綺麗な石ころ



「……うおー、やばいねこれ。

端っこが全然見えねー」


「もし予想が当たってるなら、

ここの地下に巨大迷宮があるって話だしね」


「……ここなら、本当に迷宮があっても

不思議じゃないですね」


目の前に広がる景色に心細さを覚えながら、

琴子が眼前の闇へと目を懲らす。


――爽たち四人が辿り着いたのは、

電車で数駅を挟んだ街の広大な空き地だった。


駅周辺から遠く離れていることもあり、

周囲は大きな店もなく、住宅街ですらない。


ベッドタウンとしては近隣の駅のほうが有用であり、

わざわざこの地に根を下ろす人間はいなかった。


そんな場所だからこそ、かつてある会社が、

この地に巨大迷路を作ろうと目を付けた。


資金調達/土地の買収/周辺住人との調整――

全て上手く行き、着工までしていたという。


しかし、バブル崩壊による余波と迷路ブームの終焉、

規模の巨大さにより完成が見込めず頓挫。


親会社の破綻と共に土地が二束三文で転売され、

新たな開発も見込めないまま放置されている。


そうして今、この場所は、

生い茂る草木と虫の音のものとなっていた。


「でもさ、ここ全部探すのってヤバくない?

あたしはともかく、みんなは相当キツいと思うよ」


「ああ、その辺りは大丈夫だと思います。

大体ですけど、範囲は絞れますから」


『そうなの?』と首を傾げる加鳥と琴子に、

美咲が頷き返す。


「この迷宮を作ろうとしていた会社って、

直上の土地を買収して確保していたんですよね」


「当然、地下の開発権を得るのが目的なんですけど、

もう一つ、開削工法で迷宮を作ってたんじゃないかなと」


開削工法とは、地下に施設を作る際に一度地面を掘り、

施設建設後に再度埋め直す地下工事の手法である。


地下に直接迷宮を建設するのでは手間がかかる上に、

難易度も高い。


しかし、穴を掘り、そこに小分けにした迷宮を

配置していくやり方なら簡単で効率的だ。


穴さえ掘れば、5立方メートルほどの立方体ブロックを

連結するだけで迷宮が完成する。


「で、当時の内部用資料を見る限り、

迷宮は一辺が200mの四角形だったんですよね」


「どれくらいまで作られていたか分からないですけど、

普通はこれより一回り大きく掘ると思うんです」


「なるほどねー。敷地内にその四角形を入れてみて、

四角形の辺の上に当たる場所を探せばいいわけか」


「それプラス、目立たない場所だね。

つまり隅っことか、建物の死角になるところとか」


「あと、地下への入り口って言っても、

野ざらしにはなってないと思うんだ」


「ですね。誰かが見つけたり、獣が掘り起こしたり、

色んな事故で見つかる可能性がありますし」


「だから、資材を置くプレハブ小屋の中とかに、

地下への入り口が作られてるんだと思います」


「だね。それが外れなら、近隣の家とかマンションか。

物資を搬入できる広さがある場所って感じ」


その通りです――と佐賀島の首肯

/ぽかーんと口を開けてそれを見る加鳥と琴子。


予想以上に息の合う/矢継ぎ早に意見を出す

三大変人たちに二の句が継げず。


思い返せば、ここに至るまでも、

爽と佐賀島は随分と積極的に動いていた。


羽犬塚の失踪した状況から捜査方針を決め、

安全を確保した上で各人の仕事を割り振ったり。


過去のデータや資料を

どこからともなく持ってきたり。


寄せ集めた情報から正確な場所を割り出し、

僅か半日で突入準備を整えたり。


幾ら何でも、仕事が早すぎる。


「……ずっと思ってたんだけどさ、

何か爽、キャラ変わってない?」


「えー? そりゃ、あたしも気楽でいたいけどさ、

今ってそんな状況じゃないじゃん?」


「それはそうだけど……

あの爽がねぇ」


しみじみ語る加鳥に、

反応に困ってますとばかりに複雑な笑顔で返す爽。


そんな二人に割り入るようにして、

佐賀島が『それで』と口にした。


「そろそろ、見張りと調べる人で分けませんか?

ここに四人固まってても仕方ないですし」


「そだね。っていうか、あたしが行くから、

みんなは何かあったら通報してよ」


「……それって、先輩が一人で探すってことですか?

