衝突








そういえば――と声をかけると、

須藤さんは面倒臭そうな顔で振り返った。


でも、十時間も一緒にいれば、

嫌がってるかどうかくらいは分かる。


それと、須藤さんは実は話し好き。


面倒臭そうにするのは最初だけで、

いざ始めてしまえば、会話に困るようなことはない。


「他の参加者とまだ一度も会ってないんだけれど、

このゲームってこういうものなの?」


「こういうものなんだろ。

思っている以上に広い迷宮だし」


「ちなみに、須藤さんはもう、

他の参加者と会ったりした?」


「説明会で会ったのと、君に会った」


「っていうことは、偶発的に会うっていうのは、

本当に確率が低いんだね……」


「残念そうに言ってるけど、私はいいことだと思うよ。

好意的な参加者だけじゃないんだから」


まあ、確かにそうか。


回収できる小アルカナの総量が限られている以上、

奪い合いが発生するのは当然だろうし。


でも、逆にそうであればこそ、

早めに佐倉さんたちに会わないと。


二人が悪意のあるプレイヤーに襲われて、

命や小アルカナを奪われる前に。


「ねえ――」


「言っておくけど、誰かに遭遇するために

無理矢理歩き回るって提案は却下だから」


「おおかた、会いたいって言ってた友達と

早く合流したいって考えてるんだろ?」


う……さすがにお見通しか。


「別に他人事だけどさ、そんなに会いたいわけ?

