ABYSSとの接触2


大きな声がグラウンドに響いたのは、

その時だった。


その場にいた全員の動きがびくりと止まり、

声のした方向へと目を向ける。


そこに立っていたのは、


「聖先輩……!?」


何でこんなところに?


もしかして、

忘れ物か何かで学園まで戻ってきたのか?


だとしたら、巻き込まれる前に逃がさないと――


「鬼塚、これはどういうことですか?」


……えっ?


「何故こんな人目に付く場所で、

無関係な人間を襲っているんですか?」


「それは……」


「……この他校の生徒たちは、

片山の仕業ですか?」


「……」


「どうしました? 答えなさい」


「丸沢、あなたでも構いません。

ここであなたたちは何をしていたんですか?」


「私は、あなたたちを

処分する必要がありますか?」


「あ……その……」


聖先輩の鋭くも冷たい声に、

丸沢が片山へ縋るような視線を向ける。


が、それに片山も鬼塚も答えず、

ただ目線を伏して沈黙を守っている。


――何だ、これは?


先輩はどうして、

三人を呼び捨てにしているんだ?


どうして、

三人に命令しているんだ?


「あの、先輩……」


声をかけるも、先輩は僕に[一瞥'いちべつ]を寄越しただけで、

すぐに鬼塚のほうを向いてしまった。


「鬼塚、答えなさい」


「……俺は校庭で騒ぎになってるのを見て、

加勢しに出て来ただけだ」


「こうなった経緯は何も知らない」


「では片山、説明を。

何の理由で人を集めて、こんな騒ぎを起こしたのか」


「……笹山はプレイヤーなんだよ」


「苦し紛れの言い訳ですか?」


「いやいや、待ってくれよ部長。

ちゃんと根拠もある」


「昨日の儀式に笹山が紛れ込んでいて、

鬼塚……副長とやり合ってるんだよ」


「……はい?」


「しかも、副長は逃げられてるんだ。

……だよな?」


片山が、鬼塚へ嘲るように笑いかけ――

鬼塚は黙ってそれを睨み返した。


「さっきも、俺と丸沢と副長の三人がかりで、

なかなか笹山を仕留められずにいたんだ」


「これがプレイヤーじゃなきゃ何なんだ?」


「俺が人を呼んだのもそういう理由だ。

プレイヤーを見かけたから、仕留めようと思った」


「別に、部長が想像してるようなことをしようと思って、

兵を集めてたわけじゃない」


片山が潔白を主張するように手を上げると、

聖先輩は押し黙った。


っていうか……ちょっと待ってくれ。

考えが追いつかない。


僕がプレイヤーだと誤解されてるのは、

強さが基準だからか?


片山が鬼塚との昨日の勝敗を知っていたのは、

アーチェリーの仮面が片山に伝えたのか?


それとも、

どこかから昨日の様子を見ていた?


それに……聖先輩が部長?

あの先輩が、ABYSSの部長だって?


何だよそれ、やめてくれよ……。


聖先輩が喜んで人を殺してるところなんて、

想像するだけで吐き気がしてくる。


そんなの、信じられない。


信じたくない――


「……本当ですか?」


そんな僕の気持ちを否定するかのように、

先輩は僕と鬼塚に無機質な視線を向けてきた。


恐らくは、昨日、

鬼塚とやり合ったことの真偽を聞いてきてるんだろう。


……ここはどう答えるのが正解なんだろうか?


プレイヤーというのが何だか分からないけれど、

とりあえず『それじゃない』と答えるか?


嘘をつかないほうがいいのは、

間違いないんだろうけれど……。


「どうしました?」


「……本当だ」


答えに迷っていると、

鬼塚のほうが先に口を開いてくれた。


が――その途端、

聖先輩が鬼塚を咎めるように目を細めた。


「報告がなかったようですが」


「今日、これからの報告会でしようと思っていた」


「……それでは、

逃げられたというのも本当ですか?」


「本当だ。理由は……

俺が、そいつに叩きのめされたからだ」


「!?」


「鬼塚が……やられた……!?」


「ほ、本当にっ?」


場にいる全員が、

僕のほうへ驚愕と懐疑の入り交じった目を向けてくる。


そんな周囲の反応に、

鬼塚は決まり悪そうに舌打ちし、頭をがりがりと掻いた。


「……事情は分かりました。

ですが、このままグラウンドで騒ぐのは許しません」


「プレイヤー対策で報告会の時間を早めたのに、

目立つ行動をしていては元も子もありませんからね」


「プレイヤー対策?

