疑いの連鎖2

「ああ、やっぱりここだった」


「晶……」


屋上に来てみると、

爽の驚いた顔が僕を出迎えてきた。


けれど、その顔はすぐに沈鬱なそれへと変わり、

重たい視線が僕の体に沿って地面へと落ちた。


「暗い顔してる」


「……そりゃ、そうだよ」


「ご飯、ちゃんと食べてる?

ダメだよ、ちゃんと食べないと」


「心配なのは分かるけれど、

爽が倒れたら、誰が温子さんを探すのさ」


「……晶は?」


「僕? いや、それはもちろん、

僕も一緒に探すよ」


「温子さんなら無事でいてくれると思うけれど、

早く見つけて無事な顔を見たいし」


「それに……爽にも、

早くいつもの元気な顔を見せて欲しいし」


地面に落ちていた爽の視線が、

再び僕の顔へと戻る。


「……ねえ、晶」


「なに?」


「晶は温ちゃんの居場所を

知らないんだよね?」


「……どういうこと?」


「どういうことって、そのままだよ。

温ちゃんの居場所を知らないの?」


「いや……そりゃ知らないよ。

知ってたらすぐ助けに行ってるし」


「本当に?

本当に知らないんだよね?」


「いや、だから知らないってば。

どうしてそんなこと聞いてくるの?」


僕が知ってるわけないのに、

そんなことを聞かれても困る。


そもそも、爽に知ってて隠す意味がない。


「そっか……そうだよね。

ごめんね、変なこと聞いて」


「別にいいけれど……

どうしたの、急に?」


「……あたしさ、

ちょっと焦ってるんだと思う」


「気持ちは分かるよ。仕方ない。

僕も、琴子がいなくなったら焦ると思うし」


「うん……分かった。

もうちょっと落ち着く。足下固める」


「そうだね。

そうしたほうがいいと思う」


……さっきの質問がおかしかったのは、

爽の気持ちが不安定だったからか。


まあ、家族がいきなりいなくなったんだから、

落ち着いてるほうがおかしいか。


「でも、爽がこんなにテンパるのって、

初めてだよね」


「……そうかな?」


「うん。やっぱり温子さんのことは、

他とは全然違うんだなって」


「昔は、そんなことなかったんだよ?」


「そうなの?」


「前も言ったことあるけどさ、

あたし、温ちゃんに嫌われてたし」


「この学園に来る前の温ちゃんは、

あたしから見ても怖いくらいでさ」


「姉と妹って立場ではあったけど、

ほとんどお互いで会話もない生活だった」


「でもさ、晶が温ちゃんを変えてくれてからさ、

温ちゃんはどんどん優しくなったんだよ」


「あたしとも喋ってくれるようになったし、

お母さんの手伝いもするようになったし」


「家にだっているようになったし、

勉強も教えてくれるようになったし」


「あたしが悪いことしたら、

ちゃんと叱ってくれるようになったし……」


「やっとね、

ちゃんと家族って感じになった」


「やっとね、

家族を取り戻したって感じだった」


「あたしさ、それがさ、

すっごい、すっごい嬉しくて」


「今でも、たまに三人でご飯とか食べてると、

たまにニヤニヤとかしちゃって」


「それを温ちゃんに気持ち悪いって言われて、

でもそれは、全然嫌じゃなくて」


「何か……何て言うんだろうね、これ?」


「あたし、バカだから分かんないけど、

でも、でも……うん、そう。そうだ」


「あたし、幸せだった」


「なのにさ……昨日から、また前みたいに

あたしとお母さんだけになって」


「温ちゃんがいないだけで、

意味分かんないくらい家の中が冷たくなって」


「何かもう、

自分の家じゃないみたいで……」


「ねえ、何でなの? 何で見つかんないの?

温ちゃんはどこ行ったの?」


「また、あたしのせいなの?

