異物感2


それは、驚異的な跳躍だった。


首筋と丹田目がけて振るわれた二つのナイフを、

一瞬で地面に伏せて回避――


その無理な体勢から、全身の力を余すことなく使い、

笹山晶の体が二メートルほど真横に飛んだ。


一秒も置かずに着地/制動――死地からの脱出。


しかし休むことなく、

獣のように四肢で地面を噛み、全ての足を軋ませる。


そのまま膝より下の高さを維持しながら、

さらに飛んで男たちの背後へ。


「――間に合ったか」


安全装置の安堵の息。


対する処理班の驚愕/硬直。


仕留めたはずの獲物の声が、

どうして唐突に背後から現れたのか――!?


その硬直に、

アキラが刃と化した手をねじ込んだ。


「まず一人」


呟きつつ、獲物の喉元に突き刺したままの腕を

自身の側方へと引っ張る。


そこに、いち早く現状に復帰したレイシスの矢が飛来し、

アキラの手にする死体へと突き刺さった。


「おっと」


貫通しかねない矢の威力に感心しつつ、

手にした盾をもう一つの仮面へと投げ捨てる。


レイシスの性能が段違いであることは、

アキラも既に把握している。


一対多でやり合っては無事で済まないと判断し、

先に処理班たる仮面へと向かっていく。


その狙いを悟ったのか、

アキラから距離を取る仮面。


と――


仮面が逃げるのを見たアキラが、

急にその足を止めた。


進行方向を予測して放たれた矢が外れる

/同じく予測して動かしていた照準からアキラが外れる。


その隙に、アキラは投げ捨てた盾の元へと走り、

死んでなお握り締めていたナイフをもぎ取った。


さらに、この間のように

銃器を持っていないかと探し――


「チッ!」


その行動を咎めてきたレイシスの矢から逃れるべく、

後方に大きく飛び退すさった。


あいにくと拳銃は手に入らなかったが、

どうにか武器の調達は完了。


アキラの笑み――

“これでやっと勝機が見えた”。


殺すだけなら素手でもいけるが、

ナイフがあると防御が大きく違う。


そう証明するように、

アキラが飛んできた矢の一つを打ち落とした。


さらに、照準を絞らせないように不規則に跳ね回りつつ、

次に殺すべき相手を窺う。


舞い上がる砂煙

/霞の中を泳ぐ二つのターゲット。


そのうちの一つに狙いを定めて、

アキラが体を前傾させ――






「お。やっと帰ってきたか。

どこをほっつき歩いて――」



「……アキラ!?」


「起きていたのか」


「お前……何だその血は?」


「三人殺ってきた」


「三人って……」


「心配するな。連中は恐らく全員ABYSSだ。

通り魔をしてきたわけじゃない」


ソファに体を投げ出すように預けて、

ふーと息をつくアキラ。


その様は、ミコからすると信じられないが、

かなり疲弊しているように見えた。


「……何があった?」


「切り裂きジャックに会いに行った先で、

数多に会った」


「数多って……御堂数多かっ?

何であいつが!?」


「切り裂きジャックが

数多のターゲットだったんだ」


「じゃあ、ジャックは……」


「ああ。晶が会いに行った時には、

もう既に首を刎ねられてたよ」


「……当然だな。

数多に狙われて、生き延びられるわけがない」


「狙われた始めた時期は、恐らく、

切り裂きジャックが学園に来なくなってからだ」


「この間、お前が追い払った連中がいたろ?

