異物感1

「ちょっと有紀。

ヨーグルトの蓋を舐めるのやめなってば」


「えー、なんでなんでっ?

蓋にいっぱい付いててもったいないのに!」


「っていうか、委員長は舐めない星人なんですか?

牛さんにモーしわけないと思わないんですか?」


「私もするし、食べ物も粗末にしたくないけど、

そういう恥ずかしいことは人の見てないとこですんの」


「なるほどー、つまり委員長は

むっつりスケベなんですね! 理解です!」



「くだらねぇごど言っでねぇで、

さっさど飯ば食え!」


「はぁい……」


「……毎日よく飽きないな」


「飽きるっていうか呆れてるけどね。

よくもまあ、毎日ネタを提供してくるもんだなって」


「それは呆れるんじゃなくて、

感心してるって言うんですよー」


「……多分日本語としてはそれが正しいんだろうけど、

本人に言われるとすげーイラっと来る」


「えっへん。私、新聞部ですから。

日本語にうるさいんです」


「日本語がうるさい」


「それも新聞部ですから。

言葉も多いんです」


「だからいっつも一言多いのか」


「新聞部ですから」


「万能なんだな。新聞部」


「お。みこぽんも興味ありですか?

入ってみますか?」


「間に合ってる」


「そんな!

新聞勧誘を断るみたいな言い方で!」


「大体あってるじゃん」


「新聞勧誘と新聞部勧誘は違うのです。

一文字の差を舐めちゃいけません」


「たった一文字付け足すだけで、

夏目漱石の“こころ”も“下ごころ”になるんですよ?」


「なんだ、大体あってるじゃん」


「う。そう言われれば

否定できないかも!?」


ほらねとずばずば突っ込んでいく佐賀島に、

でもでもだってと忙しい安藤。


その明るいやり取りを傍で眺めながら、

ミコは一人、日陰にいるような感覚を覚えていた。


話題に付いていけないわけではない。


分からない部分は言えば説明してくれるし、

三人での会話はそれとなく成立している。


周囲の人間と違って、

二人の対応は琴子でもミコでも同じ。


安藤に至っては

謎の愛称まで付けてくれた。


それでも――

得体の知れない孤独感が、胸の内にある。


この気持ちは、

一体どこから来るのだろうか。


暗殺者の頃との環境の違い?


表向きはミコではなく、

琴子として振る舞っているから?


誰もミコ本人と

親しくしてくれないから?


色々とそれらしい理由は挙げられるものの、

ミコ本人にもよく分からなかった。


強いて言うのであれば、

ミコがミコである必要がないことだろうか。


ミコの代わりに琴子が出て来ても

全く問題ない場面しか、日常に存在しない。


仮にミコが突然消えたところで、

誰も困りはしないだろう。


むしろ、喜ぶ人間のほうが

多いかもしれない。


では何故、

自分は目覚めてしまったのだろうか。


アキラではないが――琴子が危機を脱するための、

安全装置程度の役割しかないのではないか。


「あれれ? どうしたんですか、みこぽん。

再起動中ですか?」


「みこぽんも早く食べないと、

委員長に亜寒帯弁で怒られちゃいますよー?」


「亜寒帯弁って、アンタね……。

東北バカにしてる?」


「えぇー、何でそんな風に受け取るんですかっ?

やだ、委員長が想像以上にネガティブ!」


頬に手を当てて反抗期だーと騒ぐ安藤に、

佐賀島の笑顔が強張る。


また怒ったり怒られたりが始まるのだろうが、

この二人はそれで上手くはまってるんだろう。


それが、何だか眩しく見えて――


「……ちょっと空気吸ってくる」


ミコは、お弁当を畳んで席を立った。


「ほらもー、

アンタがうるさいからっ」


「そんな!

