残された手段1

「う……」


差し込む光を眩しく感じ、

朝が来たのだなと体を起こす。


途端に、

背中一面に痛みが走った。


「あ……痛たたた……」


何だ?

いきなり痛み出すなんて、何かしたか?


確かめてみたところ、

痛んでいるのは背中だけじゃないらしい。


腕に足にあちこちに、

熱を伴う痛みがある。


服をめくって見てみると、

幾つかの擦り傷やあざまで見つかった。


「ちょっと待て……何だこれ?」


何の心当たりもないのに、

どうしてこんな、あちこち痛いんだ?


もしかして、

寝てる間にミコにやられたんだろうか?





「起きてきたか」


「……おはよう」


下に降りてくると、

ミコが不味そうにパンを囓っていた。


朝からミコが出て来てるのか。


でもまあ、ちょうどいい。


「あのさ、ミコ。

昨日、僕に何かあったりした?」


「……は?

まさか、覚えてないのか?」


「覚えてないのかって……

覚えてないから聞いてるんだけれど」


「そんなわけないだろ。

お前の記憶は消されてないんだぞ」


記憶が消されてない……?


「思い出せ。

》昨日、何があったのか」


「お前は数多に遭ったはずだろ?

そして、切り裂きジャックが死んだんだろ?」


「あ……」


その言葉は、まるで熱を持っていたかのように、

痛みを伴って頭に染み込んできた。


そうだ……思い出した。


昨日、龍一に呼び出されて、

切り裂きジャックの墓に行って。


そこで、首を落とされた龍一を見て、

数多兄さんに遭って。


それから、有紀ちゃんに襲われて。

知らない光景が目の前を過ぎって。


何が何だか、分からなくなって――


「……僕は、

どうやって帰ってきたんだ?」


「今からボクが説明してやるよ。

昨日、何があったのかをな」





「……じゃあ、僕は昨日、

別な人格の状態で帰ってきたってこと?」


「それも、数多兄さんが差し向けてきた相手を、

三人も殺して」


『そういうことだ』と頷く琴子。


けれど……

それを、そのまま信じろっていうのか?