あれが数多の兵隊だよ」


「それにしては弱かったぞ」


「それはお前の運が

たまたま良かっただけだ」


投げやりに言うアキラに、

ミコがむっと口を曲げる。


「そうむくれるなよ。

俺だって今日はこのザマなんだ」


両手を広げるアキラ。


その体は、

どこを見てもボロボロだった。


「アーチェリーのABYSSに勝てたのは、

恐らく武器相性だな」


「お互いが同じ条件だったら、

恐らく俺はここに戻ってきてない」


「……そんなにABYSSは強いのか?」


「いやいや……

あんなのが何人もいてたまるか」


「鬼塚や片山が標準的なABYSSで、

アイツが特別なんだと願いたいね」


「お前がそこまで言うなんて、

随分と相手のことを買ってるじゃないか」


「そうだな……まあ、

全力のお前といい勝負だよ」


「それは、長時間やり合ったら

負けるって言いたいのか?」


「可能性は高い。

良くてせいぜい相打ちだな」


「だから、もう魔法少女はやめておけ。

同じようなのがまだいたら、本当に死ぬぞ」


「もしどうしてもやる場合は、

四肢を削るお前のスタイルは捨てろ。急所を狙え」


「体力のない今のお前じゃ、

そっちのほうがまだ長期戦をやるよりマシだ」


アキラがミコへと

真剣な目を向ける。


その掛け値のない警告に、

ミコは口を尖らせつつ鼻を鳴らした。


「まあ、出歩かなくても、

数多からこっちに来る可能性があるんだが」


「どういうことだ?」


「数多は晶もターゲットに入れてるらしい。

しかも、ご丁寧に昔からだそうだ」


「はぁ? 同族で争ってどうするんだ?」


「それは俺が聞きたいくらいだ。

全く、勘弁してくれよ本当に」


アキラの呟きに、

苦笑と溜め息が混じる。


色濃い疲労を差し引いて見ても、

数多の件をどうにも持て余しているのが分かった。


だが、晶が狙われているとなれば、

数多はきっと笹山の家にも来るだろう。


ミコとしても、

このまま座して待っているわけにはいかない。


「これから

どうするつもりなんだ?」


「……逃げるのも考えたが、恐らくは無理だな。

どうやっても足が付く」


「可能性はかなり低いが、

数多を迎え撃つしかないだろう」


「ああ……その前に晶が先か」


「晶が先?」


ミコが顔をしかめると、

目の前の男は珍しくしまったという顔をした。


その反応を、

ミコがすかさず拾い上げる。



「答えろ。

晶に何をするつもりだ?」


「……別に大したことじゃない。

精神を安定させるだけだ」


「精神をって……それは、

晶が人を殺せないことと関係あるのか?」


「どうしてそう思うんだ?」


アキラから返ってきたのは、

推測の正否ではなく、その理由を訊ねる問い。


その反応から、

ミコは自分の考えが正しいのだと理解した。


「晶が人を殺そうと思っても、

いつも気絶して完遂できないんだろ」


「そんなのあるかって思ってたけど、

精神が不安定になって気絶するなら納得できる」


「そうして晶が気絶している間に、

全部お前が代わりにやってたんじゃないか?」


「……いいところは突いてるな」


「やっぱりか」


これで、アキラが晶の

暗殺者の部分を引き受けていることは分かった。


だが、そうなってくると、

ミコとしては決して看過できない問題があった。


ミコが立ち上がり、

ソファにぐったりともたれるアキラを見下ろす。


「答えろ」


「……なんだ?」


「お前が琴子ちゃんを殺ったのか?」


腕をミシリと軋ませて、

ミコがアキラを睨み付ける。


「答えろ。でないと――」


「殺す、か?