あたしがまた変なことやっちゃったの?」


「爽……」


「あたしがまた悪いことしたなら、

ちゃんと直すからさ」


「温ちゃんが嫌な思いしないように、

あたしいい子になるからさぁ」


「だから……お願いだから、

戻ってきてよ……」


「あたし、温ちゃんのいない家に、

帰りたくないよ……」


話している間に、

いつの間にか爽の頬が濡れていて――


堪えようとしても漏れてくる嗚咽を聞いていると、

切なさで息が詰まった。


ようやく分かった。


爽の中での温子さんは、

家族そのものだ。


両親が離婚して、爽と温子さんの道が分かれて以来、

ずっと家族の時間は止まっていた。


それが動きだしたのは、つい最近。

温子さんが変わってからだ。


爽にとっては、何年もお預けを食らった上で、

やっと取り返し始めたものなんだろう。


子供のまま止まっていた家族への渇きが、

ようやくにして満たされ始めたんだろう。


それをいきなり奪われた今、

爽がどれだけ辛い思いをしているのか。


考えただけで、

胸が苦しくなってくる。


爽が拭っても拭っても溢れ出てる涙を、

何とかしてあげたくなってくる。


そう思って、

僕にできることは何かと考えた時に――


「……あのさ」


去年、この屋上で交わしたやり取りを思い出した。


「前に、爽に約束したことがあったじゃない?

温子さんを何とかするって」


「あれさ、また約束するよ」


「……約束?」


「うん。温子さんは、僕が何とかするから。

何とかして探し出すから」


あの時みたいに――


そう言うと、爽は震える唇を結び合わせて、

顔を隠すように俯いた。


垂れた前髪の向こうから、か細い声が届く。


「……信じたい、な」


「晶のこと、信じたい」


「信じていいよ」


……いや、違うか。


信じていいよじゃないな。


「信じて」


「っ……」


「……ずるい」


「どうして?」


「信じたく……なっちゃう」


「いや、だから信じてよ」


『ねっ?』と俯いた顔を覗き込むと、

爽は顔を上げて、ごしごしと目元を擦った。


そうして、涙の粒をどこかへやってから、

胸元を押さえて深呼吸をした。


「……あのね、晶」


「うん?」


「温ちゃんが変わったって言ったじゃん?

