晶VS幽


温子さんがいなくなってから、

四度目の朝――


教室の扉を開けようとしたところで、

ちょうど爽が教室から出て来た。


「おはよう、爽」


「……」


「え……? ちょっと、爽?」


呼びかけるも、

爽からは何も返ってこなかった。


そのまま、僕に一度も振り返ることなく、

真っ直ぐに廊下を歩いていった。


「……何なんだ?」


今日の爽は、

昨日までとは様子が明らかに違う。


僕が目に入っていなかったわけじゃない。

見た上で、意図的に無視していた。


そんなに思い詰めてるのか?


まさか、自殺を考えてるなんてことは……。


「おお、笹山。

どうした、教室入らないのか?」


「ごめん宇治家くん、

僕ちょっと行ってくる」



「……何だ、あいつ?」






「どこにもいない……」


爽の行きそうな場所は全て探したものの、

どこに行ってもその姿はなかった。


もしかして、家に帰ったとか?


それとも、街中に温子さんを探しに出かけた?



……予鈴か。


とりあえず、教室に戻るか。


爽が学園の中にいれば、

帰ってくるかもしれないし。


念のため、

携帯にメールだけ入れておこう。





そうして、教室に戻ったものの――


結局、爽は帰ってこなかった。





――爽から連絡が来たのは、

放課後になってからのことだった。


「爽、どうしたの? 早退したの?」


「……晶。ちょっと来てもらいたいんだけど、

今すぐ来られる?」


「え? まあ、大丈夫だけれど……」


電話をかけてきたと思ったら、

いきなり呼び出し?


何だか、爽らしくない。


「爽、ちょっとおかしくない?」


「別に」


「じゃあ、今日はどこに行ってたの?

日中、ずっといなかったでしょ」


「……温ちゃんを見つけるのに、

ずっと動き回ってた」


「学園を……早退して?」


「うん。おかげで、

どうにかなりそうな感じ」


「手掛かりか何か見つかったの?」


「まあね。

それで、晶にも来て欲しいんだけど」


……爽がらしくないのは、

温子さんに手が届きかけてるからか。


朝から動き回ってもいるだろうし、

いつもの調子じゃないのは仕方ないんだろう。


「分かった、すぐ行く。どこに行けばいい?」


「場所は――」





爽に呼び出された場所は、

繁華街だった。


そこからさらに路地裏へと入って、

あまり人の来ない道を進む。


「……こんなところに、

温子さんの手掛かりがあるの?」


「ある」


素っ気ない答えに、

思わず閉口する。


思えば、爽と合流して以来、

ほとんどまともな会話をしていない。


いや、会話どころか、

目をまともに合わせてさえいない。


普段の、こっちが嫌でも構ってくる爽からすると、

とても考えられない態度だった。


それに、普通は手掛かりが見つかったら、

もっと喜んでもいいはずなのに……。


何だかまるで、爽というより、

一人でいた頃の温子さんを相手にしてるみたいだ。


この、目の前を歩いている子は、

本当に朝霧爽なんだろうか――


そう思っていたところで、

淀みなく動いていた靴がぴたりと止まった。


「着いたよ」


「ここは……」


覚えのある建物に、

思わず爽の顔を見る。


「入るよ」


爽は、眉も動かさずに呟いた。





爽の先導に従って、

廃ビルの中を進む。


けれど、本当はそんなものは必要ない。


何故なら、ここは――


片山がアジトとして使っている建物で、

僕も何度か足を運んだ場所だったからだ。


どうして、

爽がここを知っているんだろうか?


調べ着いたにしても、この場所に、

温子さんに続く手掛かりがあるんだろうか?


もしあるのだとすれば……

僕が、片山に騙されていたことになる。


ただ、それは考えづらい。


片山がもしも犯人だとすれば、

温子さんの捜査の協力をする理由がないからだ。


あったとしても、自分を犯人の線から外したり、

僕に恩を売る程度だろうか。


それにしたって、僕との接触は最小限に留めて、

調査もしてる振りをするだけでいいだろう。


片山が直接動かなくても、部下を僕に貸すとか、

違った形で協力の姿勢を見せることはできたはずだ。


それをせずに、片山自身が動いていた以上、

彼が犯人とは考えづらい。


そう考えると、

爽の言う手掛かりっていうのは一体……。





「晶」


開けた場所に出たところで、

爽が振り返ってきた。


それから、声を出す間もなく、

爽が僕の胸ぐらを掴み上げて来た。


「ちょ、ちょっと爽?」


「晶、温ちゃんのこと知らない?」


……は?


