那美の変化2





「……来たよ、温子さん」


「うん。わざわざごめんね」


約束の放課後――


吹奏楽部の部室の前までやってくると、

温子さんはドアにもたれていた体を起こした。


「それで、話って?」


「えーと……そうだな。

まずは佐倉さんのことからいこうか」


佐倉さんのこと……?


「前から気になっていたんだけれど、

晶くん、彼女のことを随分と気にしているよね」


「最初は委員長としてなのかなと思っていたけれど、

どうにもそういう感じじゃない」


「だから、前に何かあったのかなって」


「……逆に質問なんだけれど、

どうして温子さんはそれを知りたいの?」


「まあ、理由は色々かな」


「佐倉さんと晶くんの仲が悪いとして、

その影響範囲とか、彼女の将来とか」


「他にも、私が二人の間に入れないかなとか、

無理ならカウンセラーに任せたいとか」


「そういった色々を、全部ひっくるめて――

副委員長としてじゃダメかい?」


副委員長として、か……。


本心がどうであれ、温子さんにそう言われたら、

僕には断る理由がない。


……まあ、それはあくまで建前。


断ろうと思えば断れる。


ただ、それをしようと思わないのは、

僕自身に誰かと共有したい気持ちがあるからだ。


彼女との在りし日と――

今の、どうしようもない手詰まりを。


「分かった。じゃあ話すよ」


「うん、ありがとう」


とはいえ、どこから話すべきか。


……まあ、最初からだな。


「佐倉さんはね、

僕の一番最初の友達なんだ」


「僕さ、実はここが地元じゃなくて、

小さい頃に家庭の事情で引っ越してきたんだよ」


……暗殺者だった頃が思い出される。


殺し、殺される世界。


僕自身も例に漏れず、家族はほぼ全滅し、

日なたに僕だけが放り出された。


手元に残ったのは、殺人の技巧と、

生きるための教えだけ。


「その当時の僕は、

色々、知識はあったんだと思う」


「同級生よりも色んなことを知ってたし、

客観的に見て、考え方もずっと大人びてた」


それが、非日常で生きていくのに

必要だったから。


人間の殺し方はもちろん、不測の事態への対応も考えて、

ありとあらゆる知識を詰め込んでいた。


体験はなくとも、

“知らない”を避けるために。


生存率を、可能な限り上げるために。


「だけど、それって実は全然必要じゃなくて、

逆に枷になるようなものだったんだよね」


「大切なのは、年相応の人生の楽しみ方と、

人に対する優しさだったんだなって」


「……それを与えてくれたのが?」


「うん、佐倉さんだったんだ」


笹の葉の下での出会い。


それが、僕の人生を決めただなんて、

僕以外の誰が思うだろうか。


「恩人って言うと安っぽい気もするけれど、

佐倉さんがいたからこそ、笹山晶があるんだと思う」


だからこそ、時々ぞっとする。


果たして、あの日に彼女に会わなかったのなら、

僕はどんな人生を送っていたのだろうか――と。


「……佐倉さんには、

ほんとに良くしてもらったんだよ」


「今思い返しても、数え切れないほどに貰ったし、

量りきれないほどを貰ったと思う」


「まあ、それは多分、他の人は持ってるのが普通で、

別に何てことないものなんだろうけれどね」


「でも、僕にとっては、

全部初めて触れるものだった」


「もしかすると、佐倉さんにもらってなければ、

ずっと手に入らなかったのかもしれない」


「……話を聞く限りだと、

今の佐倉さんとはまるで逆みたいだね」


「うん。信じられないかも知れないけれど、

佐倉さんってクラスの中心にいたんだよ」


「凄く明るくて、元気で、優しくて……」


「多分、佐倉さんを嫌いな人なんて、

誰もいなかったと思う」


「『嫌いな人なんていなかった』……ね」


「あ、ごめん。それだと、

今の佐倉さんが嫌われてるみたいな言い方だった」


「いや、別にそういう意味じゃないよ」


「それより、変わったのはいつ頃?

