ABYSSへ入部






「それでは、新入部員は自己紹介を」


「……二年の笹山晶です。

これからよろしくお願いします」


無難な自己紹介の後に、頭を下げる。


と、そこには、

明らかに困惑している三つの顔があった。


「部長……本気か?」


「ええ、もちろんです」


「おいおい、マジかよ。

何でそんなやつ入れる必要あるんだ?」


「そうですよ。

プレイヤーだったんじゃないんですか?」


「彼に話を聞いた結果、違うと判断しました。

もちろん、念のため今日中に確認は取りますが」


「だとしても、

俺は納得できないね」


部屋の中の机を蹴りつけて、

舌打ちする片山。


「どう考えても、部長の個人的な都合が入ってるだろ。

そんな職権乱用していいのかよ」


「いいえ、私の都合ではありません。

彼の強さが十分に有用という判断ですよ」


「それに、今回の人事よりも、

もっと問題なのがあるのではないでしょうか?」


「例えば――部外者に情報と薬を与えて、

私兵にして囲っているとか」


片山の顔色がサッと変わった。


……なるほど。これが先輩の、

反対されても問題ないって自信の根拠か。


「笹山晶の入部、

問題ありませんね?」


「……ねぇよ」


「じゃあ、ないです……」


そっぽを向く片山と、俯く丸沢。


それに、聖先輩は溜め息をついて、

鬼塚へと目を向けた。


「それでは、部員は笹山に自己紹介を」


「……三年で副長の鬼塚耕平だ」


「片山信二。二年」


「片山くんと同じく……丸沢豊です」


三者三様の自己紹介。


誰もが、どこにでもいそうな学生に見えるけれど、

ここにいる全員が人を殺してるのか……。


「病欠の山田を除いて、

これで部員は全員ですね」


あれ、全員……?


「あの、聖先輩……」


「ABYSSとして活動する間は、

“部長”でお願いします」


「……部長。その病欠の人って、

昨日怪我したんですか?」


「いえ、一週間ほど前ですが」


「えーっと……それじゃあ、

その山田さんってどんな人なんですか?」


「一年の男子生徒です。

体格はあなたより一回り大きいくらいですね」


体の大きい男子生徒……となると、

あのアーチェリーの仮面とは別人だな。


てっきり、黒塚さんが最後の一人で、

アーチェリー使いなのかと思っていたんだけれど……。


僕が入る前の補欠要員とかなのかな?


……まあ、変に探りを入れて目を付けられるより、

適当に落ち着いてから聞けばいいか。


「分かりました。

話の腰を折ってすみません」


「そういや、山田はどうなるんだよ?