「ちょ……そ、爽っ?

どうしたのいきなり?」


「だから、

温ちゃんのこと知ってるでしょ?」


「いや、知らないよ!

っていうか、何で僕が知ってると思うのさっ?」


「何で? 何でって?」


爽の眉間に、深い皺が刻まれる。

眼差しが敵意を帯びる。


そのあまりの強烈さに、

かけようと思っていた言葉が消し飛ぶ/思わず仰け反る。


その一瞬の空隙に、

爽の右手が滑り込んできた。


「あっ……!」


そうして、不覚を認識した頃には――


既に、内ポケットに入っていたABYSSの階級章を、

爽に抜き取られていた。


「やっぱり……」


手の中にある階級章を見つめながら、

爽が『ほらね』と小さく呟く。


「温ちゃんのこと、知ってるんでしょ?」


「いや、それは……」


「違うの?

じゃあ、どうして晶がこれ持ってるの?」


「どうしてって……」


「……日中に拾って、

生徒会に届けようと思って忘れてただけだよ」


「嘘つかないでよ。

ABYSSの階級章なんでしょ、これ」


「階級章をなくしたら殺されるんでしょ?

そんなの落とすわけないじゃん」


……知ってて盗ったのか。


だとしても、

ABYSSだと認めるわけにはいかない。


「ちょっと……

何を言ってるか分からないんだけれど」


「……とぼけるんだ」


「いや、とぼけるも何も……」


「丸沢豊」


――聞き慣れた名前が出て来た瞬間、

思わず息が詰まった。


「片山信二、伊藤雄二、山田はじめ、栗川正行」


けれど、爽はそんな僕の反応なんておかまいなしに、

どんどんと名前を挙げていく。


「鬼塚耕平、森本聖、阿部真、それと……」


その中には、疑問を挟む余地もなく、

ABYSSの人間の名前が入っていて――


「笹山晶」


当然のように、

爽の口からは僕の名前も飛び出した。


「これ、何だと思う?」


「……さあ」


「ABYSSの候補」


分かりきってるくせにと、

爽の瞳が告げていた。


けれど、未だに信じられなかった。


あの爽が。


温子さんならともかくとして、あの爽が、

どうやってABYSSに辿り着いたんだろうか――


「選定基準はまあ、色々だけど、

あたしが設定した基準は大きく分けて三つ」


「一つは、成績優秀者」


「ABYSSの性質を考えると、

秘密であることがまず何より大事になる」


「だから、普段は素行を疑われないように、

模範的な生徒に化けてるに違いないって考えた」


「次に、素行不良の人間」


「一つ目と矛盾してるように感じると思うけど、

成績優秀であることと素行不良は両立できる」


「手に入れた力を儀式の中でだけ使うなんて、

普通の人間にできるわけがない」


「無害を装ってても、必ずどこかで、

力を振るってるはず」


「三つ目は、入学してから――つまり三年以内に、

人付き合いや性格の変わった人間」


「ABYSSとしての活動を始めたら、

今までとは違う交友が必ず生まれる」


「それに、人を殺したりしていれば、

その前後で性格とかも絶対に変わる」


「肝が据わったり、すぐ解決を暴力に求めたり、

逆にいつでも殺せるからって温厚になったりね」


……ぐうの音も出なかった。


爽が挙げた特徴こそまさに、

ABYSSの面々の特徴だったからだ。


そして――

僕も例外なく、それに当てはまる。


「ねえ、晶。

晶は最近、片山とか丸沢と仲がいいよね」


「それは……」


「隠さなくてもいいよ。

分かってるんだから」


「温ちゃんを探すのにみんなで解散した後、

公園で片山と会ってたりね」


……あの時、見られてたのか。


「最近、夜に帰るのが

遅いって言ってたのもそのせい?」


「鬼塚とも知り合いだったよね。

晶と鬼塚なんて接点なかったのに」


「付き合い始めたのは最近?

それとも、前から繋がってたの?」


「ねえ、答えてよ」


「……」


少なくとも――

状況証拠は、全部押さえられてるってことか。


でも、それらはまだ、

決定的な証拠にはなり得ない。


「……あのさ。

それってちょっと前提おかしくない?」


「前提?」


「ABYSSがある風に言ってるけれどさ、

そんなの存在するわけないでしょ」


「温子さんも言ってた通り、

ABYSSなんて単なる都市伝説なんだから」


ABYSSの存在がなければ、鬼塚や片山との関係は、

単なる学生同士の交友でしかない。


「だから――」


「都市伝説だったら、

プレイヤーが存在するわけない」


「っ!?」


言いかけていた言葉が、喉の奥で止まった。


まさか……黒塚さんと繋がってるのか?