もうそこに[笹山'プレイヤー]がいるだろ?」


「……彼に関しては、

話を聞いた上で処遇を決めます」


「これ以上、目立つことを避けるために、

三人は部室へ行きなさい」


「おいおい。そんな面倒臭いことしないで、

今、全員で殺してしまえばいいんじゃないか?」


「もし、俺たちが部室に行ってる間に、

笹山に逃げられたらまずいだろ?」


「……私が彼に逃げられるとでも

思っているんですか?」


「いや、可能性の話だよ、可能性の話。

もしかしたらはあるかも知れないだろ?」


「逃げられる可能性以外でも、

ほら、生徒会の先輩として――」


「生徒会の先輩として?」


「あ……」


「生徒会の先輩として……何ですか?」


「い、いや……何でもない」


片山が、尻すぼみに呟きながら目を伏せる。


いや――よく見れば、

僕を含む周りのほぼ全ての人間が目を伏せていた。


けれど、そうしたい気持ちはよく分かる。


どんなに怖い物知らずな人間でも、

今の聖先輩を見れば殺されると錯覚するに違いない。


近くにいるだけで、心拍数が上がる。

視線が僕の傍を通るだけで、冷や汗が出てくる。


その上、こんな“判定”の音を聞かされたんじゃ、

たまったもんじゃない。


鬼塚でさえレベルが違う。

アーチェリーの仮面も敵わない。


もし、この場で先輩を相手にするか、

他の全員を相手にするかを選べるのだとすれば――


僕は、迷わず他全員を選択する。


それしか、勝機はない。


けれど、そんなものが選べるわけない以上、

ここから助かるには逃げるしか……。


「……何でもないようでしたら、

問題はありませんね」


「では、鬼塚たちは部室へ。

片山はそこのお友達を解散させるのを忘れないように」


「了解」


「……了解」


「それでは、私たちも生徒会室にでも移動しましょう。

いいですよね……晶くん?」


「……はい」


逃走は……無理だ。


先輩の話が悪いものじゃないことを祈って、

大人しく従おう。






聖先輩の先導で生徒会室へと入る。


着席を促されて適当な椅子に座ると、

先輩はドアを締めて、ふぅと息をついた。


「大丈夫ですか、晶くん?」


「えっ?」


「囲まれて戦っていたんでしょう?

だいぶ危ない状況だったみたいですけど」


「あ……大丈夫です。服は汚れてますけれど、

攻撃自体はまともにもらってないんで」


「そうですか。それならよかった」


いつもの聖先輩……だよな?


さっきとはまるで別人だけれど、

本当に同一人物か?