もしかして病気に関係があるのかな?」


「それは……違うと思う、かな」


「確かに、心臓に病気を抱えたのも同じ頃だけれど、

激しい運動ができなくなっただけだから」


「一時的に落ち込んだりはしたけれど、

すぐに元気になったし、それが原因じゃないと思う」


……うん。

その頃までは普通だった。


変わったのは、そう――


「この学園に入る直前かな。

いきなり、僕を寄せ付けないようになったんだ」


「本当に突然過ぎて、

僕にも何があったのか、全然……」


ふむ――と、

温子さんが口元に手を当てて頷く。


「佐倉さんが寄せ付けなくなったのは、

晶くんだけなのかい? 他の人は?」


「それは……他の人もじゃないかな。

僕の把握してる限りだけれど」


「この学園に入った頃にはもう、

佐倉さんは孤立してたと思う」


「……なるほどね」


「だから、僕にも何が原因なのか、

全然分からないんだ」


それまでの関係がまるで夢だったみたいに、

ある日いきなり崩れ去った。


気がつけば――五里霧中。


何もできないまま、

ここまで来てしまっている。


「一つだけ確認したいんだけれど、

晶くんは佐倉さんと仲直りしたいんだよね?」


「もちろん」


考えるまでもない話だ。


そうでなければ、

叩かれてまで関わる人間なんていない。


「分かった。それじゃあ、

佐倉さんについては私がどうにかしてみよう」


「えっ?」


「まずは、佐倉さんからも

話を聞かないといけないけれどね」


「晶くんの味方をしたいとは思うけれど、

片方の意見だけを鵜呑みにするのはよくないから」


「それと、晶くんはしばらく佐倉さんに近付かないこと。

恐らく、そうするのが一番いい」


「あ……うん、分かったけれど……」


「ん? 何か問題があった?」


「いや、温子さんはいいのかなって。

佐倉さんのことを任せちゃって」


温子さんなら『二人の問題だから解決も二人で』って

言うのかと思ってたのに――


「だって、晶くん自身にも

原因が分かってないんだよね?」


「……はい、その通りです」


「原因が分からない。

その上、当事者が原因に関わっている可能性がある、と」


「だったら、被害者“らしい”佐倉さんには、

第三者が当たるべきじゃないかな」


……確かに、

それが一番いいかもしれない。


今までは、僕と佐倉さんの問題だからって、

他の人には頼らずにやってきた。


けれど、警戒――というか嫌われてる現状、

僕一人でどうにもならない部分があるのは間違いない。


そこを温子さんにお願いできれば、

もしかすると色々分かるんじゃないだろうか。


原因とか、嫌われている理由とか――


「……あ」


「何か気になるところがあった?」


「あ、そういうわけじゃないよ。

ただ、言い忘れてたことがあったのを思い出して」


日直だったあの日の放課後、

教室で佐倉さんが逃げる直前に口にした言葉――


「佐倉さんの中では、

僕は笹山晶じゃないらしいんだ」


「……どういう意味だい?」


「僕もよく分からないんだけれど、

『あなたは晶ちゃんじゃないから』って」


「ふむ……分かった。

その辺りを聞いてみることにするよ」


「ホント、よろしくお願いします」


改めて頭を下げる。


「うん。任せてくれ」


「……さて、これで用事の一つ目は終わり。

ここからは与太話だ」


「与太話?」


「本当は昼休みに話したかったんだ。

色々あって、結局は放課後になってしまったけれど」


……本当に、与太話なんだろうか?


あの温子さんが、わざわざ僕を呼び出してまで、

ふざけた話をしてくるとは思えない。


実は、こっちが本命の話なんじゃないのか?


「温子さん、」


「――ABYSS」


続く言葉を遮るようにして。


「ABYSSについて、

少し話したいことがあるんだ」


温子さんは、その名を口にした。


狂おしくも忌まわしい、

殺人クラブの名を。


「……どうしたの、いきなり?」


与太話、とは銘打っているものの――


あれだけ馬鹿馬鹿しいと言っていた事柄について、

温子さんから話を持ちかけてくるなんて……。


「……晶くんは、

まだABYSSの調査を進めているのかな?」


「えっ?」


「私はABYSSのメンバーだ」


「――!」


嘘だろ……!?


