予期せぬ遭遇3





保健室で目が覚めて、

確認した時間が午後の二時。


授業に出られる程度に体調が戻ったと判断し、

教室に向かっていたその道中で――


「……あれ?」


佐倉さんを見つけた。


『授業中なのに?』という疑問は、

その顔色を見て一瞬で消し飛んだ。


「佐倉さん!」


苦しげに胸を押さえながら、

廊下にしゃがみ込む佐倉さんに駆け寄る。


「ぁ……」


「佐倉さん、大丈夫!?」


「……大丈夫、だから」


僕を邪魔そうに見上げてくる、

苦痛に潤んだ瞳。


『近寄らないで』と目で言われているのが分かるけれど、

好かれてるとか嫌われているとか、今はどうでもいい。


「どこ? 胸が痛いの?」


「いいから……放っておいて……」


「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!?」


佐倉さんの肩を抱いて、

少しでも落ち着けるようにと体を支えてやる。


けれど、状態が悪いにも関わらず、

佐倉さんは嫌々と体を揺すって抵抗してきた。


……こうやって、

クラスメイトの手も拒絶したんだな。


でなきゃ、こんな状態の佐倉さんが、

一人で廊下を歩いてるわけがない。


「顔色真っ青だけれど、

発作が起きた時の薬は飲んだ?」


「……飲むから。大丈夫だか、ら、」


離れて――と言いかけて、

佐倉さんが床に手を付く。


取り落とした薬のケースが、

地面に落ちて乾いた音を立てる。


「大丈夫じゃないって……」


こんなところで意地を張ったって、

仕方ないだろうに。


ケースを拾って中を確認する。


幸い、薬は一種類しかなかった上に、

前に佐倉さんから説明を聞いた錠剤だった。


記憶に間違いがなければ、

飲むタイプじゃなく、舌の上で溶かす薬だったはずだ。


「指入れるよ」


「ん……むっ!?」


苦痛に喘ぐ口の隙間から、

無理やり薬を押し込む。


これで効果が出なかったら、

確かもう一つくらいは追加投与してOKだったと思う。


……それでもダメなら救急車だな。


「じゃあ、保健室に運ぶからね!」


「い、や……離して……」


佐倉さんの言葉を無視して、

僕が龍一にそうされたように、身体を抱え上げる。


腕を突っ張られたり足を動かしたりの抵抗は、

全て無視だ。


今は揺すらないように、可能な限り急いで、

保健室に行かないと。





ひとまず、

さっきまで自分が寝ていたベッドに横たえる。


佐倉さんは抵抗を諦めたのか、

ほとんどされるがままになっていた。


「大丈夫? 苦しくない?」


「……大丈夫」


まあ……見た感じ呼吸も大人しくなってきたし、

顔からも苦しそうな色が抜けてきてるか。


さっきの薬のおかげかな。

ちゃんと効いてよかった……。


「後は、経過を見てか……」


さっきから誰もいないところを見ると、

保健の先生は今日は出張か何かなんだろう。


このまま一人にして何かあったら困るし、

もう少し僕が付いていたほうがいいな。


「じゃあ、僕はすぐそこにいるから、

何かあったら呼んでね」


少し待ってみたものの、返事がくるような気配もなく、

諦めて間仕切りのカーテンを閉じた。


背もたれのない回転椅子に腰を下ろす。


授業は……諦めるか。





「晶ちゃん……」


「えっ?」


しばらくの後、ふいに昔の呼び方で呼ばれて、

思わず立ち上がってしまった。


「……那美ちゃん?」


もしかして、昔に戻ってくれた……?