いつも通りなのに!」


「なおさら性質悪いっつーの」


後ろから聞こえて来るやり取りに、

ミコが思う。


琴子が二人の間にいる時は、

一体どんな気持ちなんだろうか。


琴子もあの二人に混じって、

はまることができているんだろうか。


その答えは分からなかったが――


今はただ、

早く琴子が出て来て欲しかった。







木曜の夜――


出かける用意をしていると、

二階から下りてきたミコがおいと声をかけてきた。


「こんな時間にどこに行くんだ?」


「ああ、ちょっと友達に呼び出されて。

そんなに遅くならないよ」


「そんなこと言って、

誰か殺しに行くんじゃないだろうな?」


「あのね……」


「冗談だよ。

晶が人を殺せないのはボクも知ってる」


ああ……そういえばそうだっけ。


「まあせいぜい、

変なのに襲われないようにするんだな」


「ありがとう。気を付けるよ」



――明日、この街を出て行くことになった。


龍一からそんな電話が来たのは、

ついさっきだった。


ようやく次の学園に行く用意が調ったと、

パートナーから連絡が来たらしい。


クラスメイトに挨拶したかったものの、

例の仮面に狙われる可能性を考慮して諦めたとのこと。


ただ、僕にだけはせめてということで、

今夜十時に会おうと提案された。


落ち合う場所は、

切り裂きジャックの墓。


確かに、あの場所で秘密を明かした僕らにとっては、

別れもあの場所が相応しいだろう。





「あー……せっかくだから、

龍一に何か差し入れでも買っていくか」


さすがに立ち話をして終わり、

というのでは味気ない。


ジュースと、あとせめて何か、

手を汚さないでつまめるお菓子でもあればいいか。


余ってしまったら、

ジャックのお墓のお供え物にしよう。


「……みんながいれば、

余るようなこともないんだろうけれどなぁ」


どこかにみんなで旅行にでも行って、

送別会をやって。


龍一がまた戻ってきたくなるような、

楽しいお別れをしたかったのに。


……今さら言っても仕方ないか。


みんなのぶんも引き受けたつもりで、

僕が龍一を送りだそう。





あれ? と思ったのは、

路地裏に入ってすぐだった。


分かれ道に見える二人の男――

青い制服姿/肩に無線機/腰には警棒と拳銃。


二人で何事か話しながら、

どこかへ行く気配もなく道端に立ち続けている。


装備を見る限り、

警備員ではなく警察官で間違いない。


「っていうか、

何でこんな時間に警察がいるんだ……?」


夜の十時に、

こんな場所で張り込む意味が分からない。


最近の治安悪化を受けて、

不審人物を捕まえに来たってことか?


でも、血生臭い報道がよくあるのに、

警察官二人だけで張り込むものなんだろうか?


“判定”は――やや強くはあるものの、

一般人の域を出ない程度。


片山の手下たちにも劣るくらいだから、

この間の仮面の一味という線はないだろう。


だとすると、本物の警察官か?


「……どっちにしてもやることは同じか」


遠回りするしかない。


もし、不審者扱いされて長く拘束されたら、

龍一に迷惑をかけることになるし。


まあ、この辺りは色んな道が繋がってるから、

迂回していけば問題ないだろう。



「……おいおい」


驚くべきことに、どの道を行っても、

警察官が配備されていた。


壁伝いや屋上経由で何とか侵入できたけれど、

何で今日に限ってこんな警備をしているんだ?


まさか、龍一に何かあった……?


