スペードのクイーン









「あら、朝霧さんだけでいいの?

何人でもいいのに」


「ああ。他の人はテキサスホールデムを

やったことがないからね」


葉と温子の二人が、

ポーカーテーブルを囲みながら会話を交わす。


もちろん、

この間も相手を観察することも忘れない。


何しろ、ホールデムは対人ゲーム。


トランプ競技である以上、運は絡むものの、

それ以外の大部分は読み合いと駆け引きが中心となる。


相手を知ることが何よりも必要だし、

そのための情報は女房を質に入れても入手すべき――


そんな教訓が、田西との戦いを経ることで、

自然と温子の中に息づいていた。


「そういえば、ルールを確認してなかったわね。

10―20のノーリミットでいい?」


「ああ、それでいいよ。

その代わり、ブラインドは変化なしでいいか?」


「ええ、いいわよ。

そのほうが長く楽しめるものね」


「資産のチップへの換算はどうする?」


「携帯が200枚、大アルカナ一枚が200枚、

小アルカナ一枚が数字×10でどう?」


「須賀さんが

換算に含まれてないみたいだけれど?」


「そこはサービスしてあげる。

そっちは携帯は換算しないし」


「それはありがたいね。

こっちは初心者だから、ハンデは大いに歓迎だ」


「あら、情報戦?」


「いや、事実だよ。

本格的にやったのはここに来てからだ」


「ふーん……相手は田西成輝?」


「田西を知ってるのかっ?」


意外な名前が出て来たことで、

温子が眼鏡の向こうで目を見開く。


「ええ。今のカジノのキングでしょ?

私を探してここに来たらしいわね」


「勝負するなら彼だろうと思ってたけど、

予想は思ったよりも外れるんだなって」


「……ということは、

お前が田西の言っていた先代のキングなのか?」


「ええ。正確に言えば、

女だからクイーンなんだけどね」


「でも、一人でクイーンになったわけじゃないわ。

切り裂きジャック――刀也さんの力があったからよ」


謙遜というよりは惚気のろけるように、

くすくすと葉が微笑む。


「……これはまた、とんでもない相手だったな。

カードで勝負を提案したのは失敗だったか」


「あら、今さら嫌とは言わせないわよ。

こっちは楽しみにしてるんだから」


「その顔を見れば分かるよ」


これまで浮かべていたそれとは違う、

お気に入りのオモチャを手にはしゃぐような葉の笑顔。


それは『違う生き物のようだ』という

晶の印象とは程遠い、女の新たな一面だった。


“好きこそ物の上手なれ”

という言葉があるが――


カジノの頂点にまで立った女が、

よもや弱いというわけがないだろう。


だが、勝機が完全にないとは思えなかった。


カードゲームとしての経験の差はあっても、

対人戦の読み合いなら温子も腐るほどやってきている。


その読み合いを最も得意とする温子にとって、

ホールデムは非常に相性がよかった。


先の田西戦から、百戦錬磨の兵にも、

自身の読みがそう劣っている感じはない。


また、ブラインドは払わなければいけないものの、

守りに徹しようと思えばチップはほぼ動かない。


ホールデムでチップが大きく動くのは、

相手も自分も攻めにいった時のみだ。


運や押し引きが上手く噛み合えば、

幾らでも勝ちの目はあるだろう。


「それじゃあ、始めましょうか。

度を過ぎた遅延行為はペナルティでいい?」


「ああ。田西とやった時もそうだったからな。

ちなみにその時は休憩はありだった」


「そうね。休憩はありにしましょう。

ずっとやってると疲れるものね」


お互いに顔を見合わせて、

持っている資産をテーブルへと載せる。


葉の資産――小アルカナ14枚で1030枚、

大アルカナ8枚で1600枚。


さらにそこに携帯二台の400枚が加わり、

合計で3030枚。


温子らの資産――小アルカナ17枚で940枚、

大アルカナ10枚で2000枚。


温子側は人質の携帯がないため、

合計はそのまま2940枚。


現時点では奇しくもほぼ五分。


あるいは偶然ではなく、敢えて五分になるように

チップ換算を決めたのではと疑いたくなる。


その真偽を確かめようと温子が目をやるも、

葉は変わらずニコニコと微笑むのみ。


食えないな――と内心で苦笑しつつ、

手元に配られたカードを開く。


「ボタンとSBスモールブラインドは朝霧さんね」


ボタン決定が済んだところで、

ディーラーがカードを回収/カット/分配――


そうして、最初のゲームが始まった。


まずはプリフロップ。

温子の手元に来たカードはハートのAとクラブの6。


勝率はおよそ55%。

A絡みではあるものの、勝負手には物足りない。


が、フロップへ行くコストは10枚と安いため、

それを見てから判断するのが無難だろう。


「コールだ」


チップ10枚を前に押しやって、

フロップへ進む。


コミュニティカードは

ハートの2、クラブの9、スペードの10。


この時点で下りることを決めていたが、

フロップ以降のアクションはBBの相手からとなる。


さて、葉はどういった出方をしてくるのか――


「はい、ベット40枚」


いい手が入っているのか、

素直にチップを積んできた。


その先を見てみたい気もしたが、

負けると分かっている勝負にチップは注げない。


カードを返し、次の勝負へ。


「そういえば、

ゲーム中のお喋りはどうする?」


「別にいいんじゃない?