自分が怪我人で相手の足を引っ張るとしても?」


「さすがというか何というか、

容赦ないね……」


「当たり前の話をしてるだけなんだけどね。

したいことと出来ることは別なんだから」


「それはそうだけど……でも、

会わなきゃいけない理由もあるんだ」


「僕は、佐倉さんに

どうしても謝らなきゃいけないから」


「……謝るって、何を?」


何をって、それは――





少し、迷ったものの。


結局、須藤さんにはある程度、

話すことにした。


僕が佐倉さんを殺そうとしたこと。

そして、今までそれを忘れていたこと。


絶対服従とは言われているけれど、話すことで、

須藤さんが僕に融通を利かせてくれかもしれない。


もしかすると、佐倉さんとの合流を目指すように、

行動の指針を変えてくれるかもという期待があった。





が――


「……ふーん。会って謝りたいって、

そういうこと」


「まあ、いいんじゃないの。

君の目的が何だろうと、今は私に従ってもらうから」


「はい。分かってます……」


僕の目論見は全くの外れだったらしく、

須藤さんの反応は極めて淡白だった。


……まあ、引かれないだけマシか。


友達を殺しかけて覚えてないだなんて、

冷静に考えれば軽蔑されても不思議じゃないし。


「で、謝るって言うけど。

その先はどうするの?」


「その先って……」


「だから、謝った後のこと。

その子ともう一人の友達を助けて終わり?」


「あ、いや――」


言われて気付いた。


そういえば、謝った後のことは

全然考えてなかった。


でも……後のことなんて、

きっと最初から僕には関係ない。


だって、僕みたいなまともじゃない化け物が、

みんなのところに戻れるわけがないんだから。


自分の姉を殺して、友達まで殺しかけたようなやつに、

戻ってきて欲しいと思うわけがないんだから。


それに――また知らない間に

誰かを殺してしまうのは、凄く怖い。


意識を向ければ、

今この瞬間だって、鮮やかに脳裏に浮かぶ。


『お前が死ねばよかったのに』


琴子姉さんが今際いまわきわに残した言葉。


あの優しくて大好きだった姉さんに

そう言わせてしまうほど、僕はどうしようもない。


だから、やるべきことが全て終わったら――


「……どうでもいいけどさ、

歩く時は前くらい見て歩いたら?」


はっとなって顔を上げると同時に、

須藤さんに手を横に引っ張られた。


気付いたらT字路で、

壁がほとんど鼻先に迫っていた。


「あ、ありがとう……」


「お礼を言う暇があったら、ちゃんと前を見ろよ。

どうせ“下手の考え休むに似たり”なんだから」


「別に誰も、今すぐ決めろなんて言ってないんだし、

謝った後もあるんだってことだけ覚えておきなよ」


「『悪いことして謝って、はいお終い』だなんて、

どうでもいい間柄にしかないんだから」


あのABYSSだって、こうやってしつこく

生け贄に絡んでるわけだしな――と須藤さん。


……確かに、その通りかもしれない。


いい関係でも悪い関係でも、

利害や因縁があるならずっと続いていく。


でも、謝って終わりじゃないなら、

僕はどうやって償えばいいんだろうか。


それこそ、早く忘れてもらうために、

どこかに消えるしかないんじゃ……。


「おーい、だから前を見ろって」


再び須藤さんの手に引っぱられて、

壁を回避する――ごめんなさいと謝る。


「あのね……さっき言ったばっかりだけど、

謝ってはい終わりじゃないよな?」


「う……えっと、どうすれば?」


「再発防止のための改善。

ぶつかって事故らないように、考えるな」


「もしくは、もう一度、

友達になれるって考えろ」


「もう一度、友達にって……」


「なれるかどうかは聞いてないから。

私は考えろ、改善しろって言ってるだけ」


分かったら返事――と、

須藤さんがデコピンをかましてくる。痛い。


というか、僕がもう一度、

佐倉さんと友達になる?


そんなこと、できるわけが――


「っ!?」


ぞくりと、背中の辺りに怖気が走った。


慌てて背後に振り返る

/須藤さんも僕の反応を見て素早く追従。


と、そこには――


「黒塚さん……?」


図書室の魔女が、

ゆらりと幽鬼のように立っていた。


けれど、何だこれは?


何だこの――強烈な絶叫の“判定”は。


黒塚さんの“判定”は、

以前の屋上の戦いで既に把握している。


普段がナイフがぶつかったような音で、

薬を服用した時が獣じみた咆哮。


こんな、悲鳴じみた絶叫は、

聞いた記憶がない。


こんなのまるで、化け物になった丸沢や、

アーチェリーの仮面みたいじゃないか。


「おい――」


声をかけ、近づこうとする須藤さん――

その袖を慌てて掴んで止める。


「なに? どうしたの?」


「……ダメだ。違う」


須藤さんが訝しげに眉をひそめる。


けれど、この子を

向こう側に行かせるわけにはいかない。


だって、あれは――


そう思っていたところで、

黒塚さんの手元に赤くくすんだナイフの輝きが見えた。


どくりと心臓が跳ねる

/傷んだ体が強張る/痛みが体中に走る。


それでも、何とか須藤さんを引っ張って、

その場から跳んだ。


「ちょっ……!?」


黒塚さんの初撃たる強烈な突進が、

疾風となって背後を通り抜ける。


その速度に肝を冷す――

屋上で見た時よりも明らかに速い。


「須藤さん、立って!」


黒塚さんの急制動を横目で確認しつつ、

体の下の須藤さんの体を無理矢理引っ張って起こす。


そうして、体勢がギリギリ整ったところで、

黒塚さんの再びの強襲。


振るわれるナイフを躱す

/突き込まれるナイフから逃げる。


その二撃――たった二撃で、

遅くとも五秒後には訪れるだろう死を確信した。


僕の体が傷んでいることとは関係ない。

屋上の時とは比べものにならない。


どころか、

聖先輩に匹敵するほどの威圧感がある。


今の体調と素手の状態では、

こんなものを相手にするのは自殺行為だ。


何とか逃げ出す隙を窺いながら、

必死の思いでナイフを躱す。


そんな折りに、

銃声が通路に高く響いた。


「幽っ! 待てってば!」


見れば、須藤さんが手を高く掲げて、

天井へ向けて威嚇射撃をしていた。


それから、その銃口を目の高さに降ろす

/黒塚さんへと向ける。


それとほぼ同時に、黒塚さんが飛び退く――

おかげで僕は窮地から救われた。


が、その代わり、

今度は黒塚さんの標的が須藤さんへ。


「幽っ!!」


須藤さんの叫びを上書きする風切り音。


それを起点に始まる猛烈なラッシュ。


が、何故か須藤さんは発砲せず――


もしかして相手を気遣っている?