みんなで探さないんですか?」


『先輩だけ行かせるのは嫌です』と含ませて、

琴子が爽へ不満の目を向ける。


「みんなで行くと危ないんだよね。

何かあった時にリカバリ利かないじゃん?」


「だとしても、一人で行くのはないと思いますけど。

変に気を遣うより効率を考えて下さい」


「まーそーだよね。

絞れてるって言っても、この広い場所だしさ」


「それに、みんな探したい人がいるんだし、

危ない目に遭うならみんな平等がいいかな」


「あ、先輩の気持ちは分かりますけど、それは却下です。

自己満足でリスク増やしても何も意味ないんで」


「……ばっさり言うねー。

まあ、佐賀島さんの言う通りだから別にいいけどさ」


すみませんと頭を下げる佐賀島に、

手を振って苦笑いを浮かべる加鳥。


そんなやり取りを傍で眺めつつ、

爽は仕方ないかと頬を掻いた。


「んじゃ、調べる人が二人、

見張りが二人ってことでどう?」


「……まあ、妥当じゃないですかね。

それで行きましょう」



そんな合意とジャンケンの末――


調べる役は加鳥と琴子、

見張り役は爽と佐賀島に決まった。



「ぐああ……どうしてこう、

肝心なところで負けるんだあたしってやつはっ」


「嫌な予感はしてたんだけど……

やっぱりグーで行くべきだったかぁ」


『こんなはずじゃなかった』とばかりの爽と佐賀島が、

それぞれ不満たっぷりの顔を見合わせて溜め息をつく。


「いやいや、そんなにガッカリするとこじゃないし。

これ、調べるほうがずっと危険でしょ?」


「それはそうだけどさー」


「二人のぶんも頑張って探してきますから、

何かあったらよろしくお願いします」


手を振って、

加鳥と琴子が空き地へと入っていく。


それを見送りながら、居残り組の二人はもう一度、

大きな溜め息をついた。




十一月がもうじき見える頃の野原は、

思っているよりも進むのが困難だった。


背の高いススキが目の前を塞ぎ、

それを掻き分けると虫が飛び出してくる。


蜘蛛の糸に引っかかることもしょっちゅうで、

そのたびに悲鳴が出そうになる。


明かりを使えればもう少し楽なのだが、

見つかる可能性を考えればそうもいかない。


なるべく音を立てないようにして、

加鳥と琴子で手分けして、端を中心に歩いて行く。


琴子が目指す場所は、

先ほど佐賀島の言っていたプレハブ小屋。


携帯で逐一状況を報告しつつ、

ゆっくりと近づいていく。


道中で加鳥から報告――

“こっち側にそれっぽい入り口はなかった”。


早くも端まで到達した

陸上部の足の速さに驚く/感心する。


向こうに負けないようにと、

琴子も頑張って速度を上げ――プレハブ小屋に。


小屋の周囲にはいつから置かれているのか、

錆びきった資材が積まれていた。


その他に目に付くのは、植物に浸食された軽トラック、

不法投棄らしき冷蔵庫やらパソコンやらのゴミの山。


プレハブ自体も年季が入っているらしく、

ところどころ塗装が剥げ落ち、錆が目立っていた。


その小屋の周囲を、

まずはぐるりと回ってみる。


ドキドキしながらの探索だったが、

明かりはなし/音もなし――総合して人の気配なし。


続いて、小屋の入り口のノブを回してみるも、

予想通り鍵がかかっていた。


「……どうしよう」


ここからさらにどうやって調べるか。


プレハブ小屋の中をどうにかして見たいが、

侵入する手段がなかった。


窓から中を見るにしても、窓の位置は高く、

背伸びしてどうにかなるものではない。


仮にそれらが可能だったとしても、

中に誰かがいたらかなり危険だ。


一体、どうすればいいのか。


「今からそっち行くから待ってて」


いったん離れて電話で佐賀島に報告すると、

五分ほど後に佐賀島が草を掻き分けてやってきた。


「どうするの?」


「石を投げて窓を壊して、

小屋の中に発煙筒をありったけ投げ込む」


えっ――と危うく大声を出しそうになって、

琴子が慌てて口を塞ぐ。


「もし誰かがいるなら引きこもってられないし、

誰もいないなら中を調べられるでしょ」


「でも、もし本当にABYSSがいたら、

それって危ないんじゃ……」


「そのために私が来たの。

笹山さんは何かあったら速攻で通報して」


「火事になったりしたら……」


「その時も速攻で通報。

一応、対策はしてるから、まずなんないと思うけどね」


ほらこれ――と、佐賀島が

リュックの中から発煙筒と発砲スチロールを取り出す。


その円形のスチロールに発煙筒の先端を差し込み、

手回し独楽こまのような形にしてみせた。


これであれば、円形のスチロールに守られて、

煙の出る先端部が地面に接触しないようになる。


また、煙の出ない後端には重りが付けてあり、

平らな場所なら必ず先端が浮くようになっていた。


「問題があるとすれば、騒ぎになることくらいかな。

これをやってダメなら、また明日出直し」


「ま、出入り口なんて簡単に変えられないし、

何度かチャレンジすれば見つかるでしょ」


「でも……やっぱり危ないんじゃ……」


不安を琴子が口にすると、

佐賀島はその顔をキッと強く睨んだ。


ぎょっとして目を逸らそうとする琴子――

その肩を、佐賀島が強く掴む。


「あのね、危ないのは百も承知なの。

でも、安全第一じゃどーしようもないんだってば」


「本音を言えば、ABYSSになんて関わりたくないし、

やるとしても百パーセント成功する方法でやりたい」


「でも、そんな方法はないの。探す暇もない。

だったら、今できることをやるだけでしょ?」


「私のせいで羽犬塚先輩が危ない目に遭ったなら、

私だって多少の危険な橋くらい渡ってやるっての」


「佐賀島さん……」


「分かったら、私から離れてて。

何かあったらすぐに連絡できるように」


突き飛ばすように琴子を離して、

その手で携帯を取り出し爽へとコール。


「あ。朝霧先輩ですか?

