手紙の送り主2












……え?


何だ、この声……?


これって、まさか……。


嘘だろう?


だって、これは、


たった今、僕が適当にでっち上げた、

嘘の出来事のはずなのに――



「……じゃあ、何でなの?」


「――えっ?」


暗い声で呼び戻されて、

思わず体が跳ねた。


いきなり視界が広がったような錯覚を起こす

/僅かな目眩/動悸――悪夢から目覚めた時のよう。


余韻が残っているのも目覚めと同じで、

ぐちゃぐちゃの頭の中に疑問ばっかりが浮かぶ。


あの声はなんだ。


あのやり取りはなんだ。


即席の想像のくせに、

どうしてこんなにもリアルなのか――


「答えて」


佐倉さんの声。

光の加減で、表情がよく見えない。


……とりあえず、

彼女の問いに答えないと。


「いいよ。……なに?」


「私を助けるためだったって、本当なの?」


「本当だよ」


「危害を加えるつもりもなかったの?」


「なかった」


「じゃあ……」


「どうして……私の首を絞めたの?

殺そうとしたの……?」


「……え?」


何だそれ……首を絞めた?


さっき言ってたのはそれのことか?


でも、僕はそんなこと――


「あ……」


っていうか、ちょっと待て。

何を混同してるんだ僕は。


首を絞めた締められたっていう話は、

あくまで佐倉さんの妄想の中でだろう。


さっきの意味不明な声につられて、

佐倉さんの妄想まで僕と地続きにしてどうする。


状況的に否定ができないだけで、

その真偽に関しては、考えるまでもない。


だって、僕が佐倉さんの首を絞めるわけが――



――そう思っていた頭が、一瞬で冷えた。


何だ、これ?


誰かの腕と……顔?


耳鳴りがする。

全身の血が足下に落ちていく。


息が上手く吸えず/吐けず、

空風が隙間を抜けるような変な音が混じる。


何だこれ。


苦しそうな顔――何だこれ。


その人の喉元に伸びる、誰かの腕――何だこれ。


恐らくは、首を絞めている誰か――何だ、これ。


嘘だ。


僕は知らない。だから、嘘だ。


だから、これはきっと僕の妄想でしかない。


なのに、掌がじわりと熱くなるのは何故か。


そもそも、どうしてこんな映像が浮かぶのか。



息が荒げる。息が苦しい。


現実感が欲しくて、

震える手で制服の胸元を握りしめる。


けれど、消えない。


耳鳴りも、掌の熱も、

先の男たちの声も、悪い夢のような光景も。


嘘だ。


嘘だ。


こんなのは、嘘だ――


「もういいッ!!」


「!?」


気が付けば目の前には、

凄く冷たい顔をしている佐倉さんがいた。


「もう、いいよ……

殺そうとしたんでしょ?」


「ち、違う!」


首を振る。

咄嗟に否定の言葉が飛び出す。


けれど、佐倉さんの顔は変わらない。


「何が違うの?

首を絞めてきたでしょ?」


「違う! 僕じゃない、

僕じゃないんだよ!」


「じゃあ、あれは誰なの?」


「し……知らない。

でも、僕じゃないんだ!」


「……晶ちゃんになりすましてる“何か”の

あなたがやったんでしょう?」


「ち、違う!

僕は晶だ、笹山晶だ!」


「でも、僕じゃないんだ!