私はお話するの好きよ」


「じゃあ、せっかくだから色々聞かせてもらおうか。

色々と気になることもあるし」


ディーラーがシャッフルするのを眺めながら、

温子が眼鏡を直す。


田西のようにハメるつもりはないが、

ゲームを有利にする情報は引き出したい。


が、急いては事をし損じるだろうと、

ひとまず本当に興味のあること話題を選択した。


「どうして、ABYSSなんてものを

創ろうと思ったんだ?」


「私から創ろうって提案したわけじゃないわよ。

刀也さんがそういうのを創りたいって言ったの」


「刀也っていうのは、切り裂きジャックだな?

あの正義の人が、どうして悪の組織を?」


「ABYSSが悪に染まったのは、

刀也さんが代表を退いた後の話なの」


「信じられないと思うけど、最初のABYSSは、

悪を持って悪を討つ正義の組織だったのよ?」


「……なるほど。

それは確かに意外だった」


「それで、葉は今のABYSSに

疑問を感じてはいないのか?」


「感じてるわよ。

だからここに来たようなものだし」


あと、私のことは葉って読んでね――と、

女が微笑む。


「……葉は、ABYSSを変えるために

ここに来たっていうことか?」


「そういうこと。このゲーム中に、

何とかして今の代表の獅堂天山を暗殺したいの」


「その目的だったら、葉の信頼できる人間だけ

ここに送り込めばよかったんじゃないか?」


「それがダメなのよね。私が代理を出すと、

相手も同じことをしてくるから」


「かといって、外で暗殺をしようとすると、

色々としがらみが多くって」


「結局、お互いを暗殺するチャンスにすることで、

やっとこの状況を作ることができたの」


「……なるほどな。

大きい組織になると派閥争いも大変だ」


温子がやれやれと溜め息をついたところで、

ディーラーから次のカードがやってきた。


中を見てみるも、

今回はさっきよりも酷い屑カード。


ブラインドを払っているため、フロップには行ったが、

今回も同様にフォールドして終わった。


そうして、再び話の続きへ戻る。


「今の代表っていうのは、

どんな人間なんだ?」


「力が全てっていう感じ。相性は最悪ね。

でも、人類で最強じゃないかしら」


「……人類で最強、か。

ABYSSが言うんだから、本当にそうなんだろうな」


「しかも、その人類最強がね、

ABYSSで世界征服しようとしてるのよ」


「……子供の妄想?」


「本人に言うと殺されるわよ、それ」


くすくすと笑う葉を見て、

温子が顔を引きつらせる。


「でもね、一応は真面目に考えてるみたい。

手段は暗殺で首脳陣だけ狙うって聞いたわね」


「一組織で全人類は支配できなくても、

各国家のトップを押さえることはできるだろうって」


「全人類に戦争を挑むよりはマシだけれど、

そんなのが成功するとは思えないな」


「私も同じ意見。だから止めるの。

でなきゃ、刀也さんが作った組織がなくなっちゃう」


「止めて……そこからどうするんだ?」


「そうね。元のABYSSに近付けようかしら。

今のABYSSの形も良くはないし」


「……その目的だったら、

私たちと協力できる気がするんだけれどね」


「それは無理よ。

あなたたちにで出来ることなんてないもの」


そう、葉が頬杖をついたところで、

第三戦目のカードがやってきた。


温子のカードはダイヤのJ、ハートのJ――

タイマン勝負ヘッズアップでは勝率八割に迫るJポケット。


ようやく舞い込んだ勝負手に、

ひとまず表情を隠しつつこれまで同様のコールを選択。


フロップに入り、

コミュニティカードが開かれる。


スペードの5、スペードの9、スペードのJ。


現時点でスリーオブアカインドが成立しており、

温子側が相当に有利な状況と言えた。


さてお相手の手は――と、

温子の目が動いた先でチップが動いた。


「ベット。60枚ね」


これまでで最も多いチップが

すんなりと出て来たことに、温子が黙考する。


真っ先に思い浮かんだのは、

スペードのフラッシュ。


この場合、スリーオブアカインドでは当然負けるため、

最後のJが来る以外に勝ち目がない。


その最後のJを引ける確率は、4%強。


一方で、相手のフラッシュが完成する確率は、

43%ほどにもなる。


諸々を引っくるめて、

この勝負の勝率は59%ほど。


勝負するか、否か――


「レイズ。120枚だ」


逡巡の末に、

温子は相手の倍のチップを目の前に積んだ。


勝率の面で考えれば温子のほうが有利。

序盤から冒険もできると踏んだのもある。


そして何より、温子は手堅い勝負をするのだと、

相手に印象付けたかった。


勝率に関しては、葉の側でも

当然のように計算しているだろう。


先の二戦で温子がフロップで下りていることも加味し、

今回は勝負手が入っているとも判断しているはずだ。


お互いにフラッシュが見える状況であり、

ブラフを仕掛けやすいこの場面――


勝とうが負けようが堅い手を晒すことによって、

相手の温子への評価を確かなものにしたい。


そんな思惑で積んだチップに、

さらに葉が180枚を被せてきた。


積まれたチップは合計で240枚。


まるで温子を試すような色とりどりのそれに、

温子が冷静にコールで返す。


勝負はターンフェイズに。

開かれたカードは――ダイヤの4。


確率が変動し、

温子の勝率がグンと上がる。


「はいベット。300枚ね」


しかし、その確率計算を嘲笑うように、

葉がチップを積んできた。


これまで賭けた合計を上回る300枚。


まるで『もう既にフラッシュができています』と

言わんばかりの大枚の到来。


「フォールドだ」


温子は、受けなかった。


240枚のチップを持って行かれたが、

これはこれで構わないという判断だった。


「あら、コールしてこなかったのね」


「まあね」


変に多くを語ることなく、

淡々と返す。


語りはしないが――

撤退の理由は、複数あった。


チップの枚数が増えすぎたということもある。

勝率がそう高くなかったこともある。


だが、それ以上にやりたいことは、

『朝霧温子は強く脅せば下りる』という意識付けだ。


葉にチップ管理を軸としてタイトに立ち回られれば、

このゲームの経験値の差が大きく出てしまう。


だから、下ろす下ろさないを焦点にした、

ルーズな騙し合い勝負に持ち込む。


それであれば、得意とする対人の読み合いで、

分のいい勝負ができるはず――そう、温子は踏んでいた。


手堅い立ち回りをするタイトアグレッシブと思われたいのも、

先の意識付けも、そのための布石。


相手の観察を続け、虚実の尻尾を探りながら、

徐々にこちらのフィールドへと誘い込む。


焦らずに、じっくりと。


「えーと、さっきはどこまで話したっけ?

いきなり熱い勝負になってしまって忘れてしまった」


「確か、元のABYSSに

戻せないかって話だったか?」


「朝霧さんが負けた時に

笹山くんに告白するって話よ」


瞬間、温子が思い切り噎せた。


「ふふ、やっぱりそうなのね」


「……いきなりそういう冗談はやめてくれないか?

色々と反応に困るから」


あと聞かれてたら困るし――と、

温子が離れたソファ席で待っている仲間を覗き見る。


噎せていることには気付かれたようだが、

幸い、聞こえていた風な動きはなかった。


「でも、好きなんでしょう?