答えても殺しかねない顔だが」


「それはお前の態度次第だ」


脅しではなかった。


この後に及んでアキラがごまかそうものなら、

腕の一本や二本はもらうつもりだった。


そんなミコの覚悟に、

アキラは溜め息で答えた。


「……事故だったらしい」


「らしい?」


「俺が生まれたのはその後だ」


「じゃあ……」


「そうだ。

今、お前が理解した内容で正しい」


観念したような、

しかし明言はしないアキラの告白。


それにミコは、

しばらく黙って目を瞑り――


やがて、後ろに倒れるように

椅子へと腰掛けた。


「ずっと……ずっと、

疑問に思ってたんだ」


「とぼけてるんだと思ってた。

舐めたやつだと思ってた」


「だからずっと、

晶のことを殺してやりたいと思ってた」


「でも、晶を見ていたら、

本当に記憶がなくなってるみたいだった」


「忘れたとかじゃなくて、

最初から何もなかったみたいに」


「……」


「自分の姉のことを殺しておいて、

しかもそれを忘れるなんて、おかしいだろ」


「でも、そのおかしいことが

現実に起きてる」


「可能性は二つだ。晶は殺ってないか、

晶が殺ったのに記憶が消えているか」


「俺は、晶の安全装置だ」


この間も聞いた台詞が、

再びアキラの口から聞こえてきた。


この男の生まれた時期を考えるのであれば、

答えは明白だった。


ミコが項垂れる。


右手を真っ白になるまで握り締め、

さらにその拳を左手でぐっと掴む。


「……もし、安全装置が

働かなかったらどうなる?」


「そんなものは、

考えるまでもないだろう?」


アキラが、

ソファにもたれていた体を起こす。


「破滅だ」


「具体的には?」


「封印してきた記憶が解放されて、

晶のことを苛む」


「人殺しであることに

耐えられないっていうのか?」


「そうじゃない。

殺されることに耐えられない」


「……意味が分からない。

ちゃんと説明しろ」


「晶は死に敏感なんだ。

これは体質というか、まあ、一種の呪いだな」


「晶が誰かを殺してしまうと、

必ずじゃないが、その殺したやつの記憶を吸い上げる」


「吸い上げなかった場合でも、

過去の記憶の封印が解けて漏れ出す」


「しかも漏れ出すほうは、

身近な人間の死もトリガーになるときた」


「それが、他人から吸い上げた、

殺される記憶ってわけか」


『そういうことだ』と

アキラが首肯する。


「……厄介なのは、

これが晶一人で拵えた記憶じゃないところだな」


「晶一人じゃない……?」


「封印されている記憶には、

明らかに旧い時代のものがあるんだよ」


「しかもその記憶は、

俺が封印したものじゃない」


「……お前と晶に似たようなやつが、

昔にもいたってことか?」


「しかもそいつは、

晶に生まれ変わっている……みたいな」


「恐らくな。魂が蓄えているのか何だか知らんが、

俺からすれば傍迷惑な話だ」


「晶の周りで誰かが死んだり、晶が誰かを殺すたびに、

いちいち呼び出されるんだからな」


「もっとも、それ以外でも、

俺が駆り出されることはあるんだが」


例えば、誰かを追い払ったりな――と、

アキラがミコに笑いかける。


それに、ミコは不愉快そうに目を細めるも、

心の中では別なことを考えていた。


アキラの話は、理解できた。


ずっと疑問に思っていたことが、

少なくとも解消できた。


だが――


それは、振り上げた拳の行き先が、

既になくなっていたということでもある。


恨み、殺したいとまで思っていた事柄が、

相手からはすっかり蒸発してしまっていた。


酷い話だ。

開き直られるよりも、ずっと性質が悪い。


何も知らない相手に罵声を浴びせ続けたところで、

返ってくるものは何もない。


こちらの理不尽な仕打ちに対する不満がせいぜいで、

憐れみさえ向けられるかもしれなかった。


そんな行為に意味はない。


けれど、拳を振り上げた際に抱いた思いも、

そう簡単になくなるものではない。


ミコの心中は、

やるせない気持ちで一杯だった。


晶を気の毒に思うよりも、

逃げられたという思いのほうが強かった。


「もういいか?」


「……えっ?」


「そろそろ晶の記憶を封印したい。

切り裂きジャックの死は負担が大きいからな」


「記憶も漏れかけていたし、

早めにやっておくに越したことはない」


淡々と呟くアキラ――

まるで出した荷物を片付ける程度の些事だと言いたげ。


そんな、人の気も知らずに憎い相手を優先する男へ、

ミコは恨み言の一つでも吐いてやりたくなった。


けれど、それをしたところで、

皮肉さえ返ってこない気がした。


この男にまで

そんな態度を取られるのはごめんだった。


「いいんだな?」


――勝手にしろ。


そう口にしかけたところで、

ミコの脳裏でふと閃いたものがあった。


記憶が漏れかけていたというなら、

あるいは――


「やめろ」


「なに?」


「記憶は封印するな」


予想していたものと異なる返答に、

アキラが警戒を顕わにする。


「理由を聞かせてもらおうか」



「それは……記憶を消したら、

数多と遭った記憶まで消えるんだろう?」


「まあ、今回の場合はそうだろうな」


「それだと、いきなり数多に襲われた時に、

何の対処もできなくなる」


「問題ない。俺が打って出る」


「タイムラグなしで

出て来られるのか?」


「それは……」


「もし無理なら記憶は消すな。

危機感まで消えたら終わりだぞ」


ミコの言うことは、

もっともだった。


アキラが出るとは言っても、

今日でさえギリギリだったのだ。


数多が実際に襲撃を仕掛けてきては、

間に合わなくなる可能性は高い。


ただ、素直に頷くには、

予想と異なる提案してきたミコの真意が気になった。


「どうなんだ?」


押し黙るアキラ。


そうして、

提案の裏を考えに考え――


「……俺が晶の記憶を残すには

条件がある」


「条件?」


「お前が晶に、

御堂琴子のことを話さないことだ」


「それを俺に約束できるなら、

記憶は消さないでおこう」


提示された条件に、今度はミコが黙り――

アキラはニヤリと口角を持ち上げた。


「当てが外れたか?」


「……さあな」


「まあ、好きなだけとぼけてくれていい。

その代わり、約束は守れ」


「分かったよ」


しぶしぶ頷くミコに、

アキラが安堵の息を漏らす。


そんな相手の反応に、

ミコは舌打ちしながら椅子を軋ませた。


「そう怒るなよ。

これは、お前のためでもあるんだ」


「何だそれ?

ボクを脅してるつもりか?」


「どうとでも解釈してくれ」


苦笑いを浮かべながら、アキラが立ち上がる。


「……やっぱり、

ボクはお前が嫌いだ」


「好かれるとは思っていないしな」


「もう出てくるなよ」


「俺もそうしたいところだ」


小さく肩を竦めて、

アキラは二階の部屋へと戻っていった。


残されたミコが、くそっと小さく呟いた。



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