今からプレハブに発煙筒を投げ込みます」


「ええ、実行は私で。笹山さんは見張りです。

何事もないと思いますけど――」


言って、佐賀島が琴子へと目をやる。


その背後に、

ぼんやりと白い仮面が――


「――逃げろぉっ!!」


電話先と琴子の両方に叫んで、

佐賀島が発煙筒を仮面へ投げつける。


さらに、ポケットへと手を突っ込んで、

催涙スプレーを取り出し前方へと構える。


そのスプレー缶を、

佐賀島の背後から伸びてきた白手袋が捕らえた。


ハッとなって振り返ると、

もう一つの仮面がゲタゲタと笑っていた。


「佐賀島さんっ!」


「くっ……コイツ、」


離せ――と言う前に、仮面の伸ばした手が、

佐賀島の喉を鷲掴みにした。


それから、その柔肌に指を食い込ませ、

じたばたと藻掻く少女の耳元で囁く。


“いま死にたくなければ黙れ”


苦痛に顔を歪めつつも、

反射的に口を閉じる佐賀島。


ほぼ同時に、電話の向こうでも、

爽が喚く声が聞こえてきて――すぐに途絶えた。


それで、四人全員が、

ABYSSに確保されているのだと悟った。


一体、いつからバレていたのか。


ABYSSと出くわしたということは、

やはりここが当たりなのか。


仮に正解だったとして、

この状況をどう覆せばいいのか。


佐賀島が必死になって頭を回す。


全員集められ処分される前に、

せめて誰か一人でも助かる方法を考える。


だが、喉を/命を掴まれたままでは、

発煙筒へ手を伸ばすことすらできそうにない。


何か動いた時点で、

喉を思い切り締められ、それで終了。


何もできない。

できることがない。


焦りが絶望へと徐々に姿を変え、

その冷たい手でひたりと少女の心を撫でる。


押さえつけられた喉元を脈拍がまた一つ通り過ぎ、

刻一刻と終焉が近づいてくる。


これで終わりか――


佐賀島が、

悔しさに歯を軋らせる。


薄く開いた瞳から涙が零れそうになる。


――唯一できることを見つけたのは、

そんな滲んだ視界の中だった。


半開きだった目が全開になる。

萎れかけていた心に再び火が灯る。


少女の凝視する先には、

仮面に確保されている琴子。


しかし向こうは、佐賀島と違って、

肩に手を置かれているだけだ。


何か行動したところで、

最初の瞬間のそれは咎められることはない。


上手くやれば、発煙筒を確保して、

起動まで持っていけるのではないか。


季節は秋の最中。周囲の草木はいい具合に枯れて、

火を付ければ簡単に燃え広がるだろう。


それに上手く乗じれば、

何とか状況を打破できる可能性はある。


だが、声を出すことができない以上、

合図は目だけで送るしかない。


普段から多く話してはいるつもりだったが、

果たしてこの場面で意図を分かってもらえるかどうか。


祈るような気持ちで、

佐賀島が琴子を見つめる。


頼むから、後で何でも食わせてやるから、

今だけはとにかくこっちを向け――


そんな少女の念が通じたのか、

琴子が振り向き、目が合った。


必死の形相を作っていたせいで驚いているが、

向こうからも見えている証左と考えればむしろ好ましい。


『伝えたいことがある』と視線に込めて、

さらに琴子の瞳を睨み続ける。


琴子の顔が、驚きから戸惑いへ――

さらに疑問へと変わっていく。


そこまで来たところで、佐賀島は、

今度は足下に転がる発煙筒へと目をやった。


視線を追ってくれさえすれば、

どうにか発煙筒が見えるはず。


が――

そこで、月に雲がかかった。


ハッとなって佐賀島が顔を上げる

/その顔から血の気が引く。


琴子の表情が見えない。


ただでさえ暗かった視界にますます闇がかかり、

地面に転がる発煙筒の色が分からなくなっている。


蜘蛛の糸が切れたカンダタの気分

/再び絶望が心を浸していく。


さっきは辛うじて押しとどめた涙が、

もう一度溢れてきそうになる。


どうしてこう、肝心な時に限って、

運がそっぽを向いてしまうのか。


クソッタレの役立たずなあの雲野郎を、

今すぐぶん殴ってどうにかしてやりたい。


悔しくて、目を瞑って、涙が零れて――


――がさがさ、と音がした。


ハッとなって目を開ける。


目の前で、

琴子が発煙筒に飛びついていた。


その素晴らしい判断に驚く/感動する

/意思がしっかり通じていたことで涙が溢れてくる。


ああくそ、畜生、

ってやづは何て最高なんだ――!


