爽への行為

「幽、大丈夫!? 幽!?」


倒れている黒塚さんに爽が取り付き、

耳元で声をかける。


けれど、

黒塚さんは何の反応も示さない。


吐瀉物に塗れた髪に顔を埋もれさせ、

ぐったりと地面に横たわったままだった。


「酷い……」


「何でこんなにするわけ!?

頭おかしいよ!」


「いや、そんなにするつもりは……」


「嘘ばっかり!

喜んでやってたくせに!」


喜んで?

いやいや、そんなわけがない。


「僕はただ、黒塚さんが襲ってきたから、

それに対応しただけだよ」


「それに、黒塚さんをけしかけてきたのは、

爽のほうだろ?」


「そんなの、晶が嘘をついてたからでしょ?

ABYSSなのに、違う違うって言い張って!」


「いや、だからそれは違うってば!」


「どこが違うの?

幽をこんなにしておいて、どこが違うっていうのっ?」


「こんなことできるのなんて、

どう考えても普通の人間じゃない!」


普通の人間じゃないって……。


「温ちゃんも……こうやって殺したの?」


「は?」


「温ちゃんのことも、

何度も何度も殴って殺したんでしょっ?」


「いや、僕はやってないってば!」


「じゃあ、仲間がやったの?」


「仲間とかも違うから!」


「僕はそもそも、

温子さんの件に関して何も知らない」


「爽が思ってることは、

全部誤解だし間違ってるんだ」


「……また、そうやって嘘つくんだ」


「嘘じゃない。僕は――」


「晶はABYSSなんでしょ!

分かってるんだから!」


違う。それは違う。


そんなのは爽の思い込みだ。


「僕はABYSSじゃない!」


「じゃあ、どうして幽が

こんな酷い目に遭ってるわけ!?」


「それはだから、黒塚さんが……」


「晶がABYSSじゃないなら、

何もしなければそれで済んだじゃん!」


「ABYSSだから、

幽のことを返り討ちにしたんでしょ!?」


「だから違うんだよ!」


「何も違ってないじゃん!

さっきの晶は、幽を殺そうとしてたじゃん!」


「いや、してないって!」


「してたよ! あんなことして

死なないとでも思ってたの!?」


「それは……」


「プレイヤーとABYSSが殺し合うのは、

当たり前なのかもしれないよ?」


「でも幽は、晶が温ちゃんのこと教えてくれれば、

晶のことを助けてくれるって約束してくれたの!」


「だから、大人しくしてって言ったじゃん!

幽だって、抵抗するなって言ったじゃん!」


「なのに、

何でこんな酷いことすんのっ?」


「何でって……

そんなの、当然だろ?」


「襲いかかられたら、返り討ちにするって。

正当防衛だよ、さっきのは」


「黒塚さんがプレイヤーだろうが違かろうが、

襲いかかってくれば僕は身を守らなきゃいけない」


「爽の話は結果を元にして言ってるだけで、

僕の行為自体は正当なものでしょ。違う?」


「違う! だって、さっきの晶は、

幽を蹴ってた時の晶は、ずっと笑ってたんだから!」


「笑って……?」


僕が? 嘘だろ?


「嘘じゃない。晶、ずっと笑ってた。

あたしが止めるまで、ずっと」


「そんなことしてるのに、正当防衛?」


「そんなの、あたしは絶対認めない」


爽が、涙の溜まった瞳で

僕を睨み付けてくる。


「……もし、晶がどうしても人を殺したいなら、

あたしを殺してよ」


「その代わり、幽は絶対に殺させないから」


「なに……言ってるんだよ?」


「そんなことするわけないだろ!

どうしてそんな話になってるんだよ!?」


「じゃあ、何で温ちゃんは浚ったの?」


「だからっ……違うんだって!」


「僕はABYSSじゃないし、

温子さんを殺してもいない!」


「温子さんの居場所だって分からないし、

黒塚さんも爽も殺す気なんてない!」


「何でこれだけ言ってるのに、

全然分かってくれないんだよ!」


「嘘ばっかり言ってるのに、

何で信じてもらえると思ってるわけ!?」


「階級章も持ってて! すぐバレる嘘をついて!

人を傷つけるのを楽しんでて!」


「これがABYSSじゃなければ

何だっていうのさ!?」


「っ……!」


話が何度もループする。


何度ループしても、何度説明しても、

爽が僕の話を聞いてくれない。


何で、そんなに信じてくれないんだよ?


僕は一時的に所属してるだけで、

ABYSSなんかじゃない。


そりゃあ、さっきは黒塚さんにやられて頭に来て、

思わずやりすぎた。


けれど、それだって、

元はと言えば黒塚さんが悪いんじゃないか。


黒塚さんをけしかけてきた、

爽が悪いんじゃないか。


僕は何も悪くない。


僕は違う。僕じゃない。


何で、爽にはそれが分からないんだ!?


「黙ってるってことは、

やっぱりあたしの言う通りなんでしょ?」


「だから……

違うって何度も言ってんじゃん!」


「じゃあ何が違うの?