ABYSSは五人なんだろ?」


「彼にはそのまま

ABYSSでいてもらいますよ」


「笹山に活動してもらうのは、

山田が退院するまでの間ですから」


「病欠の間の臨時採用って話か?」


「そういうことです」


「……今だって欠員は適当に埋めてもらえるんだから、

別に引き込む必要ないと思うんだがなぁ」


「何か?」


「いーや、別に何も」


言葉とは裏腹に不満ありありな片山。


それに一瞥をくれてから

聖先輩は改めて場にいる僕らへと向き直った。


「それでは、ABYSSとして活動するに当たって、

簡単な注意をしておきます」


「他の三人は既に知っていると思いますが、

再確認の意味で聞いて下さい」


「まず、基本的には、

自分がABYSSだとバレないように行動して下さい」


「他人に話すのはもちろん、無意味に力を行使したり、

部員同士の不必要な接触も避けたほうがいいでしょう」


「もし、これに違反したと判断された場合は、

処分を覚悟しておいて下さい」


聖先輩がちらりと目を向けると、

片山はばつが悪そうに目を背けた。


「……ですので、余計な行動は控えて、

必要な場合のみ備品の電話で連絡するようにして下さい」


「それと、プレイヤーには注意して下さい。

夜の学園には無闇に立ち入らないほうがいいでしょう」


「特に今夜は危ないと思いますよ」


「それは……どうしてですか?」


「定例の儀式の翌日ですから、報告会があると踏んで、

プレイヤーが行動を起こしやすいんです」


「大抵は日にちをずらして対応するんですが、

今回は時間を早める方向でやっています」


「結果的に、プレイヤーは避けられても、

変なのが引っかかっちまったわけだけどな」


……僕のことか。

まあ反論はできないけれど。


「というか、プレイヤーってのも、

どれだけ強いんだか分かったもんじゃないだろ」


「変にこそこそ逃げ隠れしねぇで、

先手取ってブチ殺せばいいと思うんだけどな」


「死にますよ」


「あ?」


「この学園に派遣されてくるプレイヤーは、

基本的に別の学園を二つクリアしてきた猛者です」


「ということは、そのほとんどが

部長か副長を倒してきているわけですが……」


「片山は、私と鬼塚に

勝てる自信がありますか?」


片山が押し黙る。


「そうですね。

その判断が賢明だと思います」


「散々脅した後だから言いますが、

プレイヤーは恐らく、黒塚幽です」


「黒塚さんがっ?」


「ええ。あれだけあからさまだと、

さすがに笑ってしまいますけどね」


「山田はやられましたが、殺されていない以上、

恐らくABYSSの特定はまだなのでしょう」


「今のところは近づかなければ問題はありませんから、

各人注意して下さい」


黒塚さんはABYSSじゃなくて、

プレイヤーだったのか……。


只者じゃないとは思っていたけれど、

予備知識がなければそりゃあ間違うよなぁ。


でも……プレイヤーだったとしたら、

どうして一般人の僕にあんなに攻撃的だったんだろう?


しかも、昨日の夜がどうこうとか、僕が殺されるとか、

思わせぶりなことを言ってきたり。


……あ。


もしかして黒塚さんも、

僕をABYSSと間違えてたのか?