下の名前を叫んでいたけれど、知り合いだったり?


何にしても、このままじゃ殺されると判断し、

黒塚さんの背中を目がけて荷物を投げつける。


黒塚さんの迎撃――袋が破れて中身が飛び散る

/ペットボトルに刃が当たったのか水が降り注ぐ。


その雨の中を突っ切って、

黒塚さんが再び僕のほうへ。


迎撃する武器も手段も体力もないため、

打てる手は逃げのみ。


けれど“集中”もなしに逃げ切れるわけもなく、

結局は須藤さんが止めてくれることに期待するしかない。


「須藤さん、お願い!」


援護要請を叫びつつ、黒塚さんのナイフを回避する――

回避しきれず腕の辺りに痛みが走る。


しかし気にしてもいられず、削られることを覚悟の上で、

被弾前提でとにかく命だけを繋ぐ。


交錯する刃の軌道/複雑怪奇な足運び/連携

/時折繰り出される強烈な蹴り。


まともに食らえば一撃必殺は確実で、

自分が紙一重の距離で生きていることを実感させられる。


そして、驚くべきことに、

それに対応し始めている自分の変化も自覚する。


攻撃がよく見える――というよりも、

どう動くかが何となく分かる。


殺人の記録帳に記されていた、

幾多もの修羅場を見たせいだろうか。


息をつく間もない苛烈な攻めに対しても、

不思議とパターンが分かり生きる道筋を見出せる。


それのおかげで、五秒で死ぬはずが、

今や十秒二十秒と経っても何とか生き延びている。


その事実に、

戸惑いを覚え始めていたところで――銃声。


黒塚さんの体が背中を叩かれたように僅かに反り、

動きが止まる/背後へと振り返る。


その視線を追った先にあったのは、

須藤さんの険しい顔と、硝煙を吐き出す銃口。


ということは、

黒塚さんの体を撃ったのか?


いや――


「幽、止まれって言ってるだろっ!

私だ! お前のパートナーの須賀だよ!!」


黒塚さんは依然、ダメージを感じさせないまま、

須藤さんのほうへと突っ込んでいく。


止めようと伸ばした手をすり抜けて、

黒塚さんが須藤さんへと肉迫――


銃口から吐き出される弾丸を複数受けながら、

それでもなおナイフを振るった。


短い呻きと同時に、

壁に吹き付けられる赤い飛沫。


須藤さんの体が怯みでくの字に曲がる。


そこにさらに、

黒塚さんが大きく右足を振りかぶり――


「須藤さん、危ないっ!」


体重の乗り切ったトゥーキックが、

須藤さんの胴体へと突き刺さった。


強烈な一撃に、須藤さんの体が紙くずのように吹き飛ぶ

/壁面で大きな音を立てる/苦悶と共にずり落ちる。


その様子を見届けてから、

こちらへと向き直ってくる黒塚さん。


と――その途中で、

黒塚さんががくりと地面に膝を付いた。


もしかして、今までの攻撃が

ようやく効き始めてきたのか?


ここが、何とか逃げるための好機?


慎重に状況を確認していると、

黒塚さんは忌々しそうに唇を噛み、さっと立ち上がった。


それから、僕らが逃げるまでもなく、

走って迷宮の奥へと消えていった。


それを見送ってから、膝に手を置く

/体の中に溜まった熱を吐き出す。


途端に忘れていた痛みが襲ってきたものの、

じっとしているわけにはいかない。


「須藤さん!」


呼びかけると、苦悶に満ちた顔が僅かに動き、

弱々しい呼吸に合わせて薄く目が開いた。


壁に寄りかかった須藤さん――

いや、もしかして須賀さんか?


……どっちでもいいな。

今はそれより、須藤さんの体調だ。


「須藤さん、大丈夫っ?」


「か……幽は?」


「大丈夫、さっき逃げていったよ」


「眠ったんじゃなくて……?

逃げられたの?」


眠った……っていうことは、

さっき使ってたのは例の麻酔弾か。


だとしても、至近距離で何発も食らったのに、

目立ったダメージもなく、眠りもしないとは……。


「……分からない。

どうしてなんだよ?」


……どうして?