「どうかした? 何かあった?」


近づいて、カーテン越しに声をかける。


が、返事はない。


「大丈夫? 反応がないけれど」


「……開けるよ?」


カーテンを少しだけ開いて、

隙間から中を覗き込む。


そこには、穏やかな顔で、

すーすーと寝息を立てる佐倉さんの姿があった。


「寝言か……」


びっくりした……。


急に昔の呼び名で呼ばれると、

どうにも期待してしまう。


また、佐倉さんと――那美ちゃんと、

仲良くできるんじゃないかって。


でも、


『あなたは……晶ちゃんじゃないから』


あの時の言葉をそのまま受け止めるなら、

さっき那美ちゃんが呼んだのは、“昔の僕”なんだろう。


“今の僕”が、

勘違いして期待しちゃいけない。


「……今の僕と昔の僕で、何が違うんだろう」


自分では、よく分からない。


ただ、ずっと仲の良かった人が、

僕を僕と認識してくれないのだと改めて思い知って。


誰もいない家の中に、

一人取り残されたような気持ちになった。


それこそ――声が出ころせなかった時と、同じように。







目を覚ました佐倉那美の前に、

オレンジ色の天井が広がっていた。


それに驚いたものの、すぐに西日の色なのだと気付き、

自分がいつの間にか寝ていたのだと理解した。


体を起こす――胸元に手をやる。


痛みはない。


とくんとくんと、

心臓は平時のリズムを取り戻している。


「よかった、生きてる……」


那美が大きく溜め息をつく。


が、安堵の後に訪れたのは、疑問。


「……どうして何もされなかったんだろう?」


それとも――と、隣にいる可能性を考え、

間仕切りになっているカーテンを開ける。


夕暮れの保健室には、誰もいなかった。


他の学生も、先生も。


そして、確かにいたはずの“晶の姿をした何か”も。


何があったのかは分からない。


ただ、生きているということは、

昨日の放課後のように見逃してくれたんだろう。


そういえば――と、

那美が自身の右手を見つめる。


「……手を握られたのって、いつ以来だっけ」


感触こそ残ってないが、那美が叫んだ時の

“何か”の顔は、はっきりと覚えていた。


驚きと悲しみが入り交じったかのような、

呆然とした顔。


もちろん、疑うまでもなく、

笹山晶の偽物による演技だろう。


にも関わらず、その顔に/その反応に、

少女の胸の辺りがざわついてしまうのは何故か。


「……帰ろ」


そんな分かりきっている自問に答えは出さず、

那美はベッドから降りた。


微妙におぼつかない足下に、

体も本調子ではないことを自覚する。


こういう時は、

早く帰るに越したことはない。





「お、佐倉さんだ」


教室に鞄を取りに戻る途中、

ふいに名前を呼ばれて振り返った。


「どう、体調?」


「大丈夫?」


同じクラスの加鳥涼葉と、羽犬塚愛美。


教室ではよく見る組み合わせだったが、

まさかこの時間に遭遇するとは思っていなかった。


「あれ、まだ顔色悪い……?」


「あ……ううん、大丈夫」


「そっか。

ま、あんまり無理しないでね」


「……うん」


「それじゃ、また明日」


さらりと別れの挨拶を残して、

二人のクラスメイトが那美の横を過ぎていく。


遠ざかっていくいくその背を見つめながら、

那美はぎゅっと手を握り締めた。


「また明日、か……」


クラスでは珍しく那美に話しかけてくる二人。


ただし、その頻度は気にならない程度であり、

何より決して深入りしてこない。


適切な距離感は、

那美への気遣いなのか、はたまた素なのか。


どちらにしても、

いい人たちなのだろう。


きっと二人は、『仲良くしよう』と声をかければ、

笑顔でそれに応えてくれるはずだ。


少し前に、那美がそうだったように。


「友達か……」


誘惑に駆られる。


何でも話せる友達が欲しくなる。


だが、もしそれをしてしまえば

巻き込むことになると思うと、すぐに欲求は萎んだ。


「……ダメだ」


余計な考えを払い除けるように首を振って、

那美が教室へ再び歩き出す。


その最中、


「――佐倉那美さんだね?」


少女は再び呼び止められた。


男子生徒に呼び止められるという珍しい出来事と、

初めて聞いたような声に、那美の体が微かに強張る。


誰なのだろうか。

そもそも、何のために呼び止めたのか。


人と関わることを避けてきた少女からすると、

名指しで呼び止められる理由がない。


「ねえ、佐倉さん」


足を止めてしまった以上、

聞こえないふりはもう不可能だろう。


仕方なしに振り返る。


「あ、やっとこっち見てくれた」


一目でそれと分かる作り笑いが、

少女のことを待ち受けていた。


どこかで見た記憶のある男子生徒。

恐らくは隣のクラスだろうか。


丁寧な喋りは、猫撫で声とはまた少し違う、

取って付けたような印象を受ける。


「佐倉那美さんだよね。ちょっといいかな?