そう心の中で叫びつつ、

佐賀島が即座に自身の役割を遂行――


自分の喉を掴んでいたABYSSの手を逆に掴み、

足を踏みつけ、琴子の行動を邪魔できないようにする。


喉を絞められることは心配していなかった。


予想もしていないところから腕を掴まれると、

大抵の人間は、それを振り払おうとするためだ。


しかし、それで精一杯。


後は琴子がABYSSの手をかいくぐって、

発煙筒を作動させてくれることを祈るしかない。


発煙筒を手に取る琴子――

走りながらキャップに手をかけ急いで外す/投げ捨てる。


あっ、と思わず声が出た。


発煙筒の着火の仕組みは、

マッチと同じ。


キャップについた擦り板で、

発煙筒の先端部を擦ることで煙が出るのだ。


つまり、キャップを投げ捨ててしまえば、

もう着火することはできない。


使い方を教えておけばよかったと、

佐賀島の表情を後悔が歪ませる。


だが、もう遅い。


火の付け方が分からず戸惑っている琴子に、

男の手が伸びる/髪の毛を捕まえ引き倒す。


そうして倒した琴子を、

男が殴りつけようと馬乗りになり――


「――琴子に何してくれてるんだ、お前?」


誰かの声が、聞こえた。








とある少女の話だ。


山深い場所に隠れ住む、

ある暗殺者の系譜を継ぐはずだった子供の話だ。


かの家の歴史はかなり旧く、

現存する中では最古と言ってもよかった。


しかし、秘伝の技は劣化することなく保存され続け、

どの時代においても常に脅威であり続けた。


その要因の一つは、

男系による血筋の継承だ。


まじないを主な暗殺の道具として使うこの家では、

血というのは何よりも重要な道具だった。


その純度を保つために、

代々男系での継承が必須とされ――


その正しさを裏打ちするように、

家は没落することなく続いてきた。


だが、当代において異変が起きた。


子供ができなかったのだ。


医学的に検査しても、

夫婦共に異常はなし。


なのに、どういった訳か、

なかなか子宝に恵まれない。


一族の中からは『本家以外の子を次期当主に』

という声も上がってきた。


しかし、最も優秀な男を当主に据えるのが、

その家の掟。


分家の者は現当主からすると遥かに劣り――

当然、その子息らも明らかに駄作だった。


やはり、当主でなければ、

家を継ぐ子は作れない。


最悪の場合、人工授精や別な嫁を娶ることも考えつつ、

一族はひたすら神に祈った。


そうして、月日が経ち――

彼らは、ようやく子供を授かった。


ただ、問題があった。

その子の性別が女だったことだ。


男系での継承が必須とされている家系に、

女が生まれてもどうしようもない。


一族は大いに落胆した。


せっかく跡継ぎが生まれたと思っていたのに、

ぬか喜びさせられたことで憤慨する者さえいた。


しかし、これまでの子供の出来にくさを考えれば、

もう二度とチャンスはないかもしれない。


男系ではないが、この子の能力次第では、

他の候補よりも遥かにマシかもしれない。


そんな思惑もあって、少女は、

ひとまず次期当主として育てられることとなった。


少女の才能は、ずば抜けていた。


頭脳/身体能力/心の揺れ幅の少なさ――

どれを取っても、宝石のようだった。


当主から生まれるに相応しいその輝かしさに、

少女へ向けられる文句はあっという間に消え失せた。


その代わり『男であればよかったのに』という声が、

どこに行っても付きまとうことになった。


そんな声と期待を、

早熟な少女は大人の思う以上に理解していた。


だからこそ、周囲に負けないように、

己の身を削るほどの努力に明け暮れた。


磨かれる日々を経て、

少女はどんどん輝きを増していく。


訓練はすぐに無意味なものとなり、

齢一桁の時点で実戦にまで投入された。


そして、与えられる/自ら望んだ試練を、

あっさりと乗り越えていった。


元々、その家の技は、

身体能力にあまり依存しないものだったこともある。


少女はあっという間に、その一族の歴史上でも

指折りの暗殺者にまで上り詰めた。


そうして、少女はやっと、

自分の居場所を得ることができた。


一族は誰もが少女を次期当主と認め、

女であることに文句を言う人間もいなくなった。


周囲の声を撥ね除けたい

/父母に褒められたい。


その一心で積み上げてきた努力が、

ようやく結実したのだった。


だが――

そんな折りに、弟が生まれた。


長年望まれていた長男の誕生。


一族にとって悲願とも言えるその慶事は、

同時に、少女にとってのしるましでもあった。


それは、異変となってすぐに現れた。


一族の誰もが、

少女の輝きに感心を示さなくなったのだ。


仕事は誰でも構わないようなものばかりがあてがわれ、

訓練の類いのものは一切が打ち切られた。


道具の手入れや毒の調合も誰もやってくれず、

食事さえも自分で用意しなくてはならなかった。


困惑する少女――しかし父も母も、

ただ冷たい視線を向けるばかり。


一族のその他の人間は、

少女に見向きさえもしない。


そうして、毎日一つ一つ、

少女の居場所が奪われていった。



それでも、頑張って自分の有用性を示せば、

また誰かが見てくれるに違いない――


少女はそう思い、

与えられた仕事を懸命にこなした。


あらゆる物事を学習し、習得し、習熟し、

何事においても誰よりも精通するようになった。


少女にできることは、

何だってやった。


そして――努力すればするほど、

誰にも認められない虚しさが募っていった。


性別一つで盲目になる周囲が、

どんどん色褪せていった。



ある日、少女が仕事を早く終えて帰ると、

当主たる父が、母に向かって笑いながら話していた。


“アレをABYSSという組織が欲しがっているなら、

捨てる手間も省けるし、くれてしまえ”――と。





「……何でなんだろうなぁ」


コロシアムエリアの天井を見上げながら、

宝石の名前を持つ少女がぽつりと呟く。


その名を付けた男――獅堂天山を殺そうと思うと、

何故かいつも昔のことを思い出した。


別に未練があるわけではない。

懐かしむ気持ちもない。


にも関わらず、思考に思い出が割り込んで来るのは、

深層意識がそれを求めているのだろうか?