温子さんがABYSSだなんて、

まさか、そんな――


「……晶くん、顔に出すぎ」


「えっ!?」


慌てて手で顔を隠すと、

温子さんは『はぁ』と大きく溜め息をついた。


「全く……ちょっと試してみたら、

やっぱりって感じだね」


「そんなんじゃ、

ミイラ取りがミイラになるんじゃないのかい?」


『えー、こんなのに引っかかるんだ』とでも言いたげに、

目を細めてじーっと見つめてくる温子さん。


それでようやく、

自分がからかわれたんだと理解できた。


「温子さん……

冗談ならもっと笑えるやつにしてよ」


「ふふふ、冗談じゃないぞ。

私はABYSSだ」


「はいはい」


引きつる顔でおざなりに返答。


けれど、何だかんだで、

温子さんがABYSSじゃなくてホッとした。


「でも、何でこんなことするかなぁ?」


「決まってるじゃないか。

晶くんが、ABYSSの調査をまだ続けてるからだよ」


……まあ、今さら『してないよ』とは

ごまかせないか。


「予め言っておくと、私はあの都市伝説のABYSSは、

実在していないと思ってる」


「だから、ABYSSの調査もやめるべきだと思ってる。

どうせ無駄に終わるだろうしね」


「それでも……

きっと晶くんは続けるんだろう?」


「……そうだね」


「であれば、そこに関しては、

私は無理に止めることはしないよ」


「でも、晶くんは危なっかしいから、

そのまま放っておくのはちょっと怖いかなって」


「鬼塚先輩に殴られたりしたみたいに、

またトラブルに巻き込まれかねないし」


「さっき見たとおり、ちょっとABYSSを匂わせれば、

それだけで顔に出てしまうし」


「そこは……言い訳できません、はい」


「だから、私の持つ情報を予め晶くんに提供して、

せめて危険に近づかないようにできればと思ったんだ」


そういうことか……。


それなら、調査に反対してる温子さんが、

わざわざ僕に話を持ちかけてきたのも分かる。


「でも……それって与太話ところか、

むしろ有益な話じゃないかな?」


「いや、与太話だよ。

だって、ABYSSはそもそもいないんだから」


あー、そういうことか。


あくまで温子さんとしては、

ABYSS調査に反対ってスタンスだと。


「それと、この情報に関しては、

私の考えというだけで特に裏付けがないんだ」


「あとはまあ……

下らなすぎて、笑えないから」


下らなすぎて笑えない……?


「ま、そういう諸々を含めて、与太話ってこと」


……つまるところ、

信じるも信じないも自由だよという話か。


でも、恐らくは参考になる、と。


「オッケー。

とりあえず前提は理解したよ」


「その上で、温子さんの与太話、

聞かせてもらえるかな?」


ああ、と温子さんが頷く。


同時に、その目が与太話をするとは思えないほど、

真剣なものに変わった。


「片山信二、って知ってるかな?

同じ二年の男子生徒なんだけれど」


「……知ってる」


ただ、温子さんの口から

その名前が出て来るのは予想外だった。


真ヶ瀬先輩のリストに

名前が上がっていた男子生徒。


そして、昨日、佐倉さんと一緒にいた、

有紀ちゃん曰く『いい噂がない人物』。


「……その人が、どうかしたの?」


「片山がABYSSだ」


一瞬、息が詰まった。


片山が……佐倉さんと会っていたあの男が、

ABYSSだって?