晶がABYSSじゃないって?」


「それとも、ABYSSに入ってはいるけど、

心までABYSSじゃないとか言うつもり?」


「そんなのに騙されるわけないじゃん!

バカにしないでよ!」


「自分から希望して

ABYSSに入ったくせに!」


「――」


……なんだ、よ、それ。


なんだよ、それ。


何だよそれ……!


「何だよそれっ!?」


「何だよって……そのまんまでしょ?

人殺しをしたいからABYSSに入ったんでしょ?」


「はぁ!? ふざけんなよ!

僕を何だと思ってんだ!?」


僕が、どれだけ爽のためを思って

動いてたか分かるか?


僕が入らなかったら、

爽はあの後で処分されてたんだぞ?


温子さんの件でだって、

僕は助けようと思って動いてきた。


見返りが欲しいなんて、一度も思ったことないけれど、

感謝されておかしくないほど動いているつもりだ。


なのに、僕が自分から希望してABYSSに入った?

人殺しをしたい!?


ふざけんなよクソ!!


「何度も言ってるけれど、

僕はABYSSじゃないんだよ!」


「それを信じないで、

爽はただABYSSって決め付けて!


「何で黒塚さんは信じられて、

僕のことは信じられないんだよ!?」


「そんなの当たり前じゃん!

嘘ついてる人を信じられると思ってるの?」


「だから勝手に決め付けんな!

僕が嘘をついてる証拠がどこにあるんだよ!?」


「階級証が本物かどうかだって、

どうせ爽には全然分からないんだろ?」


「それは……でも、幽が!」


「黒塚さんが、なに?

黒塚さんが言ったから無条件で信じるの?」


「はっ、何だよそれ?

黒塚さんがABYSSだったらどうすんだよ!」


「幽がABYSSだったら、

そもそもあたしなんか相手にしてないよ」


「それに、晶は知らないかもしれないけど、

幽は本当にいい人なんだよ?」


「だからってABYSSじゃないとは

限らないだろ?」


「あと、何だよその言い方。

僕がいい人じゃないみたいな」


「べ、別にそんなつもりは……!」


「じゃあどんなつもりだよ。

ほら、言ってみなよ」


「……幽は信用できるって意味で言ったの」


「ふーん。僕は信用できないのに、

黒塚さんは信用できるんだ」


「そ……そうだよ。当たり前じゃん」


「幾ら温ちゃんのこととか聞いても、

晶は嘘ばっかり言って全然話してくれなかったじゃん!」


「だからそれは、本当に知らないって言ってんだろ!?

どうして信じないんだよ!?」


「黒塚さんのほうが人間的に信用できるとしても、

その情報の信憑性までは保証されてないだろ!?」


「なのに、どうして黒塚さんは信用して、

僕は全然信用しないんだよ!?」


「そんな……あたし、

全然なんて言ってない!」


「明らかな嘘に対して、

本当のことを言ってってお願いしてるだけじゃん!」


「その時点でもう信用してないだろ!」


「『僕はABYSSじゃないです』って、

何度言ってると思ってるんだ!」


「でも、それは証拠が……」


「何それ、またさっきの話にループ?」


「いいよ、もう一回言ってあげるよ。

僕はいい人だからさぁ!」


「――で、爽には階級証が本物かどうかも、

黒塚さんがABYSSなのかも分からないんだよね?」


「さんざ僕に嘘つくな信じられないって言ってて、

黒塚さんは大して疑いもせずに信じてるんだよねっ?」


「う……」


「『う……』じゃない!

ちゃんと答えろよ、絶対逃げるなよ!」


「さっき、あれだけ僕に対して

『逃げたから悪い』だの言ってくれたんだから!」


「で、でも……」


「でもじゃない!

ほら、早く言えよ!!」


「……分かん、ない」


「はぁ!? なに?

聞こえなかったからもう一回!」


「あ……あたしにはっ、

階級証が本物かとか、分かんない!」


「へぇ! じゃあ爽は、それが分からないのに、

僕を嘘つき呼ばわりまでしてたんだ!」


「で? 僕に黒塚さんをけしかけて、

それを撃退したらやり過ぎだって?」


「ったく、人をバカにするのも

いい加減にしろよ!!」


「その……ごめ、ん。でも……」


「なに? でも、なに?

まだ僕に何か言いたいわけ!?」


「あーいいよ、別に言いたいなら言えば!

ほら、早く言いなよ。言えってば」


「僕は“いい人”だから、

何度でも聞いてあげるからさぁ!」


「そんな……

そんな言い方ってないでしょ!?」


「じゃあどんな言い方すればいいの?

ほら、言えよ。爽の要求に合わせてあげますよ」


「何それ……」


「あたしも悪かったけど、別にそんな言い方する

必要ないでしょ!? 酷いよ!」


「悪かった“けど”ってなんだよ“けど”って!