このままじゃ佐倉さんに取られるわよ」


「さてね。その辺りの真偽については、

私が負けた時に取引の材料にしようか」


「告白までセットで売ってくれるなら、

小アルカナ一枚で買うわよ」


「考えておくよ」


言っている間に、

次のゲームのホールカードがやってくる。


話につられて相手の観察を怠っていたことに気付きつつ、

手元のカードを確認。


ハートの7とスペードの10。


下りることを決めているものの、

ブラインドは払っているため、ひとまずフロップへ。


と、葉が今回もまた、

100枚近い数のチップを積んでみせた。


当然、温子はフォールドを選択するが、

内心では相手の手札を見たくて仕方なかった。


というのも、葉が毎度毎度、

フロップでベットを宣言しているのだ。


実際にそんなに強い手が毎回入るはずもなく、

そのうちの幾らかはブラフで間違いないだろう。


問題は、どれがブラフでどれが勝負手なのか、

温子には区別がつかなかった。


もっとも、まだサンプル数が少ないだけに、

気にする段階ではないのかもしれないが――


「朝霧さんは

男の子と付き合ったことはないの?」


「……いや、ないよ。

そういうそっちはどうなんだ?」


「私も刀也さん一筋ね。

他の男と付き合いたいとも思わなかったし」


雑談を再開しながら、

どんどんゲームを消化していく。


五ゲーム。


十ゲーム。


十五ゲーム。


が――


「はい、ベット。

100枚で行こうかしら」


どのゲームでも、

葉の賭け方に変化は見られなかった。


積極的にゲームに参加しチップを積んでいく、

まず賭けてからどうするか考えるルーズアグレッシブ


チップの出し入れが激しいこのタイプは、

温子にとって相性のいいタイプで間違いない。


なのに、読み合いで勝てない。


温子の勝率が微妙な時に限って大量に積んできて、

勝負手が入っている時はサッと下りられる。


温子も早下りをしているため、

被害はそう大きくないが、読み勝ちは未だに一戦もない。


格闘ゲームで超反応してくるCPUじみた、

異様に正確な押し引きの判断。


温子が気付いていないだけで、どこかに何か、

それを判断するための癖のようなものがあるのだろうか。


「っ……」


歯噛みしながら迎えた十六ゲーム目――


手元のホールカードはダイヤの3とダイヤのK。

勝率はヘッズアップで53%。


決して強い手とは言えなかったが、

相手を探るために敢えて突っ込むことを決意する。


が、その決意を挫くかのように、

葉はプリフロップからレイズ。


仕方なく温子もコールで受け、

フロップへ。


開示されたコミュニティカードは、

クラブの3、ダイヤの10、ハートのJ。


苦しい手にチェックを選択する温子。


が、ここで葉はさらに積んできた。


プリフロップでの40枚に、フロップでの100枚。

合計で140枚の出費を迫られる。


温子は悩んだ末に――コール。


ターンフェイズへと移行し、

さらにコミュニティカードが追加される。


新たに現れたカードはダイヤの9。


現状では3のワンペアと厳しい手ながら、

ストレート、フラッシュの可能性を残す悪くないカード。


それでも当然、表情も立ち回りも変えずに、

温子はチェックを選択していく。


これに対して、葉はどう出てくるか――


「フォールドするわ」


葉は相変わらずニコニコとしたまま、

躊躇いもなくカードをディーラーへと返した。


プリフロップからチップを積んでいるにも関わらず、

フロップで積み増したにも関わらず、下りた。


困惑する温子――

一体、どこに引く要素があるのかも分からない。


ブラフで突っ張っていたのだろうか。


だとすると、温子の想定していた通り、

相手から毟れていることになるが――


判断の付かないまま始まる十七ゲーム目。


手札はダイヤの7、クラブの7。

勝率は66%。


若干の物足りなさは覚えるものの、

当然コールでフロップへと向かう。


開示されたコミュニティカードは

ハートの7、スペードのK、クラブのK。


舞い込んだ7、Kのフルハウス。

この時点でほぼ温子の勝ちが確定した。


だが、喜んでばかりはいられない。

ホールデムはここからの選択が大切なのだ。


果たして、葉の手に対して

コールをするかレイズをするか。


コールをすれば、そこそこの手と判断し、

先のように降ろしに来るかもしれない。


しかし、レイズの場合はショーダウンまで行った際に、

手堅い立ち回りの信用がさらに増す。


黙考/逡巡――その末に温子はレイズを選択。


お互いのチップはまだまだ多く、

長期戦が予想される。


せっかく築いてきた信用を、

ここで崩すのはもったいない。


何より、レイズだったとしても、

ルーズパッシブの葉は来てくれるかもしれない。


そんな先を見据えての選択に――


葉は、あっさりとフォールドを選んできた。


2.6%の確率でしか来ないせっかくのフルハウスが、

ブラインドのたった20枚へと変わる。


“やはり、コールを選択するべきだったか?”


“それとも単純に、

派手なコミュニティカードに下りを選んだのか?”