『ABYSSなら昨日の夜、学園にいたはずだから』と、

僕に鎌をかけてきたと考えればしっくりくる。


僕が近いうちに殺されるというのも、

プレイヤーがABYSSを殺すっていう宣言か。


だとすると、非常にまずい。


僕は昼間の時点では潔白だったけれど、

今は誤解じゃなくABYSSになってしまっている。


もし、次に黒塚さんと会ってしまったら――


色んな知識が入っている今、

自然に振る舞える自信はない。


昼間に既に接触をしてしまったけれど、

今後は近づかないようにしておこう……。


「……説明はこんなところですね」


「山田が戻ってくるまでの穴埋めですから、

最低限の注意でいいでしょう」


「儀式の説明はしなくていいのか?」


「それに関しては、

後で備品の支給と一緒にするつもりです」


「あまり長居をしていると危ないですから、

昨日の報告会を早めにやってしまいましょう」





「……ふぅ」


報告会が終わり、二人きりになったところで、

先輩はようやくいつもの表情に戻った。


「大変そうですね」


「まあ、多少殺伐としているくらいで、

生徒会の仕事と大差はありませんよ」


「この後の事務作業も込みで、

晶くんなら一回やれば問題なく回せるはずです」


「いやいや、

さすがにそれは遠慮させてもらいます」


「聖先輩の手伝いもできればいいんでしょうけれど、

さすがにそれは深入りし過ぎだと思うんで」


「そうですね。

楽ができないのは残念ですが」


「儀式についても、手伝いと同じように、

晶くんは無理に出る必要はありません」


「月例の儀式は、原則として全員参加ですが、

それ以外は自由参加になっていますから」


「もちろん、晶くんが出たいというなら、

話は別ですけどね」


「まさか。出る気は毛頭ないですよ」


「もちろん、分かってますよ」


先輩がくすくすと笑いを零す。


「でも……参加が自由なら、

儀式をやめることもできるんじゃないんですか?」


「……不定期の儀式なら可能です。

でも、月例の儀式に関しては不可能ですね」


「毎月一度、儀式のビデオを撮影しなければ、

私たちのほうが殺されてしまうことになっていますから」


「それは……上の人間に?」


「命じるのはそうなんでしょうね」


「ただ、いつ、どこで、誰に殺されるのかは、

私にも分かりません」


……ABYSS側が儀式をやるのも、

やむにやまれぬ事情があるってことか。


「それと、備品を渡さないとですね」


先輩が棚の数カ所から取り出したものを、

机の上に並べる。


「これは……ABYSSの衣装と携帯ですか?」


「そうですね。

それと、こっちが階級章になります」



「衣装についてはどうでもいいですけど、

階級章は常に持ち歩いて下さい」


「発信器か何かが入ってるんですか?」


「それもあるでしょうけど、

単純に身分証明のためですね」


「ABYSSに提示を求められた際、

速やかに提示できなければ罰則があります」


「なるほど……」


「後は……本来であれば部員には、

ある薬品が支給されるんです」


「超人になるための薬ですか?」


「ええ。……ですが、今すぐ用意できませんので、

今日はこれでお終いですね」


……まあ、薬は部員が変に使う可能性もあるし、

管理は厳重になってるって感じなのかな。


何にしても、超人になるつもりもないし、

薬は別に必要ないか。


「分かりました。

ありがとうございます」





……それから、

先輩に儀式のことについて説明された。


内容は、ほとんど噂通り。

理不尽極まりない血肉の狂宴だった。


幸いなことに、

それに僕が関わることはないだろうけれど……。


今後も見ない振りをしていくのかと思うと、

それだけで罪な気がした。


ただ、だからといって、

僕が誰かを助けられるわけじゃない。


身の回りの人と、手の届く範囲の人だけ守るのが、

現実的なラインだろう――





「――ちょっと待てや」


そんなことを考えながら学園を出たところで、

いきなり声をかけられた。


「……何ですか?」


「ちょっとツラ貸せ」


……来るとは思ってたけれど、

やっぱり来たか。


とはいえ、どうするか。


逃げることは不可能じゃないとして、

それで鬼塚は諦めてくれるだろうか?


……ないな。恨まれてるっぽいし、

さらに拗れて後々まで引きずるのがオチだ。


「分かりました」


覚悟を決めて、

一発くらいなら殴られておくとするか……。





「……それで、何の用でしょうか?」


「昨日の件について、

お前に言っておきたいことがある」


まあ、予想通りだな。


相手は副長で僕は新入りっていう立場もあるだろうし、

こればっかりは仕方ないか――


「何で生け贄を置いて逃げた?」


「……はい?」


「だから、生け贄を置いて

逃げた理由を聞いてんだよ」


「いや、何でって……」


逆に、どうしてそんなことを聞くんだ?


生け贄を殺すために連れて歩いていたのは、

この人だろう?


「答えろ」


「……二人じゃ逃げ切れないと思ったんで」


「生け贄を置いて逃げたら、

自分はABYSSに狙われないとでも思ったか?」


「そんなこと思いませんよ」


「あの子を置いて逃げたのは、

単純に助けるのが不可能だと判断したからです」


「その結果として、生け贄は死んだぜ」


「……鬼塚先輩だって、それに荷担してるでしょう?

ABYSSなんですから」


途端、鬼塚の眉間に不快の証が刻まれた。


その視線の鋭さに、思わず喉が鳴る。


この怒りは本物だ。


でも、どうしてABYSSが、

生け贄を殺したことに対して怒ってるんだ……?