やったのは、僕じゃ……!」


顔を俯ける。


佐倉さんの薄寒い瞳から目を逸らす。


自分でも何を言ってるのか、

全然分からない。


ただ、何か分からないけれど、

否定し続けなければいけない気がする。


否定しないと、とにかく怖い。


怖い、のに――


幾ら否定しても、嘘の映像や声が、

脳裏に焼きついたまま消えてくれない。


現実に差し込まれる、偽物のはずの映像も。


二月も半ばの凍えるほどの寒さも。


胸が悪くなるような男たちの声色も/赤色も。


手の中で脈打つ喉の温かさも。


全てが全て、消えてくれない。


臭いのようにこびり付いて、

否定の下から隠しきれない異臭を放ってくる。


妄想のはずなのに、


これじゃあまるで、


僕のほうがおかしいみたいで――





「違うんだよ!」


気がついたら、

手が前へと伸びていた。


佐倉さんの肩を掴む。


ひっ――と、

佐倉さんから悲鳴が上がる。


けれど、何とか僕じゃないことを伝えたくて、

逃げだそうとする彼女を力を入れて繋ぎ止めた。


それから、違うことを訴えようと、

口を開いたところで――


「痛っ……!」


左手の甲に、鋭い痛みが走った。



見れば、震える那美ちゃんの手に、

血の付いたナイフが握られていた。


「那美、ちゃん……」


「あ……」


那美ちゃんが口元に手を当てて、

怯えるように後ずさる。


目に浮かぶ動揺の色。


「あた、し、あたし……!」


那美ちゃんが、

何か言いたそうに口を開く。


けれど、結局何も言わずに、

逃げるように中庭から走って行った。


「那美ちゃん、僕は……」


その背を、僕は追えなかった。





……中庭を後にしてから、

購買部前の自販機でホットココアを買った。


そして、誰もいない廊下に腰を下ろし、

ゆっくりとプルタブを開いた。


鼻先に溢れる蒸気。


その甘さに、

強張っていた体が少しだけ緩むのを感じる。


熱くて一気には飲めないけれど、

合間に吐く息と一緒に、嫌な気持ちも出て行く気がした。


そうして、熱いから温かいに変わりつつある缶を手に、

さっきの中庭での出来事を思い出す。



中庭さっきのは、本当に何だったんだろうか。


無かったはずのものが見えて。


無かったはずの声が聞こえて。


もしかして、佐倉さんの言う通り、

実は僕のほうがおかしくなってしまっているのか?


本当は気付いていないだけで、

人を殺して――


佐倉さんの首を絞めて。


「……」


右の掌を眺める。


今残っているのは缶の温かさだけれど、

さっきは確かに喉頸のどくびの熱を感じていた。


じゃあ、やっぱり僕は、

本当に佐倉さんの首を絞めたんだろうか?


「……ないな」


もし、実際に佐倉さんの首を絞めたとしたら、

僕はそれを一生忘れることはないだろう。


佐倉さんだけじゃない。

身近な人なら誰でもだ。


なのに、そんなことを今まで忘れていたというのは、

ちょっと考えづらい。


それに、僕は人を殺せない。


人を殺せないからこそ、

暗殺者から普通の人になったんだ。


幾らやっても殺せなかった昔を考えれば、

『今になって急にできました』はないだろう。


そう考えると、

やっぱりあの映像には疑問が残る。


今回、佐倉さんの話を聞くことで

初めてあの映像を見たことから推察するに――


僕が暗殺者の頃に見た、死体等の記憶を組み合わせて、

佐倉さんの話に沿った想像を喚起させられた感じか。


やけにリアルだったのは、

それだけ佐倉さんの話が真に迫っていたから。


「……そういえば、

佐倉さんも何かおかしかったな」


幾ら何でも、

佐倉さんがナイフを持ち出してくるだろうか。


殺人鬼と相対することを想定すれば、

武器を用意してても不思議じゃないけれど……。


「何にしても、やっちゃったなぁ……」


大きな溜め息が出る。

体育座りの膝の間に頭を挟み込む。


僕が上手く話をできれば、

もっと違う結果もあったのかもしれないのに。


温子さんとの約束まで破っておいて、

このざまか。


「ホント、どうしようもないな……」


溜め息が零れる。


室内の陰が濃くなってきた。


夜が来る。

ABYSSかれらの時間が、始まる。


「……帰ろう」


僕には他にやることがある。


もちろん、佐倉さんのことは大事だけれど、

それだけに構っているわけにはいかない。


ココアの残りを飲み干す――

傍にあったゴミ箱に空き缶を差し込む。


それから、少しだけ駆け足で下駄箱へと向かった。





「……あれ?」


上履きを履き替えようと思ったところで、

誰かの下駄箱から靴がはみ出しているのが目に付いた。


僕以外はもう帰ったと思っていたのに、

まだ誰か残ってるのか?