様々な考えが浮かぶも、

改善方法が浮かばないままに十八ゲーム目。


ホールカードはダイヤのA、ハートのQ。

勝率66%の勝負に行くべき手。


と、葉側もいい手が入ったのか、

いきなり初手からレイズで40枚を積んできた。


それに対して、

温子もレイズを選択。


結局、お互いが100枚を積んで

フロップへ突入する。


開かれたコミュニティカードは

クラブの3、ハートの4、クラブの8。


手役は成立しないがまだ勝率は高いと踏んで、

相手を下ろすつもりで突っ張っていく。


「レイズ。20枚」


「じゃあこっちもレイズ。80枚ね」


「同じくレイズ。140枚」


「じゃあもう一回レイズしておこうかな。

200枚積んじゃう」


これを温子がコールで受けて、

フロップで積まれたチップは280枚に。


さらにターンフェイズ――


「あらあら、膨れ上がっちゃったわね」


リレイズの応酬の末に、

またもや300枚近いチップが積まれた。


追加されたコミュニティカードはダイヤのKであり、

手役は未だに成立していない。


が、それでも勝てると信じ、

温子は覚悟を決めてチップを張った。


積まれたチップの合計は640枚。


現在の温子の所持チップが2500枚程であるため、

およそ四分の一を注ぎ込んでいることになる。


その熱気を感じたのか、気付けば、

ソファで待機していた仲間も周囲に集まっていた。


双方に積み上げられたチップの山を見て、

ギャラリーが溜め息を漏らす。


しかし、それが目に入らないかのように、

温子が葉を鋭く見据える/葉が温子に微笑みを向ける。


そうしてやってきた、

運命のリバーフェイズ。


ディーラーがテーブルにカードを出し、

それを返した瞬間――温子が呼吸を止めた。


スペードのA。


ようやくにして、

Aのワンペアが成立してくれた。


これであれば、

かなり勝てる可能性は高い。


その喜びを気取られないように気持ちを落ち着け、

止めていた呼吸を戻しながら葉を見る。


その視線の先で、葉は髪をかき上げて、

ディーラーに向かって可憐な笑顔を見せた。


「ダメよ、ディーラーさん」


「……えっ?」


「今、バーンカードを捨ててなかったでしょう?