そんな僕の内心はお見通しだと言わんばかりに、

爽が真っ直ぐ僕の目を見据えてくる。


「……幽を巻き込むのは苦労した。

幽の立場もあるから当然だけど」


「でも、あたしのほうでも情報を提供して、

温ちゃんを助けたいってお願いしたらOKしてくれた」


「だから、とぼけても無駄。

もう、全部押さえてるから」


――しん、と。

ビルの中が静まり返った。


手足の先が冷たくなるのが分かった。


もう、ごまかせるレベルじゃないのは、

どう考えても明らかだった。


爽は、この場所で僕と対峙するに当たって、

完璧に証拠を集めてきている。


爽とこれ以上問答を交わしたところで、

こちらの不利な情報がざくざくと出てくるだけだ。


となれば、もう――


「逃げる?」


「うっ……!」


「この階級章さえ回収すれば、

状況証拠しかないから……奪って逃げる?」


「なん、で……」


「分かるよ。当たり前じゃん」


爽の口が、笑みを形作る。


けれど、その目は、

今にも壊れそうなくらい歪んでいて――


「だって、晶だもん。

あたしが分からないわけない」


涙は流れていないけれど。


僕は初めて、

爽が泣いているということに気がついた。





……僕は、どうすればいいんだろう。


さっき決めた通り、

階級章を奪って逃げるか?


それとも、本当のことを話すか?


僕はABYSSではあるけれど、

温子さんの行方に関しては知らない――と。


爽は、それを信じてくれるだろうか?


一切の証拠がなくても、

僕の話をちゃんと分かってくれるだろうか?


「晶が答えてくれないなら――」


どうするかが決まる前に、

爽は床を大きく踏み鳴らした。


すると、僕の後方にある柱の陰から、

ゆらりと人の姿が現れた。


「黒塚さん……」


……爽と黒塚さんが繋がっている時点で、

潜んでいないわけがなかったか。


「もういいの?」


「……うん」


「悪いけど、言ってた通り命の保証はできないわよ。

それでも構わないのよね?」


「……」


「爽」


「……晶、最後のお願い。

怪我する前に、温ちゃんのこと教えて?」


「いや、教えてって言われても……」


僕だって、知ってるなら教えたい。


けれど、知らないことに関して、

教えることなんてできるわけがない。


「はい、決まりね。

ABYSSなんてこんなものよ」


「晶……」


爽の呟きを消すように、

黒塚さんのナイフの鞘が地面に落ちて音を立てる。


「私は爽みたいに甘くないわよ。

抵抗するなら迷わず殺すから」


そうして、黒塚さんは二振りのナイフを構え、

漲る戦意を僕へ向けてきた。


……プレイヤー、か。


聖先輩の話では、

他校の部長を仕留めてきているらしいけれど……。



判定は――刃の弾けるような音。


大きさや性質からすると、

そう大したことはないか?


これなら、殺される前に殺せそうだけれど――


「っとぉ!」


振り下ろされるナイフを後ろに跳んで避ける。


狙われた箇所は肩口。


首筋や急所じゃないのは、

一応、爽に気を遣ってるんだろうか?