話があるんだけど」


笑顔で距離を詰めてくる男――

人の家に押し込んできそうなずけずけとした踏み込み。


その行為に透ける『他人を侵すことへの躊躇のなさ』から、

少女はこの男と関わらないことを決めた。


「遠慮します」


「いや、そんなこと言わないでさ。

ちょっと付き合ってよ」


「とりあえず、場所を移そうか。

ここじゃあちょっと、まずい話だからね」


この男子生徒は、

どうやら聞く耳というものを持たないらしい。


相手にするだけ無駄と判断して、

那美は答えは返さないまま歩き出した。


「あれ、ちょっと待ってよ」


その背を、声が/足音が追ってくる。


「ねえ、聞こえないの?」


「……おいおい無視かよ」


「あー、それじゃあ――」


学年/クラス/話を聞いて欲しい時間などなど。


色々と『怪しくないことを証明する言葉』を

後を付いてきながら並べていく男子生徒。


今までも、男子に幾度か声をかけられたことはあったが、

ここまでしつこいのは初めてだった。


しかし、那美は振り返らない。


早く諦めてと口の中で呟きながら、

足を速める。


が――


遠ざかるはずの男の声は、

そうはならなかった。


話を聞くメリットを語り続けながら、

延々と、後ろに付いてくる。


角を曲がっても。


階段を上っても。


さらに足を速めても、ぴったりと。


そこで那美は、はたと気付いた。


引き離すために早く歩いていたつもりだったのに、

これではまるで、追われているようではないか――と。


不思議なことに、こういう時に限って、

誰ともすれ違うことはなかった。


人気のないオレンジ色の校舎で、知らない男子生徒に、

何事かを囁かれながら追い回されている。


この、さも設えたかのような状況に、

那美はとある怪談を思い出していた。



その怪談の主人公は、那美と同じく女の子。


少女はある日、塾で居残りをさせられて、

随分と帰りが遅くなってしまった。


しかも、運悪くその日は、

少女が楽しみにしていたテレビドラマの最終回の放送日。


早く家に帰りたくて、

その少女は近道となる墓地の中に入っていく。


既に何度か通ったことはあるが、

夜に通るのは初めてのこと。


昼夜のあまりの雰囲気の違いに、

少女は内心で近道を選んだことを後悔していた。


そんな折り――女の子は、

誰かがぴったりと後ろに付いてくることに気付く。


いつから付けられていたのかは分からない。


始めは気のせいだと思っていたものの、

気配は一向に遠ざからなかった。


どころか、興味を引こうしているらしく、

次々と色々な話を囁いてくる。


甘い声。怒鳴り声。男の声に女の声。


両手で耳を塞いでも、

どうしてか声が聞こえなくなることはない。


遠くで近くで、手を変え品を変え、

何度も少女の耳をくすぐってくる。


少女は半狂乱になって走った。


涙を零して、恐怖に声を枯らして、

それでも決して後ろは振り向かずに、帰路を急いだ。


「しょうがないなぁ」


墓地を抜けて、

何故か誰ともすれ違わないまま住宅地に入って――


「君がそこまで話を聞いてくれないなら、

先に用件を伝えるよ」


やがてゴールとなる自宅が見えたところで、

少女の瞳にようやく希望が灯った。


その時だった。


『○○ってドラマの主人公は、実は――』


「笹山晶が、実は――」


「――人を殺している件について」


「ッ!?」


少女の足が、止まった。


『ああ――』


「……やっと振り向いてくれた」


夕暮れは盛りを超え、

じきに逢魔時を迎える校舎。


朱色がくすみ始めたその廊下に、

男子生徒の薄ら笑いが浮かんでいた。



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