そのA、捨て手札じゃない」


――今度は、呼吸が止まった。

止めたではなく、止まった。


確かに、言われてみればそうだ。


温子は葉の動きばかり気を取られていたが、

ディーラーがバーンカードを捨てた素振りはなかった。


毎回、各フェイズに入る前に、

不正防止の一番上のカードバーンカードを捨てるのがルールだ。


今回それが行われていないということは、

あのAは本来、捨て札ということになる。


「たまにあるのよね、こういうこと。

ディーラーも人間だから」


「……こういう場合はどうなるんだ?」


「ディーラーの判断で決めるか、

マネージャーが出てくるかね」


「でも、ここではマネージャーはいないから、

ディーラーに任せる形かしら」


「まあ、まだ私も朝霧さんもチップを動かしてないし、

本来の通りAをバーンカードとして処理でしょうね」


「なるほど。

そういう対応になるのか」


辛うじて平然を装うことはできたが――

温子の内心は、嵐の海原の如く大荒れだった。


目の前に迫っていたはずの大勝が露と消え、

失望で叫び出したかった。


だが、幾ら温子が悔しがろうと、

彼女の待ち望んでいたAは本来はバーンカード。


通れば儲けものだったAが通らなくなり、

自然な流れに戻っただけの話だ。


そう考えると、今度は勝利を逃したことよりも、

温子と葉の差のほうが痛く感じられた。


自分は見る余裕のなかったディーラーの挙動にまで、

葉はきちんと気を払っていたという事実は、重い。


経験以上に、観察眼という部分でも、

大きく劣っているのを認めざるを得なかった。


だが、動揺する温子を余所に、

ゲームは本来の流れへと進んでいく。


Aをバーンカードとして破棄した後に、

ディーラーが新たなリバーカードを開く。


目を見張った。


出て来たカードは――スペードのQ。


死に体だったカードが息を吹き返し、

再びワンペアでの勝利が見えてくる。


しかも、温子のQの相方キッカーはA。


ワンペアであればKとA以外にはまず負けない上に、

そのAも既に二枚が見えている。


Kがコミュニティカードに存在するのが痛いが、

ここまで来て怯むわけにはいかない。


「ベット。80枚」


ここまで築き上げた信用を盾にして、

強気のベットで相手を引きずり下ろしにかかる。


しかし、葉もまた強気に

160枚を積んできた。


土壇場までもつれ込んだチップでの殴り合いに、

ギャラリーがどよめく/ざわつく。


その全てを黙らせるつもりで、

温子がリレイズ――240枚。


「んもう……しょうがないわねぇ。

それじゃあ、コールにしておいてあげる」


温子の気迫を、葉がコールで受けて立つことで、

リバーフェイズは320枚のチップが重なった。


プリフロップからの合計で960枚。

手持ちの四割にも迫る、この二人では初の大勝負。


「ショーダウンだ」


その結果が、温子から開示された。


「Qのワンペア……手札にAもあるのっ?」


その手がどれだけ強いのかを理解している

那美と羽犬塚が、歓声を上げる。


だが、そんな周囲とは裏腹に、

温子は険しい顔で葉の顔を見ていた。


この強敵の表情が、温子のカード開示にも関わらず、

一切の変化を示さなかったためだ。


「じゃあ、私のも開くわね」


ニコニコ笑顔で葉がショーダウン。

現れたカードは――


「Kの、ワンペア……」


「惜しかったわね、朝霧さん」


クイーンのウインクと共に、

敢闘を称える言葉が向けられる。


しかし温子は、

それに項垂れることしかできなかった。


Aが消えてすり替わったスペードのQに、

全て持って行かれてしまった。



この時点で、温子のチップは1600枚強。

対して、葉のチップは4400枚弱。


誰がどう見ても、

勝敗の明らかな圧倒的大差だった。


「……一つ、教えてもらっていいか?」