この間の仮面の連中に襲われて、

死体が発見されたとか――


……いや、それならさすがに、

もっとパトカーが来てるはずか。


連絡を取りたいところだけれど、

龍一はこの間の時点で携帯も処分している。


さっきみたいに公衆電話から、というのは、

さすがに期待できない。


とりあえず、

待ち合わせの場所に行くしかない。





壊れたの街灯の下を、

月明かりを頼りに走り抜ける。


汚れが染みつき雑然と散らかった路地を、

音を立てずにすり抜ける。


ここ一ヶ月で、

この辺りの道もだいぶ走り慣れてしまった。


切り裂きジャックの墓参りをした時以外は、

全て誰かを探す時だ。


そして、今のところその全てにおいて、

尋ね人は無事に戻ってきてくれている。


今回もそうであって欲しい。


が――



「!?」


道中で視線を感知。


気付かない振りをしつつ出所を辿り、

曲がり角でほんの僅かに首を傾けて姿を確認する。


――この間の謎の仮面。


背筋に冷たいものが走る。


嫌な予感に、

心臓をぎゅっと掴まれる錯覚を覚える。


まさか/いや、

そんなことはあり得ない。


あっていいわけがない。


祈りたくなる気持ちを抱えながら、

全力で体を前へと走らせる。


音を消してる余裕なんてない。

見張りに気を遣っている暇なんてない。


とにかく、とにかく早く、

今すぐ龍一のところに行かないと。


角を曲がる/開けた空間が見える。


中央にある小さな墓石――

切り裂きジャックの墓のある広場。


二人で約束して待ち合わせた場所。


お互いの秘密を初めて共有した、

本当の意味で龍一と分かり合えた場所。


その、思い出の場所で――


何かが、僕のほうへと

ごろりと転がってきた。


「――」


藍色の夜、冷たい月光の下に、

気持ち悪いくらい鮮やかな赤色が広がっていく。


既にできていた水溜まりを飲み込み、

水面へ大きな紅の月が映り込む。


その月輪の傍に、

見慣れたものが落ちていた。


何度見上げたか分からないそれが、

どうして地面にあるのか分からなかった。


というより、


あの大きくてごつい体は、

一体どこに行ってしまったのか。


「あ――」




わけの分からない光景が、

目の前をぎっては消えていく中――


やっと、龍一の体を見つけた。


同時に、理解した。


――やめておけ。


全身の血が沸騰するのが分かった。

体中の筋肉が一斉に燃え上がった。


――もう終わってる。


龍一の首から下の傍にいるアレが。

死神じみたあの男が。


――今すぐ逃げろ。


僕が今すぐに

報復するべき相手なのだと――


「この野郎ォおおおおおッ!!」


そうして気付いた時には、

既に体が撃ち出されていた。


体の導くままに地を蹴り、腕を引き絞り、

相手にぶつかるだけの機能しかなくなっていた。


どこに当たるかも分からない。

分かる必要もないと思った。


ただ、とにかく、

全力の一撃を相手に見舞えればよかった。


腕を伸ばす。

死神じみた男が目の前に迫る。


――バカ、罠だ!


「……えっ?」


瞬間――

自分の体が宙に跳ね上がっていた。


一瞬遅れて背中に痛みが走り、

突撃の勢いそのままに地面を転がっていた。


一体何をされた?


混乱しつつも跳ね起きる――

振り下ろされんとしていた刃を跳んで躱す。


が、それを予期していたかのように、

続けざまに飛んでくる斬撃。


一つ二つと回避する中で、

相手の獲物がククリナイフであることを把握。


少なくとも、

素手で打ち合える相手じゃない。


一旦、距離を離さないと――


「ここで引くのか?」


「!?」


こちらの行動を予測されたことに、

思わずぎょっとなる/相手の顔を見る。


「激昂して飛びかかってきた割りに、

判断は的確だな。腐っても御堂か」


「なっ……!?」


何でそれを知っているんだ――


そう言おうと口を開いたところで、

飛んできた蹴りが脇腹にめり込んだ。


不意の一撃に、

為す術なく吹っ飛ばされる。


地面を転がりながら、

脇腹に走る激痛に悶える。


それでも、寝ていることの恐怖が勝り、

脂汗を流しながら立ち上がり追撃に備える。


そうして見据えた先では、

死神がじっとこちらを観察していた。


「いちいち感情を乱しすぎた。

そんなことだから、お前は人も殺せないんだよ」


「……僕のことを知ってるのか?」


「まだ分からないか?」


仮面の呆れた風な長嘆息。


そこまで言われて、

その立ち姿に見覚えがあることに気付いた。


というより、

ククリナイフもそうだ。


僕の記憶の中で、

その得物を好んで使っていたのは、そう――


「数多、兄さん……?」


「久し振りだな、晶」


言葉とは裏腹に、何の感情の含まないその声を聞いて、

当時の記憶が一瞬で蘇ってきた。


出来損ないだと言われながら、

血反吐を吐きつつ地面を転がされたあの日々。


目の前に立つだけで命を握られている気さえした、

絶対零度の眼差し。


今でさえ喉が鳴る。

口の中が渇く。


……どうりで思考が読まれるわけだ。


この人に徹底的に鍛え抜かれたいじめぬかれた時間が、

暗殺者としての僕を作っているようなものなんだから。


でも、どうしてこの人が、

僕の目の前に現れたんだ……?


「……何か言いたいことがありそうだな」


「どうして……龍一を?」


「暗殺者がターゲットを始末するのに、

何か不思議なことがあるか?」


「龍一がターゲット?

どうしてっ?」



「仕事の話を

聞けば教えてもらえるとでも思ったか?」


深い落胆の息が、

仮面の隙間から聞こえて来る。


「少しは変わったかとも思ったが、

甘ったれた思考は相変わらずか」


「お前をやっとの思いで助けた親父も

浮かばれないな」


……は?


「親父に口止めでもされたか?

驚いた振りで隠す必要はないぞ」


「そうでなければ、

お前が御堂の襲撃を生き延びられるわけがない」


ちょっと待て。


今、兄さんは何て言った?


「父さんが……浮かばれない?」


「……なんだ、知らなかったのか」


「御堂刀はもう死んでいる。

仕事の帰りに襲撃されてな」


父さんが……殺された?


あの誰よりも強かった父さんが?


ただ一人、僕の“判定”でも殺せないと出ていた、

あの父さんが?


