温子の復帰2
『やっぱり昨日の現場を見ておきたい』
そんな温子さんの強い希望に押される形で、
結局、僕らは廃ビルに向かうことになった。
ただ、予想通り収穫はなし。
片山の手下の死体はもちろん、
血の跡も消えてなくなっていた。
「あれって、
やっぱりABYSSが片付けたの?」
「そうだと思うわ。
私が一応、パートナーに報告したから」
「……処理された人は、
やっぱり戻って来ないんだよね?」
「そうね。こればっかりは
仕方ないと思うしかないわよ」
黒塚さんの淡々とした意見に、
温子さんは深い溜め息をついた。
「……うちの親には、
何て言えばいいのかな?」
「さあ。分からないわね」
「今は『捜索願いを出すか?』
って話になってるんだけれど……」
「絶対に帰って来ないって
分かってると……その……」
「……一応、忠告しておくと、
周りの人に話すことだけはやめておきなさい」
「あなたが狂ったとしか思われないでしょうけど、
必要なら、ABYSSは一家もろともやるから」
力なく俯く温子さん。
……やっぱり、
何かがおかしい気がする。
けれど、それが何なのか、
考えようとしても上手くまとまらない。
僕は、一体何を――
そう思ったところで、
ふと、何かがいるのを感じた。
いつか感じたものと全く同じ感覚。
方向も、その時と同じく上方。
この場所で、この感覚とくれば――
「二人とも、止まって」
前を進む二人へ声をかける。
その直後、いつか見た少女が、
空からふわりと現れた。
「な……何なのこいつっ?
どこから出て来たの?」
「……ビルから飛び降りてきたとか?」
動揺する二人。
けれど、そんな二人が見えていないかのように、
ラピスは真っ直ぐ僕へ、屈託のない笑みを向けてきた。
「やあ、お久し振り」
「……どうも」
「こいつ、
笹山くんの知り合いなの?」
「まあ、カテゴリ的には
そうなるのかな……」
過去二回遭遇しただけだし、
断じて仲がいいわけじゃないけれど。
というより、伝説の殺し屋らしいこの子に、
僕なんかが関わりを持っていること自体がおかしな話だ。
今日も、一体どうして
僕らの前に現れたんだ……?
いや、とにかくまずは、
二人をいつでも庇えるように前に出ないと。
「あ、そんなに警戒しなくていいよ。
別に何もする気はないから」
「……そうしてもらえると助かりますね」
僕じゃ、この子に勝てる可能性なんて
ほぼゼロだろうし。
「晶くん……この子って、前に話していた子かい?
あの、ジャックに追われていたっていう」
「それは……」
「ということは、
この子もABYSSでいいんだね?」
「ふぅん?」
黒塚さんと温子さんが、
敵意も顕わにラピスを睨み付ける。
「いや、ちょっと待ってよ。
この子は多分、敵じゃないんだ」
「でも、ABYSSなんでしょう?」
「いや、それもあやふやというか……。
とにかく、最初から喧嘩腰で行くのはやめない?」
「そうそう。
今日はお喋りしに来ただけなんだから」
「一体何の話だ?」
「それは、君たちが決めることじゃないの?」
「私たちが……って」
思わず、温子さんと顔を見合わせる。
それってつまり、
情報提供をしに来てくれたってことか……?
「何が目的だ?」
「んー、目的かぁ。
じゃあ、慈善事業ってことにしておいてよ」
「あなた、頭おかしいんじゃないの?」
いや、黒塚さん直球過ぎ。
「私たちを罠にハメようとしてるのか?
偽の情報を流して」
「いや、そんなことしないよ。
そんな遠回りするくらいなら、ここに罠を張るし」
「不可能じゃないでしょ?
君たちがビルに入っている間に用意するくらいなら」
……確かに。
僕らがここに来ることがバレてたのは、
公園から尾行されてたからだろう。
その上で、ここで待ち伏せできるなら、
人を呼んで罠を張るくらい余裕だ。
「だから、ホントに慈善事業だよ。
今回の件は、ハッキリ言って私も気にくわないから」
「でも、立場上、直接手を貸せないことだけは
理解してもらえると嬉しいかな」
道化じみた仕草で、
かつんかつんと靴を鳴らすラピス。
それを、温子さんが
訝しげな顔で睨み付ける。
「温子さん……警戒するのも分かるけれど、
聞くだけ聞いてみようよ」
「僕らが待ち望んでた情報源であることは、
間違いないんだし」
「真偽は、僕らのほうで
判断すればいいんだから」
「……そうだね」
温子さんの諦めたような頷き。
……きっと、ABYSSは全部、
極悪非道な敵だと思い込みたいんだろう。
その気持ちはよく分かる。
でも、温子さんには悪いけれど、
僕はどうしてもこの子から聞き出さなきゃいけない。
「ええと……ABYSSに浚われた
妹を探しています」
「どんな情報でもいいから、
もし知っているなら教えて下さい」
「ああそれ、近いうちに見つかると思うよ。
私が情報を流しておいたからね」
「――ほ、本当ですか!?」
「うん。夕方には君の耳にも入るんじゃないかな?