「どうぞ。何でも答えてあげる」


「お前は……私の手を、

どこまで読んでたんだ?」


「どこまで……そうねえ。

さっきの勝負なら、A絡みであることは」


「下ろそうとしても下りてくれないから、

強い手札が入っているのは分かってたのよね」


「その後に、バーンカードのAが

間違って出て来たでしょう?」


「あの時の反応と、次のQが出て来た時の安心ぶりで、

AQだなって九割型見当がついた感じ」


「でも、残りの一割に自信がなくて、

結局オールインまでは行けなかったの」


「それ以前の勝負の話なら、

朝霧さんがタイトに立ち回ってるのは分かってたから」


「それなら、勝負を仕掛けてくるまでは、

ずっと図々しく立ち回ろうって思ってただけ」


「どうして私に

勝負手が入ったと分かったんだ?」


「どうしてって……

見れば分かるじゃない、そんなの」


「……は?」


「朝霧さんは、

人間観察をしたことないの?」


葉がテーブルに肘をつき、

組んだ手の上に顎を載せて温子に問いかける。


しかし、その内容を理解できずに、

温子は顔を蒼くした。


言葉の上では酷く単純だが、葉の言うそれは、

温子の知る観察のレベルではないことは確実だった。


何故なら、

葉が温子に向けてきたその目は――


子供の頃、温子があらゆる意味で

嫌と言うほど見てきたものとよく似ていたからだ。


そう――朝霧温子の妹、爽が、

姉の真似を散々してきた時に向けてきた目と。


「それじゃあ、

次のゲームに行きましょうか」


そんなことを思われているとはつゆ知らず、

葉が目の前の蒼い顔へ微笑みかける。


が、温子は葉から視線を外して、

力なく席を立った。


「どうしたの? おトイレ?」


「いや……ちょっと待ってくれ。

いったん中断したい」


「ええーっ、どうしてっ?」


「このままやっても勝てる気がしない。

一度、作戦を立て直してこようと思う」


「ふーん……ま、別にいいわよ。

勝負は楽しくなるほうが好きだから」


「私はとりあえずここにいるから、

再開したくなったらいつでも来て」


「でも、期限は怪物役の獅堂がここに来るまで。

来た瞬間に私は脱出させてもらうから」


「……ということは、

お互いに携帯は持ち出すんだな?」


藤崎に閉じ込められた経験からの提案――


それに、葉は少しだけ考えた後、

『そうね』と数回頷いた。


「じゃあ、賭けているデータだけ置いて、

携帯はお互いに持っていきましょう」


「ただし、さっきの期限に戻って来なかった場合は、

カジノエリアにいる私が全部もらうから」


「分かった。それでいい」


続行していれば負けていた勝負を中断できたのは、

温子にとって非常にありがたかった。


だが、再開したところで、

この脅威の存在に勝てるのだろうか――


どれだけ考えてみても答えが見つからず、

温子は重い足取りでカジノエリアを後にした。


那美と羽犬塚が何か色々と話しかけてきたが、

ほとんど頭に入らなかった。








そうして僕らは、カジノエリアを出てから、

ひとまず近くの部屋まで移動した。


道中の会話はほとんどなし。


僕も含めた全員が、絶望的な状況を前に、

どうしていいか分からないようだった。


それでも、いつまでも

黙っているわけにはいかない。


「これからどうしようか?」


「……ホールデム勝負で

勝つしかないのは間違いないね」


「私たちのカードも須賀さんも、

全てあの勝敗にかかっているから」


「勝てるの?」


「正直に言うと、相当厳しいと思う。

行けると思った私の完全な見込み違いだった」


唇を噛んで、

固く目を閉じる温子さん。


その肩に、龍一がぽんと手を置いた。


「別にそんなに落ち込む必要ないやろ。

責めてるわけちゃうし」


「勝てる思って、最善の選択をしたんやろ?