「……嘘だ」


「俺がお前に嘘をつく理由がどこにある」


「嘘だ」


「……付き合ってられないな。

信じたくないなら勝手に否定していろ」


「どの道、お前はここで終わりだ」


出て来いという呟きの直後、

物陰から三つの人影が現れた。


うち二つは、

兄さんと同じ仮面を付けた男。


そして、もう一つは――


「有紀、ちゃん……?」


セーラー姿でアーチェリーを手にした、

安藤有紀だった。


「……レイシスを知っているのか」


レイシス?


それが、

有紀ちゃんの本当の名前なのか?


「何に化けていたのか知らんが、

まさか晶とも接触しているとはな」


「いや、そもそもを言えば、

お前が俺と向かい合ってること自体がおかしいか」


「俺とお前には、

奇縁というやつがあるのかもな」


喜びや悲しみはおろか、驚きさえも捨てたような人が、

珍しく感心したように頷く。


けれど、その珍しさが霞むくらい、

頭の中は『あり得ない』が一杯だった。


龍一が死んだことも。父さんが死んでいたことも。

有紀ちゃんがアーチェリーのABYSSだったことも。


全部、信じられない。

信じたくない。


なのに――


兄さんの絶対零度の瞳が、

僕の否定を全て無価値にしていた。


真偽を疑う気持ちをすら無に帰すべく、

周到に用意を進めていた。


「何の理由があって、

僕を殺すんだよ」


否定の代わりに、

目の前の理不尽に問いかける。


「何で同じ家族なのに、義理でも弟なのに、

僕が殺されなきゃいけないんだよ!」


「『人を殺せなくても、せめてそれ以外は』って、

僕を鍛えてくれたのは兄さんだろっ?」


「なのにっ……何で今になって、

兄さんが僕を狙うんだよ!?


「いいや……今になってじゃない。

昔からお前はターゲットだった」


……昔からターゲットだった?


昔からって、いつからだ?


何の理由があって、僕が――


「――やれ」


「っ!?」


その場から跳んで逃げるのとほぼ同時に、

アーチェリーの矢が飛来した。


その間に、

二つの仮面がナイフを手に左右へと展開――


こちらの行動範囲を狭めるように、

じわじわ距離を詰めてくる。


「兄さん……」


「お前のことは、その三人に任せた。

抵抗しなければ一瞬で楽にしてくれるはずだ」


……三人に任せた?


どうして自分でやらないんだ?


いつだって、

仕事は確実にという人だったはずなのに――


そんな僕の内心が表情に出ていたのか、

兄さんは僕の顔を見ると、小さく舌打ちをした。


「勘違いするな。

お前にはその三人がいれば十分だという話だ」


「それに……お前は琴子の弟だからな。

殴りつけて、また琴子あいつに怒られるのはごめんだ」


「僕が……琴子の弟?」


何だそれ?

琴子の兄の間違いじゃなくて?


しかも、琴子が兄さんを怒る?


何だよ、それ――?


「それじゃあ、お別れだ」


「あ、ちょっと――」


呼び止めようと手を伸ばしたところで、

飛来した矢に遮られた。


そうしている間に、

兄さんは悠々と龍一の刀を拾い上げ――


僕に一瞥をくれることもなく、

路地裏のどこかへと消えていった。


残されたのは、この間の仮面が二人に、

アーチェリーのABYSSが一人。


仮面の中身が、初めて遭遇した時と同じなら、

有紀ちゃん――もといレイシスは最悪の相手だ。


他二人も、恐らくは兄さんに訓練を受けている以上、

並みのABYSSと同等の実力だろう。


というか、そうじゃなきゃ、

あの人がこの場を任せて行くはずがない。


恐らく、逃げることも不可能。

どこまでも追いかけてくるに違いない。


となれば――


殺すしかないのか?


僕が、この三人を。


「っ……!」




そう意識した瞬間に、

強烈な頭痛がした。


さっきみたいに、僕の記憶にない光景が、

頭の中に浮かんでくる。


首だけの龍一/血塗れの誰か/血溜まりに立っている自分

/やたら時代がかった服を着た死体/血の海/屍の山

/僕にもたれかかりながら死んでいる誰か――


まるで他人と混線しているような錯覚に、

体中が痛み、寒気が全身を走って行く。


同時に訪れる、

扉が開き始める感覚――ああ、まずい。


これを開けきるのはまずいという、

奇妙な確信がある。


開けたら、

恐らくは戻って来られない。


何とか止めないと。


でも――


風切り音が飛来する。


二つの影が音もなく伸びてくる。


目の前が明滅し、

合間にまた記憶にない光景が差し挟まれる。


その迫る危機に/理解不能な現象に、

何をしていいのか全く分からなくて――


――ただ、

消えてしまいたいと思った。


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