爽はこう言われるくらいのことを、僕にしたんだぞ!?」


「それは……ごめんなさい。

そこは、あたしが全部悪い。認めるし謝る」


「温ちゃんがいなくなって、

あたし、どうしていいか分かんなくなって……」


「やっと手がかりとして晶に辿り着いて、

焦ってたあたしが悪い」


「……ほんとごめん」


「だからって何をしてもいいわけ?

へー、凄いねー爽は! 偉いんだねー!」


「だ、だからっ……

何でそんな酷い言い方するのっ?」


「あたし謝ったじゃん!

晶にちゃんとごめんなさいって言ったじゃん!」


「あたしだけ責められてるけど、

晶だって悪い部分があるでしょ!?」


「は? 僕の悪い部分?」


僕に、落ち度は――


……いや。

そんなもの、あるわけない。


今回の件で、

僕は一つも悪くなんてない。


爽が僕のことを疑わなければ、

こんな状況になんてそもそもならなかったんだから。


「何だよ、まだ僕を嘘つき呼ばわりしたいわけ?

ごめんって言えば何言ってもいいと思ってんのかよ?」


「そういうわけじゃない。

そういうわけじゃなくてっ……」


「じゃあ何だよ?」


「あ、あたしはっ、ただ……

晶に酷いこと言って欲しくないだけなのにっ……」


爽が、ごしごしと目元を擦る。


「なんで……?

屋上で会った晶は、こんな人じゃなかったのに……」


「……何それ?

じゃあ、僕はどんな人だったんだよ」


「晶は……晶は、

もっと他の人の痛みが分かる人だった!」


「誰にでも……ムカつくけど誰にでも優しいし、

もっとずっといい人だった!」


「だから、何だよそれ?

僕が悪い人だって言いたいの?」


「今の晶は、あたしの気持ちなんて、

全然分かってくれないでしょう!?」


「……はぁ!?

勝手に人のこと決め付けるなよ!」


「違うよ! 全然分かってない!」


「他人の気持ちが分かってるかどうかは、

他人が決めるんだよ!」


「はぁああああああ!?」


「前の晶は、それを分かってた。

だから、みんなだって……」


「……温ちゃん、だって、

晶のことが好きだったんじゃん!」


「そういう晶だったから、

素直に自分を出せたんじゃん!」


「っ、だからぁ、

勝手に決め付けるなよ!」


「だいたい、何それ!?

僕はそんな都合のいいヤツだと思われてたのかよ!?」


「違う! 何でそんな、

悪いほうに解釈するの!?」


「ネガティブな解釈ばっかりさせるんだろ!

爽が、僕に!」


「それもまだまだ説明しないと分からない!?

ホントバカだね爽は!」


「っ……何よ!

晶の方が全然何も分かってないくせに!」


「あたしのっ、あたしの気持ちもっ、

全然一ミリも気付いてないくせにっ!!」


「あぁもう、うるせぇなぁあああっ!

どっか行けよマジで!」


「なっ……何よバカ晶!

バカ、バカッ! 最低!」


「っ――この、

うるさいっつってんだろっ!!」


「きゃあっ!!」



「あー……クソ!」


爽のあんまりなしつこさに耐えきれず、

思い切り突き飛ばしてしまった。


っていうか、こいつ、

何でこんなにしつこいんだよ?


あたしの気持ち?

知るかバカ!


いつまでも僕が

都合よく話を聞いててくれると思ってるのか?


「痛っ……」


しかも、これ見よがしに痛がりやがって。

か弱いあたしアピールか?


そのデカいケツから落ちたんだから、

そんなに痛いわけないだろ。


……っていうか、よく見たら、

ホントいいケツしてるな。


あの白くて肉付きのいい尻は、

どれだけ滑らかなんだろう?


想像したことはある。


しばらく前に、爽のスカートの中を見た時から、

時々思い出してはむらむらしてた。


あの時は窓越しだったけれど、

今は、こんなに近くにあるのか。


手を伸ばせば、

それこそ触れられそうな距離に。


「あー……」


よく考えたら、今のこの状況――


何でこんな、おあつらえ向きなんだ?


僕と爽の他には、

気絶した黒塚さんしかいなくて。


幾ら声を出しても、

誰にも見られる心配のない場所で。


他に誰も人が来ることはないような場所で。


「……」


ごくりと、喉が鳴った。


街の喧騒が、凄く遠くに聞こえた。


周囲に他の音はない。


あるのは、埃っぽいにおいと、

痛みに濡れた爽の声。


その喘ぎと、夕闇の中でもやたらと白い爽の足に、

目と耳が奪われる。


スカートの隙間に見え隠れする下着に、

そこに影をつける肉厚の尻肉に、心臓の鼓動が早くなる。


『やめとけ』という声が聞こえた気がした。


実際、やめたほうがいいと思った。


でも――


体の内から溢れ出す衝動が、

さあ早くしろと急かしてくる。


鼓動を強めて/早めて、

ほら手を伸ばせと叩いてくる。


その本能的な、

甘い蜜のような欲求に、僕は――





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