考えてみて――


そのあり得なさに、

思わず笑ってしまった。


今さらそんな感傷に浸るようなほど、

少女は幼くはなかった。


それならむしろ、

走馬燈だというほうがしっくりくる。


死を覚悟しているからこそ、

生きてきた記憶が勝手に掘り返されているのだと。


「……そうだ。

死んでもあいつを殺さなきゃ」


天井から視線を降ろし、右手へ向ける。

その右手を固く握り締める。


残された時間は、

学園を卒業するまでの五ヶ月間。


しかし、今回を逃せば、

もう二度と獅堂を殺せる状況は用意できないだろう。


鬼塚が殺され、晶が負傷し、

聖も手元にない状況だが、仕方がない。


何としてでもこの機会を

ものにする必要がある。


それができなければ――


「コロシアムで一体誰と戦う気だ?」


――もう、この男から

逃れることはできないだろう。


呼吸を整え、気圧されないようにと心掛けてから、

ラピスが声の飛んできた背後へと振り返る。


そこには、鉱石を削りだして

人の形にしたかのような悪鬼が泰然と立っていた。


「お前が怪物として出張るのはまだ後のはずだ。

何故ここにいる」


「それはそっちもでしょ。

最後に出てくる怪物のくせに」


「口の利き方に気を付けろ。

お前は生かされているのだということを常に忘れるな」


男の無機質な瞳が、

ふいに暗い輝きを帯びる。


目の前に立つだけで、

首を絞められているかのように錯覚するほどの殺意。


それに、少女がやむなく膝を折ったところで、

獅堂は視線を外し、つまらなそうに首を鳴らした。


「俺がここに来たのは、侵入者の件だ」


侵入者という言葉に、

ラピスが眉を曲げる。


都市伝説の迷宮に侵入してくるなど、

一体どんな人間なのか。


「見張りが既に何人か制圧されている以上、

敵対勢力というのが濃厚だろう」


「処理班を差し向けては?」


「いや、現場は敷地内だが地上だ。

陽動の可能性もある」


「各方面には根回し済みでも、

迂闊に処理班は出せん」


仮に見張りが日の当たる場所に出たとしても、

それはABYSSを騙る集団による非行で済む。


だが、もしも処理班が出て表沙汰になれば、

組織の関与を否定するのは難しい。


ABYSSの秘匿性を保つためには、

万全の状況でなければ処理班を出すことはできない。


「……だから、私に声をかけに来たと」


「そうだ。現状、単独で確実に仕事をこなせる

唯一の駒だからな」


「かしこまりました。

今すぐ向かいます」


慇懃に頭を下げて、ラピスが立ち上がる

/獅堂の横を通り過ぎる。


そうして歩を進め、コロシアムの内幕へ続く扉に

手をかけたところで――呼び止められた。


「ラピス。今回が最後のチャンスだな」


お互いに背を向けたまま、

背後の相手へと呼びかける獅堂。


「期待して構わんのだろう?」


「……ええ、もちろん」


背中越しに応じるラピス――

平凡な言葉とは裏腹に、表情に気迫を灯して。


それを感じ取ったのか、

獅堂が凶猛な笑みを浮かべる。


「いい返事だ。

せいぜい俺を楽しませろ」


男が両手を大きく広げる――

『別に今でも構わんぞ』と言わんばかり。


その傲岸不遜ぶりに、

ラピスが奥歯を鳴らす/扉から手を離す。


暗器の起動を一部開放し、

背後に立つ宿敵の首へと意識を向ける。



が――


ラピスは結局、暗器を元に戻して息をつき、

再び扉へと手をかけた。


一時の感情に任せて戦うことの無意味さは、

もう十分に理解していた。


この男に勝つには、少女が積み上げてきた全てを

まとめてぶつけるしかない。


そのために今は、

怒りを伏せて唯々諾々と命令に従う。


不安はあった。

怖いはずがなかった。


この鉱石じみた男は、

不死身さえも思わせる人間離れした化け物だ。


幾ら自身を磨いても、用意を調えても、

通じる保証はどこにもない。


何をしても無駄という可能性もある。

そう――少女を捨てた、家族のように。


それでも、自由を得るためには、

抗うしかない。


少女が扉を押し開く。


獅堂の命を全うするために。

雌伏の時を経て、自由を得るために。


これまで積み上げてきたものが、

結晶すると信じて。








「うわぁ、ホントに琴子ちゃんたちだ……」


月明かりの下で寄り添う四つの人影は、

紛れもなくラピスの見知ったものだった。


その足下に転がるのは、

仮面を剥がされた見張りたち。


『やっぱり見間違えじゃなかったんだ』と、

引きつった笑顔が少女の顔に浮かぶ。


――モニタで彼女らの姿を見た時、

ラピスは自分の目を疑った。


見張りとはいえ、ABYSSが倒されたというのだから、

相手は恐らく対立組織の兵隊に違いない――


そう思っていたのに、画面に映ったのは、

見たことのある顔がずらり並んでいたのだ。


もちろん、彼女らの素性は確認済みであり、

どこかの工作員だということはあり得ない。


なのに、ここにいるということは、

どうにかしてABYSSを倒してのけたのだろう。


その暴れっぷりに感心しつつも、

信じられない気持ちもあり――