「幽はあんな、

いきなり人を襲うようなやつじゃなかったのに……」


「私が何度も呼びかけたのに、

殺そうとしてくるなんて……」


「……黒塚さんの様子がおかしかったのは、

僕も間違いないと思うよ」


学園で会った時とはまるで違う雰囲気。

そして、変わり果てた“判定”。


誰が考えても、

何かがあったと思うのが自然だ。


他の目立った変化は、

制服とナイフに付着していた血液。


もしかすると、誰かと既に戦って、

そこで何かが変わったのかもしれない。


確実に分かるのは、ただ一つ。


黒塚さんは僕らにとって、

危険な参加者だということだ。


「須藤さん、立てる?

とりあえず前の部屋に戻ろう」


この場に留まり続けて、また黒塚さんがやってきたら、

その時は今度こそお終いだ。


もし黒塚さんじゃなくても、他の怪物だとか、

悪意のある参加者でも変わらない。


とにかく、安全な場所に行って、

須藤さんの手当てをしないと……。







――凄まじい躍進だった。


手に入れた小アルカナの数は13。

大アルカナは8。


脱出だけを目指すなら、既に小アルカナだけで、

二人の脱出が可能となっている。


大アルカナを見ても“世界”と“悪魔”という

強力なカードを保持していた。


また、戦闘面では高槻、藤崎という

ABYSSのトップクラスを二枚も確保済み。


怪物など既に敵ではないし、

他の参加者も手を出せる人間はいないだろう。


そして、それらを操るのは、

カジノのキングにまで上り詰めた男――田西成輝。


傍らに戦利品の温子を従え、悠々と歩くその姿は、

まさに無敵/盤石といった様相だった。


「怖い顔をしているな」


そんな田西が、傍らで押し黙る温子に

気楽な笑顔を向ける。


「何かを企んでるのかね?

それとも、今後の心配をしているのか?」


「……どうして私を連れて歩いてるんだ?」


「どうしても何も、君を誘う時に言っただろう?

君が優秀だからだと」


「何もさせるつもりがないなら、

優秀も何も関係ないだろうっ」


そう――温子はまだこの陣営に入ってから、

何一つ仕事を与えられていなかった。


やっていることは、

田西に付き従って歩くだけ。


一緒に入った高槻は、既に幾度も怪物を退けているのに、

温子だけが何もさせてもらっていない。


そもそもで言えば、温子にできることの大半は、

田西のほうがずっと上手くやってのけるはずだ。


なのに、どうして役に立たない自分を、

引き連れて歩いているのか――


「まさか、飼い殺しにするためだけに、

私を連れて来たんじゃないだろうな?」


「さすがに私もそこまで暇じゃないさ。

何より、藤崎くんに申し訳ないからね」


「じゃあ、一体どうして……?」


「なに、君を私の後継者として

育てようと思っているだけだよ」


想像もしていなかった言葉を受けて、

温子の顔が絞った雑巾のように歪む。


それに『予想通りの反応をありがとう』と、

田西は肩を揺すって笑った。


「……頭がおかしくなったんじゃないのか?」


「おいおい、失礼だな。私は至ってまともだよ。

まともだから引退を考えているのさ」


『引退……?』と温子が眉根を寄せると、

田西は鷹揚に頷いてみせた。


「ギャンブラーの最期は、大負けして死ぬか、

後継者を育てて引退していくかの二つに一つだ」


「そして、私はこの迷宮を最後に引退を考えていた。

後継者を欲しがるのは道理だと思わないか?」


「そんなもの……勝手に引退すればいいだろう?