「……やっぱり、驚きましたよね?」


「えっ? あ……はい。

正直、想像もしてませんでした」


「私も、想像もできないように

してたつもりだったんですけどね」


「でも、やっぱりバレちゃうんだなぁ……」


聖先輩は寂しそうに笑って――


それから、いつもの顔とABYSSの顔が

半分ずつ混じったような、曖昧な表情を浮かべた。


「さっきの話の中で、もう分かってると思いますけど、

私がABYSSの部長です」


「……はい」


「それから、鬼塚くんが副長で、

片山くんと丸沢くんが部員ですね」


「普段は彼らと一緒に、月に一度の頻度で、

生け贄を虐めて殺す儀式を開いています」


「……『どうしてそんなことをするんですか?』

って顔をしてますね」


「はい……」


「ABYSSだからですよ」


「ABYSSだから、生け贄を弄んで殺して、

その様子を撮影して、上に提出するんです」


分かってはいたけれど――


聖先輩の口から、

そういう言葉を聞きたくなかった。


僕の勝手な押しつけだけれど、この人には、

ずっとニコニコしていて欲しかったから。


「……その反応を見ると、

晶くんはプレイヤーじゃないみたいですね」


「そういえば……

その“プレイヤー”って何なんですか?」


「簡単に言うと、ABYSSの敵です。

ABYSSを殺すのが役割という人たちですね」


「基本的に冷徹な人たちで、相手がABYSSであれば、

知り合いだろうと容赦なく殺してきます」


「彼らは不定期で学園に派遣されてきますが、

今はちょうど、プレイヤーが来ているんです」


なるほど……だから、ABYSS以外で強い[僕'にんげん]を、

プレイヤーだと勘違いしたって話か。


「でも……そうなってくると、

ちょっと謎が出てきちゃいますね」


「晶くんはどうやって、

昨日の儀式の中に紛れ込んだんですか?」


「あーっと、実は昨日、

学園祭の資料整理で残業をしていたんです」


「その途中で、

いきなり眠くなってしまって……」


「起きた時には二十三時を過ぎてたんで、

慌てて生徒会室を出たら、鬼塚先輩とばったりでした」


「その間、誰かが生徒会室に来たということは?」


「なかったと思います」


「……普通、誰かが起こしに行くんですけどね。

儀式の前の人払いで」


「もしかすると、

僕が寝惚けて覚えてないだけかもしれないです」


「なるほど。その辺りは晶くんの勘違いか、

ABYSS側の手違いかなんでしょうね」


「ひとまずは納得しました。

でも、よく殺されずに済みましたね」


「ええ。僕もそう思います」


「……鬼塚くんに勝つのは、

普通の人には絶対に無理です」


「多少スポーツをやっていたとか、

格闘技をやっていた程度じゃまずあり得ません」


「晶くんはその強さを、

どこでどうやって身につけたんですか?」


聖先輩が、

じっと僕の目を覗き込んでくる。


普段、先輩のその仕草には、

嘘をつくのが申し訳ない気分にされたものだけれど……。


今は、全く違う理由で、

嘘をついてはいけないと本能が警告している。


でも……

話すにしても、どこまで話すか。


「ちょっと……家庭の事情で、

物心ついた辺りから戦闘訓練を受けてたんですよね」


「家庭の事情で、

戦闘訓練……ですか?」


「はい。嘘じゃないです。

月並みですけれど、血の滲むような訓練をしてました」


「薬を使っているとかではなく?

純粋な訓練だけですか?」


「はい。薬とかは全然」


「そうですか……」


聖先輩が顎に手を当てて俯く。


……やっぱり、

荒唐無稽な話に聞こえてしまったか?


嘘をついてでも、

もう少し分かりやすい話にするべきだっただろうか。


先輩との時間が、

こんなに息苦しいものだと思ってなかった。


沈黙が辛い。

何か、話題が欲しい。


というよりも、早く教えて欲しい。


僕が、これからどうなるのか。


「あの……

僕はやっぱり、殺されるんですか?」


「はい、そうですね。

ちょっと、晶くんは知りすぎてしまいましたから」


躊躇いもなく返ってきた答えに、

息が止まった。


っていうか、本当に……?


「それと、もし晶くんが直前に誰かと会っていれば、

その人のことも消さなければいけません」


「はぁっ!?」


「ABYSSの秘密を守るためです」


「いや、ちょっと……」


待って下さいよ、

という言葉が喉から出かけて、詰まった。


僕が直前に誰かと会っていれば……殺される?


僕だけじゃなくて、

爽まで殺されるっていうことか?


そんなの、そんなの――


「――動かないで下さい、晶くん」


「……!」


「今、出て行かれたら、

本当に殺してしまわなきゃいけなくなります」


「できれば、

晶くんのことは殺したくありませんから」


それが決して脅しではないことを、

聖先輩の瞳が嫌というほど語っていた。


「いやでも、そんなの……

受け入れられるわけないですよ」


「僕もまだ死にたくなんてないし、

他の人が殺されるのもまっぴらです」


「もし、先輩がそれでも殺すっていうなら――

僕は、先輩と戦わざるを得ません」


本当は、そんなことしたくない。

したいわけがない。


でも、爽まで理不尽に巻き込まれるっていうなら、

差し違えてでも先輩を殺すしかない。


「……思いつくのは、一つだけですね」


「何の話ですか?」


「晶くんが助かる方法ですよ」


「……あるんですか!?」


「一応、ですけどね。

あんまり取りたくない手段でしたが」


「何でもいいです。教えて下さい。

どうすればいいんですかっ?」


身を乗り出して訊ねると、

先輩は意を決するように目を瞑って――


その目を、ゆっくりと開いた。


「晶くんに、

ABYSSになってもらいます」


……は?


「部外者に秘密を漏らすのはダメですが、

内部の人間になら何も問題はありません」


「儀式に紛れ込んでいた件についても、

ABYSSになれば不問になります」


「いや、でもそれは……

僕もABYSSとして活動するってことですか?」


罪もない生け贄を追い立てて殺すなんて、

僕の“声”の事情を差し置いても、できるわけがない。


「いえ。なるべくですが、

そうならないようにします」


「つまり、ずっと所属するのではなく、

一時的に所属してもらう形ですね」


「幸い、今は病欠の部員がいますから、

彼の代打で入る形であれば抜けるのもすぐでしょう」


「でも、そんな簡単に入部を決めてしまっても、

他の人は納得しないんじゃ……」


「鬼塚くんに勝てるような実力があるなら、

誰も文句は言わないと思いますよ」


「片山くん辺りは言うかもしれませんが、

まあ、それも問題ありませんから」


「そうですか……」


ABYSSに入部、か。


殺されるよりはマシだから、

考える余地なんてほぼないけれど……。


「もう一つだけ聞きたいんですけれど、

僕が所属したら、誰も死ぬことはないんですか?」


「というと?」


「直前に会っていた人とかです」


「それは大丈夫です。晶くんが消えないなら、

隠滅すべき証拠もなくなりますから」


……そういうことなら、

もう迷うことはないな。


「分かりました。入部します」




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