別な人格も、僕が人を殺せたことも、

兄さんの兵隊を追い払ったことも――


どれも、僕の中ではあり得ないことなのに。


「……なあ。お前は、

琴子が人殺しをできると思ってたか?」


「え? いや……まさか」


「今回の件は、それと同じだ」


「お前が殺せないと思っていても、

別の人格なら殺せた。それだけの話だろ」


……確かにそう言われてしまえば、

その通りだ。


自分ではあり得ないことでも、

別な人格だったらあり得る。


全て琴子の前例がある以上、

納得せざるを得ない。


「僕の記憶があやふやなのも、

その別人格に切り替わってるからってことか……」


「……さぁな。それは知らない」


「ボクが知ってるのは、さっき話したので全部だ。

お前が昨日やってきたこと、数多が出て来たこと」


「そして――切り裂きジャックが死んだこと」


切り裂きジャックが……

龍一が、死んだ。


あの龍一が……。



「でも、それは……

僕の別な人格から聞いたことなんだよね?」


「だったら何だ?」


「まだ、本当は、

龍一が生きてるかもしれないなんてことは……」


「ないな。数多が殺しそびれるなんてあり得ない。

お前だって分かってるだろ?」


「それは――ぐっ!?」


「どうしたっ?」


「いや……頭がちょっと痛くて。

もう大丈夫」


「それより、龍一が死んだなんて、

やっぱり僕は信じたくない」


「……ボクが嘘を言ってるとでも

思ってるのか?」


「そういうわけじゃないけれど、

自分の目でちゃんと確かめたいんだ」


「昨日、切り裂きジャックの墓の前で、

一体何があったのかを」


「ダメだ」


「どうしてっ?」


「今この瞬間だって、

数多が襲ってくるかもしれないんだ」


「それに、昨日の現場に行って、

ABYSSの連中が待ち伏せしてたらどうする?」


「……それでもいい」


「おい」


「不安なんだよ」


ミコの責めるような視線を、

真っ直ぐに見つめ返す。


「僕の記憶が曖昧で、

しかも龍一まで死んだなんて言われて」


「信じたくないし、信じられないけれど、

信じるしかない材料ばっかりが手元にあって」


「そんな、足下が見えないのに

何故か立ててるような状態でいたくないんだ」


「何でもいいから、

とにかく実感できるものが欲しいんだ」


「だから……本当かどうか確かめるために、

昨日の現場に行きたい」


「でないと、僕は……」


「分かったよ」


吐き捨てるように呟いて項垂れるミコ。


「行けばいい。

夜になって行かれるよりはずっとマシだ」


「その代わり、

ボクも一緒に行くからな」


お前が死ぬと、琴子がうるさいから――と、

ミコがあからさまに面倒臭そうな顔を作る。


けれど今は、

その投げやりな態度がありがたい。


ミコがミコらしくあるのは、今のあやふやな僕の中で、

確かなものの一つだったから。


「……ありがとう」


ミコに頭を下げ――

嫌がられながら、支度を急いだ。





平日は金曜日の朝方は、

さすがに人通りも少なかった。


すれ違う人は、普段見る層とは全く異なり、

主婦や幼児、ご年配の方がほとんど。


あんまりにものどかで、時間の流れが緩やかで、

まるで知らない街に来たみたいだった。


本当にこの街で、

昨日、殺し合いがあったんだろうか?