「琴子が見つかる……」
いきなりのニュースに鼓動が早くなる。
……いや。
けれど、信用してもいいんだろうか?
こんな情報は、
さすがに上手く行きすぎなんじゃ……。
「ただ、君の妹が戻ってきたら、
もうABYSSのことは忘れたほうがいい」
「……は?」
「もしなんなら、君たちを見逃してもらえるように、
私から上にお願いしてあげてもいいよ」
「そんなことが出来るんですか?」
「もちろん、簡単にできることじゃないよ。
というか、普通ならまずできない」
「ABYSSは秘密が漏れないように、
基本的にゲームの勝者しか生かさないし」
「でも、今回は偶然が重なってチャンスができたんだ。
今回の責任者が、大きな失敗をしたから」
「これ以上は、向こうにとっても致命傷になりかねない。
だから、今なら引き返すことができるよ」
よかったね――と、
ラピスが微笑みを浮かべる。
その表情からは、
真偽を図ることはできない。
ただ……話の内容としては、僕らが最初に狙っていた、
ABYSSとの縁の切り方そのままだった。
強大な組織だからこその弱点。
末端は、あくまで末端でしかない。
失態が本部のほうに知られてしまえば、
自分の首を切られかねない。
だから、失態を――
どういう失態かは分からないけれど、隠す。
失態の原因となった僕らとは、
最初から全く関わらなかったことにする。
もし、そんな方法が採れるのだとすれば、
願ったり叶ったりだ。
けれど――
それで、いいのか?
本当に、このまま全てを
終わらせていいのか?
「ん? どうする?」
「……何でそんなことをするのよ?
笹山くんたちとは何の関係もないはずのあなたが」
「言ったでしょ、慈善事業だって。
特に彼の場合、巻き込まれた経緯が経緯みたいだし」
「だから、このまま忘れてくれるなら――」
「――忘れるだと?」
少女の言葉を遮って。
憎しみのこめられた声で、
温子さんがぽつりと呟いた。
「忘れられるわけがないだろう!
誰が忘れてやるか! ふざけるな!」
「ABYSSは爽を殺した!
私の家族を、妹を殺したんだ!」
「――あ」
「そんな奴らのことを、
忘れられるわけがないじゃないか!」
そう……だ。
思い出した。
温子さんの妹のことを。……爽のことを。
逆に、どうして忘れていたのかと、
自分の頭を疑いたくなる。
爽。爽を殺されたんだ。
あの時、あの地下室で。あの血の海で。
「私はこのことを一生忘れない。一生許さない。
だから、手を引くつもりなんかない!」
「……復讐に心を燃やすのはいいけど、
それってあんまり意味ないと思うけどなぁ」
「はぁ!?」
「だってそうでしょ?
君がABYSSに勝つのは、どう考えても不可能だし」
「っ……!」
「『復讐なんかしたって死んだ人間は喜ばない』
なんて言うつもりはないよ?」
死人の気持ちなんて分からないしね――と、
ラピスが首を傾ける。
「でも、自己満足の域を出ないんじゃないかなぁ。
やったらスッキリはすると思うけど、それだけでしょ」
「そんな、一時的な満足のために人生を投げ出すのは、
やめておいたほうがいいと思うけどなぁ」
「ちょっと……
いい加減に黙りなさいよ」
「黙らないよ。言ったでしょ?
今日は慈善活動をしに来たって」
「それとも……えー、黒塚さんだったかな?