しかも、全員それに賛同したんやしな」


「今川くんの言う通りだよ。

温子さんが一人で責任を感じることじゃないよ」


「うん。田西さんよりずっと強い人だったんだし、

負けちゃうのも仕方ないよ……」


「みんな……ごめん」


「あー、どうでもいいけど、

傷の舐め合いとかはしないでくれる?」


「大事なのは、今負けてることより、

どうやってここから勝つかなんだから」


「く、黒塚さん……キツいね」


「当たり前じゃない。時間もないんだし、

役に立たないことをしてる暇はないの」


ふんと鼻を鳴らして、

黒塚さんが温子さんへと軽く蹴りを入れる。


……まあ、やり方はともかくとして、

この状況では黒塚さんの意見が正しいか。


「じゃあ、今のまま行くのはまずいとして、

他にどんな方法があるだろう?」


「他の人が代打で出るとかは?」


「うーん……温子さんでダメなら、

多分みんなダメだと思う」


「……そうだね。私がどうとかは関係なしに、

志徳院葉っていう人間が段違い過ぎる」


「あの人に勝つには、正攻法じゃきっとダメだ。

何か別のやり方をしないと」


「ほんなら、イカサマとか?」


「いや、カジノエリアはイカサマ対策が完璧らしい。

まずディーラーに見破られるだろうと思う」


「だから、カード勝負の上で、

奇襲を仕掛けていくしかないんだ」


「奇襲っていうと……

自分のカードを見ないで勝負するとか?」


「極端に言うとそういうことだね。

でも、もっと勝率の高い方法を考えなきゃいけない」


正攻法以外で、もっと勝率の高い方法……

そんな都合のいいものがあるんだろうか?


でも、もし何も見つからなければ、

全滅がほぼ確定してしまう。


時間がどれだけあるのか分からないけれど、

何とかして考えないと。


そうして、全員で頭を抱えて唸っていたところで、

突然、部屋の扉がノックされた。


何事かと目を向けた先にいたのは、

等身大の人形と見紛うような可愛らしい少女の姿。


「あーもう、ようやく見つけたよ」


「真ヶ瀬先輩っ?

いつこっちに出て来たんですか?」


「出るだけなら昨日から出てたよ。

でも、みんなを探すのに手間取っちゃって」


とりあえず入れないから外に出てよ――と、

先輩が部屋の扉を叩きまくる。


あの、みんな引いてるんでやめて下さい……。


「っていうか、何だか雰囲気暗いね。

どうしたの?」


「いや、むしろあなたが

どうしたのというか……」


「今、真ヶ瀬って言ったわよね?

もしかして、真ヶ瀬優一?」


「うん、そうだよ。

ABYSSではラピスって名前だけどね」


「っていうことは、

あなたが特別な怪物ってやつなわけ?」


黒塚さんがその目を鋭く細めて、

懐のナイフへと手を伸ばす。


「あーっと……ちょっと待って。

先輩は僕らに危害を加えに来たんじゃないから」


……とりあえず、みんなへ先輩の紹介をして、

先輩に今の状況の説明をするか。






「……なるほどねー。

そういう状況になってたんだ」


「真ヶ瀬先輩は、何とか葉さんに勝つ手段とか

思いついたりしませんか?」


「え? 無理無理。

だって志徳院さんあのひとの読み、頭おかしいレベルだし」


やっぱり先輩でもそう思うのか……。


「まあでも、力ずくで行くほうでも、

処刑人を連れてきてたならどうしようもないか」


「でも、由香里ちゃんが捕まってるのは、

まずいんだよなぁ。うーん……」


「そういえば、真ヶ瀬先輩なら志徳院葉に

攻撃できるんじゃないんですか?」


「あ、そうだね。

先輩なら行けるのかも」


“審判”の及ぶ範囲は、

首輪のついた参加者のみ。


葉も獅堂がやってくるのを怖れていたみたいだし、

怪物役の真ヶ瀬先輩なら問題なく攻撃できるはずだ。


「須賀さんが必要なら、

先輩に行ってもらうっていうのはどうでしょう?」


「物理的に可能かどうかで言えば可能だけど、

残念ながらそれはできないかな」


「志徳院さんとはちょっと取引があって、

それを破ることはできないんだよね」


「私たちに払える類いの報酬ですか?」


「いや、そうじゃないよ。

だから、それ以上の条件で買収しようとしてもダメ」


「じゃあ、やっぱり

ホールデムで勝つしかないのか……」


腕組みして、

再び黙考に戻る温子さん。


……即座に買収って考えが出てくる辺り、

温子さんも相当キレてると思う。


でも、逆に言えばそれくらい、

手段を選んでられないってことなのか。


「ちょっと聞きたいんだけど。

須賀を連れて、真ヶ瀬は何をしようとしてたの?」


「獅堂天山の暗殺だよ。

晶くんと私と由香里ちゃんの三人でやるつもりだった」


「晶ちゃんも……!?」


「先輩には、沢山手を回してもらってるんだ。

僕だけじゃなくて、色んなことに関してね」


「だから、那美ちゃんは気にするだろうけれど、

僕はできる限りの支援をしようと思ってる」


「佐倉さんには悪いけど、

私はこの時を何年もずっと待ってたんだよね」


「何を言われようと晶くんは連れて行くし、

邪魔をするなら排除させてもらうよ」


「……晶ちゃんは、それでいいの?」


「那美ちゃん……」


「晶ちゃんも、殺すかもしれないんだよ?