あれ、何でだと思う?」


「何でって……

僕のしつこさに根負けしたとか?」


「……やっぱり気付いてないか」


「気付くって……何に?」


「温ちゃんはね、

晶のことが好きだったんだよ」


「えっ!?」


「あは、すっげー驚いた」


「いや、そりゃ……まあ驚くさ」


温子さんが僕を好きだなんて、

全然意識したことなかったし。


むしろ、世話を焼かれっぱなしだったから、

呆れられてても仕方ないと思ってた。


「っていうか、冗談じゃなくて?」


「冗談なわけないじゃん。

冗談だったら、もっと笑えるやつにするし」


「……そっか」


「鈍感だなぁ、晶は」


爽が、にひひと笑顔を浮かべる。


けれど、下がった目尻からは、

拭ったはずの涙がほろりと零れて――


「すごくどんかんだ」


七色に見えた雫は、頬を伝い地面に落ち、

単なる模様になった。


何だかそれが、酷く大事なものだったような気がして、

思わず『あ』という声が出ていた。


「……うん、ごめんねっ。

もう泣かないから」


「あたしは晶と違って、

泣き虫じゃないし」


「いや、僕は別に泣き虫じゃないんだけれど」


まあ、爽が元気を取り戻してくれるなら、

それでいいか。


「それじゃあ、教室に戻ろっか。

もう、授業始まっちゃってるし」


「いーよ。

あたしは、もうちょっとサボってく」


「……じゃあ、僕は戻るから、また後でね。

戻ったら、放課後の捜索の打ち合わせをしよう」


「あー……それもいいや」


「え、どうして?」


「今日は、一人で探すから。

実は、心当たりがあるんだ」


「心当たり!? どんな?」


「……あたし一人でやりたいんだよね。

だから、それでいいよね?」


「いや……」


「いいよね?」


「……分かった」


爽がそこまで一人にこだわるなら、

これ以上、僕には何も言えない。


温子さんのことは、

爽が一番よく考えているはずだ。


無茶をする可能性はあっても、

自暴自棄になったりするようなことはないだろう。


「それでも一応、

何かあったら連絡してね?」


「うん、分かってる」


「……じゃあ、また後でね」


「うん、また後で――」









温子さんがいなくなってから、

今日で三日目。


相変わらず何も手掛かりが出て来ず、

昨日の捜索も徒労に終わった。


ABYSS側の調査は片山にお願いしているものの、

そちらからの連絡も未だなし。


状況は、完全に手詰まりだった。





「どうすればいいんだろう……」


放課後――

今日の捜索を前に、頭を抱える。


爽と約束をしたのに、

僕自身の力じゃ何もできることがない。


もう、街を探して歩いたところで、

得られる情報なんてものはないだろう。


けれど、他にできることとなると――


「……もう一度、

聖先輩に話を聞いてみるか?」


高槻先輩の来訪を隠していたことを軸に、

話を引き出すことはできるかもしれない。


万が一、聖先輩が敵だったとしても、

フォールで強化された今の僕なら可能性はある。


ただ……それは、

もう一度ABYSSと敵対することになるわけで。


リスクがあまりにも高い。


仮にそれをやるとしたら、

ABYSSと敵対しない方向で落ち着けないと。


「でも、そんな方法あるのか……?」


真剣に考えるとすれば――

狙われない立場になるか、友好的な関係を作るか。


具体的には、前者は、

僕がABYSSの部長になること。


けれど、それは病気を治す手段として、

自殺を選ぶようなものだ。


本来の目的である“平穏を取り戻す”からすると、

到底選べる手段じゃない。


となると、後者――

ABYSSの責任者と友好的な関係を作るだけれど……。


片山を部長にするとか?


問題のある人間なのは間違いないけれど、

話の通じない人間じゃない。


利害が相反しない限り、

僕の事情は汲んでくれるだろう。


ただ、片山を擁立するには、僕が聖先輩と鬼塚、

場合によっては高槻先輩も排除することになる。


今の僕にそれができるかと言われれば、

まだまだ力は足りないと言わざるを得ない。


「……飲むか」


手っ取り早く強くなるには、

フォールに頼るしか方法がない。


温子さんが行方不明になってからの時間を考えると、

もう猶予はないだろう。


無理にでも速攻で力を蓄えて、

何とか聖先輩との交渉に臨まないと。





とりあえず一錠――そう思って廊下に出たところで、

こちらへ歩いてくる爽を見つけた。


「爽」


「あっ……」


「おはよう、爽」


「……うん、おはよう」


あれ……目線を逸らされた?


でも、別にそんな、

爽が僕に気まずいことなんてあるんだろうか。


「あーっと……僕の服、

どこか変だったりするかな?」


『目を逸らしたのではなく、服に気を取られたから』

という理由を用意して、爽の反応を窺う。


「もしかして、ポケットの中に、

琴子の下着が入ってたりして~とか」


「……!」


「あ、いや。入ってないからね?

僕の名誉のために言っておくと」


ポケットの内側を引っ張り出して、

潔白を証明する。


と、明らかに爽が肩を落としたのが分かった。


……まあ、下着に反応したってことは、

落ち込んでるけれど、いつもの爽なのかな。


目線を逸らされたのは、

温子さんの話題が出るのを避けるためとかか。


「あのさ、爽」


「……なに?」


「僕、頑張るから。

もうちょっとだけ待ってて」


「必ず、温子さんを見つけてみせるから」


「……ありがとう。期待してるね」


「あっ」


社交辞令じみた言葉を残して、

爽は逃げるように教室へと戻っていった。


「期待……されてないのか」


虚しいけれど、実際、

何も成果を出せていないのは事実だ。


爽の焦りを考えれば、

あれくらいの態度は全然おかしくない。


温子さんさえ戻ってくれば、

きっといつもの爽に戻ってくれるはず。


「早く結果を出さないとな……」


そのためにも、フォールを飲んで、

早急に手に入れなきゃいけない。


大切な友達を救えるだけの、

誰にも負けることのない、力を。





「ただいまー」


「おかえりー」


「って、なんか凄い汗だく!