一体誰だろうと、

下駄箱の蓋についている出席番号を確認。


えーと、女子の出席番号三番……。


――出席番号三番!?


これって、

確か温子さんだよな?


別れてから結構時間が経ってるのに、

どうしてまだ残ってるんだろうか。


楽器の手入れをしたら、

すぐに帰るって言ってたのに。



……電話も出ないな。


コールしてみたものの、

すぐに留守番サービスに接続された。


別にこれ自体は珍しいことじゃないけれど……。


「……部室に行ってみるか」


何か、嫌な予感がする。





「――うわ」


「あん? お前……」


何とも間が悪いことに、

部室に向かう途中に鬼塚がいた。


鬼塚とも必ずどこかでやり合わなきゃだけれど、

今は温子さんのほうが優先だ。


「すみません、僕、急いでるんで」


適当にやり過ごすべく、

頭を下げて脇をすり抜ける。


できることなら、

このまま見逃して――


「ちょっと待てよ」


……くれないか、やっぱり。


こちらの肩を掴んできた手をさり気なく払いつつ、

鬼塚に目を向ける。


「……何でしょうか?」


「分かってんだろ」


「僕、急いでるんです」


「テメェは急いでるか知んねぇけど、

俺はテメェに用事があんだよ」


「この間のじゃ勝った気がしねぇ。

今から決着つけんぞ」


ああもう……本当に面倒臭い。


でも、鬼塚側からすれば、

僕とやる理由しかないんだろうな。


個人的な因縁でも、ABYSSとしても。


もし強引に逃げようものなら、

下手をすると家まで来られる可能性だってある。


……腹を括るしかないか。


「分かりました。

決着を付ければいいんですね?」


「……ああ!」


獰猛かつ嬉しそうに笑う鬼塚。


殺人鬼かと思ったら、

どうやら戦闘狂だったらしい。


でもまあ、こういうタイプのほうが、

明確な目的を持っているだけにやりやすい。


「決まってないなら、屋上にしましょうか。

あそこなら誰もいないはずですし」


「いいぜ。屋上だな」


さっさと行くぞ――と、

鬼塚が僕の前を歩き出す。


……僕が逃げる可能性は

考えていないんだろうか?


リスクが大きすぎてやらないけれど、

後ろからの奇襲だってしようと思えばできるのに。


そういうことをしないと思ってるのか?

それとも、されても対処できる自信がある?


「……単純に正直なんだろうなぁ」


「何か言ったか?」


「いえ別に」


でも、そういう性格はありがたい。


『敗者は勝者に従う』と条件を付けておけば、

この手の人間はまず守ってくれるだろう。


……問題は、僕が勝てるかどうか。


技巧を見るに、

限りなく低い可能性ではあるけれど――


もしも仮に、あの夜に見た鬼塚の力が、

修練の末に手に入れたものだとすると。


つまりは、鬼塚が薬の力に一切頼らず、

あの力を手に入れたのだと仮定すると、だ。


絶対に、僕では敵わない。


黒塚さんの例に見るに、ABYSSは薬を使用すると、

その身体能力が桁違いに跳ね上がる。


あれだけ非力だった黒塚さんであれなら、

鬼塚が仮に薬を使用したら、一体どうなるんだろうか。


……正直、あまり想像したくない。


だからこれは、一つの賭けだ。


こういう賭けは、

もう少し情報が集まってからにしたかった。


けれど、どうせいずれは通る道だ。

最善を尽くすしかない。


そんな決意を固めていたところで、

ふいに前を歩く鬼塚の歩が止まった。


一体、何が――


「……鬼塚くん。

晶くんを連れて、何をしようとしているんですか?」


「あぁ?」


唐突に、昨日の昼と同じような状況が再現されて、

頭が真っ白になった。


「聖先輩……!」


「晶くん、鬼塚くんに何か言われたようなら、

従うことはありませんよー」


「生徒会の元副会長として、

私が校内での暴力行為は見逃しません」


えっへんと胸を張る聖先輩。


普段なら頼もしいその姿が、

今に限っては空気の読めない行動にしか見えない。


というか、鬼塚相手なんだぞっ?