もしくは、自分で子供でも作ってそいつにやらせろ」


「そうしたいのも山々だが、残念ながら、

鷹が鷹を生むとは限らないものでね」


「自分で拵えた出来損ないにやらせるくらいなら、

才能のある人間を連れて来るほうが確実だろう?」


「そういう点で、君はおあつらえ向きだった。

この迷宮に来て、今のところ一番の収穫だな」


「美味いと評判のビールを飲みに来てみたら、

マスターの娘のほうがもっと美味かった気分だよ」


「……あいにくと私は、

好き勝手に将来を決められるつもりはない」


「ああ、それで構わんよ。好きにし給え。

どうせ最後には私の言うことを聞くことになる」


「それに、教育は既に始まっているからな」


教育――その言葉の意味が分からず、

温子が田西へ問いただす。


「いや、何も難しいことじゃない。

まずは私を出し抜くのが一つの試験だということさ」


「早く我々から逃げ出して、

佐倉さんを助けに行きたいと思っているんだろう?」


温子の顔色が変わる――

図星を突かれて。


そんな後継者候補の反応を見て、

田西が歯を剥いて笑った。


「仕掛けられると思ったら遠慮なく来い。

もちろん、失敗したら罰を与えるがね」


それだけ言って、田西は温子から離れ、

前を歩く藤崎と高槻のところへと寄っていった。


その大きい背中を暗澹たる思いで眺めながら、

温子が『くそ』と小さく呟く。


温子と那美がこのゲームから生還するには、

どうしても田西からカードを奪う必要があった。


だが、先の言動からするに、

温子の行動は全て田西に警戒されている。


そんな状況で田西から携帯/カードをだまし取るのは、

ほとんど不可能と言えた。


一応、高槻か藤崎を味方にできれば可能性はあるが、

仮にそれが成ったとしても“恋人たち”を使われる。


能力を教えてもらっていない“世界”“悪魔”もあり、

迂闊な行動を取るわけにはいかない。


残る希望は、田西に対抗できる参加者との遭遇だが、

その機会が巡ってくる様子はない。


要するに――

現状では、手詰まりもいいところだった。


募る焦り/滲む苦悩

/浸食してくる敗北感。


“もしかすると、このままずっと、

自分は田西に勝てないのではないか――”






「さて――それじゃあ今後の方針だ」


さらに五部屋を経て、2枚のカードを回収したところで、

田西が三人へと向き直った。


「我々がこれだけのカードを保有している通り、

もう大半のカードは回収されているだろう」


「これ以上、部屋を回って歩いたところで、

入手できる小アルカナは少ないと思われる」


「よって、今後は残ったプレイヤーを狩り、

持っているカードを奪っていく方向で進めよう」


「ようやく怪物以外を

ブッ殺せるっつーわけか」


「その通り。ただ、出会い頭に殺さないでくれ給えよ?

私の目的は例のキングを探すことなのだからね」


「情報とカードを絞れるだけ絞り取ってから、

後はご自由にってわけだね。はいはい了解」


「これまでの情報を統合すると、

我々の敵はほとんど限定されている」


田西が人差し指と中指を立てる。


「一つは、仮面を着けていない特別な怪物だ。

特に、アーチェリーの怪物はまずいんだったな?」


「まーそうだね。

アイツとやるのはちょっと骨が折れるよ」


「一体がそれだということは、

他の怪物もきっとそうなんだろう」


「報酬は欲しいが、我々で無理なら他でも無理だ。

リスクを払って取りに行く必要はない」


「だが、もう一つの敵――森本聖に関しては、

是非とも排除しておきたい」


「こいつは怪物と違って、カードを集め、

他と連携する可能性を持つ相手だからな」


「誰にモノを言ってんだ。

あいつは俺様が必ず殺す。必ずな」


「おいおい、一人で大丈夫かよ俺様ちゃん?

聖は強ぇーぜー?」


「抜かしてろクソババア。

森本聖が終わったら次はテメェの番だ」


「クソババアだぁ……?