殺されるかもしれないんだよ?」


「……違うよ那美ちゃん。

僕が行くのは、殺すためじゃない」


「僕は、先輩たちを守るために行くんだ」


言葉遊びに聞こえるかもしれないけれど、

これは僕の本心だ。


今の僕の力は、身近な人を守るために

あるものだと信じたい。


「もし、先輩たちをそのまま

獅堂のところに行かせたら、絶対に殺される」


「例え僕が行かなかったとしても……

っていうか、一人だけでも先輩たちは行くと思う」


「だから、先輩たちを殺させないためにも、

僕は行かなきゃいけないんだ」


「分かって欲しい」


「晶ちゃん……」


「……行かしたってや、佐倉さん。

誰かを守る戦いっちゅーんはあるもんやって」


「佐倉さんやって、誰かを守るために、

ケンカしたこととかあるんやろ?」


「晶が行くのは、その延長線みたいなもんや。

喜んで殺しに行くのとちゃうよ」


「……うん。そうだね」


「もちろん、

生きて帰ってくるんやろ?」


「当たり前でしょ」


自分が生きているのに

疑問を感じていたこともあったけれど、今は違う。


僕には、これからやりたいことがある。

そのためにも死ぬわけにはいかない。


「それでも、三人で行く予定のところを二人って、

相当キツいんじゃないの?」


「……まあね。できればもう一人、

中距離から遠距離で戦える人が欲しいかな」


「俺も手伝う言いたいところやけど、

どうにも背中がいとうてな……」


「龍一は無理しなくていいよ。

歩けるのが不思議なくらいの怪我だったんだから」


「じゃあ、私が手伝ってあげましょうか?

須賀の尻拭いで」


「いや、黒塚さんまでこっちに来たら、

那美ちゃんたちを守る人がいなくなるよ」


「……それもそうやな。

晶のにーちゃんが来たら俺やと無理やし」


「……結局、晶くんと二人だね。

まあ、どうにかするしかないか」


「大変なのは獅堂側だけじゃないし、

お互いにできることをやるしかないよ」


「んじゃ俺は、はいぬーさんと一緒に

神様にでもお願いしとくかな」


「私、必要ならいっぱいお願いするっ」


「うん、ありがとう」


「……って、お願いで思い出した。

晶くんに渡すカードがあるんだ」


「僕に……ですか?」


「“星”の大アルカナ。

かいぶつを倒した時にもらえるカードだよ」


「獅堂の件を手伝ってもらうお礼に、

渡そうと思ってたんだ」



「簡単に言うと、ゲームに直接関係ない願いを、

一つだけ運営に要求できるっていう感じかな」


無理なお願いとしては、アルカナの要求や、

首輪の作動等の、ゲームに直接影響するのはアウト。


ただ、戦況に大きく影響しない火器等であれば、

外部から持ち込んでもらうことは可能らしい。


その他、ABYSSの限度を超えるものは

無理という話だった。


例えば、一千万円ならもらえても、

一兆円を要求するのは無理――といった具合に。


「まあ、色んな使い道があると思うけど、

それは琴子ちゃんたちの解放に使うといいよ」


「琴子たちの解放って……まさか、

ABYSSが僕らの家を襲ったんですか?」


「いや、その逆。

琴子ちゃんたちがこの場所を探しに来たんだ」


「追い返そうと思ったんだけど、思ってるより鋭くて、

ごまかしきれなかったんだよね」


「それで、仕方なく捕まえた感じ。

でも、ほとんど無傷だから安心していいよ」


「……そうですか」


それを聞いて、ひとまず安心した。


ただ“星”の大アルカナの用途は、

先輩の言う通り、琴子たちの解放で決まりだろう。


温子さんも、

それで異論はないはずだ。



「――ちょっと待って」


と思っていたのに、携帯を使おうとしたところで、

温子さんから伸びてきた手に制止された。


「先輩に確認なんですが、“星”のカードは、

叶えられる範囲の願いを叶えてくれるんですよね?」


「まあ、そうだね。

さっき説明した通りだけど……」


「じゃあ、戦況に大きく影響しない火器程度であれば、

外部から持ち込むことが可能なんですよね?」


「その戦況に影響するかどうかの判断は、

ABYSS側でやるんですよね?」


しつこく訊ねる温子さんに、

『そうだけど、どうして?』と先輩が首を傾げる。


そんな先輩の困惑を見て――

温子さんは、久し振りにニヤリと笑った。



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