どう考えても、説得とか無理に決まってる。


「……毎回うっせぇんだ、テメェはよぉ!」


ほら、予想通り――


「俺がコイツと何をしようと、

テメェには関係ねぇだろうが。あぁ!?」


「関係ありますよ。大ありです」


「鬼塚くんと私はクラスメイトですし、

晶くんは生徒会の大事な次期エースくんです」


「ここで暴力沙汰なんかになって、

二人とも退学になったりしたら、私は泣いちゃいます」


「勝手に泣いてればいいだろうがッ!

それともアレか? 俺が今すぐ泣かせてやるかオイ?」


泣かせるって……まさかコイツ、

先輩を殴ってでもどけるつもりか……?


そんなことやろうとしてみろ。


その瞬間、

僕はお前の腕を後ろからへし折るぞ。


「先輩、僕はいいから早く逃げて下さい!」


「大丈夫です」


「先輩っ!」


叫ぶも――聖先輩は動かない。


鬼塚の脅しにも、僕の忠告にも動じることなく、

頬を膨らませたまま、鬼塚の前に立ちはだかっている。


「……上等だ。後悔すんなよ」


首を鳴らして、

先輩に一歩踏み出す鬼塚。


くそ、やる気かコイツ……!


だったら、今すぐお前の腕を――


「鬼塚くん。

私の言うことが聞けませんか?」


「っ……!?」


「……えっ?」


一瞬、目を疑った。


ただ、鬼塚の踏み出したはずの一歩が、

元の位置に戻っていた。


何事かと見れば、鬼塚は額に汗を浮かせて、

上半身が僅かに反らせている。


まさかコイツ……

聖先輩にビビッてる、のか?


「引いてくれますよね、鬼塚くん?」


聖先輩の微笑――

同意を求めるように首を傾げる。


と、鬼塚は舌打ちを一つしてから、

僕を睨み付けてどこかへ歩いていった。


聖先輩が……追い返した、のか?


「ごめんなさいね、晶くん。

彼、悪い人じゃないんですけど、ケンカっ早くて」


「あ、いや……こちらこそ、助かりました」


「昨日の件で私から注意したのに、

今日もまた同じようなことをやって……」


また、びしっと言わないとダメですね――と、

聖先輩が頬を膨らませる。


「というわけで、

私はこれから彼を追いかけます」


「晶くんももう遅いですから、

気を付けて帰って下さいね」


それではまた、と手を振って、

聖先輩は鬼塚を追いかけていった。


「……何なんだ、一体?」


何か、ごく普通に追っ払ってしまった。


クラスの委員長に指摘されたくらいで、

鬼塚があんなに簡単に従うなんてとても思えない。


あの二人の間に、何かあるのか……?


例えば、僕と佐倉さんみたいに、

幼なじみだったとか。


「……いや、それより今は温子さんだな」


考えることは、後で幾らでもできる。


変なところで時間を食ってしまったけれど、

さっさと音楽室に行かないと。


帰宅したならそれでいい。

残っていたなら一緒に帰ろう。


ただ、もし変な痕跡が残っていたなら、

その時はすぐにでも探しに走らないと。





部室は……カギがかかってるか。


まあ、人がもう残ってないなら、

当たり前といえば当たり前か。


でも、部室にいないとすれば、

一体どこに行ったんだ?





結局、教室も回ってみたものの、

温子さんはいなかった。


念のため、もう一度電話をかけてみるも、

結果は同じ。


考え過ぎなのか?


そもそも、温子さんを探している理由も、

嫌な予感がしたっていうだけだし。


ただ、放っておくのも何となく気分が悪い。


「……もう一度下駄箱を見てみるか」


それでも靴が残っていたら、

今度こそ本気で探してみるとしよう。





そうして昇降口に戻ってみると、

温子さんの外履きがなくなっていた。


ってことは、僕とすれ違いで帰った感じか。

余分な心配だったな。


まあ、何事もないならそれが一番だ。


これ以上残ってまた変なことがあっても困るし、

僕も早いところ帰るとしよう――



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