『本物だったら穏便にお引き取り願おうかな』と考え、

ひとまず学園の制服に着替えて地上に。


面食らいはしたものの、

その手間が無駄にならなかったのはありがたい。


無駄にABYSSに関わって不幸になる必要もないし、

これ以上深入りする前に返してやろう。


そんな風に考えつつ、

ラピスが真ヶ瀬を装って四人に声をかける。


「やっほー。みんな何やってるの?」


「……あれ、生徒会長?」


「うおっ、三大変人が揃った……!?」


驚く爽たち――しかし、すぐに各々顔を見合わせて、

警戒も顕わにラピスに鋭い目を向けてきた。


その出鼻をくじくような切り替えの速さに、

ラピスが『おや?』と違和を覚える。


その内心に踏み込むように、

佐賀島が一歩前へ。


「どうして元会長がここにいるんですか?」


「いやー、ぼくもABYSSを調べててさ。

ここが怪しいんじゃないかと思って来たんだよね」


「でも、収穫がなくて。帰ろうかと思ったら、

みんながいたから声をかけたんだ」


「見張りがいたはずなのに、

どうして会長は見つからないで調べられたんですか?」


「そこはほら、アレだよ。

ぼくって隠密行動が得意だからさっ」


言い訳しつつ、

明らかに疑われていると確信――


穏便に事を済ませるために、

質問を吟味する/回答に細心の注意を払う。


「元会長は、ABYSSの調査で

ここに来たって言ってましたよね」


「そうだけど……それがどうかした?」


「どうしてこの場所が怪しいと思ったんですか?

ABYSSを調べるなら、普通は学園ですよね?」


「あー、それはだね……」


痛いところを突いてくるな――

ラピスが心中で舌打ち。


適当な言い訳を求め、急いで頭を回すと、

やはり地下迷宮の都市伝説が思い浮かんだ。


実際、都市伝説ではなく現実のゲームの会場なだけに、

口に出すかどうか迷う。


が、何も見つけられなかった体なのだからと、

割り切って言い訳に。


「それは、地下迷宮の噂と

ABYSSの関連性を考えての判断だったんだ」


「どうして関連してると考えたんですか?」


「それは……前に聖ちゃんに聞いたんだ。

それで、何でもいいから手掛かりを求めてって感じ」


聖がABYSSであることは、

片山の一件で既に爽も知っている。


となれば、その名前を出せば、

後は勝手に論理の穴を補完してくれるだろう――


そんなラピスの判断だったが、


「あ、じゃあもう茶番は終わりで。

会長ってABYSSですよね?」


爽が、単刀直入に切り込んできた。


ラピスが内心でぎょっとする/どきりとする。

表に反応が出そうになるのを堪える。


「……いやいや、どうしてそうなるの?

ぼくはABYSSなんかじゃないってば」


「そこで転がってる連中に聞きました」


爽が顎で指し示す先には、

気絶して寝ているらしい見張りのABYSSの姿。


が――逆にそれを見て、

ラピスは密かに胸を撫で下ろした。


これは、鎌かけだ。


この目の前にいる四人は、

決して見張りから情報を引き出していない。


何故なら、五人のABYSSたるラピスは有名でも、

真ヶ瀬優一を知っているのはごく一部だけだからだ。


見張りの連中の顔に見覚えはない以上、

彼らは真ヶ瀬がABYSSだとは知り得ない。


となれば、後は下手に尻尾を出すようなことはせずに、

淡々と否定していけばいい。


だが、その前に横たわるもう一つの罠を、

まずは回避しなければ。


「うわっ、何この人たちっ?

もしかしてこれがABYSSなの?」


「……そうです。

さっき、そいつらに襲われました」


「へぇー、そうなんだ。何ともなかったの?

っていうか、どうやってやっつけたの?」


「運がよかった感じで」


ふーんラッキーだったねと、

適当な相槌を打つ。


これでひとまず“当然の反応”は十分だろう。

後は否定を積み重ねていくのみ。


「それで、ぼくがABYSSだって、

この連中に聞いたの? えー、嘘でしょ?」


「だって、ぼくはABYSSなんかじゃないもん。

だから、この連中がそう言うはずないじゃない」


「もし言うとしたら、私怨かなぁ。

ほら、ぼくって何故か人から恨まれるから」


「……会長はどうしても認めないんですね」


「“元”会長ね。

あと、認めるも何も、ぼくはABYSSじゃないし」


「ふーん。

だったら、避けられないですよね」


「えっ?」


何それは――と言うよりも早く、


爽のすぐ後ろから、

強烈な刺突が飛び出してきた。


その予想外の一撃を紙一重で躱すラピス――

受け身を取る/飛び退る/顔を上げる。


「やっぱりな」


その先で、普段とまるで違う表情をした笹山琴子が、

凍てつくような瞳でラピスを見下ろしていた。


その変貌振りに驚くラピスの前で、

爽が琴子のことを知らない名前で呼ぶ。


「どうなの、ミコちゃん?」


「裏稼業の人間以外には避けられない速さで打った。

でもあいつは避けた。それが答えだ」


「というか、わざわざ面倒な質問しなくても、

ボクはそいつが暗殺者だって知ってたしな」


――はぁ?

ちょっと待って、何それどういうこと?