君は、この子をプレイヤーにでもしたいの?」
「それはっ……」
「ね? そういうわけだから、
全部忘れたほうがいいんだよ」
「君の妹は死んだ。でも君は生きてる。
よかったじゃない、死んだのが君じゃなくて」
「死んだのが爽で、よかった……?」
少女の心ない言葉に、
温子さんの表情がみるみる険しくなっていく。
そして思い切り睨みつけながら、
「この――!」
少女に掴みかかろうとしたところを、
すんでの所で取り押さえた。
「駄目だよ、温子さん……」
「晶くん、でも……!」
「お願い……。
温子さんまで死なせたくないんだ」
腕の中で暴れる温子さんを、
何とか傷つけないように押さえ込む。
それでも温子さんは、
しばらく抵抗をやめず暴れ続けた。
けれど、ラピスに向かうのは不可能だと知ると、
ぐったりと体から力を抜いた。
それでも、その瞳だけは、
じっと少女のほうを睨みつけていた。
「幾ら睨んでも意味はないよ。
君じゃ私は殺せないから」
「復讐も同じ。
そこには不利益しかないよ」
「……えっ?」
その言葉が耳朶に触れた瞬間――
小さい頃に、
父さんから教わった言葉が脳裏に蘇った。
いつ教わったのかは、もう覚えていない。
それでも――僕が凄く小さい頃で、
確か、親戚の誰かが殺された日の夕食の席だったと思う。
『お前たちも、覚えておけ』
そう。そうだ。
『もし、誰かに攻撃されたとしても――』
言葉は少し違うけれど、間違いない。
『報復はしても、仇討ちはするな』
『権益を守るための報復はともかく、
復讐は不利益しかもたらさない』
あの時、父さんもまた、
復讐を無意味だと言っていた。
それでも。
『それでも』
言っていた。
どうしても、復讐をしたい時は――
『どうしても、
復讐を成さなければならない時は――』
「――頭だけを潰せ」
「……!」
「晶……くん?」
「え……?」
周りに視線をやると、
みんな、驚いたように目を見開いて僕を見ていた。
……もしかして、
考えてたことが口に出てたりしたのか?
「……うん。やっぱり君、いいね」
ラピスがご機嫌そうに笑い、
踊るようにブーツで地面を叩く。
「それでも、今回はやめておいたほうがいいよ。
君たちじゃ、目的を達成することはできないから」
「……そうですか」
「そうそう。よく考えてみて。
でないと、嫌われてまで忠告した意味がないからね」
青い目の向いた先では、
温子さんが悔しそうに唇を噛み締めていた。
「それじゃあ、悪者はそろそろ行くね。
用件は一応済んだから」
「はい……ありがとうございました」
忠告と情報をくれたのだからと、
一応、頭を下げる。
と、少女は何がおかしかったのか、
くすくすと笑って――
『じゃあね』と片手を上げた後、
その姿を消してしまった。
「……何なの、あのクソガキ?」
「黒塚さん、
相変わらず直球だね……」
クールなイメージとのギャップには
もうだいぶ慣れてきたけれど。
「それより、いつまで朝霧さんに抱き付いている気?
いい加減、セクハラで訴えられるわよ」
「わぁ! ご、ごめん!」
慌てて温子さんの身体から離れる。
と同時に、温子さんが膝に手をついて、
がっくりと項垂れた。
「温子さん……」
「……すまない、晶くん」
えっ?
何で温子さんが謝るんだろうか?
「せっかくABYSSと縁を切るチャンスだったのに、
私が邪魔をしてしまって……」
「ああ……そんなことは気にしないよ」
「……爽の顔がね」
温子さんの体が震え出す。
「最後に見た爽の顔が、
頭からずっと離れないんだ……」
「その顔を見てたら、
爽に、何かをしてやらなくちゃって……」
俯いて顔を覆った髪の向こうから、
ぽたりぽたりと雫が落ちる。
……感情を一切抜きにして、
損得で考えるなら。
あの子の/父さんの言う通り、
復讐なんてしないほうがいいんだろう。
僕だって分かる。誰だって分かる。
比べるまでもない問題だ。
でも――それでも、
温子さんは許せないと口にした。
いつも合理的な判断をしてくれる温子さんが、
泣きながら復讐を叫んだ。
その姿が、危なっかしくて。
今にも消えてしまいそうで。
気付いたら、
温子さんの手を取っていた。
温子さんが、
びっくりしたように僕の顔を見つめてくる。
大きな涙の粒が、
瞳から今にも零れ落ちそうになっていた。
その雫が頬を濡らすところを見たくなくて、
もう片方の手でそっと拭った。
「あきら、くっ……」
温子さんの顔が、
くしゃくしゃに歪む。
握っていた手が、小さな肩が、
細かく震える。
それに僕は、何も言えなくて、
ただ温子さんを引き寄せた。
そして、肩の辺りで、
温子さんの嗚咽を黙って聞いた。
か細い声だった。
小さく震える体が頼りなかった。
僕に触れる彼女の全てが、
普通の女の子だった。
それを知ってしまったら、もう、
合理的とかどうとか一切どうでもよくなった。
代わりに溢れてきたのは、
胸を焦がすような決意。
そう。
例えどんな選択をしても、
この子は、絶対に僕が守らなきゃ――と。
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