「あくまで私の推測だけどね」


「ただ、推測ができるということは、

それなりに理由があるということさ」


「……どんな理由なの?」


「一つは、片山の人間性かな。

壊れていると表現するのが、恐らく一番手っ取り早い」


「表面上は人当たりのいい優等生を装っているけどね、

アレの内面はぐちゃぐちゃだよ」


「アレからすると、人間の命なんて、

ルーレットのチップほどの価値しかない」


「その上、人生はゲーム、世の中はゲームなんていう、

バカげたことまで考えている始末だ」


……ここまで言うってことは、

片山って生徒は、温子さんの知り合いなんだろう。


ただ、ちょっと言い過ぎてる気が

しないでもない。


温子さんは他人に対して、

そこまで興味を持たないと思っていたんだけれど……。


「だから、アレは遊びで人を殺せる。

むしろ、スリルを求めて、自分から率先してそうする」



「自分が楽しめれば、

他人が傷付くことに躊躇がないんだ」


「さらに言えば、

無能だから傷付くんだと思っている」


「……昔の誰かさんみたいにね」


その、誰かさんっていうのは、

もしかして……。


「――とにかく。片山が危険なのは間違いないよ。

少なくとも、ABYSSだったとして不思議じゃない」


「急にこんなことを聞かされても、

信じられないかもしれないけれどね」


「いや……信じるよ。

僕も、その人のよくない噂を聞いたことあるしね」


『誰かさん』はさておき――


片山についての温子さんの評価は、

有紀ちゃんの話とも大きくずれていない。


個人的な感想というよりは、

客観的な意見と見るべきだろう。


いずれ接触していたかもしれない相手だけに、

事前に情報が手に入ったのはありがたい。


「ただ、ちょっとびっくりかな」


「どうして?」


「あんまり他人を悪く言うことがない温子さんが、

ABYSSだとまで言うとは思わなくて」


「……もう一つ、

片山をABYSSだと思った理由があるんだ」


「片山が所属している――というより、

恐らくは主催をしているゲームサークルがある」


「ゲームサークル?」


「本人曰くね。私も昔の付き合いで誘われたんだけれど、

断ったから活動内容は分からない」


「ただ、あのゲームオタクが、

今さら普通のサークルを作るのは考えられないんだ」


「かといって、麻薬やら何やらを片山は嫌うだろうから、

そっちが目的とも考えづらい」


現実とゲームの境界も引けない、

選民思想のアホだからね――と温子さん。


それなら確かに、クスリで違う世界に行ったり、

自分の体を痛めつけるようなことはしないだろう。


「一応、猥褻な行為が目的ならあり得るけれど、

それならもっと、可能性の高いものがある」


「……殺人?」


その通り――と、温子さんが頷く。


「だから多分、“ゲーム”というのは殺人の隠語で、

片山の作ったサークルがABYSSなんだと思う」


「片山の人間性と私の勘が根拠だから、

さすがに弱いけれどね」


……なるほどな。


確かに、根拠は弱い。


ただ、あり得る話ではある。


日常をゲームのように捉える人間がサークルを作り、

種々の目的――欲望を持つ人間が部員として集結。


そこに、気まぐれか何かで権力が手を貸せば、

ゲームサークルが殺人クラブと化してもおかしくはない。


例え、そこに権力が加わらなかったとしても、

十分に危険なサークルだろう。


「どちらにしろ、

片山って人は警戒したほうがいいってことだね」


「そういうこと。

警戒だけじゃなくて、近づかないほうがいいよ」


「ABYSSについては与太話かもしれないけれど、

片山に関しては納得できる部分も多いだろう?」


「だね。彼には関わらないようにしようと思った」


「そう言ってくれるなら、

話した価値があるかな」


「……まあ、『彼には』じゃなくて、

ABYSSの調査自体を止めて欲しいんだけれどね」


「それは……まあ、そんなに長くは続けないし、

お目こぼしして欲しいかなぁ」


「ダメだ見逃せない。

私はABYSSだからな」


「はいはい」


くすくす笑いに苦笑いで返答する。


そうしながら――胸中でごめんと謝る。


温子さんには申し訳ないけれど、話を聞いて、

余計に片山って人と関わらなきゃいけなくなった。



昨日の放課後――

思い出されるまさかの組み合わせ。


佐倉さんが変な誘いに乗るとは思えないけれど、

危ない可能性がある以上、さすがに見過ごせない。


「……何にしても、

無理だけはしないで欲しいね」


「分かってる。

絶対に無理はしないから」


今朝の黒塚さんとのやり取りもあったし、

深追いが危険だっていうことは学習した。


ABYSSとは既に三戦して実力も分かったし、

今後動くとしても、まず安全を確保してからだ。


「さて、これで話は全部終わりだ。

すまないね、こんな与太話に付き合わせてしまって」


「いやいや、凄い有益だったよ。

ありがとね、温子さん」


「いえいえ。

役に立ちそうなら何よりだよ」


「それじゃあ、僕は教室に戻るけれど、

温子さんは?」


「そうだな……せっかくだから部室で、

ちょっと楽器の手入れをしていこうかな」


「ああ、部活休みだもんね」


「そういうこと。

まあ、十分くらいで終わるし、私もすぐに帰るよ」


「そっか。それじゃあ、また来週に」


「ああ、また来週」



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