「気を抜くなよ」


突然の呼びかけに横を見ると、

ミコの目がナイフのように尖っていた。


「さすがにこの時間帯はないと思うけど、

お前は数多に狙われてるんだからな」


「余計なことを考えてると、

気付いた時には死んでるぞ」


「……分かった」


心の中を見透かされたようで、

思わずドキリとした。


けれど、ミコの言う通りだ。


何もなかったのではと思っている暇があるなら、

早く昨日の現場に行って確認をしないと。





「ここが、昨日の現場……」


「パッと見は何もないな。

地面まで綺麗にならしてある」


「……でも、分かるな」


「うん……」


分かる。

聞き取れてしまう。


学園の入り口で、

いつも死というものを感じているように――


昨日、ここで沢山の血が流れたことや、

何人も死んだことが分かってしまう。


「……やっぱり、

嘘じゃなかったんだ」


曖昧な記憶だったけれど。

最後には何が何だか分からなくなったけれど。


僕が昨日、血溜まりの中に見た龍一の首は、

夢でも見間違いでもなかった。


本当に、龍一は死んでしまったんだ。


「龍一……」


プレイヤーとして、

死を覚悟しているとは言っていた。


龍一もABYSSを殺しているんだから、

因果応報的な面もあるんだろう。


けれど、あんないいやつが死ぬだなんて、

僕には受け入れられなかった。


妹のために/正義のために人を斬っていた男が、

殺されていいはずがなかった。


でも、僕がどれだけ否定しても、

もう龍一には会えない。


あの胡散臭い関西弁を聞くことも二度とない。


下らない冗談に苦笑いさせられることも、

二人で秘密の話をすることもない。


龍一が助けようとしていた妹も、

一生、そのままになるんだろう。


そう思うと、

何だか無性に悔しくて――


「くそっ……」


瞼の向こうが、

どうしようもなく熱くなった。


そこにいるはずはないと分かっていても、

小さな墓石に膝をつかずにはいられなかった。


「龍一……」


脳裏を過ぎる、

色んな声や光景を押し退けて――


僕は、少しだけ泣いた。





「ほら、飲め」


「うん……ありがとう」


差し出された缶飲料を受け取る。


コーヒーの淹れ方を知らないミコなりに、

精一杯気を遣ってくれたんだろう。


それを嬉しく感じると同時に、

そこまで弱っている自分を情けなくも感じた。


……もう少し、

しっかりしないと。


目の前にある問題は、

僕が辛かろうが待ってくれるわけがないんだから。


「あのさ……色々思い出したんだ」


「思い出したっ? 何をだ?」


「昨日のこと。

まず、それを整理したい」


昨日、色々あった中で得た情報は、

僕らにとって重要なものには間違いない。


「なんだ、昨日のことか……」


「“なんだ”って、

他に何があると思ったのさ?」


「何でもない。

それより、大丈夫なのか?」


「大丈夫?」


「昨日のことを話しても。

まだ、落ち着いてないんだろ」


「ああ……大丈夫だよ。

そんなに落ち込んでもいられないし」


「その死にそうな顔でか?」


「……うん。死にそうな顔で」


強がっている余裕もない。

けれど、今やっておかないと。


でなきゃ、また忘れてしまうか、

何かと混じってしまいそうだから。


そんな僕の気持ちが伝わったのか、

ミコはそれ以上は何も言わなかった。


「それじゃあ、思い出せる限りで、

昨日のことを話すよ」


「まずは……

父さんが既に死んでることか」


「父さんって……刀が?」


「うん。仕事が終わった帰りに、

誰かに襲われて殺されたって聞いた」


「……気が抜けてたにしても、

ちょっと信じられないな」


「相当な使い手じゃないと、

刀が返り討ちにして終わりだろ」


「だよね。僕の知ってる限りだと、

父さんより強い人間は見たことないし」


「もし刀が殺られるとしたら……

一対多とかか」


「それならさすがに厳しいとは思うけれど、

その状況になるかな?」


「そんな待ち伏せをされてたら、

そもそも父さんは仕事に行かないだろうし」


「……まあ、下調べの段階で発覚してたら、

普通は日をずらすだろうな」


「となると、やっぱり一対一?」


「もしそうだとしたら、

ボクらの想像の付かないような相手だな」


「まあ、衰えとか病気とか、

他に要因はあった可能性はあるけど」


父さんが衰え……

想像できないな。


でも、もう別れてから十年近く経つんだし、

時期によってはそういうこともあり得るか。


「まあ、刀のことは分かった。

数多の情報はないのか?」


「幾つか。僕らにとって一番大事なのは、

兄さんがABYSSに所属してることだと思う」


「経済的、人的に

支援を受けられるってことか」


「そうだね。

……特に、人的にっていうほうがヤバいかな」


「僕がこれまで遭った中で最強の

アーチェリーのABYSSも、兄さんの部下だったし」


「ああ、そいつは

お前の別人格が既に殺してる」


「……それ、ホントに?」


「あいつの言うことを信じるならな。

まず、仕損じはないはずだ」


あのアーチェリーのABYSSを――有紀ちゃんを、

僕が殺したっていうのか?


「――う」


「どうした?」


「いや……何でもない」


……また頭痛か。


何が原因なのか分からないけれど、

昨日から考え事をするたびに痛みが来る。


僕の記憶が曖昧なことと、

何か関係があったりするのか?


「数多の他の情報は?」


「ああ……ええと、

後は龍一と僕がターゲットだったってことかな」


「ただ、龍一はABYSS絡みにしては、

ちょっと殺される意味が分からないかな」


次の学園まで決まっていたプレイヤーを、

わざわざABYSSが処分するとは思えない。


「一貫して切り裂きジャックとして扱っていたから、

もしかするとそっちに理由があるのかも」


「晶がターゲットにされる理由は?」


「それもよく分からない。

聞いたけれど、答えてくれなかったから」


「ただ、昔から狙ってたとは言ってた」


「アキラに聞いた通りだな」


あれ……?

僕、言ったっけ?


「お前の別人格だよ。

御堂アキラ。同じ名前なんだ」


ああ……そういうこと。


御堂アキラ、か。


確かに、僕と違って人を殺せるのなら、

その名前は合っているのかもしれない。


「ちなみに、どんな人格なの?」


「性格最悪のクズだ」


えっ。


「あいつと話してるとストレスしか溜まらない。

あいつは話してるだけで害悪だ」


「そ、そう……」


なら、コミュニケーションを

取るのは無理かな。


琴子とミコみたいに、

筆談ができるならって思ったんだけれど。


「まあ、性格が最悪の代わりに、

強いのは間違いないな」


「アーチェリーのABYSSを倒すくらいだから、

多分そうなんだろうとは思った」


「でも、数多には敵わない」


……それも、予想はしてた。


あの人に敵う人間なんて、

僕の中で心当たりは父さんしかいない。


“判定”では殺せると出ても、

僕なんかじゃ手も足も出ないだろう。


「結局、どうするんだ?

迎え撃つのか、逃げるのか」


「……どうしようね」


実際、数多兄さんから逃げ切るなんて

できるんだろうか?


僕の知っている限りじゃ、

あの人の仕事の成功率は百パーセントだった。


獲物がどこに逃げても、どれだけ身を固めようとも、

一度狙った相手は確実に仕留めてくる。


時間稼ぎは可能でも、

逃げ切ることはできない死神――それが御堂数多だ。


そんな人を相手に、

僕ができることは――



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