その予想は当たっているのか、

黒塚さんのナイフがこちらの四肢へと飛んでくる。


末端[故'ゆえ]に回避は容易――

けれど、素手でナイフを相手にするのはかなり厳しい。


手加減してくれている間に、

何とかして突破しておかないと。


黒塚さんの懐に飛び込み、

すれ違うようにして袈裟斬りを躱す。


さらに、振り向きざまに放たれる突きを回避――

足下の石を拾いながら体を起こし走る。


「こんのっ……!」


追い縋ってくる黒塚さん。


その追撃を投石で止めつつ、

黒塚さんの潜んでいた柱の陰へと滑り込んだ。


さて、武器になりそうなものは――


「げっ」


ない。何もない。


ぱっと目に付くのは、崩落した壁の破片程度なもので、

ナイフ相手に打ち合えるようなものはどこにもなかった。


「逃げられるとでも思ってるの!」


そこに、小細工は許さないとばかりに、

黒塚さんのナイフが降ってくる。


その気遣いの消えかかった一撃を躱しつつ、

覚悟を決めて再び黒塚さんの懐へ。


すかさず迎え撃ってくるナイフ。

慌てて身を捩る。


が――


「えっ?」


紙一重かと思われたその回避は、

思っていたよりずっとずっと余裕があった。


あまりに余裕過ぎたことに戸惑いが生まれる

/せっかくの攻撃の隙に体が固まる。


そこに飛んでくる薙ぎ払い――

さっきよりも引きつけてから躱す。


流れるような動作で繰り出される突き――

その軌道上から体を外す/さらに腕で弾き完全に逸らす。


目を見開く黒塚さん。


それでも手は休めず、

パターンを変えて幾つものナイフを振るってくる。


そのことごとくを躱す/弾く/射程外に逃げる。


そうしているうちに、

二つのことが見えてきた。


一つは、黒塚さんの強さ。


身体能力はABYSSと比べて低いものの、

技能に関しては相当なものがある。


鬼塚は無理にしても、

片山や丸沢なら十分に勝てる可能性はあるだろう。


そして、もう一つ――


僕の性能が、

段違いに上がっていることだ。


「ちょこまか避けるな!」


攻撃が当たらないことの苛立ちを隠そうともしない、

黒塚さんのミドルキック――


体重と遠心力のたっぷり乗った、

普段ならガードするそれに、思い切って手を伸ばす。


「なっ……!?」


黒塚さんの驚愕――

けれど、僕には何も不思議なことはない。


段々と、今の力の使い方が分かってきた。


「っ!?」


掴んだ黒塚さんの足を思い切り引っ張って、

ハンマー投げのように投げ飛ばす。


宙を舞う黒塚さんの体。


けれど、そのまま落ちてくれるようなことはなく、

猫のように一回転して着地する。


その器用さに感心しながら距離を詰め、

今度はこちらから殴りにかかった。


初撃はフェイント――

予想通り、受けに出てくるナイフを前に拳を止める。


誘った黒塚さんの腕が伸びきったのを見計らって、

手首へと肘を叩き込んだ。


黒塚さんの顔が苦痛に歪み、

ナイフが左手の中から滑り落ちる。


「おっ」


が、意外にも引くことはせず、

右手のナイフだけで斬りかかってくる黒塚さん。


その勇気は評価できるものの、

残念ながら行動自体は悪手でしかない。


ナイフを潜り抜けて、拳で脇腹を打ち抜く

/体勢が崩れたところでさらにもう一撃。


黒塚さんの口の端から、苦悶と唾液が零れる。

よろめきながら後ずさる。


辛うじて立ってはいるけれど、

打った時の感触からすると、[肋'あばら]が幾らかイってるはず。


「……なるほどね」


いい感じだ。


「何が……なるほどなのよっ……」


「まあ、色々だよ」


プレイヤーの実力だとか、

フォールによって向上した僕の身体能力だとか。


「それより、もう終わりでいいよね?」


「っ……舐めないでよ!

こんな程度で、私が終わりだと思ってるの?」


「強がるのはいいけれど、戦える状態じゃないでしょ。

脂汗が浮いたまま僕に向かってくる気?」


「肋が折れてるのは分かってるんだから、

大人しく引いてよ」


忠告するも、憎しみの篭もった燃えるような瞳を

僕に向けてくる黒塚さん。


「……何、その目?」


まだ敵うとでも思ってるんだろうか?


こっちがわざわざ見逃してやるって言ってるのに、

プレイヤーとABYSSの立場を分かってないのか?


「黒塚さん、もう一度言うよ。

勝ち目がないんだから引いてよ。でないと――」


――殺すぞ?


そう睨み付けたら、

黒塚さんの顔がさっと冷たくなった。


「やっぱり……」


そこに、横から声が飛んできた。


「やっぱりそうじゃん」


「爽……」


「晶はABYSSだ」


「あ、いや……」


「今、殺すって言ったよね?

幽のこと、殺すって言ったよね?」


……言ったか?


黒塚さんのことを殺すって、

僕が言ったのか?