「……なあおい。その不可能っつーのは、

本当に不可能だったのか?」


「どうしても、何をやっても、

無理だったのか?」


「それは……」


本当に無理だったかと言われれば――


「……全て最善の行動ができていれば、

助けられた可能性はあったと思います」


「でも、昨日の僕にそれができたかと言われれば、

それはやっぱり無理だと……」


「ABYSSとの初遭遇に、久々の戦闘だったりで、

色々と準備不足だったので」


「特に……鬼塚先輩を気絶させてすぐに、

あの子を確保しなかったことは失敗でした」


「あのアーチェリーの仮面から、

気絶した生け贄を奪って逃げるなんて無理ですから」


それは、一切の誇張なく本当だ。


仮に奪って隠れることに成功したところで、

援軍も来るあの場では、結果は同じだろう。


「見捨てることに、

躊躇がなかったなんてことはありません」


「できることなら助けたかったし、

そのためにできることも、もう少しあったと思います」


「もっと自分に力があればよかったとか、

色んなことを思ってます」


「でも、時計の針が戻るようなことはありません」


「僕にできるのは……せめて手の届く人を守れるように、

今から最善を尽くしていくことだけです」


「って言っても、

言い訳にしか聞こえないでしょうけれど……」


「分かる」


……え?


「だから、分かるよ。

どうしようもない相手や状況があるってのはな」


「お前がお前の判断で見捨てたっていうのも、

きっと正解の一つなんだろうよ」


「それでも、チャンスがあったなら、

簡単に諦めんな」


「もし、お前が諦めなかったら……」


「……諦めなかったら?」


「誰かがお前らのことを

助けてくれたかもしれねぇだろ?」


「誰かが、って……」


この人、もしかして……。


生け贄のあの子のことを、

助けようとしていたのか?


「……俺がお前に言いたかったのはそれだけだ」


「つーか、悪かったな。

お前にも事情があったのに、一方的に責めて」


「あ、いえ……別にそれはいいです」


「まあ、お前がABYSSに入った事情も、

大体は分かってる」


「最善を尽くすっていうなら、

せいぜい頑張れよ」


「……はい」


「ああ……それと、

お前に渡しておくもんがあったんだった」


「何ですか?」


「手、出せ」


求められるがままに手を出すと、

手の平の中に小さなケースが置かれた。


「これは……?」


「超人になる薬“フォール”だ。

部長は渡したくなかったみたいだけどな」


聖先輩は……渡したくなかった?


「その薬の効果は二つだ」


「一つは、飲めば単純に強くなる。

力も、速さも、基本的に飲めば飲むほどな」


「もう一つは、副作用なんだが……」


「お前、今まで普通の生活をしてたやつが、

いきなり人を殺せるようになると思うか?」


「いや……それは難しいんじゃないですかね。

才能があれば別ですけれど」


「そうだな。普通はストップがかかる。

倫理観だったり、体が拒否反応を起こしたりしてな」


「そういうのを取り除くのが、

この薬の副作用だ」


「……もしかすると、超人になるのはオマケで、

こっちがメインだったりしてな」


……あり得る話だと思った。


遊んだ結果、行き過ぎて死ぬならともかく、

殺して遊ぶなんてことは、訓練もなしにできるわけがない。


面白い映像を撮ろうと思うのであれば――


武器で代用の利く力よりも、

心のタガを外すほうがよっぽど重要だろう。


「じゃあ、もしかして、

聖先輩が僕に渡したくなかったっていうのは……」


「ああ。その副作用を怖れてだろうな」


「……やっぱりそうですか」


聖先輩……本当に、

僕のことを気遣ってくれてるんだ。


でも、そんな優しい先輩がどうして、

ABYSSなんかに入ってるんだろうか?