わけが分からず混乱するラピスへ、

爽が『確定だね』と向き直る。


「“元”会長には、色々と聞かせてもらいます。

――ミコちゃん、お願い」


「任せとけ」


ゆらりとミコの体が流れ――

水銀が滑るように、ラピスの元へと迫る。


その異様な動きを混乱する頭で認めながら、

ラピスがひとまず後退/跳躍。


冷静に追い縋ってくるミコを視界の端に置きつつ、

草木と闇の中に飛び込む。


もう、ごまかしようがないというのは、

とりあえず理解した。


ついでに、穏便にというのが叶わないのも、

この追われている状況を考えて納得した。


仮に今から色々と打ち明けたところで、

彼女らはラピスの意図を外れて行動するだろう。


獅堂との勝負を控えているラピスにとって、

それは好ましくない。


となれば、制圧して捕縛する以外にないが、

問題はミコの実力だ。


ラピスが完全に理解するには時間が必要だったが、

この場で何とかミコと琴子が同一人物だと仮定はできた。


となれば、普段の琴子の身体能力が、

ミコの身体能力なのだろうか――


「うわっと!?」


思考の隙間に投石が飛んでくる

/回避し体勢が崩れたところにミコが突っ込んでくる。


繰り出される左の突きを回避――

その後に飛んできた右拳をガードする。


速い/硬い/重い――そんな感想に、

新たに飛んできた左の手刀が鋭いも付け加える。


笹山琴子の身体能力とはとても思えない。

それ以前に、明らかに一般人じゃない。


薬も服用していないのに、

学園のABYSS級はある。


「ちょっ……君、何者っ!?」


「お前の敵だ」


声を繕うのも忘れたラピスに、

ミコが宣言――同時に、速度がさらに上がった。


ABYSS並みだと判断していた実力が、

さらに更新されて部長級に。


『ちょっとちょっと、どこまで上がるの?』と思う間に、

ラピスの右足に痛みが走る。


一撃をもらったのだと分かり、

今度こそ、この相手はまずいと悟った。


「くっ……!」


なるべく無傷でという考えを捨て、

暗器を起動――ミコの肩を目がけてナイフを突き出す。


さらにもう一つ、左肘周りに仕込んだ射出口から、

神経毒に浸した針をぶち撒ける。


瞬間、ミコの体が後方に大きく跳ねて、

そのまま草木の間に紛れていった。


まさか回避されるとは思っておらず、

ラピスの口がぽかんと開いたままに。


もしかして、暗器との戦闘経験がある?

それとも、危機感知ができる?


何にしても明らかな脅威と判断――

居場所を隠すためにラピスも闇に紛れる。


そうして、次の接触までの時間を稼ぎながら、

今度こそ真剣に相手を考察する。


まずは攻撃位置。そういう癖なのか、

四肢を徹底的に狙ってくるスタイルらしい。


が、急所から注意を外すための

撒き餌である可能性も否定はできない。


それと、間違いなく

上位の部長やプレイヤー級の実力がある。


徐々に強くなっている感覚があるのは、

まだ本調子じゃないから? それとも様子見してた?


現時点では判断不可能だが、

早めに倒したほうがよさそう。


ただ、問題は武器の数。


見間違いや伏兵など、万が一のことも考え、

暗器を仕込んではきたが――最低限だ。


現状の装備では、

倒しきれるかどうか。


「……いや。

まともにやったら、多分厳しいな」


楽観的に考えるより、

最悪のケースを想定すべきだと判断した。


改めて考えてみると――このミコという相手は、

自身ラピスの姿を見て生還している相手なのだ。


その理由が何であれ、

只者でないことには間違いない。


どこまで調子が上がるかは不明なものの、

場合によっては聖並みまで見ておくべきだろう。



暗闇の向こうから石が飛んでくる――

ラピスの近くを通り過ぎて行く。


気配は消しているのに何故分かった?


と思ったところで、

近くの虫が声を潜めていることに気付いた。


ラピスの自覚――

“こんな基本を忘れてるくらい、混乱してるのか”。


自嘲の笑みが漏れる反面、

仕方がないとも思っていた。


まさかあの琴子ちゃんがという思いは、

未だに拭えていないからだ。


しかし、このまま黙って

やられるわけにはいかない。


明後日の方向に投石し、

注意を逸らしつつ場所の移動を始める。


ついでに、武器のワイヤーを出して、

木ぎれや草へと括りつけていく。


ワイヤーは殺傷力が高すぎて、

どうせこの相手には使えない。


だったらせめて、

戦闘の補助にする。


「見つけた」


そうしているうちに、

ミコが一直線に突っ込んできた。


その手には加鳥の持ち込んだ金属バット。

迎撃できる装備はなし/受けられる気もしない。


仕方なしに回避を選択するラピス――

容赦ない打ち下ろしを躱す/薙ぎ払いから飛び退く。


合間に飛んでくる蹴りや突きを弾いたところで、

ミコの狙いが四肢だと再確認。


情報を吐かせる目的があるから?

それとも顔見知りだから手加減している?