「違う」


いやいや、そんなはずはない。


だって、僕は出来損ないの暗殺者なんだから。


「違う。僕は――」


人を殺せるわけがないんだから。


「また、とぼけるんだ?」


爽が、頬を擦って顔を伏せる。


「……騙されるわけないじゃん」


「冷たい目で、簡単に人を殺すって言って」


「プレイヤーの幽を一方的に殴って」


「温ちゃんのことを浚って、ごまかして」


「今の晶は……ABYSSそのものじゃん」


「爽……」


違う。


僕は違う。そんなんじゃない。


確かに、ABYSSには所属してる。


でも、それは、自分の身を守るためだ。


爽の安全を確保するために、

僕はABYSSに所属しただけだ。


僕は、僕は――


爽にそんな顔をさせるために

ABYSSになったわけじゃない。


「爽、僕は――」


『違うんだ』


その言葉が、

突如響いた強烈な雄叫びに掻き消された。


体表を、虫の大群が這い回るのような怖気が伝う。


筋肉が伸縮し、

自身が思うよりも早く本能が体を退避させる。


その刹那に、青色の閃光が走った。


「ぐっ……!」


右腕に痛み――避けきれず掠めたか?


それでも、何とか体勢を立て直し、

続く一撃を跳んで避けた。


地面を転がる/跳ね起きながら前方へ目を向ける。


「……!」


閃光の正体は――黒塚幽。


ただ、さっきとは“判定”も動きも

比べものにならない。


臭いすら放ちそうな強烈な殺意をまとわせながら、

死にかけの呼吸音と共にこちらを睨み付けている。


何かやりやがったのか?


いや、それよりも――右腕の痛み。


見れば、肘の上辺りが赤く染まっていて、

手首のほうまで血が伝ってきていた。


「こっ、の……!」


人が大人しく見逃しておけば、調子に乗って……!


この……この……!


クソ女がぁああああっ!!


「フザけんなよオマエぇえっ!!」


「……えっ?」


バカの呆けた顔が、視界一杯に広がる。


ホントお前はどうしようもないな、遅すぎて!


「オラァ!」


ノーガードの腹に、

思い切り拳をめり込ませる。


軽く浮き上がるバカの身体。

けれど――


「吹っ飛んでろ!!」


こんなんで済ませる気なんて、さらさらない。


命の保証はできない?

抵抗したら殺す?


やってみろよ、だったらさぁ!


よろよろと、死にかけのコオロギみたいな風情で、

身体を起こす黒塚さん。


そこに蹴りを入れてさらにブチ転がす。


「くっ――!」


「おっ」


それでもまだ余裕があったのか、

黒塚さんが跳ね起きて突撃してきた。


一直線に、腰だめにナイフを構え、

ステップで刻むようにして接近、接近――


「って遅すぎだバーカ!」


何だそれ?

初撃の半分以下のスピードって舐めてんのか?


肋折れてんだから

大人しくしてろって言ってただろうが!


「ほらほら、何だよその千鳥足!」


よろめくバカに、

足元へのプレゼントをくれてやる。


そうして頭が下がったところに、

こめかみ目がけて拳を振り抜く。


さらに地面に倒れたところで、

鼻っ面を思い切り蹴り飛ばした。


顔を押さえて転げ回る黒塚さん。


その惨めな姿を見て多少はスカっとしたものの、

こんなもんで収める気なんてさらさらない。


何の力もないくせに、

人様に怪我させて制服まで汚してくれやがって。


「ふざけんな!」


痛めていた脇腹に蹴りをくれてやる。


「この野郎! ふざけた真似しやがって!

このっ! このっ! このっ!」


蹴りをくれてやっただけ、

声にならない悲鳴が上がる。


咳き込むと共に口から吐瀉物が零れ出し、

艶のあった綺麗な髪がゲロ塗れになって汚れていく。


僕が何かをするたびに黒塚さんが苦しみ喘ぐのは、

とても気分がよかった。


悶えるたびにくねる体や、顕わになる艶めかしい足が、

酷く扇情的に見えて興奮した。


けれど、まだ足りない。


こいつにはもっと、もっと、

反省させてやらないと。


誰に逆らったかということを、

体で分からせてやらないと。


「分かったか!? ああ!?

分かったかって聞いてんだからさっさと答えろよ!」


「なあ、ほら! おい、聞いてんのか!?

このっ! クソ野郎! このっ! オラァ!!」


「もうやめてよ晶ぁ!!」


「あぁ?」


後ろからの声に振り返ると、

爽が泣きそうな顔で僕の腕を引っ張っていた。


「そんなにしたら、幽が死んじゃうってば!

もうやめてよ! ねぇ!!」


「死んじゃうって……」


いや、そんなわけないだろ。


別に、そんなにやったつもりは――


「あ……」


そこでようやく、

黒塚さんがピクリとも動いていないことに気付いた。


辛うじて呼吸をしているような状態で、

呻き声すら上げてこない。


とっくに気絶してたのか?

知らなかった……。



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