どうしたの、それ?」


「温子さんを探すついでに、

ちょっと走ってきたんだ」


「……絶対ちょっとじゃないよね、それ」


「あー、実は往復考えないで、

片道で行けるところまで行っちゃったんだよね」


「それで、帰りは微妙に泣きが入りながら、

何とか家まで戻ってきた感じ」


「うわぁ……疲れたでしょ?」


「うん。あとお腹ぺこぺこ」


「じゃあ、すぐにご飯にするね」


「あ、その前にお風呂入ってくるよ。

上がったらすぐにご飯食べるから」


「はーい。

それじゃあ、準備して待ってるね」


琴子が開いていた雑誌を閉じて、

椅子から立ち上がる。


それから、キッチンへと歩き出し――


「わわっ……」


履き損ねたスリッパに足を取られて、

僕のほうへと倒れ込んできた。


「おっと」


その体を抱き留める――

舞い上がった琴子の髪の毛が、僕の鼻先を掠める。


瞬間、琴子の使っているシャンプーの香りが、

目の前一杯に広がった。


その甘ったるさに、くらりときた。


錯覚だと思っていたそれが目眩だと分かる頃には、

目の前がだいぶ傾いでいた。


琴子を受け止めたつもりなのに、いつの間にか、

どっちがもたれかかっているのか分からなくなった。


自分が立っているのか、

それとも倒れているのかも分からない。


そんな平衡感覚とは裏腹に、

触れ合っている箇所は傷口みたいに敏感だった。


伝わってくる熱と柔らかさが、

抉るように体の内側に染み込んでくる。


どちらにかかっているかも分からない重さが、

程よい圧力の快感に変わる。


それが、ぞくぞくして。堪らなくて。


どさり、と音がした。


いい匂いがした。

あったかくて、柔らかかった。


顔の横から――耳元から、

何かが聞こえた気がした。


けれど、そんなものより

早く目の前の匂いと熱を味わいたくて、舌を伸ばした。


甘い香りが、びくりと跳ねた。


同時に、お漏らししたような熱い吐息が

僕の耳朶に触れてきた。


その熱と、もぞもぞと動く体の下の感触に、

無性に心を掻き乱された。


どくりどくりと鼓動が速まり、

濁流のようなもどかしさが押し寄せてきた。


それに、抗おうとは思わなかった。

抗えるとも思えなかった。


ぶちりぶちりと、

ボタンの弾ける音が聞こえた。


びりびりと、

布の破ける音が聞こえた。


甘い香りが濃密になる。

熱量が増して、血潮が滾ってくる。


そうして、本能を貪る寸前に――


琴子の、驚きと怯えの混じった瞳が、

僕を見上げていることに気付いた。


琴子が涙を滲ませて、

美味そうな唇をゆっくりと開く。


「お兄ちゃん」



「――お兄ちゃん、聞いてる?」


「えっ?」


「だから、ご飯粒ついてるよ。唇の右側」


「ごはんつぶ……?」


何だそれ?


っていうか、琴子が向かいでご飯を食べてる?

僕の手の中にもご飯茶碗がある?


琴子を――押し倒してない?


「どうしても取れないなら、その……

琴子が取ってあげようか?」


「琴子……ちょっと聞いていい?」


「なに?」


「僕、帰ってきてから何してたっけ?」


「……お風呂に入って、

今はご飯食べてたんじゃないの?」


「そう、だよな。そうだ」


思い出してきた。

汗だくで帰ってきて、お風呂に入ったんだ。


その間に、琴子はご飯の用意をしていて、

僕は上がってきてそれを食べた。


決して、琴子を押し倒して、

服を破いたりなんかしていない。


「よかった……」


指摘された口元の辺りを手で擦りつつ、

首を傾げる琴子に苦笑を返す。


さっきのが僕の妄想で、

心の底からホッとした。


でも……まさか、

琴子であんなことを考えてしまうとは。


しかも、あんな現実みたいな

リアルな妄想だなんて。


もしかして、これもフォールの影響か?


だとしても、琴子にああいうことをしたいと、

潜在意識で思っていたりするんだろうか?


……そう考えると、

自己嫌悪で死にたくなってくる。


「はぁ……」


部屋に戻ったら、ちょっと頭を冷やそう。


もう二度と、

さっきみたいな妄想をしないようにしないと。



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