僕には、全然理解できない。


「まあ、部長は心配してるみたいだけど、

強くなるのに有用な薬であることには変わりねぇ」


「何回か飲んだくらいなら副作用も小さいから、

気が向いたら試しに使ってみるのもアリだ」


「力さえあれば――悔しい思いをする機会も、

減ってくれるかもしれねぇからな」


「……分かりました。

ありがとうございます」


「薬の効果は、副作用も込みで、

人によってまちまちだ」


「少ない量でも効果が出るやつもいれば、

幾ら飲んでも全然影響のないやつだっている」


「一応、ヤバいと思ったら、

すぐに服用を止めて薬も捨てろ」


「……話はこれで終わりだ。

後はプレイヤーが出てくる前にさっさと帰っとけ」


「はい。ありがとうございました」


「それと……ABYSSの人間は誰も信用するな。

俺も含めてだ」


「えっ……?」


「じゃあな」


真剣な顔で、不吉な警告を残して――


鬼塚は、振り返ることもなく、

闇の向こうへと消えていった。


その残像をぼんやり眺めながら、

今さっきあった出来事を思い返す。


鬼塚たちに囲まれて、部長である聖先輩と話して、

ABYSSに入部して――


二転三転し過ぎて頭の処理が追いついてないのか、

全く現実感がなかった。


ただ――手の中に包まれた小さな箱が、

やけにずっしりと重く感じられた。





「ただいま――」


「お兄ちゃん、遅い!」


「うわっ!?」


リビングに入るなり、

琴子の雷が落ちてきた。


「遅くなるなら、何で連絡してくれないの?

何度も電話してたんだよっ?」


「あ……ごめん。

連絡するの、すっかり忘れてた」


尾行の際にマナーモードにしたままだった電話を、

鞄の中から慌てて取り出す。


時刻は既に夜の九時。

十件あった着信は、全て琴子のものだった。


「お友達と遊ぶのはいいけど、

遅くなるなら電話くらいしてくれてもいいのに……」


「ずっと連絡つかなかったから、

何かあったのかと思ってたんだよ?」


「いや、ホントごめんなさい。

完全に忘れてました」


降伏のごめんなさいをする。


ABYSSの件で修羅場だったとはいえ、

琴子のことを忘れてたのはまずかったな……。


「……本当に遊んでたんだよね?」


「えっ?」


「だってお兄ちゃん、昨日も凄く遅かったし、

怪我して帰って来たし……」


「変な人に絡まれたり、

何かあったりしたわけじゃないんだよね?」


「そ、それはもちろん……」


全部大当たりです――なんて、

言えるわけがない。


「……ホントに?」


「ホントホント」


鋭く突き込んでくる琴子の追求に、

微妙に引きつっていることを自覚しつつも笑顔を返す。


けれど、それでは

芳しい成果は得られないらしい。


琴子は不安そうな顔で、

僕の手を握ってきた。


「本当に、何もないの?」


「何もないない。大丈夫だよ」


「……何かあったなら、

琴子だって相談に乗れるよ?」


……これは、

本当に心配してくれてるんだな。


まあ、二日連続でいつもと行動が違ってたら、

誰だっておかしいと思うか。


その琴子の気持ちは素直に嬉しいけれど、

さすがにいつまでもこんな顔はさせたくない。


「あー……じゃあ、

本当のことを言っちゃう」


「本当はね、ちょっと前まで問題はあったんだ。

全然大したことじゃないんだけれど」


「でも、それももう、

今日で全部終わったから」


「そうなの?」


「うん。綺麗さっぱりね」


そう。綺麗さっぱり終わった。


予想だにしてなかった斜め上の解決方法だけれど、

ABYSSに追われるのはもう終わりだ。


後は、抜けるまで適度に関わればいいだけで、

怯えるようなことはどこにもない。


「だから、もう安心して大丈夫だよ」


「……そうなんだ」


何があったのか、

聞いてくるようなこともなく――


「よかった」


琴子は胸に手を当てて、

ホッと息をはいた。


「じゃあ、ご飯にしよっか。

っていうか、まだ食べてきてないよね?」


「あ、うん」


「温めておくから、

お兄ちゃんは着替えて座ってて」


キッチンへぱたぱたと走る琴子。


その背中を見送りながら、

改めて、先の自分の言葉を思い返した。


――もう、綺麗さっぱり終わった。


そもそも巻き込まれたのが昨日だから、

始まりも終わりも、まだ実感はない。


まあ、日が経つにつれて、

ぼちぼちそれも湧いてくるだろう。


周りの人が傷つく前に終わらせることができて、

本当によかった。


上着を脱いで、ソファに深く腰掛ける。


そうして、琴子の鼻歌を聴きながら、

ゆっくりと目を閉じた。


漂ってくる美味しそうな匂いに、

何だかとても心安い気持ちになった。



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