おい、お前、後で絶対泣かすから覚えとけ」


「あー……頼むから勝負は、

この迷宮を脱出してからしてくれ給え」


超至近距離で睨み合う二人を、

田西が強引に引き剥がす。


それから、気を引き締め直すために、

ぱちりと両手を合わせた。


「この部屋で一時間半交代で仮眠を取る。

その後は狩りだ。積極的に歩いて回るぞ」


高槻と藤崎の返事――

了解/当然だ。


が、ぶっきらぼうなその言葉とは裏腹に、

二人とも獰猛な笑みを浮かべ、体を動かし始めていた。


そんな二人の様子に、

さらに温子の焦りが募る。


果たして、あとどれくらい、

何かできる猶予があるのだろうか――









「小アルカナってやつ、

全然集まらんですねー……」


「そうですね……

このままだとまずいんですが」


手の中のスマートフォンへと目を落とし、

聖が困った顔で溜め息をつく。


二人の現在所持している小アルカナは、

聖杯ハートの9、スペードの9、硬貨ダイヤの9、13の4枚のみ。


9が3枚あるのは好運と言えたが、

所持枚数で見れば他の組よりもかなり少ない。


その理由は、聖の持つ“太陽”の大アルカナの効果、

『顔を隠した怪物に襲われなくなる』だった。


カードを回収できる部屋を見つける方法は、

基本的に二つ。


自力で見つけるか、

怪物を倒して部屋の情報を手に入れるかだ。


聖たちは“太陽”の効果で怪物とは遭遇できないため、

歩き回って部屋を見つけることとなる。


当然、他よりも部屋を見つけるのに時間がかかる――

カードの回収が遅れていくこととなる。


しかも、部屋から回収できるカードは、

一つだけしかないのだ。


序盤ならいざ知らず、既にゲームは中盤。

行きやすい部屋はほぼ全て踏破されている。


聖たちがやっと部屋を見つけても、

空振りというケースがほとんどだった。


「小アルカナもヤバいけど、

このままやと飢え死にしてしまいそうで怖いわぁ」


「……水も残り少なくなってきましたしね。

他の人に分けてもらえるといいんですが」


「あの……何でしたっけ、葉さん?

あの人に連絡して合流するんはダメですかね?」


「それもアリだとは思います。

ただ、黒塚さんが入れてくれるかどうか」


「ああ……ハードル高そうやわ」


先の接触を思い返せば、

聖と幽がまた殺し合いを始めるのは想像に難くない。


しかし、このままでは、

食料と体力が減っていくばかり。


既に、闇雲に部屋を探し回る行為は、

限界が見えてきている。


何か打開策を見つけなければならない。


「いっそ、あんま動かないで、

どっかで待ち伏せとかしときます?」


「迷宮の真ん中辺りにあるっちゅーコロシアムなら、

持ち物奪ってもかまへんヤツとか来てくれそうやけど」


「……そうしてみますか」


コロシアムはまだ行ったことのない場所だし、

何かがあるかもという期待があった。


それに、自身らと同じように考える参加者が、

他にもいるかもしれない。


極力避けるにしても――他の参加者との奪い合いも、

視野に入れるべきだろう。


幸い、聖も龍一も武器は愛用のものを

持ち込んでいるため、戦闘に不自由はない。


「そんじゃま――」


行きますか、と言おうとしたところで、

龍一が口を閉じた。


同時に、表情を引き締めた聖が、

行く手に控える十字路へと鋭い目を向ける。


「どっから来ると思います?」


「多分……左側じゃないかな?

反響して足音の出所が掴みづらいですけど」


「会いたい思ってた時に参加者が来るっちゅーのは、

神様が頑張ってるのを見ててくれとるんやろなぁ」


龍一が刀を掲げて、

聖の斜め前へと歩を進める。


「待って下さい。

近づくんじゃなく下がりましょう」


「お。何でですか?」


「最悪の事態に備えて、退路は確保すべきですから。

例えば、相手がどこかの化け物じみた女だとか」


「……何や分からんけど、了解」


やたら具体的な仮想敵を訝しく思いつつも、

龍一が聖と共に、曲り角まで後退する。


そうして、二人でじっと十字路を見つめ、

近づいてくる足音を待つ。


かつん。


かつん。


かつん――


「っ……!」


その足音の主が姿を現した瞬間、

聖の喉が引きつった呻きを漏らした。


紺色のセーラー服/薄闇の中でも映える白手袋

/スタビライザー付きのアーチェリー。


しかし、今日はその顔に仮面は無し――

首輪がないところからするに“特別な怪物”。


ふいに、鬼塚の言葉を思い出す。


『もしアーチェリーを持った女がいたら、

なりふり構わず逃げろ』


当時は確かに、

そうすることしかできなかった。


だが、今は違う。


拳を作る右手に力を込めて、

その姿を真っ直ぐに見据える。


その視界の中で、レイシスという名のABYSSは、

ゆっくりとアーチェリーに矢をつがえ――


「ちょい待て!」


その第一射が飛来する直前で、

龍一が聖の体を横の通路へと引っ張った。


「ちょっと……今川くん?

