「あの……もう大丈夫みたいですし、僕は行きますね。

ちょっと急がないといけないんで」


「あぁ、別に構わないよ。

引き止めちゃってごめんね」


少女が壁から背を離し、

屈託の無い笑みを浮かべる。


……早々に開放してくれて良かった。


ABYSSと関わってしまったこの状況で、

これ以上、変なことに巻き込まれたくない。


「それじゃあ、気をつけて」


頭を下げて、制服の埃を払い、

さっさと少女に背を向ける。


それから、念のため警戒は切らさないようにしつつ、

急いでその場を後にした。


「うん。またね――」


後ろで、僕の名前を呼ばれた気がした。


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