理由は不明だが、

その癖を生かさない手はない。


致命的な武器の一撃を避けて、

服の下に仕込んである受け用の暗器を起動。


ミコの攻めのリズムを読んで、

次に来るだろう蹴りを受け止めるべくガードを上げる。


が――直前でミコの動きが変化し、

どうしてか腕を打たずに飛び退った。


相手の不可思議な挙動にラピスが目を見張る

/それに対してミコがニヤリと笑みを浮かべる。


直感――バレた。


知っているはずがない。

当てに行った覚えもない。


つまりミコは、

危険を感じ取って後退したということだ。


何という高精度の危機感知。

まるで御堂並みじゃないかとラピスが狼狽する。


どんどん塗り変わっていく認識――

部長並みから聖と同等の暗殺者レベルに。


ワイヤーの使用を諦めたことを

早々に後悔する。


その後悔を嘲笑うかのようにバットが飛び交う

/拳が二の腕に刺さり蹴りが脛を叩いてくる。


その一方で、ラピスの攻撃の気配を嗅ぐや否や、

たちまち距離を離して仕切り直しに。


つくづく恐るべき相手――

明らかにラピスの間合いが近距離だと把握している。


ここまでのやり取りから長期戦は必至。

だが、暗器はそう持ち込んでいない。


このままでは全て出すハメになる上に、

全て出したとしても仕留めきれる自信がない。


とんだハンデ戦――

こんなの聞いてないよと泣きたくなる。


が、獅堂からこの場を受け持った以上、

ここで引くわけにはいかない。


暗器を起動しつつ、今度はラピスから突撃――

回避される/防がれる/見切られる。


合間の打ち返しを弾き、

さらにラピスが攻撃を継続。


しかし、どれもミコの体には届かず

/相手の攻撃もラピスのダメージにはならず。


予想していた攻防に舌打ち――

お互いに決め手なし。


まだ見せていない暗器を出せば可能性はあるものの、

防御に特化した相手に通じる見込みは低い。


どうにかして隙を作らなければ。


“琴子ちゃんなら、ちょっとからかえば余裕なのに”と、

ラピスがミコを見て苦笑いする。


と、その笑顔を勘違いしたのか、

ミコの攻撃が若干ながら重みを増した。


その感情の表出に、

ラピスが『おや?』と目を見開く。


“もしかして、

本質は琴子ちゃんと変わらない?”


試しに挑発――いつもなら憤慨するだろう、

なるべく強烈な言葉で。


「あ、そうだ琴子ちゃん。

晶くんの寝顔、可愛かったよ」


途端、ミコの動きが、

これまでにない苛烈な熱を帯びた。


その変貌に、五分のやり取りが

防戦にまで押し込まれる。


激化に反応が遅れたぶん、

手足が削られ痛みが奔る。


しかし、琴子とミコの怒りのツボは、

ほとんど同じだと確信。


ならば、最もえげつないものは何か――

と考えたところで、閃いた。


“隙を作ろうと思っていたけど、

もっと手っ取り早いやり方があるじゃあないか”


思いついたアイディアを即座に実行すべく、

隠していた暗器を全起動――


と、それを感知したらしく、

予想通りミコが素早く飛び退った。


ならばと使い切りのものだけ射出し、

残りは即座に起動をキャンセル。


ついで、仕掛けていたワイヤーを跳ねさせ、

辺り一面に草木やら泥やらを巻き上げた。


「くっ……!?」


宙に撒き散らされた多種多様の物体が、

月明かりを背負って地上に降り注いでくる。


その内に潜む攻撃を嫌って、

障害物が降り注ぐ範囲から素早く脱出するミコ。


その動きを待っていたラピスが、

ミコとは逆方向に走り出した。


つまりは――爽たちが様子を伺って隠れている、

草原の一角へと。


急に突っ込んできたラピスに、

爽たちが慌てて身構える/逃げ出す。


が、もちろん、

ラピスがそれを許すわけがない。


誰よりも速く駆けていた加鳥の先に回り込み、

首筋を狙って針を撃ち込む。


それから、何やら迎撃を試みていた佐賀島を押し倒し、

爽を捕まえて首筋に刃を当てた。


「はい、みんな動かないでね。

動いた瞬間、朝霧さんのことを殺すから」


「あと『私はいいから早く逃げろ』もダメ。

加鳥って子には、さっき毒を撃ち込んだから」


「解毒薬を三十分以内に注射しないと、

死ぬことになるよ」


爽一人を捕らえても、

暴れられた時のことを考えると万全ではない。


ミコはもちろんとして、朝霧爽という人物も、

何かやらかす可能性が非常に高いからだ。


そのために、

加鳥にも針を撃ち込んだ。


人質は複数、かつ制限時間を設けると、

要求が通りやすい――そんな判断だった。


「こいつ……!」


「あ、私を仕留めても解毒剤は手に入らないから。

今、この場には持ってきてないからね」


ミコが動きだそうとするのを見て、

先に言葉で縫い付けておく。


実際は、致死性の毒物ではないし、

解毒剤も持っている。


が、この場で言うことを聞かせるには、

嘘を言ったほうが遥かに効率的だ。


「というわけで、遊びはここでお終い。

大人しく捕まってよ。悪いようにはしないから」


「……ここでの音声データを、

私の自宅に既に送ってあるんですけど」


「いやいや、そういう嘘はやめようよ。

さすがに家族まで巻き添えにしたくないでしょ?」


「もう一度だけ言うけど、悪いようにはしないよ。

だから、もうお終いにしよう。ねっ?」


周りの顔を見渡して、

ラピスがにっこり微笑む。


それに、佐賀島と加鳥は蒼い顔で項垂れて、

ミコは悔しそうに歯噛みした。


爽の顔はラピスの位置からは見えないものの、

両手を上げる仕草で降参の意思を表示。


その全てを確認してから、

ラピスはやっと終わったと息をついた。


それから、ずっと睨んできているミコに、

勘弁してよと苦笑いを返し――


生徒会で行方の分からないあと一人、

聖のことを思った。



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