いきなり何をするんですかっ?」


「いや、あの女の子が……」


「……女の子だから躊躇したんですか?

彼女はABYSSですよ? 迷宮の怪物ですよ?」


「それは分かる。

分かるけど、そうじゃなくて……」


「……仮面のない特別な怪物ですから、

彼女を倒すと大アルカナが手に入るんですよっ?」


なのに、どうして止めるのか――


煮え切らない態度に苛立つ聖が、

龍一の顔を鋭く睨み付ける。


が――そこで気付いた。


この普段はおちゃらけた男の顔がどうしてか青ざめ、

戸惑いに塗れていることに。


「……何か、あったんですか?」


壁に張り付き、レイシスの接近を警戒しながら、

龍一に静かな声で問いを投げる聖。


その副会長的な態度に、

龍一が少しだけ落ち着きを取り戻す。


眉間に手を当て、じっと目を瞑って息を吐き――

それからゆっくりと聖を見つめる。


「あのアーチェリーの女の子が……美里だ。

探してた俺の妹なんだ」


「本当ですかっ?」


「多分……いや、絶対そうだ。

昔の面影も、そのまま残ってた」


信じられない龍一の告白に、

聖はしばし、言葉を失った。


が、壁を叩く矢の音で我に返り、

口元に手を当てて小さく唸った。


聖の考える限り――

龍一の話は、恐らく真実だろう。


妹は新薬の実験体になったと聞いていたが、

生きているなら実験が成功したことになる。


つまり――ABYSSとして、

相応の力を持っているという話だ。


その点、並みの部長よりも遥かに強いあの少女は、

条件に合致している。


だが、そうなってくると、

聖としてはかなり苦しいことになってくる。


聖の目的は生還でもあるが、

ABYSSで高い地位を得ることでもある。


このゲームをクリアできれば、裏切り者が一転、

ABYSSの中核に食い込めるかもしれない。


いや――迷宮のどこかにいる仇敵を殺せば、

その地位に取って代われるのは間違いないだろう。


そのためには、大小関わらず、

アルカナが何としてでも必要だった。


しかし、レイシスが龍一の妹だとすれば、

例え殺せるにしても彼が止めてくるはずだ。


何より、可能な限り、

聖自身がそれをやりたくない。


「……予定変更ですかね」


できないことに拘っていても仕方がないと判断し、

聖が険しかった表情を緩める。


「彼女のことは諦めて、

コロシアムに行きましょう」


「森本さん……」


「本当は無傷で捕まえられればいいんですが、

この通路であの子にそれは厳しいでしょうしね」


「でもまあ、彼女なら、

他の参加者に狩られるようなこともないはずです」


「心も込みで、準備が整った状態でまた会ったら、

その時は捕まえるようにしてみましょう」


「今はとりあえず、妹さんの生存が確認できて、

よかったですねーということで」


「……ありがとうございます」


目を閉じて頭を垂れる龍一に、

聖が構いませんよと手を振って微笑む。


幸い、まだダイアログも服用していないし、

退路は確保してある。


リスクなしで退却できるのであれば、

そうそう悪くは――


「森本さん!!」


「――えっ?」


言われて/振り向いて――総毛立った。

頭の中が真っ白になった。


それから、完全に油断していた

自身を殺したくなった。


しかし、聖が幾ら後悔したところで、

時間が巻き戻るわけではない。


聖の見開いた目の先には、いつの間に近づいていたのか、

機械じみたレイシスの無表情。


その彼女の手の中で、

ギリギリという弦の音がやたらと大きく響き――



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